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イオリア・クロスフォードの帰還  作者: 一代 半可
第一部 第七階梯の魔人(上)
26/33

【026】決闘

 鬱蒼と生い茂る木々の間から、今にも雨粒を溢れ落としそうな曇天が覗く。その時森の中を駆け抜けた人影を、枝葉の間から差し込む僅かな光が照らし出した。


緑色リブル(・ジ・)魔法刃ゼルゲート!」


 演技染みた大仰おおぎょうな動きと共に、トルナスの鋭い叫び声が森中に響き渡る。直後、彼の腕の動きに合わせて放たれたのは、無数に生み出された不可視の刃だった。


 空を切る甲高い音と共に、不可視の刃は次々に木々を切り裂く。鉄ほど硬いと謳われるメジオブロープの木肌が、まるで布のようにめくれていく。


「――ッ!」


 それを寸でのところで横に転がってかわし、まとわりつく枯葉を振り払うように飛び起きた影――イオリは、森の中を駆け抜けて、更に足に力を込めた。しかし。


「甘いッ!!」


 そこへ容赦なく、次々襲いくる風、風、風。目に見えない空気の澱みがイオリの肩を打ち抜き、足元を狂わせ、肌を切り裂いていく。イオリは今、魔法を用いた本格的な戦いの洗礼を、初めて目の当たりにしていた。


「くそっ!」


 イオリが使う正面に放つだけの魔法ではなく、トルナスの魔法は縦横無尽に軌道を変えて、器用にイオリを追い立てていく。そして我慢できずに跳躍したところへ――


緑色リブル(・ジ・)魔法砲グローディオ!」


 ――より大きな一撃が襲う。


「ぐアッ!」


「イオリ様!!」


 空中で身動き取れないイオリにはなす術なく、トルナスの魔法が直撃する。目に見えない空気の砲弾が、今は実体でもあるかのように重く響く。


 撃ち落とされたイオリの体は、ゼラフィーナの悲鳴と共に地面に転がった。森の草木を巻き上げて、豊かな土が肌にまとわりつく。


 しかしそこで手を休めてくれるほど、トルナスは決して甘くはなかった。


魔法弾幕ブレ・ギャベリ!」


 瞬間、トルナスが両手にはめていた手袋が鮮やかに輝く。魔力の伝導率を上げることで、手袋の繊維一本一本から魔力を放出する魔力触媒。その真価が発揮される。


 トルナスが撫でた空中で、次々と魔法の生成が行われていく。その軌跡に続々と生み落とされるのは、不可視の弾丸。


 僅か数瞬のうちに生まれた弾丸の壁が、やがて一斉に動き出した。


「喰らえ!」 


 それは点ではなく面での制圧。横殴りの雨にも見紛う魔法弾ギャベリの数々は、イオリの落ちた地点を中心に一斉に制圧した。


 いくら見えていたとしても、その全てを回避するのはイオリをもってしても不可能だ。


「お兄様……!」


「――ッ!!」


 魔法障壁ゾファリスを使えないイオリには、この攻撃を防ぐ手立てはない。気休め程度に腕を交差させ、魔法の雨を耐え凌ぐしか方法は無かった。


 無数の魔法がイオリの肉を抉り、骨を殴りつける。多少なりとも魔法耐性があるはずの制服は、一瞬にしてイオリの血で濡れた。


「イオリ様ッ!!」


 トルナスの取り巻きに囚われたままのゼラフィーナが、それでもイオリの元へ駆け寄ろうと体をよじる。その視線の先、片膝をついたまま立ち上がれないイオリを見てトルナスは嗤った。


「哀れだな、イオリア・クロスフォード。あれだけ大口を叩いておいて、女一人守れやしないか」


 結局のところ、ナナリーゼの言葉通りになっていた。


 怒りに乗せられ受けてたった決闘だったが、トルナスの巧みな魔法の前にイオリは近づくことすらままならない。トルナスが使っている魔法のほとんどは、授業でも使っていた基礎魔法――第二階梯魔法だと言うのに。


 不意打ち気味にイオリも魔法球グレイアで反撃するが、トルナスはそれを魔法障壁ゾファリスであっさり阻む。阻まれた魔法球グレイアは呆気なく火花となって弾けて消えた。


「第二……いや、第一階梯か。にしては随分と凄まじい威力だ。なるほど、第四階梯級もお情けと言うわけではないらしい。だが、所詮はそれだけだ。それだけで勝てるほど、魔法は単純じゃない」


 トルナスの手のひらで風が逆巻く。トルナスが得意とするのは風を生み出す緑色リブルの魔法。その特徴は不可視性。


 炎や水、土といった魔法と異なり、風の刃はその不可視性ゆえに避けにくく、こと対生物戦闘においては無類の強さを発揮する。


 熟練の魔人であれば魔素の歪みや使用者の動作、目線などから弾道を読んでかわすことも可能だが、それでも咄嗟に放たれた緑色リブルの一撃が決闘の勝敗を左右することも珍しくない。


 それほどの奇襲性に長けた緑色リブルを、魔法もろくに扱えないイオリが見切れるはずもない。


 ましてやトルナスは、その緑色リブルに適性ある第四階梯級の魔人だ。決闘において、学園で彼の右に出る生徒は誰一人としていないのだ。


 故に、この結末は誰もが予想した通りの結果だった。


「トルナス、テメェ……これだけの力がありながら、何でこんなくだらない事に使っていやがる……! そこまでして、魔王なんかにそんなになりてえか……!」


 かつて力を渇望し、未だその望みを叶えられていないイオリには、己の欲望のためだけに力を振るうトルナスの姿があまりに腹立たしく、あまりに許しがたい。


 しかし、イオリの言葉を聞いた途端、トルナスの表情は一変した。


「なんか……だと?」


 トルナスが、この日初めてその表情に明確な感情を宿らせた。それは、怒り。静かだが、瞳の奥に激情がほとばしる。


「無知もそこまで行けば、もはや冒涜だな……気付いているのか? お前は己の無知を棚に上げて、己の正義を押し通し、我々の誇りを踏み躙っていることを……!」


「なん――ッ!?」


 その時、片膝を付いたままのイオリに向けて足早に歩み寄ったトルナスは、その右足を振りかぶる。


「その行いはもはや、侵略だ……!」


「ぐゥッ……!!」


 そしてまずはイオリの頭を蹴りぬいた。続けて、防ぎきれず地面に倒れこんだイオリの肩を、腹を、足を。トルナスは続けて何度も何度も足蹴にする。


「我々が血反吐を吐く思いをして! ようやく指をかけた魔王候補の座に! 何の知識もない貴様如きが! ただ魔王の子であると言うだけで! その事実こそが、はなはだ不愉快なのだよ!!」


「イオリ様……! もうやめて!!」


 遠くからゼラフィーナの悲鳴が聞こえる。しかしそれに耳を傾ける余裕などない。イオリにはもはや、トルナスの蹴りを防ぐ手立てもなく、ただ耐え続けるしかないのだから。


 トルナスの追撃はなおも続く。


「ふざけるな……! ふざけるなふざけるなふざけるな……! お前如きに我ら魔人の一体何がわかる……! 善人気取りで我らの歴史を踏みにじる俗物共が!!」


 トルナスの言動の端々から溢れ出る、吹き上がるような怒り。そしてそれだけでは飽き足らず、トルナスはその右腕を空に付き上げた。


 次の瞬間、トルナスの手のひらに巨大な竜巻が渦巻き始める。


「やめなさいトルナス! その魔法は――!」


 何を始めるのか理解したらしいナナリーゼが身を乗り出そうとしたが、トルナスの手下たちがそれを遮る。今から妨害するとしても、恐らくはもう間に合わない。


「お兄様!!」


 より大きく、よりドス黒く変色するトルナスの竜巻は、やがて辺りの枝葉を、小石を巻き上げ、みるみるうちに肥大化していく。魔力と結合した魔素が煌めき、竜巻の中に緑色の輝きを生み出す。


 それはもはや、嵐の顕現だ。


「見せてやる、我が魔法の到達点を……第四階梯魔法、緑色リブル()魔法牙ドルネーヴだ。お前が踏み躙った魔人の尊厳が、そして僕の怒りが。一体どれほどのものか……その身を八つ裂きにされる痛みの中で、思い知るがいい!」


 大気を震わせ唸りを上げるその暴風が、イオリ目掛けて振り下ろされる。


「これで終わりだ、イオリア・クロスフォード! 伝説は伝説のまま、ここで消えろ!!」


 笛の音に似た甲高い音が、遠くの森で鳴っていた。空が赤く輝き、その赤によってトルナスの怒りの形相が浮かび上がる。


 もはやイオリにはそれを阻止する余力も残っていない。覚悟を決め、瞼を閉じる。訪れるその時を堪えるために。或いは、最期は存外呆気ないものだなと自嘲を交えて。


 後悔は無かった。もしもう一度同じ状況になったなら、イオリは同じ選択をしただろう。ただ、ゼラフィーナがまた泣いてしまわないか、それだけが心配だった。


 歯を食いしばり、全身に力を籠める。辺りに満ちる血と土の匂いが、やけに印象的だった。


 そして。


「……?」


 ……いくら待てども、その時は一向に訪れる気配がなかった。やけに間延びした沈黙に、イオリは違和感を覚えた。


 その沈黙の中で笛の音に似たやけに甲高い音が二度、三度と遠くの森から響き渡ったことに気付く。


 そう言えば、先ほどから聞こえるこの音に聞き覚えがあることにも。


 この音は確か、森に入る前、ユニオンの職員が打ち上げていた信号弾の音だ。


 呑気にそんなことを考えながらゆるゆると瞼を開くと、まず真っ先に、勢いが衰えていく暴風が目に入った。


 その魔法を顕現させたはずのトルナスは、空を見上げて呆然としている。そしてそれがトルナスだけでなく、取り巻きたちやナナリーゼですらそうであることに気付いた。


 彼らに釣られるように、イオリもまた空を見上げる。そして、彼らの行動の理由を理解する。


「なんだよ……あれ……」


 イオリもまた、空から目を離せなくなっていた。


 背の高い木々の間から、わずかに覗く空を覆い尽くす、一面の赤。まるで大きな花弁のような信号弾が、空を真っ赤に染め上げていた。


 一つや二つなどと言う数ではない。イオリたち以外の全ての傭兵たちが打ち上げたのではないかと勘違いするほど、大量の信号弾だ。


 まるで花畑のようなその光景に、何も知らない者は美しいとさえ感じたかもしれない。しかし、イオリたちはその花畑が意味するものを知っている。だからこそ、恐怖した。


 あの赤一つ一つには意味がある。


 打ち上げられた複数の赤は、その下でそれだけの人物が命の危機、ないしは対処困難な事態に見舞われていると言うことを示している。


 そしてそれが、普通はあり得ない事態だということも。


 イオリは直感した。すぐ目前にまで、何らかの脅威が迫ってきていることを。

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