焼却場の魔物
弓角君が持ってきたのは、妙に古い型の八ミリビデオカメラであった。
「失恋の痛みは部活動に励むことで癒すべし。さぁ、本格的に運動系文化部の活動を開始しようじゃないか」
「失恋してない。というか、部活動の内容が決まったのか」と僕が問うと、弓角君は得意げに鼻を鳴らした。
「昨日うちに帰ったら、パパが倉庫の整理をしててね。捨てるっていうから貰ってきたの」
「捨てるつもりだったんだろ。使えるのか、それ」不審げに晩空君が漏らした。
「当然。新しいのを買ってから長い間倉庫の隅にあったらしいけど、ちゃんと撮影できたよ」
「で、それで一体何を撮る気なのさ」
「それなんだよね、問題は」そういうと弓角君は妙に嬉しそうに『ボクたちの部活』ノートを取り出し、丁寧に机の上に広げた。ノートには新たに「トイレ」や「手」などという単語が、角の丸い文字で書き込まれている。
「色々題材はあるんだけどさ、いまいち数が合わないというか」
「ちょっと待て、なんの話だ、これは」
「学校の七不思議。ボクたち三人でこの摩訶不思議な現象を、徹底解明するんだ」
くりくりした目を輝かせながら、弓角君はノートを指差した。
「例えばコレ、音楽室の肖像画が夜中、すごいきょろきょろする!」
僕はモーツァルトやベートーベン等著名な音楽家たちが、日に焼けた茶色い音楽室を物珍しげに見渡す姿を思い浮かべた。
「別段、恐ろしいという気がしないね」
「そうかなぁ。じゃあコレ」と言って、今度は「トイレ」の文字を指差した。
「午後四時四十四分四十四秒、二階にある四つ目のトイレを四回ノックすると、トイレから手が伸びてきて異次元に連れて行かれる!」
「ここの便所は汲み取り式だろ。汚いし、連れてかれるのは精々肥溜めくらいだろうが」と今度は晩空君が異議を唱えた。「そもそも、音楽室の肖像画くらいならまだ分からなくもないが、異次元なんて誰がどう確かめたんだよ」
「そりゃあ当然初めにこのウワサを広げた人が、実際に試したんでしょ」
「じゃあなんでそいつはその噂を広められたんだよ。異次元に行ったんだろ」
「きっと異次元からは、割と簡単に帰ってこれるんだよ!」
「だったら特に怖い話でもねぇだろ」
確かに、そんなに身近に異次元に行き来が可能なら、不思議ではあるが恐怖は感じない。むしろそのトイレは異次元とこちらを繋ぐターミナルとして整備され、清潔な玄関口になるのではないか。観葉植物や受付なんかも設置されそうだ。もはや不思議にすら感じられない。
「お前は変な妄想を膨らませるな!」と不満そうに言うと、晩空君は強引にノートを閉じた。「馬鹿馬鹿しい。ありもしない怪談話につき合わされてたまるか。俺は抜けるぜ」
「怖いんだね、晩空氏」
出し抜けに聞こえてきた声に驚いて後ろを向くと、オカルト研究部の面々がこちら向きに座っている。発言者であるらしい藤蓑君が「由緒正しきオカ研の一部員として、学校の七不思議には興味がある。」と言った。
「弓角氏、そんな非行少年モドキより、我ら意欲溢れるオカルト専門家たちを一員に加えたいとはお思いにならないだろうか」
「私は別に意欲溢れてはいませんが」と同席している宮下さんが口を挟むと、藤蓑君は露骨に嫌そうな顔をした。
「宮下氏、どうしてそのようなことを言うのか。ここで彼らに学園七不思議を調査されると、我々オカルト研究部の立つ瀬がなくなってしまう!」
「そんな事はない」口兄さんは一言の元に切り捨てた。「オカ研には元々立つ瀬など用意されていない。だから、今更七不思議を調査されても、別段痛くも痒くもない」
「またそんな空しい事を言う」藤蓑君は明らかに落胆した様子である。
「むしろ撮影してくれるのなら、私たちがまだ調査していない不思議を、資料映像つきで検証してくれるということ。だったら私は同行しなくてもどちらでもよい」
「検証してない不思議?」と弓角君は再び目を輝かせ始めた。うんざりした様子の晩空君を横目に、彼はノートを引っつかむと、急いで口兄さんの近くに寄った。
有鍛理学園に存在する七不思議は以下の通りである。
一つ、真夜中に音楽室を眺め回す肖像画。
二つ、午後四時四十四分四十四秒に開くという、異次元ターミナルトイレ。
三つ、早朝、裏山から裏門の前まで続く、明らかに人間のものではない足跡。
四つ、午前九時九分九秒、放送室のマイクをオンにすると入るうめき声のような音。
五つ、生物を裏返しにし、外に出た内臓ごと食らう『焼却場の魔物』の存在。
六つ、夜中に閉鎖された三階の教室に現れる首吊り少女の影。
そして七つ目、その存在を知ったものは、数日のうちに消息を絶つ。一説に寄れば、四次元トイレに引きずり込まれるとも、焼却場の魔物に内臓から食らわれるとも言われる。
このうち、オカルト研究部が調査を行ったのは二つ目と三つ目、そして五つ目の三つである。
「トイレは女子も男子も調べましたが、異次元に繋がる事はなく、単純に臭いだけでした」と白い髪をなびかせながら、宮下さんが報告した。「念のために、四時四十四分四十四秒にノックを叩き終わるパターンと、ノックを始めるパターンも試しましたが、変化はありませんでした」
「三つ目の足跡は確認に成功した。足型を綿密に検査したところ、一番近いのは水泳の際に使うゴム製の足ヒレであることが分かった。そしてその日の早朝、体育担当の教師が裏山の川で水泳を行った事を認めた」藤蓑君は残念そうにそういった。
「なんだか、どれもこれも正体を知るとどうもなぁ」と僕は言わざるを得なかった。
「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花」と晩空君がつぶやくと、弓角君が諦めきれない様子で口兄さんに尋ねる。
「まだ五つ目があるもんね」
「そう、五つ目、『焼却場の魔物』」口兄さんはそういって、長い髪の間からじろりとこちらを覗き見た。そういう仕草をすると普段から妖怪じみている彼女が、まるで妖怪のように見える。というか、妖怪そのものと言っても差し支えないような威圧感がある。
「つい先日までなにもなかったところに、ある日突然、生物の死骸が現れる。山の獣の仕業ではないことは、その特異な死に方から容易に推定できる」
「我々が在学中に起こった最初の事件は、スズメの怪死であった」と藤蓑君が続ける。
「十一月二十三日、七時三十二分、鉛色の空模様の朝、我々はその骸を発見したのだ」
「口から無理に手を突っ込んで、そこから内臓を引っ張り出したような死に方でしたね。現場に四散していた赤黒い塊が、そのスズメのものだったのか、あるいは他にも犠牲となった哀れな小動物がいるのか。当時の私たちには判断がつきませんでした」手元の鎌をいじくりまわしながら、宮下さんは嬉々として言った。「そりゃあもう猟奇的な死に様でしたよ」
「私たちが詳しく調べる前に清掃員の方々が来て、さっさと片付けてしまったけど、その時に彼らが『またか』と言ったのを聞いてしまった」
「そこで我々は、学園内で起きた小動物怪死事件を追うことにしたのである。すると、驚愕の事実が浮かび上がった」ここぞとばかりに手を振り回し、藤蓑君はまくし立てた。
「我々が入学する以前から、一年に一回、休むことなく毎年内臓をぶちまけた小動物の死骸が見つかっていたのである!」
「誰が言ったか知らないが、発見場所が決まっていることからついた名前が」
「『焼却場の魔物』ってか」明らかに馬鹿にした様子で、晩空君が吐き捨てる。「で、それを俺たちに教えてどうしろってんだ」
「別にどうしろとは言わない。けど、調べるんだったらこれと、あとは四つ目の放送室の怪くらいしか、調査は出来ないと思う」口兄さんはそういって、爪の伸びた指で弓角君を指した。
「もし本当に調べるつもりがあるなら、まずは焼却場でもあたってみることね」
「なんでだ」と晩空君が聞き返す。
「他のはどれもこれも時間的に無理。まだ部活として認められてないのに、深夜の音楽室や夜中の教室を、一体どうやって調べるつもり?」
確かに、部活かどうかも分からない活動を行おうとする連中の夜間在留を、学校側が許すとは思えない。というか、部活として認められてからも許可されるとは到底思えない。早くも活動内容に無理が見え始め、僕は不安げに弓角君を見やったが、彼は三度目を輝かせ始めて
「分かった。オカルト研究部の皆さんの熱い志、確かに受け取った」と言って、突きつけられた指を握って上下させると、声高々に宣言した。
「運動系文化部(仮)の名にかけて、ボクと主人くんと晩空くんの三人で、かならずや『焼却場の魔物』の謎を解き明かしてみせる!」
言うが早いか早速僕の手を引くと、八ミリカメラを小脇に抱えて、弓角君は廊下に躍り出た。
「あッ、この馬鹿、そういうこといってるんじゃねぇッ」
「弓角氏、そうではなくて現場検証には我々を連れて行ってほしいというね」
薄れてゆく二人の声を背中に、今更ながら面倒事が増えたことに気付いて「弓角君、やっぱり僕もちょっと」と言ったが、彼は聞く耳を捨て去ったような笑顔で「なぁに?」とのたまったので、僕はもはや退路は立たれたと感じ、諦めて彼に従うことにした。