異世界にトリップして一瞬で魔王を倒すお話
「――それでは次のニュースです。本日の昼ごろ、東京都内で高校生がトラックにはねられる事故がありました。高校生は病院に搬送されましたが死亡が確認されました。警察はトラックの運転手から事情を聞くことにしています。」
この日、東京都でひとりの高校生の命が失われた。
事故当時、彼はイヤホンで耳を塞ぎ、歩きながらスマートフォンをいじっていたという証言があった。
テレビはこれが原因で横から迫ってきたトラックに気付かなかったのではないか、との考えを放送し、コメンテーターはスマートフォンの危険性を訴え、未成年への規制を強化すべきだと主張した。
さて、当の本人とはいえば――
* * *
「知らない天井だ」
スマホをしながら歩いていて、トラックに轢かれそうになったところまでは覚えているが、その先が曖昧だ。彼の眼には真っ白な天井が映っている。辺りは明るいが、蛍光灯などの照明の類は目につかない。病院に搬送されたにしては不自然だ。
「ようこそ、原田義樹さん。お目覚めになられましたか?」
彼の頭上から、透き通るような声が降ってきた。そう、いわゆるひざまくらである。
女性によるひざまくらである。
「あんた誰?」
生前、女っ気が全く無かった彼は内心のドキドキを抑えつつ、こう聞いた。ひざまくらの状態は解除しないので、案外図太いのかもしれない。
「私は対日本人・若年男性折衝担当のダイジュッキュウシンです」
「ダイジュッキュウシン?」
「あ、それは階級です。<第十級神>です」
さすが神、思念を直接送る程度の能力は持っているらしい。
「名前は?」
「……?」
「固有名だよ、あんた自身を識別する名前」
「必要ないですよ、そんなの」
彼は名残惜しさを感じながらもひざまくらとお別れし、会話相手の方を向いた。大和撫子が目に映った。もちろん花ではなく、女性の容姿のことである。彼は心の中で彼女を「黒髪ロング」と呼ぶことに決めた。
「……今、私の名前が決定されたようです。『クロカミロング』だそうなのでそう呼んでください」
「人の心を読めるなら最初から言ってくれ」
「あ、やっぱりあなたが決定したんですね。そうじゃないかな、と思っていました。それと読心は私の権限ではできません」
「俺はあんたにあだ名をつけただけだが。それも心の中で」
「それでも十分なんですよ、私達神にとっては」
彼女はしみじみと語った。これ以上この話題を続けないほうが良いと悟った彼は、話を逸らす。
「で、トラックに轢かれたはずの俺はやっぱり異世界にトリップさせられて魔王倒さなくちゃいけないわけ?」
「さっきから思ってましたけどあなた状況への適応早くありませんか? 私がドヤ顔で神って名乗った時もスルーでしたし」
「だって俺、轢かれるその時までこんな感じに異世界行く小説読んでたんだもん」
「あ! 私それ知ってます! 歩きスマホってやつですね! そんなんだからトラックに轢かれちゃうんですよ!」
「そりゃ神様なら何でも知ってるでしょうが。あとあれは信号青だったからトラックの運転手が悪い」
そのトラックに気付かなかったのはイヤホンのせいではあるが。
「で、結局俺は魔王を倒せばいいんですね?」
「お願いします」
「チート付与はありますか?」
「チート付与は………………」
それにしてもこの女神、ノリノリである。
「あります! それも奮発してふたつ!」
「いえーい!」
「何がいいですか?」
「万能な空間魔法と検索機能をお願いします」
それにしてもこの男、即決である。
「能力付与担当は別にいますので、そちらが読心して望むままの能力を付与しますね」
「あんたはやることあんの?」
「私ですか?」
彼女は視線を右上の方に逸らし、口笛を吹き始めた。
「ごまかそうとしないでいいよ?」
「……実はこう見えてもヒマなんですよぉ。対女性折衝担当なら巫女さんとかに憑依する機会もあるらしいんですけどねー……」
「なんだ、ただのニートか」
「やめて、それ以上言わないでください」
「マジで存在意義あるのこの神?」
「それ以上言うと私は消えてあなたも転生できなくなりますのでやめてください」
「それマジ? 俺の考えることごときが神界に反映されちゃうわけ?」
「大マジです」
彼女は語る。
「ところで原田さん、あなたはいつから我々神が存在したと思いますか?」
「この世界、というか宇宙ができる前からじゃないのか? 少なくとも神がいるならそれがこの世界を作ったってのが主流の考えだと思うが」
「そこです」
「え、どこ?」
「私たちが宇宙ができる前から存在していたのはほぼ正しいですが、それはあなた方人間が、私たち神についてそのように考えているからです」
「ごめんなさい意味がわかりません」
この神は全知ではあるが、全能ではないのであった。思念の送信を行わないのは神としてのプライドか、あるいは。
「日本では有名らしいので聞きますけど、シュレディンガーの猫って知ってます?」
「箱を開けてみるまで中の猫は生きてるか死んでるか分からない、ってやつだっけ?」
「はい。それと同じ感じなんですよ、私たちは」
「ますます意味がわからん」
「えーとですね、私たちは人間が妄想する、量子力学的に言えば観測することで初めて『存在した』という事実が生まれるんですよ」
「つまり今ここで俺が『神様なんていない』とか思い込めばあんたは消えるってこと?」
「さっきからそう言ってるじゃないですか。超有名なゼウス様とかオーディン様とかだったらどうってことないんですけど」
「ギリシャ神話と北欧神話混ざってんのかよ……」
「人間より圧倒的に強力な力を持つのに、人間の想いによって生み出される、それが私たち神です」
人間の思念が神を作り出すなら、全ての神話が混ざっていてもおかしくはない。
「あ、能力付与が終わったみたいですよ、原田さん」
「おう、ありがとう」
「それでは、魔王を倒してきてください。全ての魔王を倒したら能力はそのままで辻褄合わせて地球に戻してあげますから」
「すべ……ての?」
「あ、言うの忘れてました! 魔王は256個体いますからね、よろしくお願いします」
もう一度述べよう。この神は全知ではあるが、全能ではない。
彼の混乱を招かぬように、といった配慮などできない。
「えっと……原田さん? なんか黙っちゃいましたけど規則なんで一応聞いておきますね。最後に何か質問はありますか?」
「なんで……なんで……」
彼は女神の方をキリッと睨んで言った。
「トラックなんだ?」
「え?」
「いつも不思議に思ってたんだ。異世界に転生する時に轢かれるのはなぜ決まってトラックなのか……これも誰かが考えたことがどうせ反映されてるんだろ?」
「まあ、これも神界に関することなのでそうですけど……原田さん、『トラック』の語源は知っていますか?」
「いや、知るわけないだろ」
「ラテン語で『鉄の輪』という意味の『trochus』という単語らしいです。ここから輪廻転生のイメージにつながったみたいですね」
「聞いて損したわ……こじつけにも程があるだろ」
「文句は考えた人に言ってください。久しぶりに人間と会話ができて楽しかったですよ。それでは、行ってらしゃーい」
彼をまばゆい光が包み、かくして彼は魔王256体が蔓延る異世界に降り立ったのであった。
* * *
「さて、と」
異世界に降り立った彼は早速、"検索"機能を使用。「魔王の位置」を"検索"した。
ヒット数は聞いていた通りの256。
「それじゃあこの256個の反応の半径15kmを指定して……|《空間抹消》(エリアデリート)」
名も知られぬ勇者が、その世界を滅亡秒読みにまで追い込んでいた大量の魔王を倒した瞬間である。