水の目
いつからかもう覚えていないが、私が水の中を覗き込むと自分のものではない目玉と目が合う。
池、水たまり、洗面器、浴槽。私が水面を覗く度に、目玉が一つぎょろんとこちらを覗き込んでいるのが見えるのだ。そいつは右目か左目かわからないが、たった一個の目でいつも私の方をじっと窺っている。
「おうい、お前は一体何者なんだい」
私は水面に、水面に映るその目玉にそう問いかけてみる。
私はこの目を「恐ろしい」と思ったことはない。どうしようもない孤独に押し潰されそうな時、漠然とした孤独が不安となって胸を蝕む時にこの目はいつも私を見守ってくれている。
不思議なことにこいつは水の中にだけ姿を現し、鏡や金属面といった他の「何か人の姿を映すもの」には映らない。つまり奴は私の後ろに常駐しているとかではなく、あくまで水の中から私を見つめているということだ。
幼少期に溺れかけたとか、実家が水神に関係があるとかそういうオカルティックな心当たりがあるわけではないのだが……どういう繋がりであれ長く一緒にいると、どうしても親近感のようなものが湧いてしまう。
家族より友達より、どんな知り合いよりも私と目を合わせているだろうそいつ。確証はないがきっと一生、私に憑いて回るのだろう。そんなことを考えながら、私は水面から目を逸らすのだ。
「あの、すいません。変なことを聞くようですけど……水の中に目玉が、見えていませんか?」
いきなりそう言われたのは、久しぶりに実家に帰省して近所の散歩をしている最中だった。
私の地元には小さな池が併設された公園がある。目立つ遊具や景色があるわけではないが、地元住民の憩いの場として長く親しまれている場所だ。私もその例に漏れず、子どもの時分にはよく遊びに行っていたのだが……唐突に声をかけてきた若い女性に、私は目を見開く。
聞くと私と同い年らしい彼女は、私と同じように水の中にたった一つ目玉が浮かんでいるのが見えるらしい。
「今も見えています」とのことだが、私が池の中を覗いてもいつも通りの目がこちらを見つめているだけだった。私と彼女、同じものが見えているのか? と思ったがそういうわけでもないらしく、互いに話をすり合わせてみるとどうやら彼女に見えている目は私のそれより大きいらしい。
「これ、何なのでしょうね」
思わずそう零したら、こんな話をしてくれた。
この地域には水神伝説があったという。
それ自体はよくある言い伝えだ、特異なのは女性との関りが強かったこと。曰く、女性は水仕事をすることが多かったため「少しでも家事が楽になるように」と祈るようになったこと、それが発展して「女性の守り神」として信じられるようになったとのこと。
「蓄えが少ない時に、恵みの雨を降らせてほしい」
「家族を害する水災が起こらないようにしてほしい」
「自分の身が穢れるようなことがあれば、それを洗い流してほしい」
……そのように各分野での願い事を集めるうちに、水神は「水の中から女性を守っている」と考えられるようになったそうだ。
「つまりこの目は、その水神様のものだと?」
訝し気に私がそう尋ねれば、女性は頷いた。
「馬鹿げている、と思われるかもしれませんが……私はきっと、そうじゃないかと思うんです」
この目、悪いものだとは思えませんから。
躊躇いがちに、それでもはっきり断言したその女性に私は頷いた。