♯5
これで最終回となります。
一台の白い軽自動車が、閑静な住宅街の中を走行している。
「……へぇー、ここがお父さんの生まれ故郷ってやつかぁ」
運転席に座りハンドルを握る娘の言葉に、助手席の男が苦笑混じりに応える。
「生まれ故郷なんてそんな大袈裟なもんじゃないさ。住んでいたのも小学校三年までの話だ……それにしてもすまなかったな、せっかくの休日にこんな事頼んでしまって」
「いーのよ別に。昔っから毎年毎年お父さんがどこ行ってるのか気になってたしね」
「今年も出来れば一人で来たかったんだがこの身体じゃ流石にきつくてな……おっと、そこの角を左だ」
「え!? ちょっ……!」
突然の指示に驚いてブレーキペダルを強く踏み込んだために、二人の身体が大きく前につんのめる。
幸いな事に後続車もおらず、事故には至らなかった。
「……お父さん?」
ハンドルにもたれかかった姿勢のまま、娘が男をじろりと睨みつける。
「い、いやすまんすまん。次からは気をつけるよ」
「頼むわよホント……いっつもお母さんは大丈夫だなんて言ってたけど、私達不安だったんだから。お父さんが浮気してんじゃないかーって」
「はは、私は子供達にゃ信用無かったんだな」
「そうよ全く……それよりも身体の方は大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ……そこの十字路を左に曲がればすぐそこだ」
男は娘の手を借りながら車から降り、車止めの隙間を通って園内に足を踏み入れた。
杖をつきながら、何かをかみ締めるように、ゆっくりとした足取りで歩を進めていく。
何度も重ね塗りされたペンキの剥げた箇所から、赤茶けた錆を覗かせる遊具達。
子供が忘れていったのか、プラスチック製のスコップが刺さったままになった小さな砂場。
色とりどりの花が咲き誇る花壇に囲まれた公園は、幼い頃の思い出より、幾分か小さくなっているような錯覚を覚えさせる。
約束の場所は、男が初めて足を踏み入れた時と変わらぬ姿のまま、存在していた。
しかし。
「誰も……いないわね」
そう、夕暮れの公園内には男とその娘以外、誰もいなかった。
「…………」
「お父さん?」
「悪いが……しばらく一人にさせてもらってもいいか?」
「え? あ……うん、じゃ、じゃあ少しその辺ドライブしてくるから」
「すまんな」
娘は戸惑いながらも車へ戻っていった。
車の排気音も聞こえなくなり、男は公園に一人きりになった
「……よっこら……せ、と」
いつも女と話していたベンチに腰掛け、夕暮れの空を見上げる。
「いい娘さんだね?」
いつの間にか男の隣には、約束を交わした頃の姿の「少女」が、足をぶらぶらとさせながら腰掛けていた。
男は別に驚いた様子もなく、視線を少女へと移し、微笑を浮かべる。
「ああ、何てったって私の……いや、俺の自慢の娘だからな」
「そっか」
少女も微笑を浮かべる。
「……迎えに、来てくれたのか」
「うん」
「……そうか」
ポツリと呟き、男は視線を再び上に向ける。
「……ごめんな」
数秒の沈黙の後、男が口を開いた。
視線は上に向けたままだ。
「何が?」
少女は男の方を見る。
「いや、ずいぶん待たせちまったからよ」
「ううん、私が言い出した事だもん。それに毎年会ってたから全然寂しくなかった」
「それならよかった」
「うん……ねぇ?」
「ん?」
「今、幸せ?」
男は目を閉じる。
瞼の裏に浮かんでくるのは、今まで自分が関わってきた人間の顔。
そしてその人達とこれまで育んできた沢山の思い出達。
男は目を開く。
そして静かに、自信に満ちた声で答えた。
「……ああ、俺ぁ本当に幸せだ」
娘が公園に戻ってきたのは、三十分ほど経ってからの事だった。
辺りを見回すまでもなく、男の姿は見付かった。
男はベンチに腰掛け、うたた寝でもしているのか、俯いた姿勢のまま動かない。
娘はため息を吐き、軽く肩を揺する。
「ちょっとお父さん、こんなトコで寝てたら風邪ひくわよ? ……お父さん?」
男の身体は、糸の切れた人形のようにその場に倒れた。
その顔には微笑みが浮かんでいた。
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