ベンダーの工房
弘樹がこの世界で体を間借りしているロキは戦災孤児。12歳で孤児院から出ると住み込みの仕事をいくつか転々とし、15歳で傭兵になった。
以来、傭兵の寄宿舎を住居としている。寄宿舎は訓練所の程近くにあった。弘樹がこの世界に転移してからは訓練所と病院、寄宿舎の往復の生活をしていたのだが、今回初めて遠出をした。
その工房は、寄宿舎から徒歩で1時間程度の山間にある。
いつもならこの距離の移動は訓練として甲冑を着ているのだが、今日は平服だ。あまりに体が軽くてふわふわする感じがする。
(楽すぎる。この軽さに慣れるとマズいな・・・)
弘樹は練習中毒者のような感想を持った。
しかし、今日は甲冑を着るわけにはいかない。なぜなら仕事を紹介されて来ているのだから。
「おう、アンタが噂の!」
40台半ばぐらいに見えるガッシリとした体格の工房長が出迎えてくれた。
昨日の訓練で、訓練所共用の木剣を5本折り、木人まで両断してしまった弘樹は弁償を申し出た。しかし、正規の使用方法での破損なので弁償させる規約は無い。ただ、今後も同様に壊されては困るとのことで『いっそのこと自分の訓練用具は自分で作れるようになれ』と、この工房での仕事を紹介されたのだ。これはウォール隊長の図らいだった。
「オレが、ここの工房長をやってるベンダーだ。元王立軍で、かつてはウォールの上司だったこともある。まぁ、あっという間に抜かれたけどな。とりあえず、よろしく!」
そう言って右手を差し出した。
「ロキ・ターキーです」
弘樹は握手に応じつつ自己紹介をする。この世界での名前にも随分慣れてきた。
「すげー手だな。若いのに岩みたいだ」
ベンダーが弘樹の手に感心する。弘樹が本格的に鍛え始めてまだ3週間程度だが、この世界の人間はトレーニング効果が出やすい。正確に言えが回復力が強い。だから、『常軌を逸したトレーニングをすれば』という条件付きで短期間でトレーニング効果を出すことが可能なようだ。
地球では練習のしすぎで膝やアキレス腱を故障し続けた弘樹には、非常にやりやすい条件と言える。
「ありがとうございます」
「しかし・・・そうだな。一つ、腕前を見せてもらっていいか?」
ベンダーは何か気になることがあるようで、弘樹を工房の裏に案内した。
「凄い!」
庭に出て弘樹は感嘆の声を上げる。
そこは軍の訓練所と引けを取らない設備があったからだ。
「当たり前だろ。あそこの備品は全部ウチで作ってるんだ。商品試験の為だよ。ほれ」
そういって、ベンダーは一つの木剣を差し出した。
いや、剣のサイズではあるが剣ではない。ただの棒に鍔をつけ、握り部に布を巻いただけのものだった。
「オレとウォールの訓練用に作ったものだ。若干重いが訓練所のヤツより丈夫な木材を使用している。そして刀身を加工していないから折れにくい。だから、思いっきり来い」
ベンダーも同じ木剣を持っている。
そして構えた。
練習試合ということらしい。
この世界の軍人の試合は、ロキの記憶からなんとなく分かる。
防具を付けない場合は寸止め。防具を付ける場合は、防具装着部には直接打撃をしてもいい。
有効打があった時点で一旦試合を止め、何本勝負かは事前の取り決めだが、だいたい1本か3本だ。
今回はお互いに防具を付けていないので寸止めだろう。
「分かりました」
弘樹は構えた。突然で心の準備は出来ていないが、断るような話ではないと判断したからだ。
「荒々しい構えだな。すげー威圧感だ」
ベンダーは笑みを浮かべつつも茶化してはいない。眼は真剣だ。
「開始の合図は?」
「もう始まっている」
「行きます!」
弘樹は大きく息を吸った。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!」
ベンダーはウォールの上官だったという実績、何よりも分厚い体格を見ても格上なのは明らか。
しかし、考えてもしょうがない。自分に出来ることは一つしかないのだから。
「だぁあああ!」
駆け込んでの上段の一撃。
「すっげーーーー!」
ベンダーは剣で受け止めた。
これは想定済み。
「だ!だ!だ!」
3連激。これもベンダーは全て受け止める。
「うぅっ」
打ち終わりを狙われ、弘樹は腹部に蹴りを食らった。
リズムを読まれたのだ。
弘樹は後ろに転げるように受け身を取り、一旦距離を置いた。
「ひょっとして、オレを心配してるか?大丈夫だぞ。遠慮するな」
ベンダーは言った。
これも完全に読まれている。示現流の一撃は受けた刀ごと相手の頭部にめり込むような性質のものだ。
だから試合では加減が難しい。相手が受け損なえば怪我をさせる可能性があるからだ。
しかし、ベンダーにその遠慮は無用なようだ。
「いぃぃぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ならば全力だ。元王立軍の隊長クラスに自分の剣がどこまで通用するか試してやる。
「来い!噂の三千連撃見せて見ろ!」
弘樹の気合にベンダーの顔から笑みが消えた。
「だだだだ!だだだだ!」
回転数を上げる。
ベンダーは全て受け止める。
「だだだだ!だ!だ!だ!だだだだだだだだ!だ!だ!だだだ!」
高回転の打ち込みの中に強打を混ぜる。
しかし、ベンダーは全て受け止める。
(これを受けるか!)
弘樹は打ちながらも驚いた。強い打ち込みは受け止める方が握力を使う。弘樹は自分の打ち込みを自分で受け止める自信が無かった。
(ならば!)
「だぁ!だぁ!だぁ!だぁ!だぁ!」
弘樹はある仮説のもと、強打のみの連撃に切り替えた。
やはりベンダーは全て受け止める。いや、これは受け止められている感覚ではない。
(やはり!)
ベンダーは受けているのでは無い。打ち返している。一撃一撃完璧に剣で剣を打っている。
即ち、リズム、速度、強度全て読まれている。
ということは・・・
(まずい!)
そう思った刹那、渾身の一激がかわされた。
強打はリズムを読まれたら隙も大きい。ベンダーは今まであえて受けていたが、かわそうと思えばいつでもかわせたのだろう。
弘樹は勢い余って大きく体制を崩す。
すかさずベンダーは弘樹の背後を取った。
そして、首に剣を当てられる。
「参りました」
弘樹は降参する。
「いや、大したもんだ」
ベンダーは笑顔に戻って弘樹の肩をたたいた。
「でも、全て読まれてましたね」
弘樹は褒められた気がしなかった。というよりあまりの完敗に落ち込んでいる。
「オレはそれが得意だからな。何、今の腕前でも、お前にかなうヤツは軍にも数えるほどしかいないよ。大した力だ。たいていの技はそれでねじ伏せられる」
お世辞ではないだろう。まだ会って1時間も立っていないが、剣を交わして話せば人となりはなんとなく分かる。
しかし弘樹の気は晴れない。完敗なのには変わりはない。そして、どう対策するかの糸口も掴めない。
兎に角全て読まれた。動きが分かりやすいのか?フォームを変えるべきか?読まれないようにリズムを変えるべきか?フェイントを使うか?
「褒められても納得しないって顔だな」
ベンダーが言った。弘樹は無言で頷いた。声を発することが出来なかったのだ。
(あれ、なんでオレ泣きそうなんだろう)
弘樹は自分でも不思議だった。異世界でとりあえず生き残る為に始めた剣術なのに、なんでこんなに悔しいんだろう。よく分からないが、とにかく悔しい。
ベンダーは弘樹の頭にポンと手を置いた。
「でもな、小技に走るなよ。当てに行く為のフォームだフェイントだはお前の良さを潰す」
短期間で相手を理解したのはベンダーも一緒だったようだ。
「じゃあどうしたら!」
弘樹は言葉を絞り出した。
ベンダーは即座に答えた。
「お前は体力は凄いが、まだそれを使いこなしていない。今日から毎日枝打ちをやれ」