俺の妻 R15版
城についたウィーラーがまず向かったのは皇帝の執務室だった。
フェルミンは鎧姿のままのウィーラーを父親の顔で迎える。穏やかな笑みで二十日間の護衛をねぎらうが、金の瞳はいつもと変わらず鋭くウィーラーを見据えていた。
「一週間だ。これが限界だよ。」
「はい。感謝します。」
「姫に愛を告げたのか?」
「いえ。」
予想通りというように、フェルミンは笑みを深くした。
「姫がこの城にいるだけで、お前の冷気が和らぐようだな。どうだ?炎の姫は。」
「近付くほど魔力が混じり合うようです。」
「ふむ。ということは、姫が側にいれば側妃も娶れそうだな。」
「······」
「世継ぎを急げ。姫の目の前で側妃を抱きたくなければな。」
穏やかな笑みでからかうように言うフェルミンだったが、ウィーラーは思わず舌打ちしそうになった。
フェルミンはいつも穏やかで笑みを崩さないが、手段を選ばない冷酷な一面があった。
通常、王族はなるべく子をもつ。直系ならなおさらである。
多すぎても争いの種になるが、それでもウィーラーのように一人よりはましだ。
たった一人の王子が病弱だったら。
たった一人の王子が愚か者だったら。
たった一人の王子が暗殺されたら。
全てにおいて血を見ることになる。
フェルミンはこの困難を愛のために乗り越えた。
ウィーラーの母ミレイアは隣国タウレルの王女だった。
まだ争いにまでは発展していなかったが予断を許さない両国の和平のために、自ら進んでフェルミンに嫁いできた。
可憐で繊細な姿と芯の通った心の強さに、フェルミンはミレイアを深く愛するようになった。
すぐに産まれたウィーラーは、幸いにも「魔女の落とし子」だったが、出産以降ミレイアは伏せがちになってしまう。
フェルミンは、何度も進言される側妃の話を穏やかに受け入れながら、実際には側室をとらず、ウィーラーの教育を徹底し貴族たちを黙らせた。
タウレル国との外交、国内の治安、産業の発達、フェルミンは若くしてその実力を存分に発揮し、ミレイアを守ったのである。
力を持つ統治者には反発も多い。あらゆる成功の裏には明かせない闇がある。
フェルミンは平和な治世を築いているが、清廉潔白ではない。
そのフェルミンが言った言葉だ。世継ぎという結果さえあればいい。側妃のことがただの冗談だとは思えなかった。
(自分は母一人に愛を捧げたくせに、俺には側妃をもてというのか)
苦々しく思ったその内容に、ウィーラーははっとする。
(愛を捧げる?······俺は、レオノーラ姫に愛を捧げたいのか······?)
よくわからなかった。
なにしろ、女性とまともに話したことすらないのだから。
なのに、レオノーラ姫を見ただけで体が熱くなる。熱いなんて感覚を知るわけもないのに、なぜか心臓に熱い痛みを感じる。
側妃どころか、姫に触れるだけでも、今の自分がどうなってしまうのか想像もできなかった。
欲望は感じている。これは体の反応でわかるが、ただそれだけだ。
女だからなのか、姫だからなのか、ただの生理的な反応なのか、ウィーラーには何一つ明確な答えはなかった。
それでも、他の女を抱けと言われるのは不快だった。
結婚どころか自分の婚約者が城に入ったばかりだというのに、側妃の話などされたくはなかった。
「謁見は明日ですか?」
「いや、二時間後だ。姫に式が早まったことを伝えねばならないからな。」
意図的に話題を変えたが、無理して式を急いだことをちくりと言われた。
何が楽しいのか知らないが、フェルミンはずっとニヤニヤとウィーラーを見ている。
「大帝国の皇帝陛下に会うんだ。炎の姫はさぞ美しく着飾ってくるだろうな。」
「······では自分も仕度を。」
ウィーラーは退出してからも苦い気持ちが消えなかった。
のだが、謁見前にレオノーラのドレス姿を見て、そんな気持ちは霧散してしまった。
(俺は自制がきかない上に単純な男だったのか······)
ささくれだった心に、レオノーラの美しさが優しく染み込むようだった。
鮮やかな赤の髪に落ち着いたグリーンのドレスがよく似合う。清楚で可愛らしいレオノーラに、ウィーラーは思わず一歩踏み出しかけ、我に返り踏みとどまった。
(危ない。何をしようとしたんだ俺は。)
レオノーラはいつも最上級の礼をとるので、毎回目のやり場に困るのだが、今日は残念ながら胸元が隠れるドレスだった。
(宿で軽装のときは胸の盛り上がりがこぼれそうで焦ったが。ん?随分腰が細いな、痩せたのか?移動がきつかったのか?)
胸元が見えなくて残念だという欲望にも、コルセットの存在にも気付かず、見当外れな心配をしながら、ウィーラーは謁見中ずっとレオノーラを目でおっていた。
部屋にさがるレオノーラの後ろ姿も、いつものように遠慮なく観察する。
スカートに厚みがあるのか、最初に国境で会ったときのように、もう形のいい尻は見えなかった。
その代わり、アップにした後れ毛が揺れるたおやかなうなじが目に入る。
白くて、細くて、滑らかな首。そこにウィーラーの手が伸びて、むなしく空を切った。
(あのうなじを舐めたらどんな味がするんだろうか。ドレスを下げ、細い肩と、ピンと張った背筋も、俺の舌で舐め上げたら)
欲望に際限はない。
城に入ってから、もうすぐ自分の妻になるのだと思うと、ウィーラーの妄想はだんだんと容赦がなくなっていった。
しかしそのことにウィーラー自身は気付いていなかった。
レオノーラを見ないようにしておきながらつい目でおってしまっていることも、夜の妄想の中でレオノーラがますます淫らになっていることも、ウィーラーには全く自覚がなかった。
ただ、式までは室内で二人きりになってはいけないという警告が頭の中で響いていた。
これだけは守らなければいけないと、ウィーラーは強く思った。