水たまりは図書館と繋がっているらしい
授業が終わって、着替えも終わった。
俺はひとりで教室に戻ろうとした。
と、そこへ視界に写る現象があった。
「コーニくゥーん、早くしろよー」
今度は名前も姿も間違えようがない。
アサノという名の男子生徒が「コーニ」という名前の彼を呼んでいる。
まず先に前提として語っておかないといけないが、俺はクラスメイトという言葉が嫌いだ。
理由は単純である。クラスメイトであるアサノのことが苦手で、もっとハッキリくっきり表現してしまえば大嫌いなのである。
一方的に嫌っている訳では無い。
さすがの俺でもそこまで思い切ったわがままを貫き通せられたのなら、むしろどんなに良かったことか。
「おっせえなあ、トロトロしてんじゃねえよクソゴブリンが」
アサノが叫ぶと同時に、彼の取り巻きである複数の生徒が対象に向けて各々罵倒に等しいヒトことを投げつけている。
「……」
好き放題言われているコーニは小柄な体に大量の紐をくくりつけている。
ようく観察……するまでも無く、彼はアサノを含めた取り巻きたちの体操袋を運ばされているようだった。
先にさっさと廊下を進んでいくアサノたち。
「……」
コーニは何を言うでもなく、もちろん文句の一つも流すことなく、ただ黙ってほのかに緑がかった色素の薄い皮膚に大量の体操袋の紐を喰いこませている。
腕に圧迫感を、指先は青紫に鬱血しかかっている。
行軍が通り過ぎた後、女子たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。
「マジヤバいよねー」
「アレっていわゆる「いじめ」、なんでしょ?」
「どうする? 先生たちにチクる?」
「やめとこうよ。だってアサノ君のお父さんてすっごくえらいひとなんでしょ?
お金持ちだから、ヘタに逆らっちゃいけないってママが言っていたよ」
「えーマジヤバーい」
もっと会話を盗み聞くことも、俺の兎のような耳ならば可能であった。
しかし彼女たちの頭部に生えている獣の聴覚器官がこちらにかたむけられたような気がした。
俺は慌ててその場を去る。
…………。
別の日のことだった。
全部の授業やら掃除など細々とした雑業が終わった時間。
外は雨が降り続けている。
この灰笛という名の土地に母親と二人で引っ越してきてから、俺はずっと青空を見ていないような気がしていた。
元々いた場所では良く日向ぼっこをしていたものだが、しかしこの世界では太陽の光もれっきとしたゼータク品というやつらしい。
ともあれ雨雲を通過した弱々しい光がさす窓の内側、魔力鉱物によって発光する人口の光が照らす廊下の中を急ぎ足で歩いていた。
帰路につこうとしている。
今日は母親から帰りにスーパーで固形石鹸を買ってきてほしいと、そんな連絡がスマートフォンの電子画面に明滅しているのである。
様々な電子機器を含み、ずっしりと重たい鞄を抱えながら俺は帰り道を急いでいた。
と、そこへ水があふれ出してきていた。
先に進もうとしていた道の先、そこに小さな水たまりができている。
「あーあ! 汚れちゃった! そーじしろよクソゴブリン!」
考える必要も無い、アサノの声だった。
まるで燃えないゴミでも放り出すような手つきで、アサノはコーニの体を地面に突きとばしていた。
「……」
コーニは地面にうずくまる。
よけきれなかったからだが小さな水たまりに小さく沈み、水しぶきが周辺へキラキラとした雫を飛び散らせている。
見てはいけない。見るべきものではない。
しかし俺の目は状況につよく惹きつけられてしまっていた。
どうなるのだろう? どうなっているのだろう?
例えば水たまり。
人間の重さを受け入れた水の集合体が飛び散る、軌跡、輝きはどのような姿をしているのか?
例えばコーニのこと。
追い詰められた人間が、苦しみに耐える表情はどのような色彩を有しているのだろうか?
? 疑問符が止まらない。
過ぎた集中力を使ってしまうのは俺の悪い癖。
だから、敵がこちらに気付いてしまっている事に、俺は気づくことが出来なかった。
「何見てんだよ?」
自分に話しかけている。
アサノの濃い茶色の瞳が俺の姿を映し出していた。
「キモッ、なんとか言えよ」
まだこっちには返事を用意する言葉が用意できない。
元々会話下手でコミュニケーションを得意としていない体質性格の俺は答えにまごついている。
「なにコイツ? 言葉知らないの?」
アサノが気持ち悪いものを見るかのような視線を俺に向けてきている。
奇妙な沈黙が流れる。
何だというのだ、この空間は?
アサノたちの頭にも疑問符が浮かびかかったところで、彼の取り巻きの内の一人が俺についての情報を王様……もといアサノに伝達している。
「なに、お前んっちってリコンしてんの?」
体が緊張するのが分かった。
触れられたくない事情に触れられてしまった。
「片親しかいない奴って、犯罪者になりやすいんだってよ」
アサノはハッキリと俺に向かってそう言っている。
まさしくもれなく、言葉は攻撃の意志を以て発せられていた。
取り残されたのは弱者、勇者にも王さまにもなれない出来損ないばかりだった。
「コーニ君、弁当事件って知ってっか?」
触れられたくない内容について、アサノは何の遠慮も無く触れてきている。