うつーじんたる動かぬ証拠
翌朝、教室に入るなり院辺君が心底怯えた様子で「どうにかしてくれ、コータロー」と言って胸ぐらをつかんできたので、僕はやんわりとそれを振り払った。
「どうにかしろって、なにが」
「緋色院だ。あやつめ、我をテッテ的に解剖してうつーじんたる動かぬ証拠が露見される」彼が身震いをすると、触角も少し遅れてふるふると震えた。「そうは問屋も下ろさぬ」
「ちょ、っと待って、解剖だって。何故そんなことを」
「そんなん我もあずかり知らぬ。コータロー、古人曰く人類みな兄弟といふではないか。同じ人類で、しかも兄弟でもあるという関係性があれば、説得くらい出来るであろ」
「無茶言うなよ。普段から持て余してるってのに、説得なんて出来ないよ」
「同じ地球人であろうが」
「それは君も同じだろ」
「あら、二人して何話してるの?」
いつの間にか後ろに立っていた緋色院さんに声をかけられ、僕が驚くよりも前に、院辺君が「ひょえええ」という叫び声を上げて教室から逃げ出した。
「緋色院さん、一体院辺君に何を吹き込んだのさ」
「別に。ちょっと触角を引っ張ってみただけよ」ことも無げにそう言うと、緋色院さんは白々とした陽の刺す教室内をうろうろと歩き回る。「おっそいわね、皆」
「女子は知らないけど、弓角君ならそろそろ来ると思うよ」と僕は言った。彼は転校初日以降、いつもリムジンに乗って登校してくるので、山の上に位置する学校から駅の方向を見下ろせば、黒光りする車体が土埃をあげて近づいてくるのが見えるのである。既に窓からは、黒い影が山道を登ってくるのが見える。
ややあって、校門前に高級車が横たわり、吐き出されるようにして何人かが出てきた。
「あ、あ、捏子と葵だ」緋色院さんは窓に張り付くようにして外を見ている。「ちくしょう、いっちょまえにリムジンなんかに乗って」
「ねぇ緋色院さん、今ちくしょうって」と僕が尋ねるよりも早く、カラカラと窓を開け放つと、「遅い」と彼女は叫んだ。「三分の遅刻よ」
「全く、部活動をなんだと思ってるのよ‼」
腕を組んだ緋色院が、開口一番そう吠えると、五徳はうなだれてしまった。
「まぁまぁ、緋色院さん……弓角君だって、遅れたくて遅れた訳じゃないんだから……」
公太郎がそう言うと、フンと鼻を鳴らして緋色院はそっぽをむいた。
「なんでアイツ、こんなに機嫌が悪いんだよ?」
「遅刻したのもあるだろうけど……多分、みんながリムジンに乗ってきたからだと思う」
「ハァ?それくらいで怒ってるのか、アイツは⁉」
俺が小声でそう確認すると、公太郎は疲れた顔をしてうなづいた。多分、俺たちが教室に入るまで散々グチられたんだろう、哀れな……。
で、公太郎が緋色院をなだめすかして機嫌を取るのに時間を食い、結局八時を過ぎてしまった。そろそろ他の奴らも登校してくる時刻で、こんな場面はあまり見られたくない。だいいち、朝早くに集合した意味がない。
「オイ五徳、早く昨日の情報をまとめようぜ」
「そだね」と軽く言うと、五徳はまたあのノートを取り出した。ご丁寧に『ボクたちの部活』というタイトルの横っちょにカメラのシールが付いている。
「では、資料の五ページをごらんあれ!」
そういってノートをパラパラとめくると、ゴチャゴチャと書き込んであるところで手を止めた。指先は『猟奇的連続殺小動物事件』という文字を示している。
「最初の事件は二十九年前、やっぱり曇りの日に起こったみたいだね」
二十九年前の十一月二十六日。曇天。コンクリの地面に広がる血溜まり。赤黒い塊。飛び散っている羽。頭の中にまざまざと浮かび上がる陰惨な光景に、私は早くも気持ちが悪くなってきました。
ビニール袋を探してカバンに手をやると、捏子ちゃんがパッと袋を取り出して手渡してくれました。こういうさりげない気配りにかけて、彼女は天才的といえる手腕を発揮してくれます。口では散々なことを言いますが、心根は優しい方なのです。きっと。
私が目立たないように口にビニール袋を当てている間も、弓角くんによる調査報告は続いています。
「それから毎年十一月二十六日の早朝に、小動物の死体が現れたみたいだよ」
「しかしよぉ、そんなに長く続いたら、普通なんかしらの調査が入るんじゃないか?」
間延びした声で晩空くんが尋ねると、弓角くんはなんともいえない表情で首を横に振りました。
「一年に一回しか起こらないし、実害があったわけでもないからね。これが飼育小屋で飼ってる動物が、とかだったら、もっと詳細を調べたんだろうけど……でも、『これたたりじゃないの?』っていう噂は立ったみたいだね」
「それ、学校的に大丈夫だったのかしら」
詩織ちゃんがお人形さんのように首を傾げます。「この噂に飢えている土井中で悪い噂が立ったら、迷信深い人とかは学校を避けそうだけど」
「当時も今も、ここら辺に中学校はココしかないかねぇ」弓角くんは人懐っこい笑みを浮かべて先を続けます。「昔はまだ活気があったから、土井中を離れたくないって人も多かったんじゃないかな」
「さよけ」と詩織ちゃんが言うと、やにわに主人くんが手を挙げました。
「とにかく、こんなに長い間続いているってことは、一個人の犯行という可能性は低いと思う」そういってその手を顎のあたりに持ってゆきます。「怨恨にしては、期間が長過ぎる」
「じゃあ何人かの人が毎年、交代交代で魔物を演じているってこと?」
「その方が可能性は低いと思うが……」
「私は個人的犯行だと思う」捏子ちゃんはそう言って、読んでいた本を伏せました。彼女がそうする時は、どうしても自分の意見を言いたい時か、もしくはその本に飽きた時だけです
「丑の刻参りみたいに、そういう呪術的な迷信を信じる一個人の犯行だったら、長期に渡って続けられるのも説明がつくもの」
「二十九年間毎年欠かさずに、か?」
「しかも学校の焼却場ってのがまた、ね」育ちの良い顔を歪めると、今度は弓角くんが異議を唱えました。「わざわざあそこまで行く必要があるかなぁ、見つかったらおしまいだし」
「供物を焚かなくちゃいけないとか、理由だったらいくらでもあるわよ」
そういうと捏子ちゃんはまた本に目を戻しました。タイトルは『超魔術の全て――その歴史と背景』というものです。
「おい、一向に解決しそうにないじゃないか」と不満げに晩空くんが言うと、弓角くんは顔の前でぱたぱたと手を振ります。
「いやぁ、話を聞いたときはすぐ解決するかと思ったんだけど」
「いまだに犯人像すら浮かび上がってこないからね」
「いやそれよりまずは手口を調べるべきじゃないか?」
「だったら動機から調査した方が」
「背中が痒い」
「犯人も分からないのに動機なんて割り出しようがないよ」
「せめて凶器が見つかればなぁ」
「そんなものを直視する勇気はないなぁ」
「背中がむず痒い」
「そもそもなんでこんなことを真面目に論議しなくちゃいけないんだ?」
「そりゃ部活をする為でしょう」
「私は別に部活動しなくてもいいんだけど」
「背中が」
「待て、さっきから関係無いことを喋ってるのは誰だ」
いつの間にか院辺くんが晩空くんの横に顔をそろえていました。彼は「けけけ」と笑うと、触手を揺らしながら言いました。「あんた方も、ずいぶんとアホな相談をしてるもんですな」
「黙れ。俺だって好きでやってる訳じゃない」
「我は既にその事件の犯人も真相も見抜いておりますぞ」
「なんだって?」と主人くんが言うと、院辺くんは嬉しそうに「けーけけけけ」と笑います。
「我思うに、それはずばりベテルギウス星系くんだりからやってきた調査員に違いあるまい」近くの椅子に足をかけると、彼は声高々に言明しました。「奴は地球上の生物が変異を起こしていないかを調査しているのであります」そしてひときわ嬉しそうに「けっけっけ」と笑いました。
「こいつに一瞬でも期待をかけた俺が馬鹿だった」
そういい捨てると、晩空くんはひょいとカバンを持ち上げて、さっさと自分の席に戻ってしまいました。他の方々もやる気を削がれた様子で、主人くんはノートを閉じると、弓角くんの方に押しやってから席を立ちました。
「まぁ、調べてすぐに分かるもんじゃないさ」と言って弓角くんを慰めると、彼もまた自分の席に戻って行きます。跡を追うようにして弓角くんもいなくなると、詩織ちゃんがこちらに顔を寄せて「こうなったらもう一個の謎を追うしかないね」と言いました。「頼んだわよ、葵」
元より授業をさぼるのに乗り気では無かった私は、どうしても保健室を抜け出す作戦を遂行する気になれず、詩織ちゃんに「どうしてそんなに部活動に熱心なの?」と尋ねました。
彼女はお人形さんのようないつもの笑顔で
「だって私は緋色院だもの」と答えました。
結局、ちょっと不気味なその笑顔に押し切られ、私は朝礼と一時間目をさぼることになってしまいました。
もとより長い間立っていると貧血を引き起こす体質ゆえ、朝礼を休むことは珍しくもないのですが、その後の調査の事を思うと気が重くなります。
「不気味な音とは、一体どのようなものなのでしょうか」
弓角くんによると、どうやらうめき声のようなものらしいのですが、一口にうめき声と言ってもいくつかの種類があるのです。生来の病弱さゆえに病院通いだった私は、小さいころから数多くのうめき声に接してきました。「ううう」や「ぐぐぐ」ならまだまだ良い方で、ひどいものとなると「ぐぎぎ」や「げがごぐぎげ」などと何故かガ行の占用率が高いものになります。そういううめき声は聞いているだけでも辛いものです。おなかが痛くなってしまいます。
私は件の放送室の音が、あまりひどくない方のうめき声であることを祈りました。そして、そんなことを祈るのだったら、まず放送室から怪音が聞こえてこないことを祈ればいいことに気付きました。そうこうしている内に時間になり、私は保健室の先生に体調の回復を伝えると、急ぎ足で廊下に出ました。
放送室の怪を調べるにあたって、弓角くんから渡されたものがひとつあります。
「これはボールペンではありませんか?」
教室での私の問いに、弓角くんは笑顔で首を横に振りました。
「昨日パパからもらったんだ。れっきとしたボイスレコーダーだよ」
私は手のひらの上で件のボイスレコーダーを転がしました。三百六十度どこから見ても、それはボールペンにしか見えません。私が一人でうんうん唸って考え込んでいる間に、弓角くんはボールペンを手に取って説明を始めました。
「普通にボールペンを使うみたいに、頭の部分を押し込めば録音が始まるからね。止めるときもおんなじ」
「これで謎の音を録るんですね?」
不安げに私がそういうと、弓角くんは実に申し訳なさそうな笑顔を浮かべました。「時間が時間だからね……葵木さんにしか頼めないんだ」そしてボールペンを私の手に握らせます。
彼が立ち去ると、入れ替わるようにして詩織ちゃんがこちらに来ました。
「とっても親しげに話してたけど、一体なんのお話をしてたのかしらん」
声も顔も満面の笑みですが、目だけが凍土地帯のように冷たいまま、詩織ちゃんは私の手を握りました。「葵。失敗は許されないから」
「そうです。私は失敗するわけには行かないのです」廊下を足早に歩きながら、私は呟きました。「弓角くん、いや詩織ちゃんの期待をふいには出来ません。もしそんなことをしたら、明日からの学校生活に支障をきたします。それはもうほぼ確実に」
そして私は放送室のドアの前に立ちました。二度ほど深く息を吸うと、私はドアノブを握りました。
「そろそろ時間じゃないかな」
不安と期待の混ざったような表情で弓角君がそういうと、僕は知らぬ間に体を硬くしていた。
午前九時九分九秒まで残すところ三分弱。十分から授業が始まるため、生徒達は教科書を机の上に用意して、隣の席の住民との会話に花を咲かせている。
「それで、ボイスレコーダーは渡せたのかい」と僕が聞くと、弓角君は微妙な笑顔のまま頷いた。
「でも、大丈夫かな、葵木さん」
「大丈夫って、どういう意味でさ」
「だって、葵木さんって物凄い病弱なんでしょ?」彼は不安そうに教室に設置されたスピーカーを眺めた。「録音中に倒れたりとかしないかな」
「それは病弱とかいう状態を超えるだろ」何時来たのか、晩空君がリーゼントの付け根辺りを掻きながら、僕の机に手をついた。「そんな状態だったら、まず学校にこねえよ」
「それはそうなんだけどさぁ、でも不安だなぁ」と繰り返す弓角君をたしなめると、晩空君もスピーカーの方を向いた。
「もっとも、何も録音できない方に賭けるがな、俺は」
「それは困る」と弓角君がもらすのと「そりゃあ良い」と僕がこぼしたのは同時だった。弓角君は明らかに不満げな顔で僕を睨む。
「二人ともさ、もっと部活動に情熱を持とうよ」
「いまいち情熱を注げないんだよ、部活内容に」
「もし怪音が録れなかったら、部活として認めてくんないかもしれないんだよ」
「それはなにより」
益の無い会話に限りなく雑草に近い花を咲かせている間にも、時間は刻々と過ぎて行く。弓角君が反論しようと口を開いたとき、スピーカーから何かがすれるような小さな音が聞こえ、僕たちはぎょっとして固まった。
「おい、まさかとは思うが、あいつ教室のスピーカーをオンにしたんじゃないだろうな」
「弓角君、葵木さんに一体どういう指示を出したんだ」
「ボクはただボイスレコーダーで録音をと」
「そもそも元の情報が曖昧なんだ」
「肩甲骨が痒い」
「そんなこといったって葵木さんはもう行っちゃったんだし」
「でもスピーカーのスイッチを入れただけなら比較的安全かと」
「具体的には肩甲骨の間が痒い」
「一体何と比較して安全なんだ」
「ああもうなんでやりたくもない部活のことでこんなに苦労しなけりゃならないんだ」
「痒い」
「院辺、一回黙れ」
未来の部員たちがにわかに騒ぎ立てると、周りの生徒が不振げな視線を向けてくるが、妙な言動にいらぬ定評のある院辺君が、新入生三人の間に無理に入っていると見ると「いつものことか」という顔をして目線を変えた。ただ一人、浦内さんだけが腕を組んでこちらを睨んでいる。
「ぬしら、なにをやらかすつもりじゃ」
「ご、誤解だよ浦内さん、ボクたちはただ純然たる好奇心と飽くなき探究心に突き動かされているだけで」と弓角君が言い訳臭い弁明をすると、晩空君から「ボクたちじゃない、お前だけだ」という訂正が入る。
やにわに藤蓑君が「しばし黙せよ、諸君」と厳かな声で言い放ち、教室は水を打ったように静まり返った。机に座っていた彼は、不遜に笑って頷いた。
「それで良い。そろそろ時間だ」
「時間?」と浦内さんが不審げに反問するよりまえに、弓角君が時計を読んだ。
「九時九分九秒だ」甲高い声が、にわかに緊張感を帯びた。「時間だ」