第一話
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〝黒甲冑に朱の鎖模様、血濡れた赤いキュレットに灰色じみた外套、その手に持つは黒荊の短槍に血吸いのノコギリ。
恐ろしきかな恐れるべきかな、この世の異端なりし彼の者は倒れず死なず、冥神の象徴を手にして歩きゆく。
おお、彼の騎士の名は────〟
意識が覚醒する。
視界は良好、鈍りも無い、思考も晴天雲一つなく。一切疲れはなく、問題はない。
腰のポーチもある、武器もある。物盗りに襲われた様子はない。
「仕事の時間か」
誓旗を握りしめ立ち上がる。
そうして、眼下に広がっているモノを見下ろす。眼下、崖下に広がっているのはありふれた小さな砦。依頼によれば、もう十数年前に放棄された一種の補給用の砦だったようで今では軍人崩れの盗賊たちのアジトとして使われている。無論、彼らが軍人崩れではあるが、十数年前に放棄された砦を修復することなど出来やしない。出来たとしてもせいぜい砦内のドアやそういったものぐらいだろう。
たった一人の砦攻め。
例え、どれほど腕に自信があってもたった一人でなど、忌避するべき行為ではある。だがしかし、男は一人砦を攻める。
男は一度、誓旗の石突を地面に突き立て自由になった両手で砦とのおおよその距離を測る。
「……目測、二,三〇〇と、いったところか……問題はないな」
おおよその距離を測った男は誓旗を地面から抜き取り、投槍の構えを取る。投槍、そう言ってもその誓旗の穂先ではなく石突が前を向いているが。普通ならば穂先側についている旗が地面に触れてしまうのだが、不思議なことに旗は地面に触れることなくたなびいている。
「《Throuwing Pledge Darkening Medium》」
そう、四節の異界言語によって紡がれるのは魔術。投擲の構えをした石突よりまるで噴き出すように墨の様な煙が生じていき───次の瞬間に男はその手の誓旗を崖下に見える砦へと投擲した。放たれた誓旗はそのまままっすぐに砦へと飛んでいき、砦奥高台の壁面へと深々とその石突を突き立て砦の人間に示す様にその誓旗を掲げて見せた。
唐突な誓旗の出現、それだけでも砦にいる者たちは驚愕するが、それに追い打ちをかけるように誓旗より溢れかえる墨の様な煙が砦全体に広がっていき、外から見てあっという間に砦は真っ黒いドームに覆われ消えた。
それを確認し、男はそのまま崖を蹴り眼下の闇のドームへと文字通りその身を投じた。
場は移り変わり、砦にいた盗賊たちその中でも壁上で見張りをしていた者や高台にいた者、そして中庭にいた彼らは皆一様に目を丸くしていた。何せ、いきなりなんの前触れもなく、高台の壁面に誓旗が突き刺さったのだから。あまりのあまりにあり得ない光景にしばし、放心するが流石は元軍人というべきかすぐに気を戻し、自分たちの頭へと報告の為に走っていく者が数人。そしてその場に残り誓旗を見上げている者はその誓旗に刻まれている誓印を見て、その表情が途端に強張っていく。
赤い鎖模様で菱形に囲われたエイワズのルーン文字。曰く、死を縛る冥神の象徴。
彼らは軍人崩れ、そうなる前は農民であったりなど、学のない者もいるのは間違いないがしかし、それでも彼らは知っている。その誓印が冥神の象徴であることを、その誓旗がこうして現れた意味を。
それは死だ。
地獄。あの世。黄泉。冥府。呼び方は数あれど、死後の世界と言われるそれらを管理する神は一柱のみ。〈暗き虚底の冥神〉、神を信仰する者はこの現世に数いれど、およそ冥神の信徒は全体のいったいどの程度か。少なくとも〈邪神〉に区別される神々の信徒の総数と信徒数で争えるぐらいはいるのだろう。
そんな彼ら、冥神の信徒が成すのは秩序を乱す者たちの死を冥神へと捧げる事。誓旗を突き立て、冥神が罰するべき悪が此処にいる事を伝えると同時に信徒として儀式を執り行う事を告げる為の宣誓だ。
学がなくても、悪人を殺す、その事実だけは理解していた。
自分たちを殺しに来た事を。だが、だがしかし────
「だから、どうした! 逆にぶっ殺してやんよ」
「そ、そうだな。こ、こんなに数がいるんだ冥神の信徒がなんだ!」
自分たちはかつて軍人として戦争に参加、いまでは盗賊としていくつかの村々を襲い、行商を襲っては用心棒や護衛の冒険者を倒してきた。そんな確固たる自信が彼らにはあった。故に返り討ちにしてやる、というやる気が溢れてきて────気が付けば自分たちの世界は暗転していた。
誓旗同様に唐突、というわけではない。誓旗が壁面に突き立てられた時から、石突より溢れていた墨のような煙が砦そのものを呑み込んだに過ぎない。
これは誓旗に付与された四節の魔術。誓旗が投擲された箇所に中規模範囲で暗転させる単純な魔術。だが、それが齎すのは唐突な月明かりの存在しない暗夜であり、そんな世界が広がれば灯りの用意などしていない盗賊たちでは混乱を起こすのは至極当然のことであった。
「っ⁉あ、灯りは何処だ⁉」
「く、暗くてよく見えねえ‼」
概ね、光を求める声と混乱し何をすればいいのかわからないと悲鳴が挙がり始め、刹那その声が頭上より響いた。
「《Rainfall Spear Medium》」
頭上からの声。それを認識し、見えぬ暗闇の中彼らは頭上を見上げて次の瞬間には文字通り目の前に現れた槍に次々と貫かれていった。
暗闇であるが故に何が起きたのか理解する前に中庭や高台、壁上といった屋外にいた盗賊たちは全滅した。全滅といってもあくまで現在、屋外にいた者たちの話であり、響いた声が魔術の詠唱である、と経験で理解した屋内の出入口に近い者は咄嗟に出入口へと身を投じて回避していた。
そんな彼らを視認しながら、男は壁上に降り立った。
灰色の外套の下に朱色の鎖模様に飾られた暗夜に溶け込むような黒い騎士甲冑を纏い血濡れた赤いキュロットを着飾り、その手には荊めいた短槍を握りしめ、もう片方の手にはノコギリとしか言い表すことができない特異なブロードソード。フルフェイスの兜、そのスリットより赤く爛々と眼光を滾らせた男。
もしも、月明かりがあったのなら、暗夜の中に武器を携え佇むその姿を見ることができたのなら、死神────そうとしか、言い表すことのできない黒騎士がそこにいた。
そうして、始まったのは虐殺だ。
ようやく、目が慣れてきた盗賊たちが頭の命令に従って何とか、灯りを手にし始めた頃には既にその半数が死んでいた。暗夜の中で黒騎士は一切の灯りも持たずにその短槍とノコギリで次々と襲っていき、時には同士討ちを引き起こし、時には魔術を使い、逃げることなど、許さない、と言わんばかりに次々と彼らを殺していく。
ならば、灯りを手にすればどうか。わざわざここにいるよ、と教え始めているのだ。どうなるか、簡単に分かる話だ。殺した盗賊から奪った手斧や剣を投擲しては的となった盗賊を殺していく。
黙々と、淡々と。
そこに熱意はない、そこに敵意はない、あるのは殺意だけ。
また一人。
また一人。
殺して、殺して、殺して。
「お前が最後、か」
「な、なんだ…お前は」
最後の一人。盗賊団の頭のもとへと足を踏み入れた。
既に部屋には灯りが灯されており、あちらも黒騎士を視認することができる様になっていた。無論、それは視界の確保というマイナスをゼロへと戻しただけで何のメリットもなく、そもそも灯りを消せばまたマイナスになるだけなのだが。
さて、盗賊団の頭は既に自分の武器なのであろう剣を手にして、自室に入ってきた黒騎士を睨みつけている。頭は黒騎士の言葉からあまりに信じ難いことではあるがもう自分を除いて部下たちは全員死んでいるのだろう、と故に援軍は来ない、と。理解していた。
ならば、どうすればいい。良くも悪くも頭は経験が豊富であった。かつては軍の将官に恐ろしいほどに強い人間がいたのを見たことがある、戦場では一騎当千の猛者を見たことがある。目の前にいる黒騎士はその類の存在であるのがよくわかる。
で、あれば、生き延びるための最善手は────
「た、頼む、オレを見逃してくぇ?」
命乞い。額を床に擦り付けての命乞い。
だが、それは意味がなかった。最後まで命乞いの言葉を言い終えるよりも早くにその首は崩れ落ちる自分の身体を見ていた。
そもそもどうして、命乞いが通じると思ったのか。いや、隙を作ろうとしたのだろう、だがしかし相手は黒騎士、悪人を絶殺する冥神の信徒。
どうして、命乞いに反応すると思うのか。
などと死人に問いかけたところで帰ってくるはずもなく、実際のところは襲撃を受けたことといきなり誓旗が壁に突き立ったことしか報告を受けておらず、相手が何者なのかなど頭には知る機会がなかっただけなのだが。
「……さっさと帰るか」
これにて、この砦を根城にしていた盗賊団は全滅した。そこに達成感はなく、悲壮感はなく、ただ疲労感だけがあった。
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王国領テスモポロス地方・都市アリオン
王国領において、有数の穀倉地帯が存在するテスモポロス地方で最も反映していると言って過言ではない都市アリオン。周辺の農地で収穫された農作物が集まり、それを買い入れに来た商人や他の地方からやってきた行商がその地方の特産物を売りにやってくる。それゆえに多くの利益が生まれ、多くの人間が集まるがゆえにこの都市には当たり前のように冒険者ギルドが存在している。
今日も今日とてギルドには多くの人間がたむろしていた。冒険者や、ギルドの組合員に冒険者へ依頼をするためにやってきた都市や都市外の人間が足を運び、ギルド内に併設された酒場で成してきた冒険を語り合い、依頼を吟味していた。
そんな陽が中天に昇る頃合い、ギルドの出入口が開かれまた一人誰かがギルドへと足を踏み入れる。酒場で昼食を取っていた数人の冒険者がそちらへと視線を向ければ、やや目を見開きすぐに飲み物がはいったジョッキを片手に腕を上げて挨拶を交わす。
「よお、ベルリッヒンゲン!」
「お、ベルリッヒンゲン」
一人がその人物、黒騎士へ声をかければ呼んだ名前に反応して他の冒険者たちが視線を向けて、黒騎士に気づいては声を上げる。
そんな彼らに黒騎士は軽く片手を上げてそれに応え、ちょうど空いていた受付カウンターへと足を運ぶ。
そうして、淡い桃色の髪をした受付嬢が軽く微笑みながら挨拶をし、黒騎士を迎える。
「おかえりなさい、ベルリッヒンゲンさん」
「森の中の砦を根城にしていた盗賊団の殲滅、完了した」
「了解しました。それでは、報告書の方を作成いたしますね」
書類の作成を始めた受付嬢を待ちながら、黒騎士は受付嬢から視線を切り、ギルド全体を軽く見まわしてからギルドの二階にある窓から見える青空を見上げて
「(そろそろ長期休暇が欲しい)」
黒騎士、フリード・ベルリッヒンゲンは胸中でそう言葉を溢した。
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〈暗き虚底の冥神〉
◇くらきうろそこのみょうじん
この世界において、死後の世界を管理する唯一無二の神格。信徒の数は世界の全信徒数のおよそ一割。
性別は特にない。基本的にマトモだが、時折オリュンポスの神々みたいな事をする。主人公の上司。