煩い
レイドックは豪商の四男にして王立軍の正規軍、そして嫌なヤツだ。
商家に貢献する才も無く、素行にも問題があるので金で正規軍の地位を買い、厄介払いされたと専らの噂がある。
おそらく、その噂は概ね当たっているのだろうと、第三者視点でロキの記憶を覗いた弘樹も思った。
ロキは何度か同じ隊で出動したことがある。ロキの傭兵としての実力は、贔屓目に見ても中の下。レイドックは中の中。
他にも傭兵と正規軍、孤児と豪商の家系、ロキより一歳年長と、見下しやすい条件が揃っており、ロキは彼の自尊心を満たす為の手頃な対象として目されていたようだ。
今日も訓練場の周回をランニングしていると、レイドックが絡んで来た。
「どうした?何かやらかしたのか?」
レイドックは弘樹の格好を見て言った。弘樹は甲冑を着て走っている。軍では何か失態があった場合の罰として甲冑を着てのランニングが定番なようだ。
「いや、好きでやってる。鍛えたいから」
弘樹は面倒そうに答える。レイドックはそれが気に入らない。
「また変なことして、上官の目でも引く気か?姑息なヤロウだ」
レイドックは弘樹の後頭部を小突いた。
軽くではあるが、甲冑を着て走っている最中なので、弘樹はバランスを崩してよろけた。
「危ねえな」
弘樹は睨み返す。
「お前がトロいからだろ。違うか?何か文句でもあるのか?」
弘樹は再度睨んでから、視線を前方に戻した。
こんなヤツの相手よりランニングに集中したい。
「どうした?何か文句でもあるのか?」
しつこい。こんな絡みをするために並走してランニングしてるんだから、随分暇なヤツだ。
「無い。アンタに言っても無駄だからな。だから、傭兵管理部門に苦情を入れる。『正規軍の兵士から暴力を振るわれ訓練の妨害をされている』ってな」
「はぁ?」
レイドックは真っ赤になった。
「この程度で暴力だと?ただのコミニュケーションだろ!これが暴力なんて言う軟弱野郎は傭兵なんて辞めちまえ」
弘樹はため息をついた。
「だから、アンタに話すことは無いって。その理屈は傭兵管理部門の担当者に言ってくれ」
「いや、だから!」
「別にいいだろ。よほど普段の素行が悪いんでもなければ、口頭注意されるぐらいだ」
これはレイドックの素行が悪いことを知った上で、すっとぼけた。
「突然どうした?ただの冗談だろ。そんなに本気にするなよ。力抜けよ」
レイドックは目に見えて態度を変え、懐柔にかかった。この辺が引き時だろう。
「オレは訓練の邪魔されたくないだけなんだ。放っておいてくれれば、それでいい」
「そうか。そんなに真剣にやってると思わなくてな。つい、いつものようにふざけたんだ。悪かったな。がんばれよ。でも、適度にふざけて気を抜くのも大事たぞ。お前、最近様子がおかしいから心配なんだ。じゃあな」
レイドックは、立て続けに自己弁護を並べて去って行った。
(まったく、頭悪いな。この程度のことを、管理部門がまともに対応するわけないだろ。。)
弘樹は思った。この世界の知識は少ない自分ですら、今までの人生経験から、それぐらいは分かるのに。
(まぁ、でも、ある意味感謝してるよ。ヤツのおかげで目標が出来たから)
ーー3日前ーー
弘樹が訓練場で木人相手に撃ち込みをしていると、レイドックに絡まれた。
「おいロッキー、煩いんだよ。しかも、やたらめったら振り回して目障りだ。オレはいけど周りが迷惑だ。新人に下手が伝染る」
レイドックは、周りに聞こえるように言う。
「悪かったな。そろそろ帰るよ」
弘樹は帰り支度を始めようとした。どうしても人目を引く鍛練になるので、なるべく人の少ない早朝に来ているのだが、この日は興が乗って昼近くになってしまった。気が付けば、周りに随分人が増えている。
「まぁ待て。教えてやるよ。王立軍剣術の基本の型を」
「はっ?」
何を言い出すのかと一瞬思ったが、弘樹は周りを見て理解した。
近くで王立正規軍で最強と噂される二番隊の隊長が訓練をしている。彼は自身の強さもさることながら、誰にでも分け隔てない人格者として定評がある。
レイドックは新人や傭兵の教育をしている素振りで、隊長にアピールしたいのだろう。
「お前のやってる上段、全然基本と違うんだよ。基本は大事だ。ちょっと素振りしてみろ」
面倒だが無駄ないざこざも起こしたくないので、弘樹は一端従った。
「なんだよ、それ。ガキの喧嘩じゃないんだから。いいか、肘の位置はこうだ。背筋はもっと伸ばして。剣の角度はこうだ」
弘樹は言われるがままに従う。
「そうだ。だいぶ良くなった。それで撃ってみろ」
言われるがまま木人を撃つ。
「うん、それだ。さっきまでと全然違うだろ」
答えに悩んだ。正直しっくりは来ない。いいものであれば取り入れるつもりだったが・・・
「正直、よく分からない」
弘樹は素直に言った。今までの経験上、こういう説明をする人にフォームを矯正されて上手く行った試しがない。この場だけ彼を立ててやってもいいが、陸上競技者にとってフォームは聖域だ。あまり妥協したくはない。
「はっ、初心者の内はそうかもな。でも、それで我流に走らず基本を徹底するんだ。いずれ分かる」
「1つ質問していいか?」
弘樹は食い気味に確認する。
「言われた肘の角度だと上腕三頭筋が使いにくい。これはどの筋肉を使えばいいんだ?またこの背筋の伸ばし方だと、背骨の生理的湾曲を阻害するから、体幹の強度が落ちる。腹圧もかけにくい。これはどういう意図があるんだ?」
嫌味な言い方だと自覚しているが、これは自衛の為だ。この程度を答えられないヤツにはフォームをいじられたくはない。
「お前!王立軍の基本に文句があるのか!」
「文句じゃない。質問をしている。型の意図を知りたいだけだ」
「それを文句って言うんだよ!ゴチャゴチャ言わずに言われた通りやれよ!」
やはりレイドックの理解はその程度だった。
「意図はあるぞ」
意外な所から声がかかった。二番隊隊長のウォールだ。
「ウォール隊長!お疲れ様です!」
レイドックが畏まるのをウォールは手で制した。訓練場では礼儀は最低限でいいというのが彼のスタンスだからだ。
「それを教えてもいいが、その前に聞きたい。君はかなり変わった訓練をしているようだが、その意図はあるのかな?」
「そうだ!お前こそ意図はあるのか!」
レイドックが乗っかるのをウォールは目で制し、回答を促した。
「凡人の剣を、70点を極めようと思っています」
弘樹は端的に答えた。
「ほう。面白い発想だな。もう少し詳しくいいか?」
ウォールは弘樹の一言で粗方察したようだ。その上で興味を示したようなので、弘樹は素直に話すことにした。
「はい。私のような凡人が戦場で、ましてや魔獣を相手にしての緊張感の中で出せる技はこれぐらいかと。彼には子供の喧嘩と言われましたが、その通りです。習った技を全て忘れるような恐怖と緊張感の中で、最後に残る子供の喧嘩の部分に絞って鍛えようとしています」
「理に叶ってるな」
ウォールは顎に手を当てて頷く。
「ありがとうございます。もちろん他の剣術を否定するつもりはありません。凡人が、いえ、『私が』実戦で使えない技を全て捨てることで、使える技の磨きをかけたいと」
「それが70点を極めるか。うん。恐ろしいほど合理的だ。若いのにそこまで自分を客観視出来るのは、たいしたもんだ。君はそれでいい。今まで通り訓練しなさい」
ウォールは周りに聞こえるように断言した。自然に周りには人が集まっていたからだ。彼が何かを教えてくれそうな時はいつもこうなる。
「ありがとうございます」
弘樹は深々と頭を下げた。
「しかし、彼の忠告にも一理あるぞ」
ウォールはレイドックを視線を示して言った。
レイドックの表情がパッと明るくなる。
「君は煩い。少し見てなさい」
そう言って彼は、今いる位置から一番遠くの木人に向かって構えた。
「こんな感じかな」
そうつぶやくと、弘樹と同じ蜻蛉の構をとる。
自然と人の輪が切れ、木人までの道筋が出来た。
「やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
地鳴りのような掛け声てともに木人に駆け寄り、上段から一撃を入れる。
「嘘だろ。。」
木人が一刀で両断された。
しかも木剣で。
薄々感じていたことだが、弘樹はこれで確信した。
この世界の人間は基礎体力が強い。おそらく地球人の倍程度までは鍛えられるのではないか?
そんな発見に震えている弘樹に対して、ウォールはまったく違う観点の話をする。
「君は鎧の音が煩いんだ。余計な上下動と体幹のブレがある。何より鎧を使いこなしてない。そこが改善されれば、もっと良くなる」
他が凄すぎて言われなければ気付かなかったが、確かにウォールは鎧の音がしなかった。
「ありがとうございます!」
頭を下げつつ弘樹の頭はトレーニング計画を目まぐるしく立てていた。
(上下動、体幹のブレ、得意分野だよ。鎧に慣れさえすりゃいいんだ。やってやる!しかし、それならば撃ち込みだけじゃ駄目だな。。。)
その日から弘樹は、甲冑着用のランニングを始めたのだった。