第8話 血の設計図
問題は一つだった。
転送型のフィリアは自分では生成ができない。
記憶を血液中にデータとして封じ込め、他のIRS保持者の粘膜に接触させることで強制的に相手に生成させる能力だ。
つまり碧真が必要なのは、フィリアの血だった。
ただし通常の方法でその血を得ることは、施設内では当然不可能だった。そして碧真にはもう一つ、密かに動いていたことがあった。
血象剤。
転送型の血液から記憶コードを抽出して薬剤化したもの。それが施設の医療室で保管されていることを、碧真は数日の観察で把握していた。研究用の試薬棚に、他の薬剤と一緒に並んでいた。碧真は一度だけ処置室に連れて行かれた際に目にし、その構造を完全に記憶した。
処置室への単独アクセスは認められていない。しかし食堂への移動経路が一部重なっており、タイミングを作ることは不可能ではなかった。
碧真は三日かけて、試薬棚の前を三秒だけ通れる機会を作り、血象剤の一本をポケットに滑り込ませた。廊下のカメラは三秒間、柱の死角に入っていた。それだけのことだった。
フィリアにそのことを話したのは、その夜だった。中庭の隅、カメラの角度が届きにくい場所を事前に割り出しておいた。
「血象剤を持っています」碧真は静かに言った。「あなたの血をそれに混ぜて、裏口の鍵の磁気コードを私に吸収させる。私が生成する」
フィリアは少し碧真を見た。
「……どうやって私の血を」
「傷が必要です。でも自分でつけるなら職員にすぐ気づかれる。もし何か、自然な状況で怪我をすることがあれば」
フィリアはしばらく黙った。
「わかりました」
「無理はしなくていい」
「……していません」フィリアは視線を落とした。「私も、出たいので」
そう言ったきり、彼女は何も言わなかった。しかしそれが初めて、碧真に向けられたフィリアの本音のように聞こえた。
翌日の昼、食堂での出来事だった。
フィリアがもやしの皿に手を伸ばしたとき、巡回の職員が通り際に「さっさと食え」と言いながらフィリアの腕を乱暴に掴んで引いた。フィリアの体がよろけ、掴まれた側と逆の手が配膳台の角に強く当たった。薄い皮膚が裂けて、血が滲んだ。
職員はそのまま何事もなかったように通り過ぎた。
碧真はすぐ傍にいた。こぼれた血を小さな血象剤に付属する容器で受けて、保管していた血象剤に混ぜた。見ていたのはフィリアだけだった。
フィリアの目が、静かに碧真の手元を確認した。
その目に痛みの色はなかった。ただ、作戦が動いたことを確認する、静かな光があった。
二人の間に、言葉はなかった。それでも確かに、作戦が動き始めた。




