プロローグ R15版
大陸一の領土を誇るエスクレド帝国。
一年中涼しく過ごしやすい土地は、商業も産業も発達し、潤沢な資産でさらに帝国を潤している。
しかし、この地は元々極寒であり、わずかな貧しい村があるだけだった。
ーー昔、氷の魔女が人間の男を愛した。
その男の住むこの地に降り立ち、その冷気を操って今の気候につくりかえた。
男も魔女を愛し、二人は契りを交わした。
二人の間に生まれた男の子アーサーは、魔女から受け継いだ氷の魔術で土地を治め、帝国を造り上げた。
これがエスクレド帝国の建国神話であり、初代皇帝アーサー·エスクレドの伝説である。
以来、皇帝と第一王子は必ずアーサーをなのっている。
王族には、この神話を裏付けるように、時おり氷属性が強く出る者が生まれた。
生まれながらに膨大な魔力を有し、氷の魔術を操ることができるため「魔女の落とし子」と呼ばれ、魔女を始祖にもつ国の安泰の象徴となった。
18年前生まれたウィーラー·アーサー·エスクレドも魔女の落とし子だった。
直系の第一王子はただでさえ血が濃い。ウィーラーが身に宿した氷魔術の力は、過去に類をみないほどの強さだった。
ウィーラーが身にまとう魔力は冷気を帯び、次第に、周辺の空気を冷やすまでになった。
彼の周りは常に寒々と冷えきり、特に女性はその寒さを強く感じるようだった。
10歳を過ぎる頃には、侍女や乳母は同じ部屋にいることも出来ないほどで、側近や侍従は皆厚いコートを着こんだ。
15歳になったウィーラーは、皇太子としてだけでなく、軍人としても優秀だった。
分析力に長け、常に冷静沈着。政治も戦局も、残酷なほど合理的で無駄は容赦なく切り捨てる。
魔力の影響で早くから女性を排除せざるをえず、彼の周りをかためるのは、冷酷な宰相や豪胆な将軍など、上に立つ者特有の非道さを併せ持たねばならない者ばかり。
ウィーラーは女性のまろやかな慈しみやぬくもりをろくに享受することなく、次期皇帝として冷徹な皇太子となっていった。
16歳で戦場に立つと、その外見から『氷の軍帝』と呼ばれるようになる。
輝く銀髪に、アイスブルーの瞳、抜けるような白い肌のウィーラーが、錆色の鎧をつけて馬上で戦う姿はこの上なく美しく、それゆえに恐ろしかった。
180を越す長身に、鍛え上げられた体躯、そこから大剣を振るう姿は鬼神のごとく、一人神話から抜け出してきたようだった。
『氷の軍帝』の美しさと強さが大陸中に広まり、戦争もおさまりをみせた頃、新たな問題が持ち上がった。
平和な世に必要なのは、他国との同盟と世継ぎだ。
ウィーラーは唯一の直系の王子。彼の子どもが平和には必要だった。
しかし、ウィーラーの魔力は女性を寄せ付けない。
だが、救世主は存在した。
エスクレド帝国のずっと南に、アスタルノア王国という小さな国があった。
ここの第一王女は『炎の姫』と呼ばれており、炎の魔力を操る。しかもその魔力は、男性が近付けないほど熱く発現するという。
ウィーラーも炎の姫も、なぜか異性には魔力が強く出る。
氷と炎という正反対の性質だからこそ、現皇帝フェルミン·アーサー·エスクレドは即決した。
エスクレド帝国とアスタルノア王国との同盟、友好の証としての婚姻が進められた。
どうみても、ウィーラーの世継ぎの為だけに選ばれた姫だった。それだけ、ウィーラーの世継ぎ問題は重要だったのだ。そのために、大国エスクレドが取るに足らない小国アスタルノアと同盟まで結んでいる。
逆手にとれば、この婚姻を白紙にすれば、エスクレド帝国の隙をつくことができる。姫の命が狙われる危険が大いにあった。
しかし、アスタルノア王国はこの申し出を断れなかった。
エスクレドが大国だからということもあるが、それだけではない。
炎の姫は、今年28歳になる行き遅れ、年増の姫であったのだ。
腹を借りるかわりに、大国の18歳の皇太子の妃、それも正妃にしてやろうという申し出であった。
もとより、姫はこの縁談に否やを唱える気は全くなかった。
一国の姫ならば政略結婚は当たり前。それすら出来ずお荷物でしかなかった自分が、やっと国の役に立てる。道中に命を落とそうが同盟は結ばれる。自分の命をかけるだけの意味があった。
無事婚姻しても、子どもさえ産めば自分はお役御免だろう。年増の自分が、それからどんな扱いを受けようがいい。使い捨てでいいのだ。
二国の同盟と婚姻の手続きは速やかに行われた。
アスタルノア王国からエスクレド帝国までは馬車で二十日間の道のりである。
アスタルノアの国境では、エスクレドから護衛の騎士まで派遣された。
炎の姫は、自分は大国に歓迎されているのだと自尊心が慰められた。しかしそれだけではなかった。護衛としてきたのは、なんとウィーラー·アーサー·エスクレド本人であった。
しかし、国境で急ぎウィーラーと対面した炎の姫は、その目と耳を疑った。
『氷の軍帝』と呼ばれるにふさわしい気高さと高潔さをまとった魔女の落とし子は、姫の後ろ姿に呆然と呟いたのだ。
「なんてケツしてやがる······」
およそ大国の皇太子が口にしていい言葉ではなかった。