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イオリア・クロスフォードの帰還  作者: 一代 半可
第一部 第七階梯の魔人(上)
28/33

【028】そして再び

「おのれ! 緑色リブル()魔法壁ザルキス!!」


 その時トルナスが叫び、右手を空へ突き上げた。


 次の瞬間、辺りの大気が逆巻き、巨大な竜巻が巻き起こる。イオリたちを中心に、渦を巻く空気の壁が瞬く間に嵐となって、辺り一帯を呑み込んだのだ。


 化け物たちを巻き込んで、荒れ狂う暴風は瞬く間に肥大化する。メジオブロープが風に煽られて横薙ぎになり、今にもへし折れそうなほどに揺らぐ。


「――ッ! マテュー!」


「!」


 そこへ更にナナリーゼとマテューの魔法が続く。ナナリーゼの生み出した氷の刃が風に巻き上げられて辺りを舞い、マテューの生み出した鉄のような破片が風の中を掻き乱す。


 キラキラと輝く刃と破片は、暴風の中でも見てとれるほど美しい。


 やがて氷刃は勢いづき、風の中に呑み込まれた影の化け物たちを次々とその刃で切り裂いた。


 触れたものを全て切り裂いていく氷の刃。器用にもその刃を内側に向けないよう操作しているのか、切り裂かれるのは暴風の壁より外側のものばかり。


 更にはマテューの生み出した鉄片が、切り裂かれた化け物たちを更に襲う。


 咄嗟にしてはあまりに美しく、普段の対立からは想像できないほどに完璧な連携だった。切り裂かれた影の化け物たちが、その腕を、体をバラバラにされて巻き上げられていく。


 勝った。


 誰もがきっとそう思った。


 だが。


「イオリ様!!」


 ゼラフィーナの叫びが、その確信を否定した。


「――しまッ……!」


 氷の刃によって下半身を切り裂かれ、上半身だけになった影の化け物が、それでも地面に倒れ込みながらその右腕をイオリ目掛けて伸ばしていたのだ。


 とは言え普段ならばこの程度、イオリの目と身体能力を持ってすれば簡単に回避できたはずだった。


 だが、先ほどの決闘による負傷によってイオリの出足が鈍る。反応が数段遅れる。


 気づいたときにはもはや遅く、鋭利な刃物状になった影の指先が、イオリ目掛けて振り下ろされていた。


 その軌道は急所――イオリの喉元を捉えていた。


 赤い飛沫が辺りを舞う。イオリの体が崩れ落ちる。


「うッ……ぐ、う……!」


 しかし、不思議と痛みはなかった。


 代わりとばかりに、ゼラフィーナのくぐもるような声がして、そのままイオリの体は地面に倒れた。


 視界の端から割り込んできたゼラフィーナが、イオリを抱きしめるようにして押し倒したのだと気づいたのは、倒れた後のことだった。


 背中に柔らかい土の感触を感じながら、イオリは倒れこんできたゼラフィーナを思わず抱き留める。


 予想よりもずっと軽い彼女の体。理解が追い付かないまま、イオリは彼女を支えるために背中に手を伸ばした。


 するとイオリの手のひらに、何か生暖かい液体がぬるりと伝わった。


「ッ……!」


 見ずともわかった。しかし、理性が理解を拒んでいた。


 ゆっくりと、彼女の背中に回した手を滑らせる。イオリの手のひらに伝わる生暖かい液体は、その拍子に指の間をねっとりと伝って、手首の方へと落ちていった。


 イオリはその時になってようやく理解した。イオリを襲うはずだった化け物の攻撃を、ゼラフィーナは身を挺して庇ってくれたのだと。


 そしてそれは、彼女の命を危険に脅かすほど致命的な一撃となって、ゼラフィーナの背中に刻みつけられたのだと。


 ゼラフィーナの温もりが、静かに流れ落ちていく音がしていた。


「お兄様!!」


 ナナリーゼの声と共に、ゼラフィーナを切り裂いた腕が氷の刃によって切り落とされた。


 胴体から離れた腕は地面に落ちると、まるで袋から吐き出された水蒸気のように霧散する。


 それを確認したナナリーゼは二人を一瞥し、しかしすぐに戦闘に戻る。これ以上は余裕がないということなのだろう。


「ご無事……ですか。イオリ、様……」


 そんな混乱の中でも、ゼラフィーナはイオリの胸に顔をうずめたまま、籠った声でそう告げた。


 もはや顔を上げる余力も無いのか、ただでさえ青白い肌をさらに青白くして、今にも力尽きそうに声を震わせて。


 それでもゼラフィーナは、確かにそう口にした。


「なんで……こんな……」


 呟いている間にも、彼女の体から体温がこぼれ落ち、イオリの服に染み込んでいく。


 イオリの視界いっぱいに映る赤。ゼラフィーナの色彩には存在しないはずのその色が、彼女の体から溢れ出る。


「無事で……良かっ……」


 そして全身から力が抜け落ち、イオリの胸に彼女の体がしなだれかかった。その体は意外なほどに重くなり、その重さがイオリをゾッとさせた。


 母が入院していた病院で聞いた、看護師たちの雑談が脳裏をよぎる。


 意識のない人や亡くなった人は、思っている以上に体が重くなる、という話だ。


 ゼラフィーナの体重が、支えを失って全てイオリにもたれかかる。それは何より、彼女の危機を伝えていた。


「第四階梯でも倒せないの……!?」


「クッ、化け物め……!」


「ユニオンの救援も、こんな事態は想定していません……! このままでは……!」


「姫様、お逃げください! 私が足止めを――!」


「マテュー、ダメ!」


 遠くなる意識の端で、ナナリーゼたちの声がした気がする。


 やがて何かが潰れるような音が鳴り、ナナリーゼの小さな悲鳴が聞こえて、少し間をおいて何か(・・)が遠くの地面に落ちた。


「マテューッ……!」


 ナナリーゼの声が響く。しかしイオリは、終ぞその光景に目をやることをしなかった。


 イオリの視線は、ゼラフィーナを写したまま。


 力の抜けたゼラフィーナの体を、ゆっくりと地面に横たえる。彼女に渡したイオリの上着が、彼女の血でどす黒く染まっていく。


 その光景が、イオリにどうしようも無い現実を突きつけていた。


 ――俺はまた、守れないのか?


 イオリの脳裏に、いつかの母の姿が過ぎる。弱々しいゼラフィーナの姿が、記憶の向こうの母の姿と重なった。


 病院のベッドに横たわったまま、薄く笑う母の顔。一日一日と目に見えて弱っていくその姿に、何もできずただ拳を握りしめるばかりだった、あの日の無力な自分の影。


 ――これで終わりなのか?


 母の葬式の日に見た、嫌みなほどの青空が蘇る。あの痛みを、あの悲しみを、また繰り返さないといけないのか。


 体の奥底から浮かび上がってくるような恐怖が、イオリの全身を支配する。それは、かつて味わった失うことへの恐怖。


 己の無力に対する絶望だった。


 ――ふざけるな。こんなところで、俺は……!


 力だ。力が要る。恐怖に打ち勝つための力が。絶望を覆すための力が。誰にも負けないための力。これ以上何も失わないための――圧倒的な力が。


 ――力さえあれば……全部、全部倒せるんだ……! トルナスも……あの化け物も……! 魔王《クソ野郎》だって……!


 それは全てを守る力。それは全てを倒す力。イオリの邪魔をし、大切なものを傷つける敵《悪者》を倒す、絶対の力。


 力さえあれば、もうあんな思いをしなくていい。だから――


 己の左腕に嵌められた金の腕輪――魔力抵抗。イオリの内に眠る膨大な魔力を戒め、力を縛る強力な枷が、イオリの視界で強い輝きを放っていた。


「力を……よこせ……!」


 その時、かすかに響いた金属音。それを耳にできた者は、ごく僅かだった。


 黄金の輝きが、地面にこぼれ落ちる。血溜まりの中に浮かび上がったのは、金の腕輪。それは、戒めが解き放たれた証左だった。


「お兄様、避けて!!」


 誰か(・・)の声がイオリの耳に届く。


 続けて、イオリ目掛けて影が伸びる。森がざわめき、静寂が闇を伴って木々を覆いつくす。


 伸びた影が黒い腕となり、イオリ目掛けて振り下ろされ、惨劇が繰り返されようとしたまさにその時だった。


「――ぐうううおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアッッッ……!!」


 戒めから解き放たれた魔人の咆哮が、昏い森の中に響き渡った。

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