視線はまっすぐ可能性を見続けるしかない
「こいつの弁当箱、トマトだらけでまっかっか! だったそうだぜ?」
アサノが俺のことを馬鹿にするように笑っている。
「片親しかいない奴ってさ、犯罪者になりやすいんだってよ」
とても分かりやすい感情表現。あからさまに自分のことを下に見ている。
見下している相手、見下されている自分自身がどこか遠い場所に存在しているような感覚に陥る。
離人症といったか?
正確には違うかもしれないが、しかし気分的にはそれくらいの異常事態である。
「キモ」
とりあえずそれだけを言い残して、アサノは俺たちを放置して学校の外へと歩き出していた。
取り巻きたちがぞろぞろと続く。
無人の廊下に残されたのは敗北者たち。
つまりは俺と、コーニの二人であった。
何について勝負をしていたのかは分からない。
なのにどうしてだろう? 胸の中には惨敗したという事実が胸の内を湿った舌でなめていた。
「あの」
気を取りなおして、だなんてとてもじゃないが言えやしない。
ちょうど外が大雨であるように、汚れた雨にビッショビショになった胸の内がどうしようもなく重苦しい。
「だいじょうぶ?」
しかし理性を失ってはいけない。
こういう時こそ人に親切をした方がよっぽど自分のためになる。
というのはおじいちゃんの言葉だった。
濡れたままの廊下から俺はコーニのことを助け起こそうとした。
「……」
しかしコーニは俺の手助けを借りることなく、静かに素早く立ち上がる。
そしてそのままはじき出されるようにこの場から立ち去ってしまっていた。
去り際に水が、コーニの左の目から新しい輝きを描き加える。
落ちた輝きは学校の廊下に落ちる、新しい暗闇になった。
…………。
女子のうわさ話が聞こえてくる。
「ねえ知ってる? この学校に「魔法使い」がいるかもしれないんだって」
「うそ! 魔法使いってあの魔法使いのこと?」
「ヤバいよね、魔法使いって病気で、怪物を殺せるぐらい強いんでしょ?」
「やだあ、そんなのが居たら怖くて学校これない。明日から休んじゃおっかな」
最後の一言については俺もぜひとも賛同したいところである。
学校はもともと嫌いだが、しかし今日はことさら新鮮な気持ちで憎悪を込めることが出来る。
体育の授業、グループで練習した体操をクラスメイトの前で発表するのである。
俺が属しているグループ。
といってもこの地獄のような時間をやり過ごすためのかりそめの関係性でしかない。
彼らとの作業が終わった後、アサノとコーニのグループが発表を開始しようとしていた。
どうしてコーニがアサノなんかと同じグループで作業する羽目になっているのか。
それはただ単にアサノが自分にとっての「所有物」を手元に起きたいという単純な思考によるものでしかなかった。
壇上に登る一群。
音楽が始まって、決められた規定に従って人間を中止とした集団が動き出す。
「……?」
違和感はすぐに把握できた。
出来てしまえた、というべきか。
正しく動く者どもの中、コーニだけがただ呆然と立ち尽くしていた。
ただ一人、この世界に取り残されてしまった旅人のような孤独。
寂寥感はコーニの瞳の中にてまたたく間に絶望へと変わっていった。
…………。
どうやら事前に知らされていた音楽と違うものを使用したらしい。
グループのなかでただ一人、コーニだけに知らせず、アサノは自分の満足感を確固たるものにしていた。
女子たちのうわさ話が聞こえる。
「コーニ君、泣いてなかった?」
「マジヤバいよね、もう好き放題じゃん」
「でもさ、なにもやり返さないのも駄目だと思う」
「だよねー」
そこまで聞いたところで俺の耳は続きの言葉を拒否していた。
吐き気が止まらない。
どうしてなのか? 理由はすぐ近くにある気がする、だけどまだ見つけられない。
言葉を聞きたくなくて、もっと別の情報で頭の中を描きなおしたかった。
教室から外に出ようとして、誰かと肩がぶつかった。
「痛って」
ぶつかった。
相手を見てしまったと思った。アサノであった。
「チッ」
大きく舌打ちをする。
アサノが俺のことを見ている。
眼球は完全に自分よりも卑下してもかまわない、という意味合いがありありと込められていた。
「ごめんなさい」
先んじて謝罪することで相手に入り込むすきを与えない。
作戦が無事に成功したかは、正確には分からない。
完全な答えを置き去りにしたままで、俺は雨の気配に冷えた廊下のなかへ身を投じていた。
「……」
呼吸が上手く出来ない。
静けさがまるで海の水のようで、このままでは窒息死してしまいそうだった。
ふと、また視界に写るものがあった。
廊下の窓、そこにコーニが身を寄りかからせていた。
どうしたものかと、俺は頭を悩ませている。
この場合起こすべき行動とはなんであるか?
もしもはっきりとした答えがあるとしたら、なんでもするからどうか俺にも教えていただきたいところである。
「何見てんだよ」
最初の瞬間、それがコーニの声であることに気付くことが出来なかった。
「別に、見ている訳では」
嘘だ。俺はしっかりと彼の事、彼の表情を見ていた。
そして今も見続けている。
「ずっとオレのことを見ていただろ」
図星をつかれて俺はどぎまぎとしてしまう。