最悪の瞬間と始まり
「大事な話があるの」
紗羅は、暗い表情で、そう言った。
僕は、この後、別の女の子と約束があった。
どうしても、紗羅との話は、短く切り上げたい。
「後からにして」
「後からじゃなくて、今、話したい」
沙羅にしては、強引だった。
「大学に行かなきゃだし」
「嘘・・・」
この日の皿は、反抗的だった。
「大学なんて、行っていないじゃない」
僕は、沙羅に大学に行っていると嘘をついていた。
「何言ってんの。僕は、ちゃんとT大の造形美術科に・・」
「行っていない。嘘ばかり」
嘘じゃない。
僕は、本当だったら、大学で、造形美術を学んでいる筈だったんだ。
立派な陶芸家の父を持つ僕は、幼い頃から、才能があるともてはやされていた。
そうだよ。
母が壊れるまでは・・・。
母が壊れて、僕の人生が変わった。
あのまま、変わらない家族だったら、僕は、大学で、造形美術を学んでいたんだ。
嘘をついた訳でない。
「私は、ちゃんと向き合いたいの。本当の事を言って欲しい」
「本当の事を聞いて、どうするの?」
沙羅とも、これまでだな・・そう思った。
女の子なんて、いくらでもいる。
そこそこお金のある寂しい女。
沙羅。
だから、居てあげただけだ。
見るからに、
魅力のないつまらない女。
「自分、変わるつもり、ないから」
僕は、しつこく、立ち塞がる沙羅を、突き飛ばし、マンションの廊下に出た。
「待って!行かないで!」
しつこく沙羅が追いかける。
履きかけたミュールが、脱げかかる。
「別れよう」
「そう言う事でないの。大事な話があるの」
しつこいから、非常階段に向かった。
これだから・・。
冴えない女は、いつまでも、食い下がる。
非常階段を駆け降りる僕を、追いかけてくる。
思いの外、早い。
「いい加減にしろ!」
沙羅は、僕の背中に縋り付きたかったのだろう。
僕が、身を翻した事で、バランスを崩し、肩から、落ちていく。
「バカだろう?」
「あ!」
沙羅が、肩を下にして、転落していく姿が、スローモーションの様に目に映った。
「沙羅!」
沙羅は、よりにもよって、階段の上から、真下へ、頭から、転落してしまった。
「沙羅!」
こんなに、紗羅の名を呼んだ事はなかった。
焦って、僕も、階段から、転げ落ちそうになる。
信じられないほどの、血溜まりが、紗羅の頭の下に、広がっていった。