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偽クロロホルム

「ほとんど告白だよ、ありゃあ」

「よくやるよなぁ、受ける側も受ける側だが」

「夏河岸さん、笑ってたぜ」

「恋人か。ちくしょう、院部にだけは先を越されないと思っていたのに」

「皆、その思いは同じさ」

「飲もうよ。ぬるくなった麦茶しかないけれど、大いに飲もう」

帰りの会が終わっても、まだ続いているクラスのざわめきをぼーっと聞きながら、私は院部君の様子を思い出していました。

朝からそわそわし、ノートに何かを書き付けて、いざ椅子から立ち上がった時の、覚悟を決めたその眼。

「院部君が、あんなにも大胆な人だったとは!」

「積極的だったんだねぇ」

「何も考えていなかっただけじゃあないのか」

安藤さんがそう言うと、水素さんが精一杯に怖い顔をして「そんなこと言っちゃダメ」とたしなめなす。

「今朝の院部君、ものすごく真剣な顔してノートに何か書いてたもの」

「もしかして、告白の文面でしょうか」

身をくねらせてきゃあきゃあ盛り上がる私たち二人を、安藤さんは納得のいかない様子で見つめています。

「あの院部団平がねえ……安藤はやはり、悪ふざけではないにしても、告白はないと思うがなぁ」

「でも、もし二人がカップルになったら、きっと上手くいくと思うよ」

それはまぁ、確かに、と水素さんの意見に同意すると、安藤さんはちらりと夏河岸さんの方を盗み見ました。

かかりつけの病院に、およそ寝たことのないベッドは一つとしてないという、嬉しくない特異さを持つ私が言うのもなんですが、夏河岸さんは少し変わった人です。

私たちが生まれるよりもずっと昔の、数十年前のことをよく知っていたり、最近の流行もの(とはいっても、土井中にブームが到来した時には、既に過去のものだったりするのですが……)に全然対応できなかったり。

彼女自身はそのことを「おばあちゃんっ子だから」と説明していますが、その割におばあちゃんのことに限らず、自分のことは全く話してくれません。

なんというか、寂しがりやなのに、一方で自分と他の人とは根っこの部分で何かが決定的に違っていて、だから友人になれないのだ、と諦めている節があるような気がするのです。

もちろんこれは私個人の勝手な思い込みですし、そうでなければいいな、という思いも多分に含まれているのですが、その一方でこの考えが、私らしくもなく彼女の本質を付いている、と思うときもまた、少なくはなかったのです。


「院部君は押しが強いし、何より、その」

「二人とも変わり者だからな。といっても、院部団平のほうがよりアレだけど、安藤も二人は気が合うと思うよ」

水素さんが再び安藤さんを諌めているのを見ていると、後ろから「葵木、さん」と声がかけられて、振り返ると晩空君が居心地の悪そうに立っていました。

「緋色院が、もう帰るっつってよ、俺たちも帰ろうぜ」

そう言って、立派なリーゼントの根元部分をぽりぽりと掻いています。

いつの間にか男子の皆さんも帰ってしまって、教室は随分静かになっていました。そうすると男の子は晩空君一人きりですから、私たち女子三人に囲まれているのが恥ずかしいのかもしれません。

私は二人にさようならを言うと、詩織ちゃんの待つ下駄箱へと向かいました。

「なぁ、夏河岸さんは何か言ってたか、あの告白について」

階段を降りながら晩空君は尋ねます。

「さぁ。今日は話せてませんから」

「そうか……しかし、あんなこと、よくできるよなぁ」

「私も、院部君のセリフを聞いていて、思わず赤面してしまいました」

私がそう言うと、晩空君もそのシーンを思い出したのか、雄々しく立っている学生服の襟をグッと引き寄せました。

「とにかくすげえよ、公太郎なんて、赤くなるのを通り越して、血の気が引いた顔してたぜ」

「感受性の豊かな方なのですね」

いつも優しげな表情をしている主人君の顔を思い浮かべて、私はほうとため息をつきました。

「きっと、親友の院部君のことを、心から心配しているのでしょう」




そんな訳があるまい。

彼の真意を知っているからこと、僕は夏河岸さんのことを思って顔面蒼白になったのだ。

しかし彼女も厄介な人だ。なにも自分を実験台にしようとしている奴に、わざわざ惚れなくてもよかろうに!

まだ日も高く、温めた水飴の中を泳ぐような暑さをかき分けての帰り道、僕は二、三度頭を振った。

とにかく、もう一度しっかりと考えをまとめなくては。


もう彼にクロロホルムを使わせるわけには行かなくなった。

これが院部君を嫌っている人だったら、僕もせいぜい人間のクズのようにして傍観者の席にぬくぬくと収まり、一向に効かない偽クロロホルムを持て余す彼を笑ってやれば良い。

なんだったらいっそ、ヒーロー面して院部君に掴みかかり、相手を助けに馳せ参じたって構わない。

翌日以降、彼の評判は地に落ちるだろうが、あの阿呆な計画立案に対する高い授業料だと言ってやればいい。僕はそう考えていた。

だが相手が彼に好意を寄せていて、その上あの宣言のせいでギャラリーが大勢やってくるであろうという状況で、彼が凶行に及べば、いよいよ大変なことになる。

想像するだに恐ろしいことになるだろうから想像はしないが、彼が村八分になる程度ではすむまい。ではどうすればいいのか。

クロロホルムを取り上げる他ない。かの武蔵坊弁慶も、主人義経のために、あえて彼を折檻したとかいう話を聞いたことがある。大分曖昧な記憶だが、多分間違ってはいないはずだ。

ならば僕も弁慶にこの身をやつし、院部君の目を覚ましてやろうではないか。

親友の裏切りにはじめこそ戸惑うだろうが、後にその行為の真意を知れば、彼もまたその行動の尊さに感動し、涙を流して褒め称えるだろう。

かくして友情はさらに深まり、自らの行いを恥じた院部君は触覚を取り外して真人間となり、AV野郎とまで罵られた僕の汚名は返上され、その男ぶりは嫌が上にも上がり、世に並びなき快男児としてその名は四方に遍く響き渡り、かくて世は太平になりにけり。


いよいよ妄想の止まらなくなった貧弱な弁慶は、突如後ろからシャツの首を引っ張られて「ぐええ」と呻き、目を覚ました。

おぞましい臭気が鼻を突いて、前を見れば、後一歩のところに肥溜めの壺が口を開いている。

「何やってんだ、お前」

シャツから手を離した晩空君が、鼻を摘みながら怒鳴ると、同じく鼻声の芽河さんが僕をたしなめる。

「何考えてたんだか知らないけど、少しは前を見なさいよ」

「弁慶がどうとか聞こえたけど」

だいぶ離れたところで、それでもひどく嫌そうな顔をして、下敷きでこちらを仰ぎながら緋色院さんが言った。

「今度はどんな妄想だったのかしら」

「良いお医者さんを知っています」という葵木さんの、洒落にならない注意を虚しく笑いながら誤魔化すと、妄想過多な弁慶はなるたけ足元に注意しながら帰宅した。




僕らが舞うのは、祭りの開始時刻と同じ午後五時からである。

学校側の集合時間が四時四十分だから、余裕を持って二十分に、神社に続く階段に集合という緋色院さんの提案に従って、鳥居のそばの階段に、僕らはぼんやりと立っていた。

「しかし、なんというか」いつもと同じく学生服姿の晩空君はそう言って、弓角君を一瞥した。

「派手だな」

「派手かな」

「派手だよ」

僕がそう言うと、弓角君も多少は気になった様子で、身をよじると、改めて自分の着物姿を眺めた。

「実際にテレビで使ってたって言うから、そんなに変じゃあないと思うんだけど」

「いや、変ではないんだけど」普段着の自分に比べれば、はるかにお祭りに調和している服装ではあるんだけど、と述べてから、僕は言葉に詰まった。

「とにかく、派手だ」

細部に至るまで綿密に施された雅な刺繍、背中には筆文字で大きく「男の花道」としたためられている。

聞けばこの服、業界関係者から彼の父親が頂いたものを、弓角君に合うサイズに直したものだという。

「まぁ、制服のままのあんたたちよりはマシじゃあないの」

そういう緋色院さんは流石に慣れている様子で、髪の色と合わせた紅い和服の、袖が揺れるたびに、夕日が色を塗るように差し込んだりして、万事に疎い僕でさえもつい見とれてしまう。

好一対なのが葵木さんで、藍色の夕闇をそのまま流し込んだような浴衣姿は、普段の病弱さもあって一層儚く見えて、ともすれば宵闇の中にとけてしまいそうで、ある種恐ろしい。

そうやって助平中年親父のように着物姿を眺めていると、淡い黄色の和服姿で現れた芽河さんに、侮蔑を込めて「阿呆」と言われた。

「これで部員が揃った」と緋色院さんが言うと、弓角君はようやく祭りに参加できる喜びからか、無邪気に喜んではしゃぎ、

「それにしても、芽河さん、浴衣も似合うんだねえ」などと口走った。

思いがけない褒め言葉に、ひどく狼狽して「馬鹿じゃないの」と吐き捨てる芽河さんを気にも止めずに、緋色院さんは階段の上を指差して、

「さぁ、ここを登れば楽しいお祭りと」

そして、薄気味悪く笑った。

「楽しい告白が待ってるわ」

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