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ただの惰性

学校から歩いて三十分程度のところに、丘にしては高いが山にしては低い、という微妙な台地がある。浦内さんの生家「浦内寺」は、その台地の中ほどに位置する大き目の神社である。

寺といったり神社といったりしているのは、なにも僕の浅薄な知識故の誤用ではなく、浦内寺が実際にはそのどちらでもないからだ。

というのも、彼女の一家が信仰しているものが、そもそもはっきりとわかるシロモノではないのである。一度、浦内さんから「開運グッズ」として、小さめの神像をいただいたのだが、これが十字架に磔にされた仏様という訳のわからない一品で、家の何処においてもしっくりこない。散々悩んだ挙句、腹痛を起こしてトイレに駆け込み、一息ついてそのまま置き忘れて以降、トイレの守り神として放置してあるという有様で、要するに全く意味不明な神仏なのである。

それを信仰している家を、果たして寺と呼ぶか神社と呼ぶか、あるいは教会とでも呼べばいいのか、いまひとつはっきりしない。とりあえず外観は古いお寺のように見えなくも無いので、便宜上浦内寺と呼んでいるに過ぎないのである。

この浦内寺で、学園モノの定番、夏祭りが行われるのが、九月の終わり頃の話だ。


浦内寺の夏祭りは、正式な名前を「土井中豊穣祭」と言う。その歴史は古く、浦内寺現当主から数えて十代前の当主の日記によれば、当時から既に「相当古い祭りのようだ」と認識されていたらしい。その一方で起源は酷く曖昧で、山の神様をたたえる為の政がそれだとする説から、酒飲みたちが平日でもどうにかして酒を飲めないかと思案してでっち上げた祭事だとする説まである。その真相は歴史の中に埋没してしまっているが、別段掘り出してやるほどのものでもないので、あえてそれを解明しようとする人間も居ない。現在では大人が酒を飲む口実に使われている。

普段は静か過ぎて耳鳴りに苦しめられる程度には人気の無い浦内寺であるが、お祭りになるとその様相は一変する。

木々には赤提灯。屋台には白熱灯がびっしりと並び、たこ焼き屋を始めとして、お好み焼き焼きおにぎりクレープ水あめわたあめリンゴあめ等、衛生面に一抹程度では済まない不安を感じる夜店が、やたらと広い境内を埋め尽くそうと軒を連ねる。

その中心にのっそりとそびえるのが、祭りやぐらである。とはいえその外見は一般的なそれとは大きくかけ離れている。地面からは三本の柱で支えられているように見えるのに、上の方を見上げると柱の数は五本まで増えている謎の仕様からはじめ、折れた骨のように横っ腹から突き出るいくつもの太い木の柱、それにぶら下げられた招き猫や信楽焼きの狸の置物。一方から見ると右に傾いているかのように見えるが、その方向から見てもやっぱり右に傾いて見える騙し絵のような設計等、その不合理な奇天烈さから、関係者一同から『お化けやぐら』と呼ばれてぞんざいな扱いを受けている。

もっとも最初からこのやぐらがそんな人を小馬鹿にしたような格好をしていた訳ではない。数十年前にやぐらが建立された当初は、極々一般的な形だったのだが、その後三度の火事、五度の倒壊と十一件の転落事故という「呪われてんじゃねぇのか」と疑われるほどの災厄の度に補強を繰り返したため。このような姿に成り果てたのだと言う。

学徒たちはこのお化けやぐらを囲むようにして並び、何のためだかよくわからん踊りをひたすら舞うのである。無意義極まりないと思われるであろう。生徒一同そう思ってるだろうし、無論僕もそう思う。多分境内に集まるご老人達もそう思っていることであろう、そして酒を飲む大人達にも相違はあるまい。

携わる人間ほぼ全てから無意義と認定されているであろうこの踊りが、しかし何故現代に至るまで、流し台の水垢のごとくしぶとく残っているのか。

何のことは無い、ただの惰性である。


「現実とは異なる世界で、本来の自分とは違う何かに身をやつす。役割を演じるゲームを初めとして、異世界へのトリップは遥かなる昔から続く、人類にとって最も身近な夢想といえる。幼い頃に己の肉体一つを――いえ、人形を使っても良い。砂場、ブランコ、ジャングルジム。別世界への扉は無数に開いている――それによって「ごっこ遊び」に興じなかった子どもは居ないといってもいいでしょう。

今ここにある状態に満足せず、偽りの世界、偽りの身分に自らを落とし込む、その行為を非生産的であると、私は思わないわ。現状を良しとせず、仮想の世界へ羽を広げることは、ある一種の全能感――世界を一人で作り上げるという営みに付いてくるそれを引き起こし、またそれによって得られる達成感は、私たちの明日への活力となって――」

(やっす)い演説」

私はそうはき捨てると、葵の薬瓶の蓋を開けた。「何が言いたいのよ」

緋色院(ヒロイン)として、一度は異世界トリップを経験してみたいのよ」

「異世界、ですか」ビンを受け取って、五錠ほど錠剤を手に取りながら葵は応える。

私たちが昼食を食べ終わりしだい、保健室に集まるようになったのは、詩織の所為だ。もちろん、葵の心配をしての事ではない。女子仲良し三人組を演出するためだ。

詩織は常日頃から「私たちってとっても仲が良く可愛いお友達」等と吹聴してまわり、頑固な油汚れのごとく、しつこく私に付きまとっては、あの笑顔を振りまいていた。当然人は私に寄り付かず、おかげで今でも私と親しく付き合いがあるのは、当の本人と葵だけだ。

断言させてもらうが、私は詩織を知人とは思えど、友人と思ったことは一度だってない。けれども、私たちは、主に詩織の無茶な要求のせいで大体いつも一緒にいるのだから、これはどうしたって親友同士にしか見えまい。

内心閉口していても、いざ強引に腕などを引かれると、つい同行してしまう。そういう自分自身のふがいなさに、私はいつもいらだっていて、そういった内々の鬱屈を精々言葉にこめて、「じゃあ四時四十四分四十四秒に、トイレにでも行けば」と言ってみたりもするが、詩織の鉄面皮がその程度でダメージを受けるはずもなく、

「そうね、『主人君……放課後に、三階のトイレに、来て』なんて色っぽくいえば、あの子も木石じゃあなしに、簡単に釣れるかも」等と逆に混ぜっ返されることも少なくない。

「でも、できれば異世界に放り込まれた主人君が、怪物に襲われている私を早々に見つけて、勝手もわからないままに戦うっていうストーリーが良いのよね」

「断言してもいいけど、あいつ、絶対あんたを見捨てて逃げるわ」

常に自信なさ気な主人の顔を思い浮かべながら、私は言った。

「そうすると、私が先に異世界に居ないと駄目だから、彼をトイレに誘うのは別の人の方が良いかしら」

詩織は何も聞こえなかったかのように続ける。

「私は嫌」図らずしも葵と二人声を合わせての表明となった抗議も、彼女にはなんでもないようで、

「私以外の女子が誘ったら、変な雰囲気になるでしょうが、少しは考えなさいよ」こちらも見ずにそう言った。

「ああ、何処かに私に絶対服従で馬鹿なことを言っても違和感の無い阿呆な男子生徒は居ないものかしら」


「コータロー、ご不浄でトリップしたまえなさいよ」

朝早く教室で、冗談みたいな触覚を引っさげて、妙に真剣な顔をした男子生徒が近づいてきても、僕はそれを、九月の太陽が生み出した陽炎と見間違えない程度には、院部君に慣れていた。

「嫌だ」熱気のせいか歪んで見える彼の顔を見据えて、僕はそう言った。

「ナマ言ってねえでお聞きなすって。何故か日本語の通じる異世界で邪神とかそういうのを倒せば群がる女人は同級生、村娘、姫、魔物娘に女神様やらとハーレムることによって愛憎の六角形が生じるとき、角xの角度を求めよ」

汗で額に張り付いた触覚を払いながら、院部君は続ける。「途中式も書くこと」

ここ数日の彼との接触(コンタクト)で、僕は彼の会話を理解するコツを身につけていた。将来如何なる道に進もうとも生かすことのできない、真に無駄な技術である。

独自研究に基づいて解釈すれば、「異次元トイレを通じて異世界トリップを果たせば、モテモテだゼ」というのが、今回の彼の台詞の、まぁ妥当な訳だろう。

いつも通り訳のわからない言葉だが、その中に一抹の不自然さを感じて、僕は院部君にそれを尋ねてみることにした。

「ひょっとして、緋色院さんに何か吹き込まれたのかい」

反応はすこぶる早かった。すっと彼の顔から血の気が引いて、触角がだらりと萎える。再度それが顔に張り付かないのを見ると、どうやら汗さえひいてしまったようである。

「頼む、雪隠まで走れコータロー。もしおのれをはばかりに差し向ける事ができなければ、あの紅髪、我が誇り高き触角を」

そこまで言うと、彼は両手で顔を覆って「くう」と唸った。「か、かた結びにすると脅しやがった」

そして指の隙間から一滴だけ涙を零すと、僕の机の横に立ったまま、院部君は声も出さずに泣き始めた。

白々しい、大げさだ、と思う一方で、緋色院さんに迫害されているその姿が我が身に重なって見え、そうなると細かく震える触角も、なんだかいじらしく見えて、思わず僕は声をかけた。

「いいよ、わかった。放課後にトイレに行くよ。緋色院さんにも、かた結びはやめるように言っとくから」

ぐいと手が引かれたかと思うと、破顔一笑の院部君が、僕の手を握ったまま上下に振り回していた。

「すまぬ、コータロー。今もうやっと本当にありがとう」

相変わらずおかしな口調ではあるが、その物言いの拙さがかえって彼の本心の表れにも思えて、僕はだらしなく「いや別にそんな」などと言って笑っていた。

それがいけなかったのかもしれない。やにわに手を離すと、院部君は目の端に残った涙を拭いながら続けた。

「うぬと我とは同じ穴のムジナだ!明後日の祭りが時に我が元にきやがれ。いとおかしゅうものをみせつけましょうぞ」

「いと。ああ、なんか面白いものね」

急に開放されたせいで、机の角にしたたかにぶつけた手をさすりながら、僕は訊いた。

「なんだい、そりゃあ」

「今聞きたがるのかえ。まあよかろ」

上機嫌で触覚を揺らすと、院部君は、まるで天気の事でも話すかのように、気楽に言った。

「人体実験するぞなもし」

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