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陰陽なりて  作者: モモサト
8/20

実地教育と因果

 「人はいつか死ぬものよ、だからこそ人は死を恐れるし、恐れなければいけない」


 司馬田病院内4階の外れにある、人気の無い自動販売機横のベンチに並んで腰掛け一息ついた所で、あやめの「霊感持ちに必要な豆知識講座」は始まった。


 「けど、死を忌み嫌い過ぎてもいけないの。春が来て、夏を迎え、秋となり、冬になるように、死も自然の営みの一つなのだから。その終わりを人はいつか受け入れなければならない。

 そのためには、死を正しく恐れられる危機意識と、その恐怖に正しく向き合う術を持たなければならない。それには正しい知識と心構えが必要なの。これは霊障の問題に限ったことではないわ。津波や地震などの自然災害や感染症といった問題でもそうよ。

 いざと言う時、危機意識が足りなければ命を守れない。けれど、危機意識だけが先走ってしまっても集団パニックを起こした結果、迫害や差別を生み出してしまう。人の歴史を振り返ればそんなことが何度もあったわ」


 「うん、何となくだけど分かるよ」


 直柔は、あやめにおごって貰ったジュースの空き缶をゴミ箱に捨てながら頷いた。


 発生する災害への備えが疎かであった故に人が亡くなることがあり、同様に危機意識だけが先行し無意味な迫害を受けた人たちがいた事を、直柔も漠然とした知識として持っていたからだ。


 「そう、それじゃあ、あそこにいる幽霊に話しかけてきなさい」


 「うん、ちょっと待って」


 ニコヤカな笑みを浮かべて何を言ってくれているのだろうか、このお姉様は。


 先ほどから努めて見ないようにしていた、ベンチから少し離れた先にある公衆電話の上に腰掛けた明らかに普通ではない少し半透明に見える30代くらいの男性を示して、いきなり話してこいと言われて「分かりました」と話に行く人間がいるだろうか。いや、いない。


 「あっ、私はここで待っているから」


 「本当にちょっと待ってくださいませんかね、あやめさん!?」


 幽霊というだけで怖いのに、その幽霊は真っ黒なスーツ姿に、厳つい顔立ちには無数の傷が走るという明らかに堅気の人間に見えない辺りが別の意味でも恐ろしい。


 そんな相手に自分だけで話に行けとか、いろいろな意味で無茶ぶりが過ぎるというものだ。


 「どうして、いきなり幽霊に話し掛けてこいなんて事になるんだよ、見ざる、聞かざる、言わざるを徹底しろって言ったのは、あやめさんだろ?!」


 直柔は、小声で怒鳴ると言う器用な事をしながら、話が飛躍し過ぎだと、必死にあやめに詰め寄る。


 「あら、分からない?そうね、強いて理由を挙げるなら貴方の幽霊を怖がり過ぎている所を直すためよ」


 「むぐぐ」


 実際にビビりまくっていた直柔は、その言葉に反論できなかった。


 「幽霊という死後の存在を恐れるのはいい、けど恐れすぎてもいけないの。死後の存在への恐れは死への恐れに繋がり、死への恐れは妄執に繋がる。そして妄執は、生命の輝きを曇らせる癌にしかならないわ。

 そう成らないためには、さっきも言ったように正しい知識と心構えが必要よ。けど実際には、その正しい知識と心構えを身に着ける事が一番難しいの。

 いくら私が幽霊は悪いだけのものではないと言葉を尽くして説明しても、貴方はきっと私の言いたいことの半分も理解することはできないでしょう。だからこそ何事も百聞は一見に如かず。自分で実際に体感してみること以上の学びはないわ」


 「うっ、ううう」


 言っていることは至極全うであるように思うのだが、あやめが真面目そうな顔を装いながらビビっている直柔の様子を楽しんでいるようにしか見えないのが、とっても納得いかない。


 「ね、ねぇ、せめて一緒に」


 「だーめ」


 直柔のせめてもの懇願は、あやめの満面の笑みと共に断たれてしまった。


 直柔はガクリと肩を落とすと、あやめが話してこいと命じた、自分の胸くらいの高さにある公衆電話の上に腰掛けて暇そうにしている幽霊を見やる。


 ――なんで、わざわざ公衆電話の上に座っているんだよ。


 ――――腰を落ち着けるにしても、もっといい場所が幾らでもあるだろうが!


 顔も怖いし、訳分かんないし、幽霊だしで、そんな所に行かなきゃいけないのかと思うと際限なく気が沈んでいきそうだった。

 

 だが、それでも、この自分の度胸を試されているような状況で、これ以上、あやめに泣きつくようなカッコ悪い真似もしたくなかった。

 

 つまらない意地だと自分でも分かっていても、半ば本能のようにカッコ悪い所を人に見せたくないと思ってしまう見栄っ張りな性分が今は憎たらしい。

 

 直柔は仕方なく、なけなしの男の意地を振り絞り、重い足を引きずるようにして公衆電話の幽霊の前までゆっくりと歩み寄っていく。


 すると男性の幽霊の方も自分の方に近づいてくる人間に気付いたのだろう、ジッと此方を見下ろしてくる。

 

 顔の右側を覆い尽くすように広がる真新しく見える傷の数々に違う意味で気圧されながら、直柔は「死んだら絶対に化けて出てやる」と心に誓い、意を決すと若干上ずった震えた声で話し掛けた。

 

 「こ、こんにちは」


 「ああ、こんにちは。凄いな目が合うなんて、本当に俺の事が見えているんだな」


 そんな直柔の挨拶に以外にも男性の幽霊は逆に驚いたように感心しながら、思っていた以上に気さくに返事を返してきた。


 「あ、あの、俺、貴方と話して来いって言われて、じゃなくて少し話したいと思って……」


 「ああ、あやめさんから一通りの話は聞いているよ。急に幽霊が見えるようになったんだって、大変だな。力に成れるかは分からないが俺なんかの話でよければ何でも聞いてくれ」


 「そ、そうなんですか、ありがとうございます」

 

 どうやら、あやめの方で男性の幽霊に予め話を通しておいてくれていたらしい。

 

 それなら、そうと言っておいてくれれば良いのにと、もしかしたら呪われたりするのではないかと本気で心配していた直柔は不満に思う。一方で、あやめが予め話を通しておいてくれたなら少なくとも安全は担保されているのだろうと安心もする。


 「ああ、っと、そうだ。先に公衆電話の受話器を取ってくれ、そのまま話していたんじゃ目立ちすぎるからな」


 「ああ、はい」


 直柔は、そう言われて公衆電話の受話器を取り耳に当てて電話しているように装う。


 確かに一人で公衆電話に向かって話し掛けている少年というのはハッキリ言って不気味だ。

 

 どうやら男性の幽霊は、自分が傍目から奇異の目で見られないように気を使って、公衆電話の所で待ってくれていたようだった。


 ……あれ?何だか普通っていうか、本当に良い人そうだぞ。


 「さて、それじゃあ改めて俺は村越俊一だ。ちょうど一月くらい前に交通事故で死んじまった。悲運のナイスガイさ。よろしく……はしない方がいいのかな、まぁ短い付き合いだろうがよろしく頼むよ」


 その「男性の幽霊」改め「村越さん」は、ヒョイと身軽な感じで公衆電話の上から飛び降りて壁に背中を預けると、そんな軽い感じで、自分が死んだという事実をあっけらかんと話してきた。

 

 「……黒川直柔です。よろしくお願いします」

 

 「ああ、よろしく」


 その軽い態度にカルチャーショックを覚えて、呆気に取られていた直柔の様子など気に留めていないように、気安く笑う村越さんには本当に無理をしている様子もなければ、変に後ろ暗いものも感じられなかった。


 どうやら幽霊というのは、すべからく自分が死んだ事実を受け入れられない存在という訳ではないらしい。


 「さて、それじゃあ何から話したもんかな。何か聞きたい事はあるかい?」


 「えーっと」


 その顔の傷はどうしたのかとか、死んで悲しくないのかとか、いろいろと聞いてみたい事は咄嗟に思い浮かんだが、無遠慮に聞いて良いのか分からず結局、言葉にして尋ねる事はできなかった。


 「はははは、まっ、いきなり聞かれても直ぐには出てこないよな。それじゃあ、そうだな、俺の死んだ時からの身の上話でも聞いてくれるか?」


 「うん」


 村越さんが場を繋ぐように、そう提案してくれるのに、直柔は一も二もなく頷く。

 

 「そうだな、まぁ、いろいろと話せば長いんだが、簡単に言うと俺って典型的な仕事人間でな。ちょっとばかし仕事が重なって一週間近くの間ほとんど寝ないで働き詰めだったんだ。それで何とかその日の仕事を終わらせて車で帰っていたら意識が朦朧とし始めてな。あー、これヤバいなーとか思っていたら急に心臓が痛みだしてさ。

 いや、これが本当に心臓を誰かに握り潰されたんじゃないかってくらいに尋常じゃない痛みでな、うわー、死ぬーとか思っていたら、目の前のトラックの荷台に追突しちまってさ。ははっ、いやー、それで本当に死んじまったんだよ」

 

 「…あー、うん、そうなんだ。…ごめん、どう答えればいいか、分かんないわ」

 

 そんな軽い感じのノリでくるならば、此方も軽い感じで返すべきなのか、いやでも軽すぎる返事は気を悪くさせてしまうのでは等々、いろいろと考えすぎた結果。気の利いた適切な返事が思い浮かばず、何とも面白味のない返事を返してしまう。

 

 「笑えばいいと思うよ」

 

 「いや、笑えないから」

 

 「はぁー、小学生にこのネタは通じないか」

 

 村越さんはやれやれと肩を竦めてみせるのに、直柔は苦笑を浮かべる。

 

 変に空気を重くしないために軽く話してくれているのか、もう死んでいるという事実を受け入れて吹っ切っているからなのかは分からないが、自分の死に際について話す当人には何の憂いも感じられなかった。

 

 「まっ、真面目な話、気付いたら自分の死体の隣に立っていてさ。このナイスガイの顔が潰れたトマトみたいになっててよ。この傷とか、その時のもんなんだよ」


 「…うわぁ……そのやっぱり痛かった?」


 「ああ、なんていうかアレは不思議な痛みでな。肉体的な痛みとは少し違うんだ。強いて言うなら喪失の痛みっていうのかな。あるべき筈のものがない、何かが欠けているようなズキズキとした痛みが熱を持って疼くようにずっと続くんだ。

 ……と言っても、半分意識が朦朧としていたから、その時のことは余り覚えてないんだけどな。多分、その時の俺は死体の俺と同じように頭がトマトみたいに潰れていたから、頭がまともに回ってなかったんだろう。まっ、鏡に自分の姿が映らないから、はっきりとした事は言えないんだけどさ」


 そうあっけらかんと語る村越さんの顔に走る裂傷のような傷を眺めながら、直柔はそのトマトみたいな頭だったという光景を想像しようとして止めた。


 明らかに直柔のグロ耐性をオーバーしていたからだ。


 「…でも、それじゃあ幽霊でも怪我って治るんだ?」


 「ああ、不思議なもんでな。葬式と告別式の後辺りかな、多くの人に供養してもらったら生前の自分を取り戻すみたいに傷も塞がってきて、気付いたら意識もハッキリとしてきてな。今はほとんど痛みもしないんだ」


 「へぇー」


 「多分、それが葬式とかの供養の本来の意味なのかもな。まっ、意識がハッキリしてくれたのも正直良し悪しだったけどな」


 そう言って初めて村越さんは苦い表情を浮かべた。


 「高校時代のサッカー部の仲間が全員集まってくれて、大学時代の友達までわざわざ遠くから来てくれてさ。ああ、本当にありがてぇーなって、もう死んでんだけど、死ぬほど嬉しかった。

 同僚が神妙な顔して葬式に参加してくれて、糞上司が泣きべそ掻いてやがっていた辺りは、まぁどうでもいいんだが…

 両親がボロボロ泣いているんだよ。結局、孫を抱かしてやることもできずに先にくたばっちまうような親不孝もんで、本当に申し訳なくてさ」


 そう言って村越さんは、込み上げてくる何かを堪えるように上を向いた。


 「ははっ、まぁ、そこら辺だけはどうしても心残りでな。ほかにやる事もなかったから、俺の死を悲しんでくれた両親や友達の周りを宛てもなくぶらついてたんだが、そうすると嫌でも思っちまうんだよ。

 どうして俺はもっと周りにいてくれた両親を、仲間をもっと大事にしてやれなかったんだろうって。この身体じゃ眠気も空腹も疲れすら感じないからさ、ここ一月は朝も夜もその事ばっかり考えていたよ。

 そして出る答えはいつも一緒なんだ。俺はビビってたんだって。いつか無くなってしまうかもしれない関係を本気で大事にすることに、人に嫌われてしまうかもしれないことに怯えて言い訳して楽な方に逃げていたんだって。

 もしかしたら、ちょっと手を伸ばすだけで、もっと確かな繋がりを作ることができたかもしれないのに、どうして俺はそのちょっとの勇気を出して手を伸ばせなかったんだって死んでも、死にきれないってくらい後悔した」


 村越さんは、自分の罪を懺悔するように話すことで、吹っ切れたかのように、明け透けに笑う。


 「そうすると不思議なもんでさ、そんなみっともない自分を認めたくなくて、どうせ死んだら独りなんだから俺は間違っていないとか、そんな繋がりなんて俺には必要ないとかって考えが浮かんでくるんだ。

 けど、そうやって強がっていて一番苦しいのは自分なんだって一月近く独りで考え続けていたら、嫌でも思い知らされた。そうして気付かされるんだ。

 ああ、俺は、こんなにも寂しがりの、みっともない人間で、そして、それくらい人との繋がりを大切に思える人間だったんだって。ようやく自分の魂の渇望が、自分っていう人間の輪郭がやっと分かったんだ」


 そう言う村越さんは救われたような安らかな表情を浮かべた。


 「それが分かって、やっと救われた。あの時もっとこうすることができたなら、もっとお節介って言われても手を差し伸べることができたなら、もっと仲間たちと違った人生を送ることができたんじゃないかって後悔はあるけど。

 けど、人との関係に臆病になるのは、それだけ俺にとって人との繋がりが大事だったからなんだって分かったら、俺は俺なりに自分の大切なものを必死に大切にしてきた結果なんだって受け入れられるような気がするんだ」


 「……そうですか」


 「ああ、だからもう思い残すことはない。いや、正直、結婚して子供を残したかったとか今更になって思ったりするけど、そればっかりはどうしようもないからな。

 まっ、そんな訳であの世に行く前に最後の未練で、大学時代好きだった女の子の事を見に病院に来たら、あやめさんに見つかってお前さんの事を頼まれたって訳だ」


 そう言ってニカッと笑う村越さんには必死に生き切った人間の気高さのようなものが感じられた。


 「まっ、若いお前さんには詰まらない話だったかもしれないが、少しは何かの参考になったか?」


 「……はい、凄く。俺もっと幽霊って怖いものだと思っていたけど、村越さんはなんていうか――凄く普通で安心しました」


 それくらい実際に知っている霊が平野さんの霊だけであった直柔にとって、驚きも一塩だった。


 「はははは、普通か、そりゃ嬉しいような、残念なような感じだが。でも、その感覚は間違いじゃないかもな」

 

 「えっ」


 「実際に俺はまだ普通の幽霊だが、霊の中には普通じゃないイカレタ霊もいるってことだよ。俺もここ一月くらい、あちこちを見て回っていたから分かるんだが、基本的に俺みたいに人間のなりをしている霊は、まだ問題ない。

 だが、頭のネジが一本か二本ぶっ飛んじまったような本当にヤバイ霊っていうのはなりからして普通の人間からかけ離れていくんだよ。体の色が変に黒ずんで見えたり、嫌に獣臭い臭いがしたり、もっとヤバい奴になると指の爪がかぎ爪みたいに伸びている奴がいたな。

 悪い事は言わないから、そういう奴を見たら下手に近づかない方がいい。まず話がまともに通じないし。そういう奴等は多分、もう相手が誰とか関係ないんだ。自分の不満を、寂しさを、無念を、誰かに叩きつけたいだけなんだろうよ」


 その言葉に白と黒色が入り混じったような人型の何かになっていた平野さんの霊の事を思い出して、ゾワリと怖気のようなものを感じる。


 「…どうして、そんな風になっちゃうんだろう?」


 きっと村越さんの見たヤバイ霊というのは、恐らく平野さんと似たような存在なのだろうと察しがついた。


 そして、だからこそ分からなかった。どうして、それほど人を、世界を憎むことができるのか。


 今朝、噂話として平野さんの身の上話を聞いた今でも、所詮ただの小学生である直柔には本質的な意味で、その怒りと無念を漠然と想像することはできても、理解することができなかった。


 「……俺は、今は何となく分かるな」


 「えっ?」

 

 「死ぬとさ、良くも悪くも全てから解放されるんだよ。お腹もすかない、眠くもならない、疲れもしない。生きるためにしなきゃいけない、仕事も、勉強もしなくていい。現実っていうクソゲーが俺たちに強いてきた、自分を抑圧し続けなきゃいけなかった全てから解放されるんだ。

 ……皮肉なもんだろ、俺も死んで初めて分かったよ。本当の自由って奴がどんなもんなのかさ。何もしなくていい代わりに、何もできない。そんな本当の意味で全てから解放されて自由になった時、人は本当の自分と向き合うことになるんだろうな。

 自分の生きた意味。自分が本当は何を求めていたのか。自分自身が見て見ぬ振りしていた夢や渇望とかってもんや。逆に自分の生き方を縛ってきた束縛や抑圧への怒りや悲しみとか、自分の生き方を歪めたものへの憎悪や無念とかってもんとかと向き合うんだ。

 なにせ、自分と向き合う以外にやるべき事も、やれる事も特に無いしな」


 そういって苦笑いを浮かべる村越さんは、どこか虚しそうだった。


 「そんな自分の人生を自分で採点する答え合わせみたいなことを、眠くもならない、疲れもしない体で、朝も昼も夜も関係なく永遠と自分と向き合い続けて自問自答し続けるんだ。はははっ、俺も経験したが正直、自分でも気が狂っていたんじゃないかと思う瞬間があったな。

 ……けど、そうやって気が狂いそうなくらいの時間、自分と向き合い続けて最後に残るのは自分の剥き出しの答えだけなんだ。俺が本当は寂しくて、誰かともっと深く繋がりたかったんだっていう自分の渇望に気が付いて、自分のみっともなさに悶絶して、それでも、それが自分なんだって、それくらい誰かと繋がりたいと思えた自分でいさせてくれた皆に俺は感謝できた。

 そんな風に最期に残った答えが、俺みたいに受け入れられる範疇のものであればいい。けど…」


 村越さんの顔が不意に悲哀に曇り、恐れおののくように引き釣った。

 

 「最期に残った答えが、自分の生き方を歪ませた何かへの抑えきれない怒りとかだったなら……。きっと、あんな風に歪んでしまってもおかしくないような気がするな」


 そういう村越さんに直柔は何も言う事ができなかった。


 「人ってさ、生きている間は、怒り続けて、憎み続けるのにもエネルギーがいるから、そんなに怒りを持続していられないけど……俺たち死人は疲れとは無縁だからな。少なくとも生きていた頃よりはずっと容易く怒りを持続し続けられる。

 そんな今、目の前で起きた事のように鮮明に焼き付いた怒りに囚われ続けて、朝も昼も夜も関係なく永遠と誰かを憎み、呪い続けることしかできないってなったら……そりゃあ、頭のネジの一本や二本吹っ飛ぶのも仕方がないだろうさ」


 「・・・・」


 村越さんが憐れむように話してくれた内容に、直柔は毛が逆立つような怖気を感じて震えあがり、胸が痛くなる。


 生きている間は持続し続けることが難しい怒りが、自分の人生を採点し直した末の答えになるほど、深く、魂に刻まれている怒りの念というものが想像もできなくて。


 そして、生きてきた答えが、誰かへの怒りになってしまう人生というのが、どれほど辛く、悲しいものなのかを想像すると胸が痛んだ。


 それは、生きる事も、死ぬ事と同じくらい恐ろしい事なのではないかと思えてしまうくらい、悲惨な事のように感じられた。


 そんな暗い顔をして悩むように顔を俯かせていた直柔を慰めるように村越さんは言う。


 「……何もかも上手くいって、幸せになれる人間なんていない。もし、いたとしても、ほんの一握りだけだ。それでも大半の人は自分の中で折り合いをつけて、自分なりの幸せを見つけて生きていく。

 自分の強さを見詰め直して、誰かの強さを認めて、自分の弱さを受け入れて、誰かの弱さを許して、さ。

 ――だから、許すこと、諦めること、妥協すること、それさえ出来れば、きっと楽に生きられるんだろうけど、ははっ、でも、それが出来ないからこそ人なんだろうな。生きるってそういうことなのかもしれん。

 でも、だからこそ人の最期には覚悟と潔さってものが必要なのかもしれないな」


 「…分かんないよ」


 「ははっ、だろうな、俺も分からん、たださ何となく生きている君に伝えてやらなきゃいけないと思ったんだ。

 物分かりの良い人間になるのは最期の時だけでいい。立派じゃなくても、ただ自分なりに必死になって胸を張れる生き方さえできれば、それだけで、きっと良いんだ。それさえ出来ればきっと君は大丈夫だ」


 村越さんは、自分が平野さんの霊のように死んでも怒りに囚われ続けるような生き方をしないで済むようにアドバイスをしてくれたようだった。


 もしかしたら平野さんのような霊の存在を恐れ、同情すると共に、「自分もいつかそうなってしまうのかもしれない」という自分でも気付いていなかったような恐れを見て取って、そう言ってくれたのかもしれないと思えた。


 「…ありがとう村越さん」


 「はははっ、やめてくれ、柄にもないこと言ったなって照れてるんだ。あぁぁー、もー、ハズイなー、もう十分話しただろう、ほかに聞きたいことはあるか?なけりゃ俺はそろそろ帰るぜ」


 「んー……うん、大丈夫」


 何か聞きたいことはあるか考えたが、特に思い浮かばなかった。


 「そうか、それじゃあな。俺も最期にこうしてお前と話すことができて嬉しかったよ。それに正直少し救われた。ありがとうな直柔。直ぐに俺の後を追って来るなよ」

 

 「うん」

 

 「それじゃあ、これが俺からしてやれる最後の授業だ」

 

 「えっ」


 村越さんは、そう言って晴れやかな笑みを浮かべたのを契機としたように、その霊の体がゆっくりと白い光の粒子となって霧散していく。


 「じゃあな、30で死んじまった俺の分まで幸せになれよ」


 村越さんは晴れやかな笑みを浮かべてそう言ったのを最後に霊体の全てが白い粒子に変わり霊体の形の輪郭を消失すると。最期に残った白い光の粒子も、まるで煙草の煙を手で払われて霧散するかのように、ものの10秒足らずの間に世界に溶けるように消えていってしまった。


 「……村越さん?」


 「成仏したわ」


 直柔は今の今までカモフラージュで耳に当てていた受話器から耳を離して左右を確認してみるが、村越さんの返事は返ってこず。


 代わりに返ってきたのは何時の間にか後ろにいたあやめのそんな声だった。


 「そんな……」


 天使が迎えに来るでも、光が差すでもなく、何一つ劇的な事が起こるでもなく溶けるように霧散してしまった村越さんが、成仏してしまって、もう二度と会う事ができないなんて信じられなかった。


 「許してあげなさい。面倒見が良くて、お人よしで、それでいて、しっかりとしたお別れを言えない人間関係に不器用なのが『村越さんの魂の輪郭』なんだから。…お礼の一つでもせびるくらいのほんの少しの図太さがあれば、もっと彼も人と深く繋がることができたんでしょうね。……けど、そんなお人よしだからこそ高校時代の仲間が全員集まってくれたんだと思うわ」


 「……聞いてたんだ」

 

 「人聞きの悪い、私が居る所まで偶々聞こえてきたのよ。…教師役としては間違った知識を鵜吞みにされても困るしね」

 

 あやめがシレッと答えるのに直柔は苦笑する。


 「先に村越さんの話の中で一つだけ少し違うところがあったから訂正しておくわ。村越さんは死ぬと生前の柵から解放されて自由になると言っていたけど、幽霊がこの世に存在し続けるというのは、そんなに簡単な事じゃないの。

 幽霊は、この世に対する執着のようなものを持ち続けなければ、この世に自我を持って留まり続けることができない。そのことを幽霊たちは皆、本能的に理解しているからこそ、村越さんが言っていたように自分自身の心と向き合うことを半ば強制させられているの。

 そう言う意味では、生前の柵に何より縛られた存在であるともいえるわ」

 

 「……そうなんだ」

 

 それは酷く残酷なことであるようにも思えた。

 

 肉体的な楔から解き放った上で、村越さんの言葉を借りるなら自分の人生を採点するようなことを強制させるというのは、少なくとも楽しい行為だとは思えなかった。

 

 だが直柔には今、それよりも気になって仕方がないことがあった。

 

 「あやめ、村越さんは本当に成仏しちゃったの」

 

 「ええ」

 

 「成仏すると人はどうなるんだ?」

 

 「因果に返るわ」

 

 「因果?」


 直柔は、聞き馴染のない言葉の意味をあやめに聞き返す。


 「そうね、ちょうどいいわ。次はそれを説明しようと思っていたの。口で説明するだけではなかなか理解できないでしょうから、それが目に見えて分かりやすい場所に行きましょう」


 直柔は、そう誘うあやめの言葉に従い、病院中央にあるナースセンターの方に向かって歩き始める。



 「どこに行くんだ」


 「貴方もよく知っている場所よ」



 目的地を明かさないことを少し不審に思いながらも、あやめと連れ立ってナースセンターの脇を抜け、病院の中央階段を上がって5階に上がっていく。



 「まさか…」



 5階を上がった辺りで薄々もしかしてと思っていたが、あやめが実際に個人病室の並ぶ北東側の廊下に足を向けたのを見て、直柔は目的地を悟って顔色を無くす。


 昨日、平野さんと出会った場所に向かっていることが分かったからだ。


 「大丈夫、遠くから見るだけだし、今度は私も一緒だから」


 あやめが苦笑を浮かべながら手を差してくるが、今度の今度こそは冗談でも行ってたまるかと本気で思った。


 それくらい平野さんの霊は、直柔にとってはトラウマに近いような恐怖の対象であり、近づくことなど想像するだけでも恐ろしい存在だったからだ。


 一方で、人が死んだらどうなるのか、その答えが行けば分かるかもしれないのだという誘惑は抑えがたかった。


 その誘惑は、実際に死んで、成仏した、村越さんという人と間近に接したことで、直柔の中で抑えきれないくらい大きなものになっていた。


 「…分かった」


 直柔は、恐怖と自分の中の知識欲とを天秤に掛けた末、覚悟を決める。

 

 平野さんの霊とは2回遭遇する機会があったが、結局2回とも無事だったのだ。

 

 それに今度は、最初からあやめも一緒なんだから遠くからばれないように見るだけならば絶対に大丈夫だと、自分に言い聞かせ、あやめの手を縋るように握りしめる。


 「よろしい」


 そう言って満足げに笑うあやめに手を引かれ直柔は、平野さんと出会った5階北東にある廊下へと足を進めた。


 個人病室が並ぶ廊下は、昨日と比べて明るく。あやめと手を繋いでいるお蔭か、迷道に迷い込んだ時のような妙な感じもしなかった。


 それどころか平野さんの霊が近づくに連れて強くなった背筋が冷たくなるような妙な威圧感のようなものも感じない。


 平野さんの霊は此処にはいないのではないかと直柔が少し気を緩め始めた頃、あやめは廊下の中ほどまで来た所で立ち止まった。



 「気を引き締めなさい、そろそろ繋げるわよ」


 「えっ?」


 あやめの言葉の意味を問い返そうとした時、唐突に世界がガラリと景色が変わった。


 まるで、あやめの言葉の通り、テレビのチャンネルが切り替えられでもしたように目に見える光景が違う世界に繋がったかのようだった


 そして視界の中に飛び込んできた光景の余りの異様さに直柔は、恐怖よりも先に本能的な嫌悪感に震えた。



 その世界では、周囲が日暮れ後のように薄暗く。



 獣臭さのような、硫黄臭のような、嗅ぎなれない異臭が充満していた。



 そして、廊下の一番奥、前回、平野さんの霊を見掛けた場所では、大の男を一人や二人くらいならば容易に取り込めそうなくらい大きい黒いヘドロのように粘質的で歪な球形をした何かが、「グチャグチャ」と何かを咀嚼するかのような音を立てながら、まるで脈動するようにうごめき、絶えず収縮拡大を繰り返していた。


 「…うっ…」


 その全てに生理的な嫌悪感を覚えて、込み上げてきた吐き気を堪えるが口の中に酸っぱいような味が広がり、呼吸が荒くなる。


 おそらく周囲に漂う、異臭の原因でもあるだろう。


 黒い粘質的な何かから目を離せずに見つめているとある事に気付いた。


 ドロドロと蠢き心臓のように収縮を繰り返す黒い粘質的な何かの周囲を、黒いコバエのようなものが飛び回り、同様に周囲の地面の上をうじ虫のように見える黒い何かが這うように蠢いている。


 それらは、一様に黒い粘質的な何かの下へたかるように群がっていた。


 そして、黒い粘質的な何かの下に近づくに連れ、相対的に互いの距離が近づくと、まるで互いを喰らい合うかのように結びつき合いながら、形を少しずつ大きく、変えていく。


 最初はコバエのような黒い小さな虫のように見えた何かは、野球ボールほどの大きさになり、バレーボールほどの大きさを超す頃には、まるで小さい子供が落書きで描いたような人の体の不自然に一部を象ったような何かの形へ、と。


 あるものは異様に指の長い人の腕から先のような形を、あるものは異様に足が小さく足首が太いような形を。


 そうした人の体の一部を象った黒い何かは、粘質的な黒い何かの体の一部として無秩序に付け足されていくのだ


 まるで無理矢理にでも、黒い粘質の球形の何かに無数の手と足を生やそうとでもしているかのように……


 その光景を見て、直柔は理解した。


 黒い粘質的な何かが脈動するかのように蠢いて見えたのは、完成系など何も考えず乱暴に付け足された手足が、黒い粘質的な何かの中に入り込もうと蠢いているからであり。


 収縮が繰り返されていたように見えたのは、本体のようにも見える黒い粘質的な何かと付け足された手足が共食いのように、どちらかを完全に吸収されることで大きさを不定期に変えていたからだった。


 その様は、まるで寄生虫と宿主が、身体の主導権を取り合えっているかのようなおぞましい光景だった。


 「……っ」


 また、その光景は死体に群がるウジ虫やコバエのようにも見え、今度こそ怖気が堪え切れなくなり、溢れそうになった悲鳴を必死にかみ殺す。


 「これが因果よ」


 あやめは、そんな直柔を慰め励ますように手をつなぎ変えると背中を摩りながら、そう教えてくれた。


 「因果とは、人の残した意思であり、世界に刻まれた因縁の形であり、過ぎ去った時の証であり、世界の流れを形作る全ての原因でもある。

 全てのモノは『因果』という鎖で繋がれているの。生きている人間も、死んだ人間も、動物、自然、神や精霊といった神秘でさえもそう。その中で人は、知恵と経験という因果を紡ぎ続けて、この星の趨勢を支配する人類史という大きな因果の流れを紡いでみせた。

 人は死んだ後、その『魂』というべき自我の核は人類史という大きな因果の流れの中に戻っていく。まあ、『あの世』っていった方が分かりやすいかもね。そして、それ以外の思いや生前の行いによる因果は、世界に因縁という形で刻まれるの。

 ただ、その時に困った事があってね……」


 あやめは、そう言って弱ったような苦笑を浮かべた。


 「世界に因縁として刻まれる因果は、夢や希望、理想や愛、絆といった人が美しいとする感情によるものだけじゃなくて、怒りや絶望、悲しみや無念、そういった悲劇とされる因果も残されるの。

 因果の中でも特に人の紡いだ情的な因縁には複雑で面倒なものが多いのだけれど、同時に互いに共通するものがあれば結びつきやすいという特性を持っているの。

 ……ここまで言えば分かるかしら。この辺りにある黒い粒子のようなものは全て人が残したこの病院への恨み辛みといった因果たちよ。「どうして自分の子供を無事に産ませてくれなかったんだ」「どうして自分の病気が治らないんだ」「どうして、こんなに苦しまなきゃいけないんだ」「どうして死ななければならないんだ」。

 そんな病院に対する不平不満、逆恨みといった負の因果が、病院内に広まった噂という因果を媒介に、自分たちの怒りの代弁者を見つけて平野さんの下に集まってきているの」


 その言葉に直柔は疑問ではなく、納得してしまった。


 それくらい黒く蠢く何かは悍ましい気配を漂わせていたからだ。


 「ここまで悪い因果が集まっているとは私も思わなかったけど…おそらく時期が悪かったのね。移設先の病院が建築されている最中という、最も穢れが溢れ出しやすい過渡期だもの。

 患者側からしたら直ぐ目の前に新しくて綺麗な病院が建てられているのをこの目で見ている訳だから、それが完成するまでの場繋ぎのような状態の今の病院に対して全幅の信頼感を寄せることはできないし。

 実際に病院側も移設に向けて院内の経費を節約して完成までの場繋ぎのつもりで運営している訳だから、それも仕方がないのだけれど。……そうした場の乱れは得てして内部からも外部からも悪因を招きやすいものだからね」

 

 あやめは悲しそうな表情を浮かべると、そう言ってため息を吐き出した。

 

 「ある意味で病院という場所は、現代で一番神域に近い場所だわ。『ここならば自分を救ってくれる』、『助けてくれる』。そんな最も純粋で無垢な信仰心にも似た強い因果が集まる場所よ。……けど、もしそれが裏返ってしまったなら、どうだけ世が乱れると思う?

 ……平野さんは、その答えを得てしまったのね。これまでは病院への信頼感や感謝といった因果で抑えられてきた、悪い因果や穢れまでもが噴出して平野さんの下に集まっている」

 

 直柔には、あやめの言わんとしている事が正確に分かった訳ではないけれど、その言葉が酷く耳に残った。

 

 「……ついでに教えておくわ。どんなに怨み骨髄の霊でも基本的にその霊単体だけであるならば恐ろしくないの。霊というのは所詮、常世の存在。現世の人間に害を成すことはできないわ。

 けど例えば、その人間を恨んでいる人間の霊がもう一人いたり、同じような理由で人を恨んでいる人間の霊が同じ人間へ害意を抱いた時。つまり因果同士が結び付いた時は、その限りではないの。一人では現世に対してせいぜい0.3~0.5人分程度しか干渉しかできなかった霊の因果が、二人、三人と重なることで現世の人間一人分に等しい干渉力を得ることがある。

 そして平野さんは今、この司馬田病院内に吹き溜まっていた、この病院の70年分の穢れの因果を得ている。おそらく数千、数万近い人間の負の感情の因果をね。……これは、もう宮内庁直轄の退魔組織が動くレベルの霊障よ。

 ただ幸いなことに彼女の狙いは医療関係者に絞られている。だから、いい、直柔、あなたはもう決して平野さんの霊と関わってはダメよ。彼女はもう程なくして人から妖という怪物に変じてしまうのだから」


 そう話すあやめの話が余りに現実感がなくて、直柔は呆然と頷くことしかできなかった。


 その時は、ただただ、ドロドロと蠢く黒いヘドロのような粘質的な球体の中で、人ではない何かが生まれようとしているという事実が恐ろしかった。



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