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王の鏡とトルンイル

作者: ららばい


 カーミングトン王国は、トーキラ大王の威厳と権力が支配する国だった。大王は自身の権力を絶対的なものとするため、王国の民から全ての鏡を没収するという前例のない政策を実行した。


「鏡は人々の心を惑わす。自分の姿にばかりに囚われ、無駄な虚栄心を生む。そのようなものは不要である」


 トーキラ大王の命令は絶対であり、国民は従うしかなかった。家から、店から、道端から、あらゆる鏡が消え去った。人々は、他人の顔を見ることはできても、自分の顔を見ることはできなくなった。人々の心から自信が消え、不安が大きくなっていった。


 自分の顔が見えない。それは、想像以上に人々の心を不安にさせた。自分がどんな顔をしているのか、表情はどうか、老いは進んでいるのか。何もわからない。まるで、自分が存在しないかのような、曖昧で不確かな感覚で、不安が増していった。

 それが大王の狙うところ。不安な人間を服従させるのは、容易なのだ。

 

 そんなカーミングトン王国に、大王に寵愛される美しいトルンイルという少年がいた。大王が狩りの途中で、農家で働いている六歳の孤児トルンイルを目にした時、なぜか身体が凍り付くほどの衝撃を受けて、すぐに連れて帰った。

 

 トルンイルは大王によって教育され、彼の側で仕え、輝くような十五歳になった。その静かで美しい容姿と立ち振る舞いは、宮廷の人々をも魅了していた。


 しかし、トルンイル自身は自分の美しさを知らなかった。

 国中の鏡がなくなった今、自分の顔を見る機会はなく、彼が目にしているのは、王に取り入ろうとする狡猾な人々ばかりだったからだ。少年は、自分も他の人々と同じようにずるいか、または平凡な顔をしているのだろうと思っていた。


 ある日、トルンイルは大王のお供をして、静かな湖のほとりにある離宮へと行った。その朝、彼が初めてひとりで散歩していた時、その湖面の上に、見たこともない美しい少年の姿があった。


「こんなに美しい人間が、この世にいるのか」

 

 トルンイルは、湖面に映る少年に目を奪われた。透き通るような白い肌、輝く瞳、そして、優美な輪郭。憂いをたたえた瞳、優しい顔つき。


「ぼくはトルンイル、きみの名前はなんて言うの?」


 湖の彼は何か言ったようだが、その声は聞こえない。


「ぼくと友達になってくれませんか」

 でも、湖の少年はなにも答えず、ただトルンイルの瞳を悲し気に見つめていた。


 その夕方、トーキラ大王から何をしていたのかと聞かれた時、湖面に、それは美しい少年を見たと言った。


 大王にはその意味がわかったので、トルンイルに、もう湖に行ってはいけないと命じた。

「なぜですか」

「わしに、質問してよいと教えたか」

「すみません」

 トルンイルが身をすくめたので、王はかわいそうな気になった。


「まぁ、いい。湖にいた少年は美しい顔をしているかもしれないが、実は悪魔で、おまえを地獄に引きこもうとしているんだ。だから、気をつけろと言っているんだ」

「はい」


 しかし、夜になっても、トルンイルは湖の少年を忘れることができなかった。夜中にこっそりと抜け出して、湖に行った。

 しかし、そこに、少年の姿がなかった。


「ねえ、きみ、出てきてくれないかなぁ」

 トルンイルが湖面に顔を近づけた。


「きみはぼくを地獄に引っぱりこもうとしているのかい。ぼくには、そうは思えないのだよ」


「ねぇ、そこには、きみみたいな子供がたくさんいるのかい」

 答えがないので、トルンイルはため息をひとつついて、また続けた。


「ぼくに、友達がひとりもいないんだよ。生まれてから、ずっと。友達がいるから、毎日が楽しいって、女官が言っているのを聞いたんだ。友達がいると、ほんとうに楽しいのかい」

 

 そう言って身を乗り出した瞬間、彼はバランスを崩して、水の中に落ちてしまった。

 

 しかし、トルンイルはこっそりついてきていた家来に救われたが、大王の命令に逆らったことがわかったから、大王は立腹して、トルンイルを離宮の地下の牢屋にいれた。大王は服従しない人間が大きらいなのだ。

 

 しかし、三日もすると、大王はトルンイルに会いたくなった。あの美しい顔が見たい。彼が給仕をしてくれなくては、食欲もわかない。そばにいなくては、日々が楽しくない。

 

 大王はトルンイルを牢屋から出すように命じ、しかし、大王は冷たい態度で、自分の前にひざまずかせた。


「おまえは、もはや、わしの寵愛を受けるに値しない」

「はい」

 とトルンイルが素直に答えたので、そのうら悲しい態度が、切なく王の心を打った。


「なぜわしの言葉に従わなかったのか。それほど、わしがいやになったのか」

「いいえ。ぼくは同じ年ごろの友達がほしかっただけです。ぼくの周囲には、大人や年寄りしかいませんから」


 その点は、少しは同情してもよいと大王は思った。


「実はな、湖で見た少年は存在しないのだ」

「でも、この目ではっきりと見ましたけれど」

「あれはおまえだ」

「どういう意味でしょうか」


 大王は家来に命じて、鏡をもってこさせた。

「これを見てみよ」

「これは」

「鏡というものだ」

 トルンイルが鏡を覗いて、あっと声を出して、目を大きくして大王を見上げた。


「ああ。この子が、湖にいた少年です」

「それはおまえだ。おまえが水に映っていたのだ」

「これが、ぼく……」

 

 その時、トルンイルは初めて自分の顔を鏡で見たのだった。長い間、他人の顔を見ても、自分を知らずに生きてきた人間にとって、それは衝撃的な出来事だった。

 湖面に映った少年が自分だとは同じだとは思いもしなかった。


「じゃ、あの子はいないのですか」

「そうだ」


「自分が美しいと知って、うれしいか」

「いいえ」

 トルンイルが美しい瞳をふせた。


「ぼくは、あの子と友達になりたかったんです」

「おまえに友達はいらない。おまえが話をするのは、このわしだけだ。わしは、この国の大王だ。名誉なことだと思わないか」

「はい」

「友達はやれないが、その代わりに、これをやろう」

 と大王が金細工の鏡を渡した。


「この国で、鏡をもっているのは、わたしとお前だけだ。それも、名誉なことだと思わないか」

「はい」


「友達がほしくなったら、その鏡と話せばよい」

「はい」


 トルンイルの従順な答えを聞いて、大王は満足した。

「おまえは牢屋にいたから、臭い。よく身体を洗い、この新しい服に着替えてから、寝室に来なさい。おまえには、よく似合うだろう」

 大王は赤いシルクの服を手渡して、部屋を出ていった。

 

 二時間が過ぎても、トルンイルが部屋にやって来ない。着替えの手伝いをするのは、彼の仕事と決まっているのに、と大王はいら立った。


「なにをぐすぐすしているのだ。すぐに、トルンイルを連れてこい」

 と大王が家来に命じた。

  

 家来はすぐに戻ってきて、彼がいなくなったと告げた。

「部屋の机の上に、鏡が置いてありました」

 

 すぐに捜索隊を出して、夜中、町への道、森の中などを懸命に探したが、トルンイルの姿は見つからなかった。

 

 その明け方、湖のそばに、赤い服がたたんで置いてあるのが見つかった。 

        

              了



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