単純な殻に閉じ込められている
適切な温度に保たれた室内。
台所と隣接した食事場所におかれた薄型液晶テレビから朝のニュースが流れてきている。
「──……人間の人口減少は留まることを知りません。今月にあたり報告された内容によるとnormal……すなわちN型と呼称される人種の総数は二パーセント下落したとのこと。
抑制機関はこれを重篤な事態であるとしてN型人類の保護活動をより一層強化する法令を発表しました。
対象に該当する人種においては皿の国を基準とした保護法が適応されるということです。
さて、次のニュースです。
灰笛市内にて近日「ハレの日」が予想されるとのこと。区画各地では祝い事に備えて様々な企画、イベントが催される……──」
「ちょっとー、ヘータ、テレビばっかり見てないで、ちゃんとご飯食べなさい」
俺の名前を呼んでいる、母親の声が聞こえた。
おれは少しだけ焦げたトーストの上に乗せられた、これまた少し焦げた目玉焼きをむしゃりとかじる。
「食べてるよー」
母親に向けて言い訳を主な目的とした返事をする。
「めちゃくちゃ美味しそうに食べてるじゃん。特にこの黒く焦げた部分なんかは苦くてたまらないって」
皮肉を込めた感想文を作ってみる。
俺の意見を聞いた、母親が頭に生えている野兎のように長い耳をふっかりと傾けている。
「そう? 今日の朝ご飯はあたし的にけっこー上手に作れた感じだったのよ」
残念無念、おれの皮肉は母上殿には届かなかったようだった。
「朝ご飯は大事なのよ? 毎日ちゃんと食べて、そして元気モリモリに学校にいって頑張っていっぱい勉強しなくちゃ!」
「分かってるよマミー」
俺は母親を茶化すようにして、苦さの残る口の中をぬるくなった牛乳で流し込んだ。
母と同じ形の耳を無意識の内に下側にかたむけそうになる。
感情を悟られてはいけないと、俺は兎のような形になっている聴覚器官をピン、と真っ直ぐ立てる。
…………。
学校に着いた。
二時間目の授業が終わって十分程度の休憩時間、俺は独り机に突っ伏していた。
誤解の無いよう先に申しあげておかなくてはならないが、俺はいわゆるボッチ体質である。
友達は皆無に等しい。「いじめ」は辛うじて受けてはいないが、しかし充実した学校生活を送れているかどうか、と問われればかなり答えを濁さずにはいられない。
今日も今日とて机と椅子に仲良しこよししながら、俺はスケッチブックの上に柔らかめの鉛筆を滑らせ続けていた。
さらさら、さらさら。
鉛筆の先端、鉛の炭が白色の紙の上に意味を描き続けている。
「お前さぁ、マジでムカつくんだよ」
怒っている声が聞こえた。
俺は思わず耳を後ろの方にかたむけそうになり、それをグッと堪えて紙の上に集中する。
「なんとか言ってみろよ、キモいんだよ。あーウザい」
人間の手が、他の誰かの肩を強く推す音が聞こえる。
対象が一歩二歩、衝撃を本能的にかわすために後方へ後ずさる、上履きの靴底、柔らかさが床と擦れ合っている。
対象が何かを言おうとした。
「あ……」
しかし声は言葉としての意味を獲得することすら出来ないでいた。
「あー? 聞こえないんだけど。くっせェ口開いてんじゃねえよ、クソが」
会話することを要求していながら、つぎの瞬間には無言を強要している。
まさに理不尽である。
しかし俺はその理不尽を自分と同じような人間……クラスメイトに主張することはしなかった。
「あの……」
対象である彼が諦めないように、精一杯何か言葉を発しようとしていた。
しかし。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴って、俺たちの意識を物言わぬ家畜のように時間の檻の中へと誘っていた。
まただ。
また何も出来なかった。
俺は無駄に長さの有る耳の中に、小さな百足が入り込んだかのような感覚を抱いている。
細かな足がモゾモゾと動いている。
透明な足、実際に存在している訳では無い。これは俺の思い込みに過ぎなかった。
罪悪感。ただ自体を傍観し続けていた、逃げ続けていたことについての自責の念が俺の意識に針を刺す。
どうするべきか。
まだ決意は抱けなかった。
…………。
四時間目の体育というものはどうしてこうも苦痛なのだろうか?
というかまずもって、体育という教科科目というもの自体が無駄のように思われて仕方がない。
だってそうだろう? この魔力主義社会において体力の有無をどうのこうの測定し合ってどうするというのだ。
と、そこまで考えたところで別の案が浮かんできてしまう。
魔力が重要視されるこの世界だからこそ、個人がもち得る体力やら精神力が重要視される。
なんというか大人っぽいと言うべきか、理屈臭い考え方をしている。
するとそこへ。
「はい、グループになってきめられた組体操をしてくださァーい」
体育教師クソ野郎……。
……失敬、体育の先生さまがありがたーいお告げを生徒である俺たちに一方的に下してきた。
俺たちはいま、今度の集会で発表する共同組体操の練習をはじめようとしているのである。
始まって欲しくない。つーか始まるな、くそったれ。
そう叫びたくなるがしかし、俺の思考のナイフは最初から玉子豆腐すら切れないなまくらでしかないのであった。