デブ担当が
弓角と主人が慌しく教室を駆け抜け、晩空が後を追うようにして退出したのを横目で見届けると、私は再び手元の『ブラックジョーク大全』に目を落とした。
全く、驚くほど騒がしい連中だ。やっていることも馬鹿馬鹿しい。そもそもこの在鍛理学園に在籍している以上、部活動に励むなどという行為はおよそ実現できない絵空事に他ならない。しかも胡散臭さにかけては他の追随を許さないオカルト研究部に助力を求められる辺り、恐らく設立しようとしている部活もまともなモノではあるまい。私がそういう結論を出して満足していると、ふいに笑顔の赤髪が寄ってきた。
「さぁ、追うわよ、捏子」
「嫌って言ったら?」
「わたしの知っている芽河捏子ちゃんは、親友の頼みを「嫌」の一言で無碍に断ったりしない」
「そうね。私、「絶対嫌」って言うもの」
私は一応の友人である緋色院詩織が、新入生の主人公太郎に熱を上げているのがどうにも解せなかった。剥製のように押し黙っていれば、詩織は腹が立つくらいの美少女である。しかし、もしちょっとでも口を開けば、あるいはちょっとでも身じろぎすれば、なまじ顔が良い分そのギャップに相手は叩きのめされる事になる。
返す返す私は、彼女が越してきた日に、彼女に出会ったことを思い出しては後悔するのである。
当時私はまだ土井中に越してきたばかり。年頃の少女らしい清新さや純朴さを備えていた素朴な女生徒であった。だからこそ、入学式を終えてまだ日が浅く、安堵と緊張の入り混じったあの教室で、作り笑いに満ち溢れた詩織が近寄って来ても、少女らしい初々しさをもって迎えたのである。
「よろしく、メガネ担当」
それが彼女の最初の言葉であり、同時に驚きの白さであった私の性根が、どす黒い彼女のそれに影響を受けるきっかけでもあった。
その後彼女は「デブ担当がいない」とデリカシーの欠片もない発言をし、初日から不幸にも体調不良で机に伏せっていた葵木樋木を「代替案」として己の領域に引きずり込んだ。こうして「女子仲良し三人組」を作り上げた詩織は、私たちにこの集団の最初の目標を告げた
それこそが「主人公的人物捜索大作戦」だったのである。
正真正銘のアホだ、と私は思った。口に出さなかっただけ、当時の私は純粋だった。今なら確実に口も手も出るだろう。
「あんたさ、あいつの一体どこがいいわけ」
「いいとか悪いとかじゃなくって。運命だから」
そういって恍惚とした表情をする詩織を見るのは別にコレが最初ではない。主人公的人物捜索大作戦をぶち上げたその日から、詩織はいるはずもない現代版白馬の王子様とでもいうべき人物を夢想し、よく頬を赤らめていた。むしろ現れてしまった現在の方が、より陶酔の度合いが深い気さえする。
これは一度、彼女の目を醒ます必要性があろう。今こそ冷や水を浴びせるときである。私は友人として、彼女に地獄の氷結地獄よりも冷々とした冷や水をぶちまけるつもりであった。
「運命とか何とか言ってるけど、あんたは色眼鏡なしで主人を見た事があるの?ヘタレくさいし、根性なさそうだし」
「周りに流されてばっかりだし情けないし」
「……別段格好いいってわけでもないし」
「あ、あと妄想癖もあるわ」
それは初耳だ。何故そこまで主人の実態が分かっていて、なおも彼を追いかけるのかと私は詰問した。
詩織はいつものように作り笑いを顔に浮かべると
「だって私は緋色院だもの」と答えた。
土井中はその周囲を山に囲まれた、小さな盆地である。夏真っ盛りの九月とはいえ、その日の入りは非常に早い。
既に黄昏時をむかえ、茜色に染まりつつある焼却場は、一種独特の凄みを放っていた。
カメラを構えた弓角君は、ふらふらと焼却炉のあたりを歩き回り「ここが猟奇的殺鳥事件の現場か」などと呟いている。
「それで、一体どこから調べるつもりなのさ」と聞くと、弓角君は自慢げに鼻を鳴らした。
「まずは現場検証から。捜査は足で稼げっていうじゃない」
そういうと、彼はいったんカメラを止め、コンクリートの地面を仔細に調べ始めた。「もしかしたらスズメの血痕とか、カワセミの血痕とか、マミチャジナイの血痕とか色々見つかるかもしれない」
僕は一瞬呆気に取られて、彼をまじまじと見つめると、あわてて彼の肩を叩いた。
「弓角君まさかとは思うけどひょっとしてそんなことはありえないだろうけどもしかして」いったん息を整えると「スズメとかカワセミとかマミ、なんたらの血の跡を、本気で探してるわけじゃないよね?」
「ボクは本気だよ」
「弓角君、もしコンクリに血痕があったら、学校の用務員さんはそれをどうするだろうね」
「そりゃあもちろん」と弓角君が続ける。
「血痕なんて初めからなかったってくらい、キレイに掃除するでしょう」
「そういうことだよ、弓角君」
少しの間、彼は自慢げな顔で動作を凍結させていたが、やがて氷が融けるようにその表情が不安げなものへと移り変わっていった。「どうしよう、早くも捜査が行き詰まってしまった」
「せっかくカメラがあるんだから、インタビューくらいしたらどうなのよ」
刺々しい声に驚いて振り返ると、芽河さんと緋色院さんが夕日をバックに仁王立ちしていた。元々赤い緋色院さんの髪が、夕日と重なって妙にまぶしい。
「そうか、その手があった」と手を打つ弓角君を侮蔑の眼差しで射すくめると、芽河さんは彼の手からカメラを取り上げた。「ほら、早くして」
「待ってください、一体なんでここに」というと、緋色院さんは蛸がもがき苦しむような動きをした。どうやら可愛く見せる為のポーズらしい。
「だって、クラスメイトが困ってたら、助けてあげるのが道理じゃなくって」
「僕が今一番困ってるのは緋色院さんの扱いです」
「またそういうよそよそしい態度をとる」
「どうでもいいけど、早くしてくれない」芽河さんが明らかにイラついた様子で腕を組んだ。
「私、早く帰りたいんだけど」
「そうだ、急がなくちゃ」と弓角君はカメラを取り返すと、早口に言った。「早くしないと、用務員さんが帰っちゃう」
教室で待ってても藤蓑が「我々の専門的な知識をだね」とうるさいので、しぶしぶ公太郎たちを追うことにした。
なにがオカルト研究会か!俺はあーゆー奴ら(特に藤蓑)が一番嫌いだ。
やれ「あそこは首を吊った人がいるから危ない」だの「ここは昔死体置き場だったから呪われている」だの、そういうことを人前で恥ずかしげもなく言う奴の心理が、俺にはサッパリ理解できなかった。だいいち、死者に対する冒涜だろうが!
中でも藤蓑は、そういうバカげたことを軽々しく口にして楽しむタイプに見える。あんなんが「心霊特集!」とか仰々しく銘打った番組で、後先考えずに心霊スポットに突っ込んでいく奴なんだろう。そして「霊波に当てられた!」とか言って勝手に吐いたりするのもそういうバカだ。
俺がイライラしながら歩いていると、保健室から顔色の悪い女子生徒が出てきた。
「あの、ばんから、クン」と声をかけられ、俺はたちまちフリーズした。
あんまり親しくない女子から声をかけられる。この状況はかなり気まずい。何故か?
問題一。瞬時に名前が出てこないから、すぐに返事が出来ない。
問題二。ちょっとしてから「あおいきといき」(だったか)という名前が出てきても、相手をどう呼んでいいのか判断に困る。
問題三。なんとか名前を呼んでも、相手の好みなんかはまったくわかんないので、会話に困る。
問題一をなんとかクリアした俺は、問題二を「あおいきサン」と呼ぶことで強引に解決した。
「なんか用?」
「うん、詩織ちゃんの場所、知らない?」
「詩織ちゃん、って……ああ、緋色院か」
知らない、といいかけて、俺はちょっと考えた。
「……アイツ、公太郎を気に入ってんだよな?」
「主人クンのこと?うん。すっごく気に入ってる。とってもご執心」
「んじゃ、たぶん分かる」と言って、俺は焼却場の魔物の話をした。
「たぶん、公太郎のトコに行くだろうから、いるとしたら焼却場だな」
「分かった。ありがとうね、晩空クン」葵木はそういうと、廊下をフラフラ歩きはじめた。だが二、三歩ほど歩いてから突然しゃがみこむと、ひどいセキをしはじめたので、俺はあわてて駆け寄った。
「ゲホッゲホッ‼」
「お、おい!大丈夫か⁉」
「だい、じょう、ぶ。慣れてる、ッから……」
そうは行っても明らかに大丈夫じゃない。出来ればそのまま保健室に戻っていただきたい!
「というか血!手に血ィついてんぞ‼」
「あ、ホントだ。やだぁ、服が汚れちゃう……」
「イヤそれどころじゃねぇだろ!吐血してんだぞ吐血‼」
こうしちゃいられない!保健室のドアを無理に引っ張って開けて、中を覗き込んだ俺は絶句した。
「誰もいねぇじゃねぇか‼」
「いま、保健室の先生、出払っちゃってて……」
「お前、保健室に一人でいたのか⁉」
「むしろ、教室にいる時間の方が少ないもの……」
何度か小さく咳き込むと、葵木は壁の棚にある薬瓶を指差した。俺は出来る限り早くそれを引っ張り出すと、コップに水を注いでからそれを渡した。
「という訳で、貴重なご意見、ありがとうございました」
自己紹介のときに見せたあの作り笑顔で礼をすると、緋色院さんは用務員室の扉を閉じた。
「良かったよ、緋色院さん。本物のレポーターさんみたい」
「まぁ能ある鷹が爪を見せれば、ざっとこんなもんよ」
能ある鷹がその爪を全力で見せつけながら、けらけらと笑うとこちらに向き直った。
「さて、とりあえずこんなところでいいんじゃない」
「そうだね、今の人で五人目だから、これだけ聞き込めば十分だよ」
弓角君がそういうと、芽河さんはこれ見よがしにため息をついた。「ようやく帰れる」
ふと空を見やれば、山間が僅かに橙に色づいているほか、辺りは真っ暗であった。黒々とした裏山から「けけけけ」と正体不明の鳥の鳴き声などがして、ひどく不気味である。
「さっさと帰ろう」と僕が言うと、三人とも無言で教室まで歩き出した。
教室まで戻ると、ちょうど晩空君と葵木さんが帰るところに出くわした。
「おや、これはこれはご両人」緋色院さんが下世話に笑う。「二人っきりでお帰りですか」
「阿呆か」と晩空君が一蹴すると、葵木さんが慌てて弁明した。
「あのね、さっきたまたま晩空君に会ってね、薬を取ってもらったりしてね」
「お前等、結局焼却場の魔物はどうなったんだよ」
今度は晩空君が葵木さんの言葉を遮って聞くと、弓角君はふんと鼻を鳴らした。
「現場検証では良い証拠を得られなかったけど、聞き込みによっていくつかの情報を入手したよ。」手元のカメラをいじくりながら、彼は笑顔で言った。「謎の解明は近いね」
「そりゃ良かったな」と晩空君は言うと、ひょいとカバンをつかんで立ち上がった。
「俺は帰るぞ」
「で、明日の集合時間だけど」
帰り道、あぜ道を歩きながら緋色院さんが言った言葉に、僕たちはひどく驚いた。
「明日もやるのか」「緋色院さんも参加するの?」「まさか私も入ってんの?」等の様々な嫌悪感のこもった詰問に、緋色院さんはあの笑顔で「当然じゃない」と答えた。
「ちゃんと情報を整理したいから、明日は七時半に教室集合ね。朝礼の後に放送室を調べたいけど、授業があるから、これは葵の担当ね」そういって葵木さんを指差す。「なんとか保健室から抜け出してきてね」
「なんで放送室のことまで知ってんの?」と僕が聞くと、彼女はいつものような作り笑顔で
「だって私は緋色院だもの」と答えた。
「盗み聞きしてただけでしょうが」という芽河さんの呟きを聞き流すと、緋色院さんはそちらも見ずに「捏子も来なさいよ」と言った。
「冗談じゃない。私だって色々忙しいの、付き合ってらんないわ」
「どうせ本読んでるだけでしょ。そんなん青春の無駄遣いよ。もっとアクティブかつアグレッシブに学園生活を享受なさい」それから、と言うと彼女は更に晩空君をも指差した。
「あんたも来なさい」
「冗談じゃねぇ。俺だって色々忙しいんだ、付き合ってられるか」
「正式な部員でしょう。これは部長命令だわ」
「ちょっと待ってよ、部長って誰さ」
「成績優秀容姿端麗、または眉目秀麗才色兼備」歌うように緋色院さんは続ける。「これだけそろっている女の子が部長に就任するのは、当然の帰結だと思わない?」
「思わないよ」
「思わんな」
「思えないね」
「またまたご冗談を」けらけらと笑うと、緋色院さんはふいと手を振り「じゃあわたしの家、この近くだから」と言うなり、田んぼの間をさっさと走っていってしまった。
残された僕たちは、嵐が過ぎ去ったばかりのような顔で呆然と立ち尽くすだけで、暫くは誰一人動かなかった。ややあって、晩空君が「なんっ」と呟いて、力なく両肩を落とす。
「という自分勝手な野郎だ」
「あした、どうしよう」
「行くしかないでしょう。詩織の性格からしたら、行かない方が面倒臭いことになるもの」
芽河さんが諦めきった様子でそういうと、つられて皆もため息を吐いた。
結局、緋色院さんに気力を奪われたかのごとく僕らは黙しがちになり、弓角君が抜け、僕も林間の自宅に向かうために抜けた。駅前の住宅街に向かう晩空君と葵木さんの後姿を横目に見ながら、僕はもう一度、深くため息を吐いた。
「結局、何時の間にか部員は六人に増えた訳だ」呟きは木々の間に空しく消える。
「校長め。なんというあくどい予言を」