表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

誓いのキス R15版

エスクレド帝国には不思議な湖がある。

そこは氷の魔女が最初に降り立ったとされる場所で、魔女の爪先が触れた途端、地面が溶けて氷になり、厚い層を作って沈んだ。半円に沈んだ氷の上には水が沸き上がり、今の湖になったという。

だからこの湖は底が土ではなく氷でできているのだ。


初代皇帝アーサー·エスクレドは、この湖を中心に帝国を造り上げた。

神聖な湖を護るように城壁を巡らし、湖の名前から王都をイレーネとした。


王族の結婚式はこのイレーネ湖で行われる。

魔女が愛した男の地に降り立ったように、湖の前に立つ夫の元に花嫁が向かうのだ。


皇帝フェルミンと最高位の氷魔術師が、湖に一番近い場所に立ち、その次にウィーラーが湖を背にして立つ。

式に参列できるのは両国の王族のみ。それも湖からはかなり距離がある。


レオノーラは参列者の前につけられた馬車から降り立った。

エスクレドの伝統で、レオノーラのベールは眉の下くらいまでで、後ろは長くドレスと共に引きずるように流している。


エスコートはレオノーラの弟だ。ジョルディ·ラー·アスタルノア。アスタルノア王国の皇太子だ。

式にはジョルディが国王の名代として、妹のカルメアが王族の代表として参列している。


(式が早まって間に合うか少し心配だったけど······)


大帝国の采配に落ち度があるわけもない。

おそらく、自分がエスクレドに出発した後、すぐに二人も報せを受けてアスタルノアを発ったのだろう。


まだ離れて一ヶ月も経っていないというのに、弟妹の顔を見て安らぎを覚える自分がいた。

アスタルノアに多くみられる赤みがかった髪すら懐かしい。エスクレドは銀や白など、髪も肌も薄く透き通っている。


ジョルディもカルメアも、みたこともないドレスに身を包む、美しい姉に目を細めた。

カルメアは輝くばかりの満面の笑みを浮かべてそっと目元をおさえ、ジョルディは恭しくとったレオノーラの手を、何かを伝えるように一度ぎゅっと握った。


ずっと気を張っていたレオノーラは、ジョルディの手をとり、参列席のカルメアの顔を見て、ほわりと体も心もほぐれるのを感じた。


ジョルディにエスコートされたまま参列者の脇を通り抜け、湖へと真っ直ぐのびる道まで来ると、湖の前で待つ三人の姿が見えた。

ここからはレオノーラ一人で進む。


レオノーラは感謝と愛しさを込めてジョルディに微笑んだ。ジョルディも同じように微笑み、そっとレオノーラの手を離す。

レオノーラは再び凛と背筋をのばすと、ウィーラーを見つめゆっくりと歩きだした。


その時だった。

ウィーラーから凄まじい冷気が噴き出した。すぐ側に立つ皇帝と氷魔術師のマントが凍りだす。さらには、どこからかピキピキピキと甲高い音が聞こえたかと思うと、突如イレーネ湖が凍り出したのだ。

レオノーラが進む道までもが凍り出したときには、後ろに立つジョルディは無事かと心配になったが、振り返るわけにはいかなかった。

しかも、ウィーラーの冷気に影響されるように、今度はレオノーラの体が熱くなってきたのだ。


体の奥底で炎が上がるようだった。

表面はウィーラーの冷気を感じながら、身の内は熱く煮えたぎっている。


(なに、これ······こんな感覚初めて。どうなってるの······)


レオノーラは自身の熱さに混乱しながらも、一歩、足を進めた。


(歩け、とにかく歩かなきゃ、私が進まないと式ができない)


レオノーラは不安と戸惑いをおし隠し、ただひたすらウィーラーを見つめて歩きだした。

一歩、また一歩、進めるごとに道の氷が溶けていく。

はっきりとウィーラーの表情が見えるほどに近くまでくると、皇帝と氷魔術師のマントの氷も溶けた。


ウィーラーは、冷たく眉間を寄せ、何の感情も浮かばないアイスブルーの瞳でレオノーラを見ていた。

レオノーラはその瞳に一瞬ひるんだが、それでも、視線を外すことなく自分を見るウィーラーに、奇妙な嬉しさを覚えた。


それは自分でも不思議な感覚だった。

今までずっと目をそらされていたからか、あんな冷たい視線なのに、自分を見ているというだけで勝利した気分になった。


さっきジョルディにエスコートされたことも影響しているかもしれない。

ジョルディは25歳だ。参列は出来なかったが、さらに下にもフリアンという弟がいて19歳になる。

対してウィーラーは18歳。

『氷の軍帝』の迫力に気圧され、今までさんざん傷付いてきたが、よく考えれば弟たちより年下の男性に、何をびくびくしていたのだろう。


自分が気に入られないなんて最初からわかっていたではないか。いちいち傷付くなんてばかばかしい。

この冷気だって、いよいよ結婚ということになってウィーラーの不満がふきだしたのだろうか。そんな身勝手な!私は帝国に望まれて嫁いできたのだ。


レオノーラは力強くまた一歩を踏み出す。


(あなたがいくら凍らせようと、私が全部溶かしてあげるわ)


これだけの力をもつ『氷の軍帝』の氷を、自分は簡単に溶かすことができる。その事実が、一歩踏み出すごとにレオノーラの自信になった。

容姿や年齢など、どうにもならないことでくよくよしていた自分が嘘のようだ。本来レオノーラは、その魔力のように熱く、おおらかな性格である。


(きっと、結婚というとっくに捨てた夢が飛び込んできて、神経質になっていたんだわ)


それだけではない。レオノーラの肩には、大国との同盟、必ず産まなければならない世継ぎ、暗殺の可能性と、重要な課題が同時に一気にのしかかった。

それゆえ、皇太子に嫌われてはいけない、私は成し遂げなければいけない、と萎縮してしまったのだ。


でも、ここまできてレオノーラは開き直った。

凄まじい冷気がレオノーラのもやもやを吹き飛ばしてくれたのかもしれない。


レオノーラは笑みさえ浮かべ、とうとうウィーラーの隣に並んだ。

ウィーラーの纏う冷気は凄まじかったが、レオノーラの熱も負けてはいない。

魔力同士が至近距離で渦を巻くが、何かの防御を働かせているのだろう、皇帝も氷魔術師も平然と、むしろ興味津々で状況を楽しんでいるようだった。

皇帝はレオノーラににっこりと微笑みかけ、そのあまりの穏やかさに、レオノーラも無邪気に笑ってしまった。


ウィーラーがすっと腕をさしだし、レオノーラはウィーラーに視線を戻した。

背の高いレオノーラが、さらに見上げねばならぬほどの長身。

思えば、ここまで近付いたことは初めてだったし、体に触れるのも初めてだ。

レオノーラはそっとウィーラーの腕に手をかけた。


その瞬間、凍りついた湖の氷が、バキバキバキバキと激しい音と共に割れ、細かい欠片が一斉に宙にまき上がった。

さらに、キラキラと散る氷の粒は、ウィーラーとレオノーラの魔力の渦でいつまでも空中で舞い続け、湖の上に大きな虹をうつしだした。

それは湖全体を覆うほど大きく、綺麗な半円を描いて輝いていた。

レオノーラも思わず見惚れるほどの美しさであった。

離れた参列席からも、おお、という感嘆の声が上がっている。


「まさに、二人の婚姻を氷の魔女が祝福した証である。」


皇帝フェルミンが穏やかに宣言した。

氷魔術師は湖に向かい、婚姻の宣誓を高らかに唱え、ウィーラーとレオノーラを祝福した。


「互いに尊敬し、尊重し、末長い幸せと、子孫繁栄を。」


氷魔術師は二人に向き直ると、さあ、と手を広げた。

誓いの証のキスで、正式に婚姻成立である。


ウィーラーとレオノーラは静かに向き合った。

さすがにレオノーラも緊張している。

キスは初めてだ。ウィーラーもそうだろう。

軽く唇を合わせるだけだとわかっていても、その唇が特別なんじゃないか、と思う。

だが、生来の気性を取り戻したレオノーラは思い切りもよかった。


(んー!女は度胸!もっと凄いことしなきゃいけないんだから!)


レオノーラは背筋をのばし、ぐいっと顔を上げた。

ウィーラーの大きな手が肩におかれ、秀麗な顔がゆっくりと近付く。

間近で見ても冷たい視線だった。

ぎゅっと寄せられた眉が、そんなに嫌か、とレオノーラを再び落ち込ませ······はしなかった。


(大国の皇太子なんだから、ちょっとくらい取り繕いなさいよ。もうここまできちゃったんだから仕方ないじゃない!さっと終わらせちゃえばいいのよ!)


レオノーラは少しだけイラっとしながら目をつぶる。

肩に置かれたウィーラーの手が一瞬だけ強張り、冷たいものがレオノーラの唇に触れた。


(これが、キスか······)


ウィーラーの唇はやはり冷たかった。だが、想像以上に柔らかく、ふにゃりとした感触は心地よかった。

また、常に熱さを感じているレオノーラにとって、冷たいものが自分に触れるという感覚も新鮮であった。

水でも氷でも、レオノーラを冷やすのは一瞬ですぐに熱くなってしまう。

だから、体にこんなにも長く冷たさを感じるということがない。

そう、こんなにも長く。


(いつまで······続くの······?)


ウィーラーは唇を合わせたまま微動だにしなかった。

肩に置いた手も、優しく触れた唇も、時間が止まったかのように動かない。


(え、こんな、長くするものなの?これもエスクレド流とか?)


レオノーラから離れるわけにもいかず、混乱しつつもおとなしくキスされていると、んんっ、と咳払いが聞こえた。

それを合図に、唇がさっと離れる。肩の手もなくなり、レオノーラが目をあけたときには、ウィーラーはすでに皇帝と氷魔術師の方に向き直っていた。


(もしかして、咳払いが終わりの合図なのかしら)


疑問に思いながらも、ウィーラーの冷たい横顔を見ながら、レオノーラも同じように体の向きを直した。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ