桜が散ったその後は・・・・・・
「これは、じいちゃんから聞いた話なんだけどさ・・・・・・」
その昔、その地域は大きく2つに分かれており、それぞれの集落には大きなお屋敷を構えた庄屋の家があった。
双方の集落に住んでいる住民たちは仲は良いが、なぜか昔から庄屋の家だけはお互いに犬猿の仲で、何か行事がある毎に張り合っていた。
仮に、一方の庄屋を“A”・もう片方の庄屋を“B”とする。
それぞれの家には広い庭があり、そこには大きな桜の木が立っていた。
毎年、桜が花盛りとなり見頃になると、双方の領民たちが花人となり、桜雲となった桜の木の周りを囲むようにして、盛大な観桜が行われていた。
そんなある年である。
Aの家の一人娘が大事にしていた、猫が死んだ。
娘は大変悲しみ、毎年一緒に眺めていた自分の庭にある大きな桜の木の下に、その猫のお墓を作った。
次の年。
Aの家の桜は、いつもよりも紅の少し濃い、それはそれは美しい花で満開となった。
いつも甲乙つけがたい、双方の桜。
しかしこの年は、誰の目から見ても明らかにAの家の桜の方が美しく、人々の心を奪っていった。
これが面白くなかったのがBの庄屋。
今年、初めて優劣がついてしまったことに大変ショックを受けた。
そして考えた。
来年、我が家の桜がAの桜よりも綺麗に咲き誇るには、どうしたらいいのだろうか?
と。
それ以前に、どうして今年に限って、Aの桜のほうが美しかったのか?
と。
そんなことを考えていると、ふと、使用人が話している内容が、耳に入る。
『桜のあの美しい薄紅色は、下に埋まっている死体の血の色を吸ったから』
と。
そんな中。
葉桜となった頃、Bの庄屋の領地内で、出産したばかりの若くて美しい女性が亡くなった。
Bは思った。
『Aのところでは猫の死骸だった。もしかして人間であれば、もっと美しい桜の花を咲かせることが出来るかもしれない』
と。
誰もが寝静まった真夜中。
Bは一人で昼間葬儀を終え土に還った、その女性の遺体を掘り起こし、なんと自分の家の桜の木の下に、埋め直してしまった。
そして、次の年の桜の咲く頃。
Bの家の桜は、Aの桜では到底敵うことが出来ない程の、美しくも怪しい薄紅色の花を枝いっぱいに咲かせたのである。
その美しさは人々を魅了し、他の村からも観桜をしたい、一目見たいとたくさんの人々が押し寄せてくるほどであった。
Bは思った。
『このままで、来年もまた今回のように美しく咲いてくれるのだろうか?』
と。
不安に苛まれるBの元に、ある訃報が届く。
今度は、年老いた男の葬儀が行われる・・・・・・というのだ。
Bは迷わず葬儀後の夜中に、その年老いた男を掘り起こし、昨年執り行ったようにまたその死体も桜の木の下に埋めた。
その次の年。
昨年の桜よりは少し物足りない気もするが、それでも人々を魅了する美しい桜の花が、枝いっぱいに咲き誇ったのである。
性別は関係なく、とにかく人間の死体であれば問題ないと分かった彼は、まるで取りつかれたように毎年、葉桜のころに亡くなった人間の死体を、掘り起こしては埋めるという作業を、人知れず行うようになっていった。
それから15年後。
Bの家の桜の美しさは、近隣に知れ渡ることとなった。
10年前からは毎年、この一帯を治めるお殿様にも来て頂き、観桜を堪能してもらっていた。
その度にお礼にもらった褒美は、たいそう豪華絢爛なもので、彼はどんどん豊かになっていった。
もう、Aなど相手ではなかった。
お城のお殿様に、お墨付きをもらったBは有頂天になった。
Aのところにはまだ孫はできないが、自分の所には花見真っ盛りの頃、可愛い孫もできている。
何もかもが、順風満帆であった。
そして又、葉桜の時期がやってくる。
ここで、急に雲行きが怪しくなった。
この時期毎年あった葬式が、今年は待てども待てども全くない=死体がないのだ。
葉桜が瑞々しい葉を付け、そして散っていくのをBはイライラしながら見送っていた。
『このままでは、来年の桜は・・・・・・』
そう思うと、気が気ではなかった。
そして次第に病んでいく。
そんな中、ふと思い出したのだ。
16年前、出産直後に亡くなった若い女性の死体を、埋めた時のことを。
その次の年には、生まれてこの方見たこともないような、それはそれは美しい桜の花が、枝いっぱいに咲き誇ったあの時を。
「何処かに・・・・・・。何処かに、あの時と同じように、出産間もない女性の死体があれば。あの桜をお殿様に見せれば、もっと有名になるに違いない」
そう思った瞬間。
「ああ。儂の家に居るじゃないか・・・・・・」
そういうと、彼はニタリ・・・・・・と笑い、ある部屋へと足を運ぶ。
その部屋には、生まれたばかりの赤子とその母親が、スヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
一人息子は城下町へ商いに行き、明日でなければ戻らない。
条件の見合った死体を手に入れるのは、今しかない!
「嫁とは、嫁ぎ先に尽くすものだろう?」
そう考えたBは、躊躇なく安らかな顔で深い眠りについている嫁の心臓めがけて、包丁を振り下ろした。
もう少しで母親の胸に刃先がたどり着く・・・・・・その時である。
スパーーーーーーン!!
障子戸が勢いよく開かれたかと思うと。
突然、
グォォォォーーーーーーという激しい轟音と共に、Bの視界は奪われた。
すると。
突然どころからともなく、低い女性の声が聞こえてきた。
『ワタシノムスメニ、テヲダスノハユルサナイ! ユルサナイ! ユルサナイ!』
部屋中に響くその声と同時に、大量の桜吹雪が辺り一面を覆いつくす。
「グッ、クルシイ・・・・・・・」
その瞬間、まるで花嵐が起こったかのように、その大量の桜の花びらが竜巻状に渦巻いたかと思うと、Bめがけて飛んでいき、一瞬にして彼の身体すべてを覆いつくした。
・・・・・・と共にそれは、真っ黒くてもモゾモゾとうごめくものの集団へ、と変化する。
「だ、だずけで・・・・・・」
彼が助けを呼ぼうとするも、その黒いものは瞬時に口の中までもまるで彼から湧き出るが如く、覆いつくした。
そして朝。
「キャーーーーーーーー! お父様ーーーーーーー!」
嫁の悲鳴に驚いた屋敷の従業員たちが皆、声のするほうへと急ぎ足でやってくる。
「な・・・・・・」
「・・・・・・」
そこには・・・・・・。
そこには、とんでもない光景が出来上がっていた。
そこにはBがいた。
桜の木の下で、だらしなく手足を放り出したような状態で座っているBが。
ただし。
ミイラのように全身の水分が無くなってしまったかのようなカラカラスカスカの見た目に、両眼には瞳は無く空洞となった姿で、そのままこと切れていたという。
「・・・・・・で、お終い。花見している今、ちょうどいい話だと思ってさ!」
「キャーーー! 怖い~」
「ひどいよ!今、夜なのに~~」
「私、一人暮らしなのにーーーーーーー」
3人いる女の子たちは、両手で耳をふさいだり、うっつぷしたりと皆大騒ぎだ。
3人ともに、涙目・・・・・・というか、一人は完全に泣いている。
俺は今、高校の時に仲の良かった6人組で、近所の公園に来ている。
満開の桜の下で、コンビニで買い込んだ大量のお惣菜に飲み物、そしてお菓子を敷物の中心に広げ、花の宴を行っていのだ。
この春全員が、学部は違うが同じ大学に、無事“桜咲く”となった。
今話をしていたのは、高校3年間同じクラスの腐れ縁となった、大地のやつだ。
見た目はチャラいのだが、今どきの流行が好きと言っても、怪談やら都市伝説が大好きなホラーオタクというやつで、時々怖い話をしては女の子たちを脅かして楽しんでいる。
普段の低い声が、何とも言えない裏声に変わり、
「キャーーーーーーーー! お父様ーーーーーーー!」
と、大声で叫んだ瞬間、女の子が皆ビクリ!!と体を浮かせたのが意外だった。
俺はその気色悪い叫びで、一気に酔いが冷めたんだが。
女の子たちはよほど怖かったのかすっかり怯え、
「今日は柚希ちゃん家で、3人でお泊り会しよう!」
「そしたら怖いくないよね?」
「3人でいれば大丈夫だよ!」
「ありがとう、蘭良ちゃん、愛花ちゃん」
そう言うな否や、彼女たちは空になった缶やごみを集め、テキパキと跡片づけを始めると。
「じゃあ、帰るね~」
「さようなら!」
「時と場所考えろよ! バーカバーカ!!」
それぞれが声を震わせながらそう言うと、3人身を寄せ合ってくっつきながら、足早にスタスタと帰っていった。
「ちぇっ! つまんねー奴ら」
「お前がデリカシーなさすぎなんだろうが!!」
拓登は大地の地毛である茶髪をガシャガシャと乱暴に掻きまわした。
「仕方ねーな。勇樹の所で、飲みなおそうぜ?」
「え? 俺ん家?」
「だってお前、今一軒家に一人暮らしじゃん?しかもお前んとこの庭、ご自慢の大きな桜の木があるじゃん?ここもこんなに咲いてんなら、お前ん家も満開なんだろう?」
「まあ、今年も綺麗に咲いているかなあ~?」
そう。
俺は今年に入って、一軒家に一人暮らしをしている。
というのも、姉が出産のために年末から実家にいるからだ。
受験生だった俺は、年明けからずっと今は亡き祖父母が住んでいたこの一軒家に、一人で住むことになったのである。
この家の庭には、先祖代々がご近所に自慢している、大きな桜の木が陣取っている。
毎年美しい花を枝いっぱいに咲かせることから、祖父母が生きていた頃は、毎年家族でお花見を楽しんだものだ。
今はこうして、時間があれば友人たちを招き、他愛もない話をしながら平和に過ごしている。
そう。
この時までは、何ともなかったのだ。
この時までは。
俺の部屋は南向きの温かい部屋で、障子を開ければ縁側があり、外の庭が一面見渡せる。
そう。
あの、自慢の桜の木も。
今年は、この綺麗な桜を独り占めしながら大学生活がスタートするんだとワクワクしていたが、最近はなんだか桜の木が怖くて仕方がない。
うちの桜の木がずっと昔からあるという、古いものだからなのか。
それともあの話を聞いたからなのか、夢見が悪いのだ。
というか、最悪である。
もともと小さい頃から映画やドラマの内容を、たまに夢に見ることがあった。
だから最初は。
「またか」
ぐらいの認識だった。
しかし。
こう毎日、同じような夢を見ると、正直気味が悪い。
お陰で最近は、怖くて庭に出る勇気が持てず、掃除もしないままただガラス越しに、この怪しくも美しい満開の桜の木を眺めるだけとなっていた。
ただし、昼間だけ。
真っ青な空の中、薄紅色の桜の花びらがハラハラと、一枚ずつ散っては風に乗って、地面に舞い落ちるさまはいつ見ても美しい光景だ。
花びらが一枚、また一枚と地面へと舞い降り、一面が花びらでびっしりの美しいピンク色の絨毯を形成していく。
以前はもったいなくて、その上に足を踏み入れることをためらったものだが。
最近は日が傾き、空がオレンジ色に変わる頃になると、背後がゾクリとし冷や汗をかくので、反動的に急いで縁側のカーテンを隙間なくきっちり閉める。
まあ、レースのカーテンであるため、外が全く見えない、ということはないのだが。
そして戸締りを十分に確認してから、必ず縁側のほうを背にして眠るのだ。
そんなことが続いて、葉桜の時期になった頃。
夜中。
ふと、トイレで目が覚めた。
何のことはない。
たまにある生理現象に過ぎない。
ただ。
この日は違っていた。
「? 何だ?」
どうせすぐ終わるからと、面倒くさがって電気を付けないで移動したのがいけなかった。
ガサ・・・・・・ガサ・・・・・・。
かすかに、枯れ葉が廊下の上を音を立てながら風に乗って移動するような、そんな音がする。
ガサ・・・・・・ガサ・・・・・・。
気になって、、反射的に音のするほうへと視線を向ければ、確かに、昼間どこからか紛れ込んだ枯れ葉のようなものが、縁側の端っこに固まっていて、カサカサと音を立てて動いている。
「ああ。最近忙しくて、掃除してないからか・・・・・・」
などと、この時は暢気にその程度に思っていたのだ。
そう。
枯れ葉だけが、空気の流れによって動いている・・・・・・はずだった。
なのに・・・・・・。
「ん?」
枯れ葉の動きが、不自然な気がした。
ふと、そう思ってしまった。
そしてしばらく、その様子を眺めてしまった。
「え?」
認識してしまった。
はっきりと見たわけではないのだが、自分は認識してしまったのだ。
枯れ葉の中で。
枯れ葉の隙間から垣間見える、何か黒いもの。
それが、ガサガサと音を立てて、動いている・・・・・・という現実を。
大きさは、そう。
雰囲気でいうと、人間の指くらいの・・・・・・。
「ヒッ!!」
なぜかそう思ってしまった途端、ゾクゾクッと寒気が足先から頭上を走りぬけ、咄嗟に自分の寝ていた部屋へと猛ダッシュする。
急いで入口の戸を閉め、あらかじめ部屋に置いてあった、縁側の外戸を閉めるときに鍵の役割として使用する、つっかえ棒の予備を両サイドに設置し、引き戸が動かないことを確認すると、頭から布団をかぶり、目を閉じた。
「あれは何だ?あれはナンダ?アレハナンダ?」
ガタガタと震える自分の身体を抱きしめながら、まるで小さな子供のように体を丸め、あの時の話を思い出して次から次へと湧いて出るホラー要素満載の怖い想像を、必死に脳裏から遠ざける。
そのうちに、どうやら寝てしまったようだ。
朝。
いつも通りの時間に、スマホのアラームが現実へと引き戻す。
起きた時、ふと、右頬が痒くてポリポリと掻いてしまった。
その後。
パンとコーヒーという軽い朝食を済ませ、洗面所へ歯を磨きに行った時である。
「ヒッ!!」
右頬が、真っ赤になって皮膚がただれている。
指の跡がついているのは、さっき痒くて掻いてしまったからだと、その時は思った。
ヒリヒリするので、戸棚に常備してある薬を塗る。
今がマスク常備な時期で、本当に良かった。
マスクのおかげで、爛れた皮膚はきれいに隠れる。
その後は、いつも通りの平和な日常だった。
学校へ行き、友人たちと他愛もない話をし、授業を受け、そしてあの家に帰る。
ただ一点、いつもと違うことと言えば。
帰り道、偶然買い物帰りの母に会った時のことだ。
「あの古い桜の木、ちゃんと手入れはしているのよね?」
大学生活の話から突然、家のことを聞かれた。
“桜の木”という言葉に、思わずドキン!と心臓が跳ね上がる。
「手入れをしないと、困るのはあなたなのよ?」
なかなか返事をしない俺の態度を見て、何を勘違いしているのか、そんなことを言ってきた。
なので。
「ああ。大丈夫だよ」
咄嗟にそんな嘘をついてしまった。
母は、そんな俺の言葉を信じているのかいないのか。
「おじいちゃんたちが生きていた頃は、毎年ちゃんとしていたのだけれど。しばらくしていなかったから、念入りにお願いね?」
そう言われた頃には、家の前に着いていた。
家の中からは、生まれたばかりの甥っ子のけたたましい泣き声が聞こえる。
「あらあら。今度は何かしら?」
母はそう言うと、急いで家の中へと入ってしまった。
“念入りにお願いね?”
そう言った母の言葉が、脳裏に何度か木霊する。
その夜。
あの話を思い出すからなのか、また夢を見た。
ただいつもと違うのは。
「え?何?」
長い髪を振り乱し、白い着物を着た女性が、俺の右足首を掴んで、何かを叫んでいる。
だが、女性の口の中からは、黒いものがコポコポと湧いて出てきて、何を叫んでいるのかさっぱり分からない。
そんな意味不明な夢を見た朝。
いつも通りの時間に、スマホのアラームが現実へと引き戻す。
昨日は夜中に起きないようにと、水分をセーブし、なるべく寝る前に用を足したので夜中に起きる、という最悪の事態は回避できていた。
だが。
ホッと胸をなでおろしたのもつかの間。
起きた時、ふと、右足首に違和感を感じた。
ヒリヒリするというか、チクチクして痒い。
昨日の右頬と同じ現象である。
「まさか・・・・・・な?」
おそるおそる布団を剥がして、右足首を見てみれば・・・・・・。
「え・・・・・・」
驚きに一瞬、息が止まる。
なぜなら。
右足首には、4本の赤く爛れた長い跡がついていたから。
まるで、指の跡のような・・・・・・。
「昨日、夢で掴まれた場所と同じ・・・・・・」
そう思ったとたん、
ゾクゾクゾク・・・・・・。
今までに感じたことのないような寒気が、全身をかけ廻った。
心臓の音が早くなる。
「いや落ち着け俺、落ち着け・・・・・・」
スーハーと、大きな深呼吸を何度も繰り返し、嫌な妄想を頭の中から払いのける。
何度も繰り返すうちに、次第に鼓動は収まっていった。
「きっと、昨日の夢見が悪かったから・・・・・・だから・・・・・・・そのせい」
なぜなら。
怪異など、そんなもの生まれてこの方19年間、この家で起きたなど聞いたこともない。
そもそもそんな事、現実的ではない。
「ハハ。きっと俺の、思い違い・・・・・・」
まだ少し肌寒い時期なのに、全身びっしょりの寝汗を掻いている。
「薬、塗らないと・・・・・・」
シャワーを浴び、右頬と右足首に、かゆみ止めの薬を塗った。
足首な為、靴下を履けば、十分に隠れる。
その日は、なんだか憂鬱だった。
その後は特にこれと言って何もなかったのだが、それでもなんだか気分が優れない。
「病は気から・・・・・・かあ・・・・・・」
そう思わなくてはやっていられない。
生まれてこの方、怪奇現象などお目にかかったこともないのだ。
だからきっと自分は、霊感などというものはない。
よって、これも思い違いだ・・・・・・必死にそう自分に言い聞かせた。
家に帰ると、姉がいた。
「お帰り。遅いわね?いつもこんな時間なの?」
姉はてきぱきと、タッパーに詰めた母の作ったものであろう総菜を、皿に盛り付けていた。
「お母さんの肉じゃがよ? アンタこれ大好物よね?」
そういいながら、テーブルに山盛りとなった肉じゃがの皿をコトリと置いた。
「え? なんで姉ちゃんがいるの?」
「今日、ここに泊まるからよ?」
予想外の答えが返ってきた。
まてまてまて・・・・・・!!
「姉ちゃん、孝輔は? まだ生まれて2ヶ月ぐらいだろう?」
「まあ、それが原因で今日はここに来たんだけどね・・・・・・」
姉の話はこうである。
孝輔は元気いっぱいで、ミルクもたくさん飲んですくすくと成長しているらしい。
が、夜泣きがひどい。
ミルクも2~3時間おきにやらねばならない。
お陰で姉は、寝不足まっしぐらであった。
最初は両親に気を使って、自分で何とかしようと悪戦苦闘していたが、次第に睡眠時間が無くなっていって、余裕がなくなりイライラし始めた。
旦那さんは地方への長期出張で、来週でないとこちらに戻ってこない。
姉の様子を見て危ないと感じた両親が、
「今日は私たちが面倒を見るから、勇樹の所でゆっくりしていらっしゃい」
と、俺が大学へ行った後であろう時間帯に、鍵と食料を渡されて家を追い出されてしまったらしい。
「おかげで久しぶりに、ゆっくり昼寝ができたわ」
姉は見るからに元気そうだ。
お茶碗のご飯が山盛りになっていることから、それが十分に伺える。
そんな会話をしつつ、久しぶりに姉弟で食卓を囲んだ。
「いただきます」
そう言ってマスクを取ると、
「あら? どうしたの? その頬っぺた」
姉が自分の右頬をツンツンとつつきながら、聞いてきた。
「ああ。コレね?薬塗ってるから大丈夫だよ」
とっさに患部を触ろうとすると。
「触っちゃだめよ。治りが遅くなるじゃない。大丈夫ならいいのだけれど・・・・・・。それよりも、桜の手入れはちゃんとしているんでしょうね?」
『ドキン!』
その言葉に一瞬、心臓が大きく飛び跳ねた。
“何故、母さんと同じことを言うんだ?”
しかし。
「ああ、うん。もちろんだよ」
無意識に、そう答えてしまった。
それも、この一軒家に一人暮らしをする条件の一つだったから。
思わずそう答えてしまったのだが・・・・・・。
アレ?
桜の手入れって、何だっけ?
ふと、疑問が脳裏をかすめる。
そうだ。
何をしなくちゃいけなかったっけ?
ご飯を食べ終えお茶を飲んで一息ついた後、姉は寝足りないと言って、そのまま俺の部屋の方向へと歩き出す。
「え?なんで俺の部屋?」
「昼間もあそこで寝てたけど?」
だから、高校時代のジャージ姿なのか。
「はあ?」
「だってさ! あの部屋が一番日当たり良くて気持ちいいんだもん。姉弟なんだし?なんか文句あんの?」
眠たいからなのか、言い方が明らかに不機嫌だ。
「イイエ・・・・・・ナンデモゴザイマセン・・・・・・」
「小さい頃は、“お化けが出るかも”と、見たこともないものを怖がって、よくトイレに付き添ってあげていたわよね?だから、せめて一緒の部屋で寝てあげようって、このお姉様の優しさに感謝なさい!よって、後片付けよろしく!あと、途中で起こしたら、ぶっ殺すわよ!」
明らかに、眠くて仕方ないらしい。
小さい頃の黒歴史を今だにネチネチ言うのが、その証拠である。
声を低くして物騒なことを言うと。
「ピシャン!!」
と大きな音を立て、部屋の戸を閉めてしまった。
その日は、姉と布団を並べて眠ることとなった。
後から部屋に入ると、既に大きなイビキを部屋いっぱいに響かせ、爆睡していた。
初めての子育てで、とても疲れているらしい。
こんな環境下で寝れるのか? と不安になりつつ、一人じゃないという思いで、安心もしていた。
次第に姉のイビキが小さくなり、二人っきりの部屋が、静寂な空気に包まれる。
とともに、眠気が襲いうつらうつらとし始めた。
「だから、何?!」
今日も今日とて、気が付けばあの夢を見ていた。
相変わらず長い髪を振り乱し、白い着物を着た女性が、俺の右足首を掴んで、何かを叫んでいるのだ。
・・・・・・まてよ?
ふと、桜の木の下で聞いた友人の話を思い出す。
確か・・・・・・。
確か、若い女性の死体を埋めた・・・・・・と。
“出産したばかりの若くて美しい女性”を・・・・・・。
いや。
姉ちゃん、美人じゃ無いし・・・・・・。
本人に聞かれたら、間違いなく踵落としを決められそうな、そんな考えが脳裏をよぎる。
じゃあ、死体がない場合は?
「あ・・・・・・・」
足首を掴まれたまま、その考えに行きついたとき、ドクン!!と胸が高鳴る。
そうだ、俺の隣には・・・・・・。
美人とは俺の口からは言い難いが、出産したばかりの女性ならここにいる。
「姉ちゃん!!」
『起きろ!!』
と、白い着物の女性の存在を無視し、ひたすら願ったからなのか夢から覚め、布団から飛び起きる。
横では、姉が。
『旦那さんは、姉ちゃんのこんな一面も知っているのだろうか・・・・・・。甥っ子はまさか、いつもは隣で寝て無いよな? もしかして、夜泣きの原因はコレ?』
と疑いたくなるような、布団と枕が明後日の方向に吹っ飛び、卍のような形をして寝ている姿がそこにあった。
今度は顔全体が痒い。
この感じ・・・・・・この感じは・・・・・・。
そして、かすかに聞こえたのだ。
ガサ・・・・・・ガサ・・・・・・。
と、あの時聞いた音が。
ガサ・・・・・・ガサ・・・・・・。
確かに、聞こえる。
この部屋で・・・・・。
そして、そっと音を立てないように、その音のする方へと視線を移すと・・・・・・。
「ウッ!!」
何かが、動いている。
多分、以前見たものと同じ。
黒い何かが・・・・・・。
縦に長い、黒い何かが・・・・・。
もぞもぞと。
もぞもぞと、こちらに。
こちらに向かってきている?!
「ね、姉ちゃん! 姉ちゃん!!」
ヤバイ!
きっと姉ちゃんが、狙われる!
だって姉ちゃんは、出産したばっかの女性だから!!
きっと昔の基準では、姉ちゃんも美人の部類に入るかもしれない。
そう思ってしまったから!
後でどんな目にあってもいい!!
でも、生まれたばかりの甥っ子から、母親を取り上げてしまうような出来事は、死んでも阻止しないと!!
そう思い、姉を乱暴に揺さぶって左右に動かす。
すると案の定。
「るっさいな~。邪魔したらぶっ殺すって!!」
と物騒な言葉を吐きながら、目を覚ましたようである。
薄明り。
今日の外は満月らしい。
姉が顔にかかった長い髪をかき上げながら、ゆっくりと立ち上がる。
目の前にそびえ立った・・・・・・と思ったら、急に膝を折って俺の顔に自分の顔を近づけてきた。
「アンタ、大丈夫?」
何故、俺の心配をするんだ?
心配しなきゃいけないのは姉ちゃんじゃない!!
それは俺が・・・・・・。
「いや、俺の心配より姉ちゃんが・・・・・・」
殺される・・・・・・。
なぜかそう思ってしまった。
あの話が本当だとしたら・・・・・・。
これがパニック状態だというのだろうか?
というか、これが初の金縛り?!
頭の中が真っ白で、何もできない。
というか、体が動かない。
なんでだ?
なんで俺、動けない?
姉ちゃんを!!
姉ちゃんを助けないといけない、この一大事な時に!!
心の中はめちゃくちゃ焦っているのに、体はピクリとも動かない。
なんで?
ナンテナンダ?
「はい! 立ぁぁ~~つ!!!!」
「はいーーーーーーーーーーー」
突然、姉ちゃんの大きな声が聞こえた。
反射的に、さっきまで動かなかった身体が、すっと立ち上がる。
まるで、何かから解放されたかのように・・・・・・。
そして姉が、予想外のことを言い出した。
「ひとまず、実家に帰ろう。そうしよう!」
「へ?」
この緊急事態に、姉ちゃんは何を言っているんだ?
「避難するのよ! 実家に! ほら行くよ!!」
「あ、うん・・・・・・」
姉ちゃんを助けるはずが、何故か手を引っ張られ、暗い夜道を急ぎ足で実家へと向かった。
怖くて後ろは振り向けなかったが、何かが追っかけてくる・・・・・・ということはなさそうである。
相変わらず、顔は痒いがそれどころではなかった。
ただただ、どちらからとも会話をすることなく、姉と一緒に実家へと急いだ。
閑静な住宅街の中。
月明りと街灯のおかげで、すんなりと見慣れた実家にたどり着く。
家の前まで来るとセンサーが発動し、玄関の前が明るく照らされた。
と、同時に玄関のドアが開く。
「あら? どうしたの?・・・・・・って、その顔どうしたの!!」
どうやら甥っ子をあやしていたのか、それともミルクを与えていたのか。
母が甥っ子を抱っこしたまま、玄関のドア口から顔を出す。
「そうなのよ!!こいつ、嘘つきやがって!!」
そう言うなり姉は、ポカン!!と俺の頭上に拳骨を落とした。
「痛っ!!」
「とにかく中に入りなさい」
母に促され、姉と俺は甥っ子を起こさないように、静かに家の中に入った。
「私、孝輔と寝るから。お母さん、あとはヨロシク( `・∀・´)ノ!!」
そう言うと姉は大きなあくびをしながら、孝輔をそっと抱きかかえ二階へと上がっていった。
自分の手から甥っ子が離れると、母は急いでリビングへと向かい、救急箱を持ってくる。
「あら?右足首もやられちゃったのね?薬は塗ったの?」
そう言いながら、俺の顔に軟膏を塗りつける。
「なあ、あの桜の木、もしかして・・・・・・」
俺は恐る恐る聞いてみることにした。
・・・・・・のだが。
「今日はもう遅いから、早く寝なさい。この様子だときっと、明日は熱を出すわね」
え?
何故、そんなことが分かるんだ?
「母さん、なんでそんなこと」
「?何年、あんたの母親をやっていると思っているのよ」
勘ぐる俺の言葉に対し、母は“何を今更”とでも言いたげな顔で、言葉を返してきた。
そんな母に、別に疑わしい様子はなく、いつも通りにさえ見える。
だが。
信じてもいいのだろうか?
俺はこのまま、この家で寝ててもいいのだろうか?
「じいちゃん家は、どうするんだよ」
「貴方は何も心配する必要はないわ。明日、私がちょっと行ってくるから。とにかく寝なさい。ね?」
しきりに、今すぐ寝ろと繰り返す母。
確かに。
しばらくは悪夢にうなされ、睡眠不足なのは否めない。
正直・・・・・・眠い。
なんだか、いろいろ考えるのも疲れてきた。
「分かった。おやすみ・・・・・・」
もうどうにでもなれ! と思ったら急に眠気が襲ってきた。
なので久々に二階にある、自分の部屋へと向かう。
なんだか、急に体がズシリと重くなってきた。
とにかく眠い・・・・・・。
久々に入る自分の部屋は、母が毎日掃除機をかけ空気を入れ替えてくれたであろう、しばらく使われていないはずなのに、きれいな状態であった。
窓際まで重い足を引きずりながらたどり着くと、目の前にあるベッドへそのままダイブする。
「はあ~。疲れた・・・・・・」
お日様の匂いのする布団の中へと身を委ねていると、次第に瞼が下りていった・・・・・・。
「うう。頭痛い・・・・・・」
久しぶりに夢を見ることなくぐっすり眠れたからなのか。
目が覚め、ふと机の上に置いてある置時計に視線を移せば、すでにお昼を回っていた。
寝すぎからなのか、頭がガンガンと、何かで殴られたように痛い。
顔も熱い。
どうにもすっきりしないのだ。
「ひとまず、顔でも洗うか・・・・・・」
昨夜同様、重い体に鞭打って、壁伝いにゆっくりと階段を降り、洗面所へと向かった。
そしてふと、洗面台の鏡に映る自分へと視線を動かす。
「なんじゃこりゃーーーーーーーーーーー!!」
顔が赤く、全体的に爛れている。
目も腫れぼったく顔がいつもより大きい感じさえした。
正直誰コレ?といった風貌である。
こんな顔で外に出れば、間違いなくいろんな意味で通報されそうな、そんな顔がそこにあった。
“オレハ、ノロワレテイルノカ?”
ふと、そんな言葉が、頭の中に浮かんでくる。
ズキズキズキ・・・・・・。
頭が割れるように痛い。
思わず、その場にしゃがみ込む。
「あら、いつまでたっても降りてこないと思ったら、こんなところにいたの?大丈夫?」
頭の上から、声が落ちてきた。
「うん。頭痛い。あと、気持ち悪い・・・・・・」
やっとのことでそう言うと、ひんやりとした冷たい手が額の上へと置かれた。
正直、気持ちがいい。
それにしても。
母の手は、生きている割には冷たすぎないか?
「ヒッ!」
そう思った途端、思わず額に置かれた手を払いのけ、後ろへ下がろうとした拍子にしりもちをついてしまう。
「あら? やっぱり熱が出たわね? 結構高いみたいよ? すぐにベッドに戻って欲しいのだけれど・・・・・・。一人で大丈夫?」
「・・・・・・」
「顔も真っ赤だわ。そんな恰好のままだと、余計に熱が上がるわよ?」
母がまたもやこちらに手を差し伸べる。
「なあ、母さん」
そう問うと、母はこちらに伸ばした手の動きをピタリと止める。
「なに?」
「母さんは、母さんだよな?」
俺はそう言うと、自分の左頬を思いっきり殴った。
悪夢なら、醒めてくれ・・・・・・。
そう願いながら。
「え? 勇樹、どうしたの?」
驚いた母が、大声を上げる。
アレ?
思いっきり・・・・・・痛い?
頭がガンガンしすぎて、目の前が回る。
「お母さん、どうしたの?」
ドタドタと騒がしい足音を立てながら、姉が急ぎ足でやって来た。
「勇樹が、おかしいのよ!突然、自分を殴ったの」
「はあぁぁ~?アンタ馬鹿ぁぁ~~?」
去年、やっと最終回を迎えた某ロボットアニメの、赤いプラグスーツを着た女の子が、そんな言葉を主人公に放ったような・・・・・・。
姉ちゃんは、あんなに可愛くないから、言われるとなんかムカつく!
母さんと姉ちゃんは俺の両側にそれぞれ腰を下ろすと、それぞれが俺の腕を掴んで肩に回して立ち上がった。
そして俺の部屋へ、ゆっくりと進んでいく。
母の手は、相変わらず冷たかったが、姉の手は温かかった。
「だって、夢だと思ったから・・・・・・」
ふと、そんな言葉が口をついた。
「あらあら、熱で頭がヤラレちゃったのかしらね?」
「そういえば、お母さんお帰り。大変だったでしょう?」
「まあ、勇樹がこうなっちゃったもの。仕方ないわよ」
「だから、一人暮らしする前に、あんなに父さんも母さんも、“桜の木の手入れはしてね”って、お願いしてたのにね? それをしないで放置した勇樹が悪いんだよ!自業自得!」
姉に一方的に怒られていると、部屋の前にたどり着いた。
ベッドのすぐそばまで来ると、二人は布団の上へ俺を乱暴に放り出す。
「なあ。桜の手入れって・・・・・・」
布団に入ってすぐ、部屋から去ろうとする二人に、ここ何日か疑問に思った言葉を投げかけた。
すると。
「分からないで、“大丈夫”って大見え切っていたの?」
母はとても驚いている様子だた。
「本当に、馬鹿だわ! 大馬鹿! バーカ、バーカ!」
姉に関しては呆れたのか、思いっきり見下した視線を投げかけてくる。
母の話ではこうである。
3歳くらいの頃、俺は祖父母の家の葉桜から落ちてきたであろう毛虫により、体中に発疹と高熱が出て、救急車で運ばれたことがあるらしい。
驚いた祖父母はそれから毎年、葉桜になる前に家中バルサンを焚いて、桜の木には薬剤の塗布というお手入れを欠かさなかったらしいのだ。
桜が散った後にこれをしないと、大量の毛虫が発生するらしい。
ちなみに母の手が冷たかったのは、祖母の家で掃除をしつつバルサンを焚き、桜の木に薬剤を塗布しまくって家に帰った後、手が少し痒かったのが原因であった。
家の中から俺の悲鳴が聞こえるまで、外の勝手口にある水道水で、手を冷やしていたかららしい。
「確かに・・・・・・」
全ては、大地の話を聞いた後、何も確認することなく、そして何もしなかった自分が悪い!!
確かに自業自得である。
来年からは、掃除と手入れはきちんとしよう!!
そして。
“学校で出会ったら、ひとまず大地を殴ろう!”
そう心に誓うのであった。