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私はおいしいスパゲッティの作り方を知らない

作者: 油脂ナッツ

何よりつらいのは、私から君が消えること

今日の夕食はスパゲッティだ。ここ最近は毎日のようにスパゲッティを食べている。別に好物というわけではないのだけれど、そうでもしなければ台所がスパゲッティに占有された状態から抜け出せない。理由は簡単で、麺の買いすぎ。こんなの一人じゃ食べきれないよ。

 今日のスパゲッティはただ茹でただけの麺にオリーブオイルをかけたもの。あとサラダと牛乳で私の夕食は完成する。なんとも味気ない食事だけれど、こんなもので十分なのだ。






 小食なのが災いして、まだまだ麺は大量に残ったまま。今度は趣向を少し凝らして、レトルトのスパゲッティソースをかけてみる。食べ始めてから数分後、早くもギブアップ。

 問題だったのは他でもなく味だった。まずくなんかない、ないのだけれど……最近味の薄いものばかり食べていたせいか、舌が濃い味を全然受け付けない。捨てるのももったいなく感じたので、何とかする方法を数分かけてひねり出した。

 水で薄めればいいのだ。なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう、とため息をついた。図らずもスープパスタのようになってしまった今日の夕食を眺めていると、なぜかわからないけど涙が出てきた。

 あとレトルトのスパゲッティソースは二人前用の量だった。それじゃあ味が濃くなるはずだ。自分が用意した麵の量はソースの袋に記載されていた量を大幅に下回っており、そもそも前提として間違えていたのだから。






 

 実は私は家庭菜園をしている。ベランダに植木鉢が二つ立ち並んでいて、片方が私のだ。生えている植物はどちらもバジルである。葉っぱを調味料代わりに使うそうだが、このところ一枚もむしっていない。何せ今この家にはろくに料理をしない私一人しかいないもだから、どちらの植木鉢のバジルも元気いっぱいに生い茂っている。

 植木鉢の高さと合わせると膝まで届きそうな大きさのそれに水をやりながら、私は昔のことを思い出す。一度に葉っぱをむしりすぎて枯れる寸前までいったこともあったし、ふと葉っぱの裏をのぞき込んだら小さな虫がびっしりついていたこととか割とトラウマだ。

 最初はどうにも受け付けなかったバジル特有のにおいも、今となっては慣れたものだ。自分が一番驚いているのだけれど、今では安らぎすらバジルに感じる。いつかの日々を思い出すから、だろうか。







 今日も食卓に並んでいるのはスパゲッティだ。いっそ小麦アレルギーになってしまえば、残っているスパゲッティすべてを捨てる覚悟を持てるだろうか。とはいえ故意にアレルギーになるための方法とか知らないし、食べ物を粗末にするのはよくない。よくないのだ。それがどれだけ楽になれる道でなっても、それだけは。

 生きるということは、食べるということ。食べるということは、生きていくこと。食品や食事を粗末にするのは、生き方を粗末にしていることと同じなのだ。もうとっくにまともな食事もとってないだろうって?失礼だなあ、炭水化物、タンパク質、ビタミンは大体どの食事にも欠かしていないんだから。ただ、主食が変わらずスパゲッティなだけだもの。

 そこがまともじゃないと言われたら、どうしようもないのだけれど。言っておくけど、君のせいだからね。わかってると思うけど。







 レシピは用意した。必要な材料、調味料はそろっている。今日は自前でスパゲッティソースを作ってみようと思う。君が一番作ってくれた、トマトソースのスパゲッティ。無謀だろうか、いや無謀であってほしかった。案外自分でもできそうだと思えるものがインターネットには転がっているもので、あれよあれよという間に準備だけは万全になっていた。

 あとは心意気だけであるが、これが一向にまとまらない。穴の開いた器に水を注ぐように私の意思がこぼれてしまう。一言で言うなら——怖いのだ。怖い。まともに台所に立つのが、どうしても。

——私は君との思い出をなぞることにおびえている。実を言うのなら、まともに日々を過ごすことすら苦痛だ。

 君のいない食卓が。君のいない日々が。君のいないこの部屋が。君との思い出にあふれた場所すべてが、目をつぶさんばかりのかがやきが、重石となって私をつぶそうとしてくる。

それはもう手に入りはしないのだと私の理性は告げていて、それでもあるかもしれなかった未来を夢見ずにはいられないのがバカな私だ。

ありえなかった未来は今の私にはまぶしすぎて、まともに直視なんてできやしないのだ。なのに、今だそんなバカげた妄想から目をそらすことができないのだ。

切り捨てられたのならどれだけ楽だったろう。過去のものだと断じられたのならどれほど救われただろう。けど無理だ。無理なものは何をどうしても無理。


————だって、あんなに楽しかったんだから。


 ————————それは、とても美しい日常だったから。


 ————————————きっと、奇跡のような日々だったから。


 少しずつでも料理の手は進んでいく。調理の順序を間違えては一時停止し、君との思い出をなぞっては振り払いながら。時間の感覚はとうになくなっていた。空腹のせいか、それとも極度の集中がそうさせるのか。


 孤軍奮闘と紆余曲折の末、完成にまでどうにかこぎつけた。やり遂げたこと自体には万雷の拍手を自分に送りたい。しかしながら、胸の内から湧き上がってくるこの感情は、達成感というよりよりも反省の色がにじみ出たものだろう。

 まずスパゲッティの湯で時間を間違えた。はっきり言ってゆですぎだ。キッチンタイマーを使うことが頭から抜けていた。君がいたときは一度もそんなことはなかったのに。

 次に、焦げが多すぎる。玉ねぎは熱が通る前に表面が焦げ始めていた。あそっか、油をフライパンに敷いていなかったんだ。失敗失敗、次は気を付けよう。

 あと、味が濃すぎる。君が入れてた隠し味。それが何なのか君は最後まで教えてくれなくて、今ある調味料のうちのどれかがそれであれ、と願いながら大体全部の調味料を入れたからだ。君の味を、ほんのひと欠片でもいいから再現したかったから。今夜、君が夢の中に降りてきて教えてくれることに期待するとしよう。


 ああなんてことだろう、とてもまずい!そんな愚痴を吐きながらただ自分で消費する分には問題ないが、人にふるまえたものじゃあない一品だ。どうしようもないほどに失敗作で、吐き気がするくらいろくでもなくて————


 ————本当に、よかった。


 もしこのスパゲッティの出来が良かったとしたら、その時こそ私は嘔吐していただろう。

 君がいなくても作れたおいしいスパゲッティを、君に振る舞うことができないなんて、と涙を流していただろう。

 わかりきっていたことではある。結局のところ、何をしても悲しくなるばかり。未練の渦に呑まれるばかり。未練がましく伸ばした腕につかめるものは何もなし。

 ならば、やはり。私は、おいしいスパゲッティの作り方なんて知らなくていい。

 せめて灰色の日々を過ごそう。極彩色の思い出に魂を焼かれないように。


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