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イオリア・クロスフォードの帰還  作者: 一代 半可
第一部 第七階梯の魔人(上)
23/33

【023】少女と青年

 アルドラーク学園擁する空中都市クーディレリカ。その街並みが築かれたヴィルミーナ大陸には、細々としたものを除けば主に六つの浮遊大陸が存在する。


 今回ユニオンより調査の依頼があったピュスリア森林が属するのは、そのうちクーディレリカの西に位置する第三大陸である。


 冒険家ヴォリス・ヴィルミーナの部下、メルヴワ・フーヴェルフィスタが、自分の妻の名を付けたことに名前の由来を持つこの大陸は、大陸の端から端まで背の高い木々に覆い尽くされていることが一番の特徴である。


 この大地を多い尽くすのはメジオブロープと呼ばれる樹木。


 ピュスリアの大地でしか育たないその特殊な樹木は、大地に溶け込んだ大量の魔素を吸い上げているためか樹皮が鉄のように硬く、そして非常に燃えにくい木材であることが知られている。


 不規則に、無秩序に生い茂る鋼鉄の森林は、この地に住まう魔物たちの存在もあって、人々の侵入を長年拒み続けてきた。


 おかげで人類が踏破した領域は、三百年の時を経てなおこの大陸の僅か三割程度とも言われ、未だその全容は明らかになっていない。


 やがて未知と危険に溢れたその大地の奥に、一体何があるのかを人々は噂した。


 そして今では誰ともなくこう言うようになったのだ。この森の最奥には『魔女の遺産』が隠されているのだ、と。


「おえっ……魔女の遺産?」


 絵に描いたような曇天の中、イオリたちは空にいた。眼下に広がる大森林を眺めて、イオリは相変わらずの飛竜酔いと共に空を行く。目的地はもちろん、目下のピュスリア大陸だ。


 先ほどまで流暢にピュスリアの森について説明していたマテューは、イオリの反応が意外だったのか一瞬目を見開いたものの、すぐに「噂ではございますが」と前置き、続ける。


「魔女の遺産とは、かつて黒の魔女が有していたと言われる秘宝を指します。世界を滅ぼすほどの力だとも、溢れんばかりの財宝だとも、時や世界を渡るための魔法が記された本だとも言われています。とは言え実際のところは、何とも」


「世界を、渡る……」


 イオリは思わず、その部分を復唱した。


 この学園に来てから数日、未だ元の世界に帰る手段は見つかっていない。時間を見つけては図書室でそれらしい本を読み漁ってはいるものの、やはり禁忌というだけあって手掛かりは皆無だ。


 だからこそ、その響きは蠱惑的な囁きに思えた。


 もしイオリが元の世界に帰るために、魔女の遺産が重要な手がかりになるのだとしたら――


「マテュー、そのくらいにしておきなさい。お兄様も真に受けないでください。魔女の遺産を人々が探し求めて数百年が経ちますが、未だ痕跡すら見つかってはいません。所詮は伝承です」


 ため息混じりに間に入ったのは、向かいに座るナナリーゼだった。彼女に叱られたマテューも、先ほどまでの真剣な表情をふっと緩めて口元に笑みを浮かべる。


「申し訳ありませんイオリア様。姫様の仰る通り、あくまで伝承です。イオリア様の反応が愉快で、ついつい興が乗ってしまいました」


 伝承。伝説。向こうの世界でも埋蔵金やロストテクノロジーに関する噂は事欠かないが、こちらの世界でも同じらしい。


 とは言えイオリにとっては重要な手がかりであることにも変わりはない。


 魔女の遺産。その僅かな可能性と望みを胸に、イオリはピュスリア大陸へと降り立ったのだった。





 各大陸にはそれぞれ、ワイバーンやドラゴンが着陸するための空港が設置されており、大陸間を渡る者たちを手厚く歓迎してくれる。


 イオリたちの乗る籠を引くワイバーンは、地上数十メートルのところまで体を沈めてからふわりと一度浮き上がると、丁寧に竜籠を地面へ降ろした。


 辺りには既に、今回の依頼に参加すると思わしき者たちの乗ってきたワイバーン便があちこちに着陸していて、人々が我先にと空港の出口へ向かっている。


 そこは森の木々を無理やり切り開き、魔物たちの棲家に人の居住地を宣言する建築物を簡易的に打ち立てたような、何とか拠点の体裁を保っている場所だった。


 あくまでこの空間は人間に貸し与えているだけだ。そう宣言するかのように、目と鼻のすぐ先には薄気味悪さを孕む背の高い木々と深い森が待ち受けている。


「……ゼラが心配するのもわかるな。何が居てもおかしく無さそうだ」


 曇天も相まって、昼間だと言うのに影がすぐそこまで侵食してきている。その様子に、イオリはこの場にいない婚約者の顔を思い出していた。


 ゼラフィーナのユニオンランクはⅢ、そして階名はクウィス――第二階梯級だ。今回の依頼には参加資格がなく、今頃は学園でイオリの帰りを待っていることだろう。


 彼女と別れる際、まるで最期の別れかのように涙を浮かべていたが、もしかすると今回の依頼はそれだけ危険だということの証左なのかもしれなかった。


「もう少ししたら降り出しそうですね。お二人とも、体を冷やさないようお気をつけください」


 マテューが灰色の空を眺めてそう告げる。マテューは第三階梯級のユニオンランクⅤ。今回の依頼に参加する資格を得ていたための同行となる。


 いわば、イオリのお守役である。そんなマテューのことをゼラフィーナが恨めしそうに見ていたのは言うまでもない。


「ナナリーゼ・クロスフォード。ユニオンランクⅥです。同行はイオリア・クロスフォード、ユニオンランク無し、第四階梯級とマテュー・ピエルネ、ユニオンランクⅤです」


 空港を抜けてすぐ、ユニオンの従業員と思わしき者にナナリーゼがそう名乗る。すると彼はイオリア・クロスフォードの名前を聞いて、イオリの顔を見るなり露骨に驚いた表情を浮かべた。


 そしてすぐさま平静を装って「受付完了致しました、この先でお待ちください」と行く先を案内する。どうやらイオリの名前はユニオンにも広く知られているらしい。


「もう慣れたな。ああやって驚かれるのも」


「イオリア様は有名人でございますから」


 言葉を交わす二人を先導するように、ナナリーゼが少し先を進む。そうしてすぐに、巨大な森林を正面に臨む広場へとたどり着いた。


 辺りにはユニオンの傭兵と思わしき者たちが既に数十名ほどたむろしており、あちこちで野営の準備が整っていた。


「作戦の開始はこれから一時間後です。それまで少し休んでいてください。私は少し、ユニオンの知り合いと話をしてきます」


 ナナリーゼは到着するなりそう告げると、返事も待たずにスタスタと立ち去っていく。事務的だったがどこか逃げるようにも見えたのは気のせいだろうか。


 とは言えそうしてナナリーゼが席を外したことに、イオリは少しばかりホッとしてしまう。


「喧嘩でもなさいましたか?」


 突然そう口を開いたマテューの言葉に思わず肩が跳ねたのは、もちろん図星だったからだ。


「いや別に……喧嘩っつうほどのことでもねえけど……」


 脳裏をよぎったのは先日の一件。トルナスと対立し、ナナリーゼに止められ、そして散々こっぴどく説教された時のこと。


 あれから数日経った今でも、あの時のナナリーゼの言葉はイオリの中では消化しきれずに居た。例えるなら、正しいのはわかるが納得はしたくない……そんなところだ。


 そのことをマテューに話すかどうか迷って、それでも結局ポツポツと、事の顛末を口にした。


「……そうですか、姫様が……」


 それを聞き終えたマテューの反応は、どこか物悲しげなものだった。それから少しだけ間を置いて、言葉を選ぶように語り始めた。


「……確かに、姫様の言う通りです。ただ……姫様にも少々問題があるのも事実です。正しさだけが人を作るわけではありませんから」


 正しさだけが人を作るわけではない。それはどこか、マテューの想いを感じさせる言葉だった。


「俺、何とか言い返したかったけど……結局何も言えなかった。俺、知らないことばかりだって思ったんだ……」


「……姫様はきっと、その正しさで身を守っておられるのです。それしかすべを知らないのでしょう……」


 妙な言い回しに、思わず「正しさで……?」と聞き返す。するとマテューは一度頷いて続けた。


「はい……姫様は幼い頃から、ずっとお一人でした。立場が立場ですから親しい友人を作ることもできず、ご両親との時間もあまり取れず、いつもいつもお一人で勉強なさっていました。ですからきっと、姫様は正しくあることでしか人との関わり方を知らないのです」


「……」


「正しくあれば、少なくとも過ちを犯すことはありません。過ちを犯さなければ、人に嫌われることもない。だから姫様は、正しさを頼りにこれまで歩んでこられた。そうしなければ、人と関われなかったから。ただ――」


 そこで一度言葉を切ったマテューは、遠くに見えるナナリーゼの背中に視線を投げる。


「――人は、正しさだけで生きているわけでもありません。時には正しさではなく、心に寄り添う優しさが必要です。むしろ、そんな優しさこそが人には必要なのだと……私は結局、そのことを姫様に伝えることができませんでした」


 その瞳に宿るのは後悔の色。ナナリーゼは言っていた。マテューはナナリーゼの生まれる前から城に仕えていると。


 つまりそれは、ナナリーゼがこれまで歩んできた道も知っている、と言うことなのだろう。


「イオリア様。どうかお気を悪くされないで下さい。姫様もきっと後悔なさってます。今朝からずっとイオリア様を避けておられるのも、謝り方がわからないのでしょう。皆さんすぐに忘れてしまいますが、姫様はまだたった十一歳の少女なのですから」


「そう……だな」


「もう少しだけ待ってあげてください。そうすればきっと、ご自分から謝ると思います。今はただ、そのための言葉を探しているだけで」


「……」


 十一歳の少女。自分が十一歳の時、何をしていただろうかと思い返す。少なくともそこに、王家の義務や政争、そして命を危険に晒す戦いはなかったことは確かだ。


 ナナリーゼがその心の奥底で一体何を思っているのか、今のイオリには想像すらつかなかった。

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