鈴の音の連激
人体を移動させる手段は主に3つ。
1つは筋力。膝や足首の曲げ伸ばしを直接の動力とする。
2つ目は重心移動。体が倒れる力を動力とする。この際の筋力は、倒したい方向に重心を崩す為に利用する。
3つ目は腱。ゴムのような働きをする腱の反発を利用して、弾むように移動する。この際の筋力は弾みやすい体勢を作る為に利用する。
これらは全て出来なければいけないのだが、上下動が少なく、音の小さい動きがしやすいのは2番目の重心移動だ。
だから弘樹はまず、この方法での走り込みをした。
腿上げや腕振りによって自身の重心を前に崩すことにより、前へ倒れる力を推進力にする。
この際に自分の体重と同様に、甲冑の重さも推進力に利用出来るはずだ。
甲冑は動きを妨げる重りでは無い。動かしたい方向に導けば動力にもなる。そう発想を改めた。
その為には、身に付けている甲冑のパーツパーツの重さと形、今動いている方向を常にイメージする必要がある。
これは今までリュックを背負ったトレイルランニングや、吸水用のボトルを手に持ったランニング等で、ある程度経験はある。その応用として考えればいい。
しかし、意識する個所が、頭、胴体部、肩、小手、脛当と複数個所あるのでいきなりは難しい。
そこで、最初は胸当てだけ着ける、次いで胸当て脛当、最後にフル装備という形で順を追って練習をしていった。
練習を進めるに当たって、一番困難だったのは、陸上の走り方をある程度捨てる必要があることだった。
鎧には鎧の可動域があるし、独特の重心がある。なので、人体が一番効率よく動けるフォームと、鎧を着て効率よく動くフォームにはある程度の差異があったのだ。
だから、腕振り一つにしても、鎧の特性に合わせた角度で腕を振るようにフォームを作り替えなければいけない。
「鎧を付けても支障の無い動きが出来るように練習する」という観点では頭打ちになる。「鎧に合わせて動きを作り変える」という発想が必要だったのだ。
だが、この発見が出来てからは目覚ましい進歩が見られた。
この走り込みを初めてから2週間。弘樹は平坦な道だけでなく、アップダウンのある不整地でも甲冑着用のままスムーズに、そして1時間以上は楽に走ることが出来るようになった。
並行して続けている剣の打ち込みにも効果が現れて来た。鎧を使いこなすにつれて、打ち込みのキレが増しているのが自分でも分かる。何より疲労感が減った。
(これなら、そろそろアレが出来そうだ)
弘樹は、ある目的を持って訓練場に向かった。
すると前方に見知った人影があった。
「看護師さん」
弘樹が声をかける。目覚めた時に最初に応対してくれた人だ。
彼女にはその後の通院でも何度か世話になっている。名前は・・・確か『ニカ』だったような気がするが、うろ覚えなのと、名前呼びするほど親しい自信が無いので、こんな呼び方をした。
「うわっビックリした!」
彼女は派手に驚いて振り返った。
「ロキさん、全然足音しないから、いるの気付きませんでした。。」
不思議そうな顔をする弘樹に対して彼女は説明する。
「こいつ存在感無いですからね。というか、お前!人に近付く時は足音立ててあるくのがマナーだぞ」
近くにいたレイドックが口を挟んだ。
「それは、すみませんでした」
弘樹はレイドックではなく、彼女に謝った。
「いえ、大丈夫です。いつからいたんですか?」
「今来た所です」
「へぇー」
そう言いながら彼女は弘樹の格好を見た。
「本当に気付かなかった。。疲れてるのかな」
そう言って額の汗を拭う。手には木剣を持っていた。
「剣術やるんですか?」
「はい。私、一応王立軍所属なんです。衛生班として。前線には出ませんが、護身程度は出来た方がいいから、時々訓練してます」
「すごい!」
弘樹は素直に感心した。
「休憩しましょう。確かに疲労が出る頃です」
レイドックが露骨に面白くなさそうな顔をして、口を挟む。
「それに、彼の剣は『独特』なので、ニカさんはあまり見ない方がいいです。せっかく綺麗なフォームが崩れるといけない」
レイドックが彼女を連れて行く。
(やっぱり名前はニカで良かったのか)
弘樹はそんなことを考えながら彼女に会釈だけすると、自分の訓練に気持ちを切り替えた。
いつものように木人から少し距離を置いて立つ。
そして構える。
軽く目を閉じ、体に装着した甲冑の重さと型を意識した。
「はっ!」
いつもなら猿叫の気合いを入れるのだが、今回は確認したいことがあり、息を吐いてスタートを切る。
シャン!
甲冑が鈴の音のような音を立てた。
スタートダッシュの際はどうしても音がする。しかし、各パーツが協調して動けばこのような音になる。
シャン!
次に音がしたのは、木人まで到達し剣を振り下ろす瞬間。
逆に言えば、それ以外は無音だった。
(よし!)
弘樹は再度木人から距離を取りながら、今の感触を確認していた。
そして再び構える。
「いやあぁぁぁぁぁぁ!」
今度は猿叫と共に駆け寄った。
「だっあっだっあっ!」
と4連激。
「だーあっだっ!だ!」
少しリズムを変えて4連激。
「だっあっあっあ、だっだっだっだ!」
続けて8連激。
連打の回転を上げる場合は、濁音を入れた方が発声しやすいので、掛け声は自分なりに工夫した。
この4、4、8のリズムで10セットほど打ち込む。
これは長距離走のテクニックだ。ある程度ピッチを上げる場合は、『1、2、1、2』でリズムを取るよりも、このようにまとめたリズムの方が取りやすい。
この後も弘樹は3拍子や8ビートのドラムを意識したリズム、知っている和太鼓のフレーズと定期的にリズムを変化させながら打ち込みを続けた。
バキッ。
打ち込みが千回に届くかという頃、木剣が折れた。
しばらく呆然とした弘樹は、思いたって用具室に向かう。
「買い取るので使わせてください」
そう係員に断って一抱えの木剣を持ち出した。
全身から滝のような汗をかき、大量の木剣を抱えた弘樹の異様さに、係員は無言で頷いた。
「まだ続ける気か?!」
戻って来た弘樹に周りがざわつく。
気が付けば誰も訓練をしていない。
そんな周りを一切気にせず弘樹は打ち込みを再開した。
バキッ。
再び木剣が折れる。今度は弘樹は動じることなく、足元に並べた別の剣と交換して続けた。
打っては折れ、折れては交換してまた打つ。
次第に折れるまでの回数が短くなる。
打ち込みに鋭さが増して来たのだ。
「だぁ!だぁ!だぁ!だぁ!だぁ!だぁ!だぁ!」
様々なリズムで放たれていた連激に変化があった。
リズムの変化が無くなり、一撃一撃が渾身の力を込めて放たれるようになる。
そして、強さを増していく。
それは、永遠に続くとも思われたこの連激が、終わりに向かっていることを、見る者に予感させた。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
弘樹は最後の一撃を打ち込む。
シャーーーンと、一際澄んだ鈴の音が響き渡った。
「凄い・・・」
ニカは呟いた。
レイドックは見るなというが、こんなの見ないわけにはいかない。
木人は真っ二つに両断されていた。
「大丈夫ですか!」
足元がフラついた弘樹にニカが駆け寄った。
「あ・・・ありがとうございます・・」
少し虚ろな目で弘樹はお礼を言う。そして、半分独り言のように呟いた。
「まだまだですね。ウォール隊長は一刀で両断したのに、3200回もかかってしまった。。。」
示現流の基本稽古の1つである三千回の打ち込み。そしてウォールがやって見せた木剣による的の両断。この日、弘樹は二つの目標を達成した。