マンモス重要なお話
その日の帰り道、明日に控えたお祭りに、緋色院さんのテンションは天井知らずで上がり続け、そのはけ口として彼女は声高にこう宣言した。
「明日はAV研究部全員、終わりまで粘るわよ」
「やだ」
無下に切り捨てたのは芽河さんである。「あたし、踊りが終わったら帰るから」
「私は、少し頑張ってみます」
珍しく本日一回も保健室に搬送されなかった葵木さんが微笑む。
「三つくらいお薬を飲めば、大丈夫な気がするんです」
「いや、やばくなったらすぐ帰ってくれ」
晩空君が顔を青くして注意をした。
彼女の言う三つとは、錠剤三錠のことではなく、薬瓶三本分であるということを、彼は重々承知していたからである。
「何情けないことを言ってるのよ、終日参加は部員の義務だからね」
「おい、公太郎、なんとか言ってくれよ」
晩空君に睨まれた僕は、「まぁしかたないよ」というようなことをぼそぼそ喋って、笑いながら誤魔化した。
白状するが、僕はそういう意味のないお祭り騒ぎが大の好物なのである。
「祭りの説明の時は第三者面して気取りやがって、自害して果てろ!」などの罵詈雑言はもっともである。甘んじてそれを受け入れよう。それでも、これだけは言わせて欲しい。
祭りの喧騒の中で食べる焼きそば、たこ焼きの美味しいこと。
雅に煌めく金魚すくいの水面に、時折浮かぶ金魚の背びれを眺めながら飲むラムネは、まさに夏の全てを内包した極上の雫である。
そう信じて疑わない僕は、当然一人でも祭りの終わりまで粘るつもりであった。
けれども、土井中の夜は暗い。
宇宙人に出会ったあの夜の、林に潜む暗闇を思い出すと、極上の雫もなにもあったものではない。
一応懐中電灯何かを持っていくつもりではあったが、道連れができるのなら、それに越したことはない。
「いやぁ、まぁしょうがないよ」
適当なことを言いながら笑っていると、弓角君に「やけに上機嫌だね」と言われ、僕は慌てて口を閉じた。
さて、祭り当日の朝。
その日はいわゆる半ドンで、授業があるのは午前中だけ。
しかも、三、四時限目は踊りの練習に充てられるから、勉強するのは実質二時間だけである。
これだけでも嬉しいのに、夜には意味もなく騒げるお祭りがあるというのだから、我々馬鹿な男子どもは朝っぱらから上機嫌である。
「着物だぜ、着物」
普段の物静かな様子は何処へやら、鼻息荒く長野君がまくし立てる。
「普段着もいいけれど、和服の女性というのは堪えられないよな!」
「全く、楽しみでなりませんな、長野氏」
青白い頬を上気させながら藤蓑君が同意すると、我々三人は申し合わせたように「ふへへ」と笑った。
本日神社に奉納する踊りは、別に着物着用でなくても構わないことになってる。
現に僕なんかも、和服を着たのは七五三が最後で、今現在浴衣なんて一枚も持っていないから、本番も普段着で踊るよう言われている。
そこへ来ると女性陣は流石に備えがあるようで、全く乗り気でない芽河さんですら、今日だけは和装で踊るのだという。
「時に長野氏は、『アイツの着物姿が見てえ』なんていう人がいたりとか」
「いやぁ、そればっかりは言えませんなあ!」
身をくねらせてきゃあきゃあ騒ぐ我々を、晩空君は不景気な顔で眺めている。
「お前ら、よくもまぁそこまで盛り上がれるな」
藤蓑くんは大げさに肩をすくめてみせた。
「健康優良不良少年には理解できんだろうが、これが模範的な青春というものなのだよ」
「ああ、そうかい」
適当にあしらう晩空君の声を聞きながら、僕は土井中に越してきて以来久しく感じていなかった平凡な幸せを享受していた。
とはいえ、何一つ不安がなかった訳ではない。院部君のことである。
先程からドアに全神経を集中させて、触覚までもがぴんと張り詰めている彼の計画を止める方法を、僕はまだ思いつけなかったのである。
クロロホルムは偽物だから、彼の実験が失敗に終わるのは必定なのだが、できればそんな恥を彼にかかせたくはなかった。
急に押し黙った僕を不審に思ったのか、藤蓑君が二度ほど声をかけたとき、からから、と音がして、戸が開いた。
戸口に立つ白いワンピース姿を認めた瞬間、院部君は弾かれたように立ち上がって、ずんずんと彼女の前に立ちふさがった。
急に歩いてきた男子を警戒するでもなく、彼女は麦わら帽子を脇に抱えて、院部君をじっと見つめている。
「マンモス重要なお話がありますから、踊りが終わりましたら、神社裏の神木の前で待っててくりゃれ」
「分かった」
少しの間考えるようにしてから、夏河岸さんはそう答えて、蝋燭が灯るように小さく笑った。
院部君は一人首肯すると、「さあれば」と言うが早いか、ぎこちない駆け足で廊下に出ていってしまった。
彼の机には、まだ荷物がかかっているままだった。