ぼくがたすけるから
怪獣は叫んでいた。
かつてはクラスメイトだったモノ、素晴らしく「人間」らしい個性を持っていた。
才能がある、そのはずだった。
彼はいま人間としてのこころを失い、ただ憎しみと食欲に動く獣。怪獣になっていた。
怪獣が真っ直ぐ俺の方に突進してくる。
攻撃の方法としてはあまりにも単純すぎていた。
何の策略も無い、言うならば完全なる無遠慮、とても理性あるニンゲンには真似できない所業だった。
当たり前か。と、俺は大鎌を前に構える。
たったそれだけの防御しか出来ない。
思考に実在感を得るよりも先に、俺の体は怪獣の肉体に上乗りさせられていた。
後ろ向きに倒れる。後頭部がアスファルトの固さに激突する、痛い。
脳みそが大きく揺れ動き、視界にチラチラと星の瞬きのような幻覚が散る。
息が詰まる。
目の前に怪獣の牙がずらりと並んでいた。
死体を燃やす、残った骨のような白さ。
ねっとりとした粘膜が咥内をヌラヌラと包む。
吐息がぶうぶうと俺の前髪を吹く。匂いはあまりなかった、臭くない。
怪獣、かつてはクラスメイト、コーニという素晴らしい才能を持った若者。
彼が叫んでいた。
「 ! 」
震える鈴のような声だった。
雨風にさらされ、人々に忘れられ、無関心のヘドロの中に沈もうとしている声。
忘れられたくない、無関心でいて欲しくない、自分は確かに此処にいて、この世界で痛み苦しんでいる。
息が詰まる感覚を声に出そうとして、しかし怪獣の肉体では言葉を作ることが出来ない。
だが、どうだろう?
「人間」としての性能を有していた時、守っていた時よりも、彼の苦しみは俺の耳にしっかりと苦痛を訴えかけてきていた。
大鎌で怪獣の牙を抑え込み、なんとか自分の肉が喰いちぎられないようにしている。
馬乗りにされたまま、なんとか反抗の姿勢を作り続けている。
喰われそうになっている。
俺は「魔法使い」だから、怪獣にとっては目の前に焼きたてのビーフステーキを置かれたような状態だろう。
そう、怪獣としてはただ目の前の肉を喰えばいいのだ。
ただそれだけのことだった。
だが。
「やめて」
拒絶の言葉が口の中に産まれる。
産まれた意識が言葉としての肉を獲得している、迷いはなかった。
「やめて! 食べないで!」
叫んでも、怪獣はすでに自分のことを食べようとしている。
もう止めようも無かった。
だけど。
「食べないで、俺……ッ」
俺じゃない、彼のために、食べられる訳にはいかなかった。
「ぼくをッ!! ぼくを食べちゃダメだッ!!!」
食べてしまえば、もう二度と「普通」の世界のあたたかさに触れられなくなってしまう。
魔の道に堕ちることは、正しく才能を評価されるチャンスを失う事と同義だ。
それだけは許せなかった。
「馬鹿野郎!」
ぼくの頭の中に、コーニの作った作品たちのきらめきが幻覚と共に明滅する。
「ぼくなんか食べて! それで……ッ、本当に怪獣になったらどうするんだッ!
誰が……ッ、誰が新しい作品を作るんだよッ?!」
殺されてたまるものか。
殺されて、彼が罪悪感と共に生きる人生を想像すること自体、それだけでむかっ腹が立って仕方がない。
ぼくは怪獣に向けて叫び続ける。
「ごめん……ごめんなさい!」
謝っていた。
僕は彼に向けて謝っていた。
「いじめられているの、助けなくてごめんなさい!
見捨ててごめんなさい!
怖がってごめんなさい!
自分のことを守ってごめんなさい!」
自責の念は尽きることが無い。
彼に罪を負わせたくないと願う、才能の続きを見たいと思う、願望がぼくの腕を辛うじて支えている。
聞こえているだろうか?
聞こえていてほしい。
食べられてしまうのだろう。
このままでは、待っているのは死だけだった。
悔しい、とぼくは思う。
死にたくないと強く欲する。
死なないで、生きて彼の作品をもっと見たい。
見続けていたい。
願いが言葉の原動力となる。
「助けるから!」
決意、とまではっきりとしたこころは作れていないかもしれない。
ぼくのこころはあまりも弱くて、できることは数少ない。
「次に君が困ったら、ぼくが助けるから!」
だけど約束する。
そうすることしか出来ない。
「上手く出来るか、全然……全然自信ないけど。
でも一生懸命やるから。
頑張るから、助けるから!」
疲労感がピークに達しようとしている。
視界の端から濃密な紫色が侵食してきている。
魔力切れだ。ぼくはもうすぐ意識を失うのだろう。
腕に力が入らない。
眠くて仕方がない。
でも眠るわけにはいかない、戦い続けなくては。
ぽたり、と水の雫がぼくの頬を濡らした。
ぬくい一滴。雨でも降ったのだろうか?
いや、違う。今日は晴れのはず。
じゃあ、これは?
かすむ視界の中。
「……」
怪獣は黙っている。
黙って、泣いていた。
しくしくと、涙を流している。
止めどなく流れるそれは悲しみなのか、それとも悔しさや怒りによるものなのだろうか。
ぼくにはわからなかった。
もう、だめだ。ねむくて仕方がない。
彼の、コーニの涙に頬を濡らしながら、僕はついには意識を手放す。
涙のしょっぱい匂いが鼻腔をくすぐった。