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イオリア・クロスフォードの帰還  作者: 一代 半可
第一部 第七階梯の魔人(上)
12/33

【012】魔王候補

 始めは青い空に一点、黒い何かがうごめいて見えただけだった。


 やがてそれはみるみるうちに肥大化し、イオリが生物の影だと気付いた頃には、その巨影は既に頭上を駆け抜けていた。


 遅れて、嵐のような暴風が襲い来る。


「うわッ!?」


「きゃっ……!」


 隣の林から飛ばされてきたのだろう枯葉が辺りを舞い、砂埃が吹きすさぶ。


 砂埃の中なんとか目を開くと、先ほどの何かが向こうの空から引き返してやってきた。


 やがて近づくにつれてくっきりと見えてきたその輪郭は、どこか見覚えのある――しかし、決して一度も見たことがない、記憶の中のそれ(・・)に酷似していた。


 コウモリによく似た、しかしコウモリのそれより幾倍も巨大な被膜の張った一対の翼。長い尻尾の先まで覆い尽くす、ギラギラと逆立つ暗いこげ茶色の鱗。


 真っ黒い巨大な鉤爪を生やしながら、飛行の邪魔にならないよう上手く畳まれた後ろ脚。


 長い首の先にはトカゲのような大きく横に裂けた口が開き、中からわずかに赤みがかった橙色の牙が覗く。黄色の真ん中には黒い瞳が爛々と輝き、空の上からじっとイオリを睨みつけている。


 沈むように空から降りてくるその姿を見た時、イオリの脳裏にいつかの母の記憶が蘇った。


 幼い頃、図書館で借りた一冊の絵本。それに描かれていたとある生物の姿を見て、その日、母は意外そうに笑ったのだ。


『あら、こっちにも居たのね。それとも私たちみたいに迷い込んだのかしら』


『知ってるの?』


『えぇ。母さんの故郷ではヴィルヴェルヴと呼ばれていたわ。こっちだと名前は――』


 あの日、絵本に描かれていたその生物の姿と、目の前に現れた巨大な生物の姿が交錯する。


「――ワイバーン……!?」


 向こうの世界では空想上の生物とされていたワイバーンが、目の前で雄々しく羽ばたきを見せていたのだ。


「あの家紋はディルヴィアンの……! もう噂を聞きつけてきましたか……!」


 一方で、どうやら状況を理解したらしいナナリーゼが毒づくと同時、ワイバーンはその巨大な翼を羽ばたかせて威勢よく咆哮する。


 よく見れば防具のような装甲を身に纏い、尻尾の先には何かの模様が刻まれた旗を揺らしていた。


 そして荒々しく舞い降りた巨体の背中から、人影らしきものが地面へ舞い降りる。


「ごきげんようナナリーゼ姫。見たまえこの竜を……見事なものだろう? 休暇中にナビデへ行ってね。見事なルディカームだったものだから、父上に買ってもらったんだ。ヴィックスやエスピナには速さで劣るが、力強い品種だよ。実に僕に相応しい……そうは思わないかい?」


 こちらに歩いてきながら流暢に語るその人物は、乗ってきたワイバーン同様に人を見下すような笑い方をする男だった。


 燻んだ長い金色の髪はナスのヘタのように癖っ毛で、側頭部から覗く二本の角は、その印象を肯定するようなナス色だ。


 身に纏う服は見るからに仕立てのいい、鮮やかな碧色の貴族服。この服だけでも彼の生まれの良さが窺える。


 彼の肩にはマントが翻り、そのマントにはワイバーンの尾に括り付けられた旗と同じ、何かの紋様が描かれていた。


「城にワイバーンで乗り付けるなんて……撃ち落とされても文句は言えませんよ、トルナス」


 彼に向かってナナリーゼが忌々しげに毒付くと、トルナスと呼ばれた男は「ハハハッ!」と高笑いした。


「ディルヴィアンの家紋を見て、撃ち落とそうなんて思う間抜けはいないと思うがね! ご忠告に感謝するよ、ナナリーゼ姫」


 どうやら二人は既知の仲らしい。疑問に思ったイオリは、隣のゼラフィーナに顔を寄せて呟いた。


「……誰?」


 しかし、どうやら本人にも聞こえてしまったらしい。その瞬間露骨に不快そうな表情をして、トルナスはイオリに視線を向けた。


「ディルヴィアンの名を知らないのか? 一体どこの田舎者だ……いや、まさか」


 トルナスの反応に、ナナリーゼが「あなたのお察しの通りです」と告げ、仰々しく続ける。


「こちらがネフェルティアの正統な王位継承者――イオリア・ハルロス・ネフェル・クロスフォード様です」


 随分大袈裟だな、とイオリは一人的外れなことを考えていたが、トルナスは色々と合点が行ったのか、やがて嫌味なほど愉快そうに口元を歪めて笑った。


「なるほど……僕はトルナス・リル・ザルモス・ラトゥア・ディルヴィアン。ナナリーゼ姫の婚約者です。以後、お見知り置きを。オニイサマ」


「まだ決まってはいません」


 トルナスが随分と長い名前を名乗った直後、ナナリーゼはそう冷たく言い放つ。気になったのは婚約者という部分だが、どうやらナナリーゼもそうだったらしい。


 トルナスは心外だ、とばかりにナナリーゼに視線を向けた。


「他でもない魔王陛下がお決めになったことじゃないか。候補のうち、最も魔王に相応しい者を君と婚約させると。そして現状、最も魔王に近いのはこの僕だ。地位も、力も、そして血筋も。ならば決まったようなものだろう」


「生憎ですが、お兄様が戻られた以上、あなたが魔王になれるとは限りません。決まったようなもの、と言い切るにはまだ早いのでは?」


「ククク。階名も無く、こんなところで魔法の練習をしている彼が、一体何の脅威になり得ると? 選定戦が続行されると聞いておかしいと思ったが、直接見てよくわかった。彼には無理だ。これで君の望みは潰え、僕は君と言う王冠を戴いて魔王になる」


 その口ぶりは、まるでナナリーゼを物として見ているようだった。その姿がどこか、イオリを物のように扱う魔王の姿に重なって、妙にかんさわった。


 イオリからの鋭い視線に気づいたらしいトルナスは、嫌味な笑みを貼り付けたまま向き直る。


「折角だ、帰ってきたばかりの君に一つ教えてあげよう。友人と婚約者は選ぶべきだ。君の体に流れる血の半分は、ネフェルティアにとってまさに伝説。その血を異人はもちろん、そこのハスブルートと混ぜようなどと、努々《ゆめゆめ》思わぬことだ」


「……ハス、ブルート?」


 聞き慣れない言葉にイオリがおうむ返しすると、トルナスは意外そうに「何だ、知らないのか」と言葉を漏らした。


「では僕が教えてあげよう。そこにいる君の婚約者は――」


「やめて!」


 その時、ゼラフィーナが叫んだ。


 今まで一度も聞いたことのない、悲鳴のような叫び。引き付けでも起こしたのかと思う声に、思わずイオリの肩が跳ねる。


「……やめて、ください……お願いします……」


 そして今度は怯えるように。震えた声音で、両手を胸の前で握りしめて。まるで祈るようにそうダメ押しした。


「へぇ。人形のような女だと思っていたが、そんな顔もできたのか。意外だな」


 ゼラフィーナの様子に、実に愉快そうにトルナスは笑う。何が起きたのかはわからないが、ハスブルートという言葉がゼラフィーナを傷つけたらしいことはよくわかった。


 そしてやはり、このトルナス・ディルヴィアンという男は、イオリとは全く馬が合わないという事も。


 もう一度舐め回すようにイオリの全身に視線を這わせたトルナスは、やがて乗ってきたワイバーンに跨るとナナリーゼに声をかけた。


「今日は彼女に免じて引き上げよう。そろそろ父上も、陛下との謁見を終えられる頃だからね。では、また会おう。次はアルドラークで」


 そうして嵐のように現れたトルナスは、やはり嵐のようにワイバーンと共に飛び去って行ったのだった。


 飛び去ったワイバーンの背中を睨みつけた後で、イオリは隣のゼラフィーナに向き直る。


「大丈夫か、ゼラ?」


「……はい、大丈夫です……申し訳ありません、突然声を上げてしまって……」


 全然大丈夫そうには見えなかったが、それ以上どんな言葉をかけてやれば良いのか分からず、二の句に詰まる。


 ハスブルートと言う言葉が、どう言う意味を持つのかを今の彼女に聞けるほど、イオリは無神経ではない。


 しかし腹の中に渦巻く不快さを呑み下す事はできず、ナナリーゼに対して「あんなのが魔王候補って、この国は人材不足なのか?」と毒付いた。


「確かに性格は最悪ですが、実力は本物ですよ。少なくとも、今のお兄様よりはずっと上です……私がお兄様に魔王になって頂かなくては困る理由、これでわかって頂けましたか?」


 彼女の立場に少しばかり同情する。イオリが魔王になれなければ、あんなのと結婚しなくてはならないらしい。


 とは言え今のイオリにはどうにも出来ないのもまた事実で、どうにもむしゃくしゃする。


「ああ……随分とむかつく野郎だ。あんなのに舐められたままじゃ終われねえ」


「では引き続き、魔法の練習と行きましょう。このペースであれば、或いはトルナスに追いつくこともできるかもしれません」


 淡々と、露骨なお世辞を口にするナナリーゼに、イオリは「そりゃどうも、嘘でも嬉しいぜ」とおざなりに返し、練習に戻ったのだった。


「……嘘、ならどれほど良かったか」


 少しして、魔法の練習を再会したイオリの背中を遠目に、彼女は一人そう呟いた。その胸中は決して、見た目通り穏やかと言うわけにはいかなかった。


 この数日間、イオリの魔法を見続けたナナリーゼは、何度も心の中でこう呟いた。


 早すぎる、と。


 早すぎる。何もかも。魔力の操作も、魔素との結合も、魔法の使用も。そこに至るまでの過程が余りに早すぎる。


 ナナリーゼが知る限り、ここまで早い魔法の習得例は他にない。


 初めて第一階梯魔法を使えるようになるまでには、一般的に三十日はかかると言われている。


 天才と呼ばれたナナリーゼですらその半分かかったのだ。イオリのこの早さは異常と言って良い。


 トルナスもまさか、これほどまでに早い速度でイオリが成長しているとは夢にも思っていなかっただろう。


 この時イオリは、一つ大きな誤解をしていた。ナナリーゼはイオリに魔法を教えないのではない。教えることができないのだ。何もかもが規格外すぎて。


 もちろん、ナナリーゼとイオリでは初めて魔法に触れた時期も、年齢も状況も全く異なっている。本来はもっと幼い頃から練習を始めるものだし、そういう意味ではイオリの方が有利だろう。


 しかし、だとしても今のイオリの成長速度はナナリーゼの想定を遥かに上回っていた。果たして本当に、これが初めて魔法に触れた年齢の差程度で埋められるというのだろうか。


「それに、威力だって……あれが魔法球グレイア? 冗談でしょう?」


 抉れた丘を見て戦慄する。そこに刻まれた爆発痕は、明らかに第一階梯のそれを逸脱していた。そもそも、第一階梯魔法は己の魔力を魔素と結合させ、その場に現象を生成するだけの魔法だ。


 それを投げてぶつけることはできても、その一撃によって何かを破壊することなど到底出来はしない……はずだった。


 しかしイオリの魔法球グレイアはどうだ。その一発で目標の鎧を破壊し、丘を抉っている。そんな芸当が出来るのは本来、第三階梯魔法からだと言うのに。


「ぐああーッ! また外れた!!」


 大声をあげてのたうちまわるイオリの姿に、ナナリーゼは戦慄する。自分は大きな思い違いをしていたのではないか、と。目の前にいるのは、魔法すらろくに使えない常識知らずの魔人などでは決してなく。


 文字通り常軌を逸した力を有する、歴史に名を残すような人物なのではないか、と。


 そんなナナリーゼの考えを知る由もないままに、あっという間に日々は過ぎ去った。そして、イオリがアルドラークへ入学する日がやってきたのだった。

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