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陰陽なりて  作者: モモサト
6/20

平野さん


 「おはようございます」


 「昨晩は騒がしかったですね」


 そんな自分以外の誰かの話し声に、直柔はハッと目を覚ました。


 気でも失うかのように、いつの間にか眠ってしまっていた事に驚きながら慌てて周囲を確認する。


 薄いカーテン越しに差し込む光がもう朝であることを示しており、ナイトテーブル上の時計は、まもなく7時を迎えようとしていた。


 「ええ、本当に何があったんでしょう?」


 「あれ、ご存知ないんですか」


 ネットカーテンの向こうから同室の人たちの何でもない雑談の声が聞こえてきて、どうやら自分は無事に朝を迎えることができたらしい事に心底ホッとする。


 「何が大きな事故でもあったんですか?」


 「いえ、そういう訳ではないみたいなんですけど…」


 そんな同室の人たちの何気ない会話を聞き流しながら、直柔はベッドの上に寝転がると、改めて昨晩の出来事を思い返し。


 ……忽然こつぜんと現れて自分を守ると言ってくれた〝不思議な女の子〟の存在を確かめるように隣を確認してみるが、そんな少女がいた痕跡など欠片も残ってはいなかった。


 ―――アレは夢だったのだろうか?


 いろいろあった昨日の出来事の数々が、自分に悪夢を見せたのだろうか?

 昨晩の出来事はそれくらい荒唐無稽で、どこか現実感が乏しく、そうであっても何ら不思議ではないように思えた。


 「なんですか、教えてくださいよー」

 

 「はははっ、いや、もったいぶっている訳ではないんですけど、何と言うか少し変わった話なので気を悪くされたら嫌だなと思いまして…その実はですね今、院内じゃある噂話で持ち切りなんです」


 だが、直ぐにそうではないことが分かった。


 「私も知り合いの患者さんから聞いたんですけど、何でも昨晩、幽霊が出たって大騒ぎされた方が何人もいらっしゃったみたいで、院内が軽いパニックになっていたみたいなんですよ」


 隣で雑談をしていた男性の怖がらせるように低く、それでいて面白がるようなニュアンスが含まれた雑談の声が聞こえてきたからだ。


 直柔は、その内容に思わず息を呑み込みながらその雑談の続きに耳を澄ます。


 「幽霊ですか?」


 「ええ、何でも恨めしそうな声で『本当に死ななきゃいけなかったのか』って何度も繰り返し尋ねながら病院をさ迷っていたとか、枕元に立ってジッと此方を見下ろしていたとか、そんな目撃情報が病院中のあちこちから寄せられたらしくて、嘘か本当か10人近い人が、その幽霊を目撃したんだそうです」


 驚いたように聞き返す声に、興味を煽るような言い回しで答えられた内容を聞いて。


 直柔は、その多くの人が目撃した幽霊というのが昨日、自分の下へとやってきた〝アレ〟と同じものだと直感的に確信して、昨晩の出来事が夢ではなかったのだと悟る。


 「…それで、その霊の正体っていうのが半年くらい前に、この病院亡くなった〝平野さん〟っていう方だったに違いないってもっぱらの噂なんですよ」


 「へぇー、その〝平野さん〟っていう方はどういう方なんですか、何と言うか、どうして化けて出たというか」


 そう語り手の男性は、聞き手の男性が話に乗ってきたことに気を良くしたのか興味を煽るように話を続け、もう一方の男性も興味深そうに尋ね返す。


 「ああ、まぁよくある話って言えば、よくある話なんですけどね。平野さんはもう90近いご高齢だったそうで。それくらいの年齢になると手術に耐えられる体力もないし、下手に心臓マッサージとかしたりすればあばら骨を折れてしまったりして、不必要にご遺体を傷つけてしまう可能性が高いらしんですよ。

 だからお医者さんも、もう平野さんは十分生きられたのだから無理な治療はしないでおきましょうってなことをご子息と相談して了解を貰っていたらしいんです。実際に平野さんは半年前ほど前に亡くなったそうなんですが、実際にお医者さんと話あって決めた息子さんたちは仕方がないことだって納得できても…。

 残された平野さんの旦那さんの方は納得できるかどうかは別じゃないですか。『妻はもっと生きていたかったのに、どうして助けてくれなかったんだ』ってすごい剣幕で病院に怒鳴り込んできて。一時期は、毎日のように来ていたらしくて病院内で噂になってたらしんですよ」


 「ああ」


 少し心苦しそうに話す男性の声に、聴いていた男性も納得したように頷く。


 「実際に平野さんは最後の方はずっと寝たきり状態で、旦那さんの方も軽度の認知症が出ているような状況だったそうで、息子さんたちが判断するしかなかったんですけど、亡くなった平野さん本人がどう思っていたのかは他人じゃ分からないですからね」


 「そうですね」


 ……という事は、その亡くなった平野さんの旦那さんが言うように、まだ生きていたかったから〝アレ〟は「自分は本当に死ななければいけなかったのか」を尋ねて回っていたという事だろうか。


 小学生という年齢で、死というものが身近ではない直柔には実感が湧かない話ではあったが、話の筋としては納得できる話ではあった…のだが、肌感覚で〝アレ〟に身近に触れた直柔には、どこか違和感があった。


 直柔が本気で恐ろしいと思った理由である〝アレ〟の迷子の子供のような物悲し気な佇まいの裏に感じた。


 煮詰められたタールのように黒々とした憤怒の念を抱いているような、不気味な印象になるには、それだけでは何かが足りない気がしたからだ。


 「……それにですね、これは、あくまで噂なんですけど……」


 そんな直柔の疑念を裏付けるように、男性はさらに声を潜めて何かを話そうとする。


 本能的に、その話の続きが足りない何かを埋める理由なのだと察して耳を澄ます。


 「……実際に医者の手抜きのせいだったって噂もあるらしいんですよ」


 「えっ、本当ですか?」


 そう何処か嫌悪の籠った男性の声に、聞き手の男性の方も驚きの声を上げる。


 「ええ、あくまでも噂なんですけど。東京とか医者も一杯いるところなら、もっと治療してくれたのにって。平野さんの主治医は30代半ばくらいの若い医者だったらしいんですけど。これくらいやれば良いだろうって勝手に見切りをつけたんじゃないかって。……あくまでも噂なんですけどね」


 「……ああ、でも本当にあるのかもしれませんね」


 「何かご存知なんですか?」


 聞き手側の男性の何か納得したように声に、噂話をしていた男性が興味深そうに相槌を返す。


 「いえ、直接的には知らないんですけど、そういうこともあるのかなって。岩手にいる両親から聞いた話なんですけど、何でも岩手が全国で1番医者不足らしいんですよ。患者も老人ばっかりなんで、岩手では此処を姥捨て山にするつもりなのかって文句が出ているんだとか」


 「ああ、確かに新聞か、何かで言ってましたね」

 

 「ええ、それで、両親曰く、岩手じゃお医者さんは本当に多忙らしくて一人一人に手を尽くしてられるような余裕がないらしいんですよ。議員の先生たちが今年も医者を増員できませんでしたって謝るのが恒例になっているくらい深刻らしくて。

 東京とか条件の良い所にばっかり医者がいて、本当に必要な所には医者がいない。政治は平等だ何だと耳障りの良い事ばっかり言っているけど嘘ばっかりだって。東京の病院なら助かった命も、もっとあっただろうって親戚が亡くなった時にぼやいてたんですよ。

 新潟は、岩手に次いで全国で2番目に医者不足が深刻だって話ですから、もしかしたら…」


 「ああ、やっぱり、新潟も老人ばっかりですしね、毎日のように死んでいく爺、婆一人一人に手を尽くしてられないんですかね」


 「……医者は大変な仕事だって事は分かるんですけどね」


 直柔は、二人の話している難しい話の内容を全て理解できたとは言えないけれど、とても複雑な事情があることだけは何とか理解できた。


 それは、平野さんの家庭内だけで話し合われるべき問題であるのかもしれず。

 

 もしかしたら、誰かが流した噂の通り平野さんの担当医だった医者が悪い可能性もあり。


 けれど、そこまで余裕を持てないくらい担当医を追い込んだ病院内のシステムの方を責めるべきであるのかもしれず。


 そもそも、医師の待遇を改善できない政治に諸悪の根源があるのかもしれない。


 だが、ここまで一連の流れを考えると、その政治にも何とかできない理由があるのかもしれないと漠然と思えた。


 所詮、ただの小学生である直柔には、そんな難解すぎる問題の答えを出すことなどはできなかった。


 そして、だからこそ分かった。


 〝アレ〟も自分と同じようにその問題の答えを出せず、自分の怒りをぶつけるべき場所を探しているのだと。


 自分の身に降りかかった理不尽に納得できる理由があるのか。


 誰が悪かったのか。


 怒りをぶつけてもいいのか。


 抑えきれない憤怒と不信感という黒々とした感情に支配されながら、その答えを自分自身の中に問い続けて、それでも答えを出す事ができなかったからこそ、尋ねて回っているのだと。


 直柔は、何故か直感的にそう分かって、ゾクリと自分の中に走った悪寒に身を震わせた。



この物語はフィクションです。

現実の一切の事象と因果関係はありません。

一部の事実を誇張して書いています。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 情景表現がすごくいい。世界に引き込まれる感じで、ゆっくりとした恐怖を感じます。僕も同じ新人なろう作家ですが、導入部分でやられました。ジャンルは違いますが1度僕のも読んでください
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