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くつがえる真実

 目の前で僕を轢いてしまったのがショックだったのか、フローラは婚約破棄をした日からずっと寝込んでいる。

 その間僕はずっとフローラの傍らで彼女を見ていた。

 額に滲む美しい玉の露に、赤く熟れた頬、確かに生きている呼吸。

 苦しそうだけれど、フローラは生きている。

 生きているのに。


「……死に、たい……デリックさま……いっしょに……いきたい……」


 熱に苦しむフローラが、僕の名前を呼びながら死を望む。

 こんなにも悲しいことはなかった。

 フローラが懇願するように手を伸ばす度、僕は握り返せもしないのに、その手に触れる。


「死なないでフローラ。それが僕の願いだ。きっと元気になるから。諦めないで。あぁ、僕が君の病を一緒に天へと持っていってあげられたらいいのに……」


 フローラの目尻から、一筋の雫が流れ落ちていく。

 その雫をすくってあげたいのに、僕の手は彼女の身体をすり抜けた。


「……天国でなら……きっと……結婚式、できますよ、ね……」

「フローラ……」


 うわ言のようにそうこぼすフローラ。

 胸が痛いほどにしめつけられた。

 僕に婚約破棄を申し渡したレディントン伯爵。

 でもフローラは結婚を望んでいた?

 それならどうして婚約破棄なんてことを……。

 伯爵の真意が分からなくて眉をしかめていると、フローラの部屋に誰かが入ってくる気配がした。


「失礼するよ、レディ・フローラ」


 メイドに案内されながら入ってきたのは、背が低い小太りの中年男性。

 確か、フローラの主治医だ。


「ノーマン先生、それではお願いいたします。私は少々別件がございますので……」

「構わないよ。君も大変だね。商人の息子と婚約を結んだというのに相変わらずこのお屋敷は人がいないんだな」

「嫌みでございますか? あいにく、ミルワード家との婚約は白紙に戻りましたの」

「おや、もったいない」


 ノーマン医師が片眉を跳ねあげると、メイドが頭を下げた。


「では失礼いたします」

「伯爵には後で伺うと伝えてくれ」

「かしこまりました」


 短いやり取りを終え、メイドが退出すると、ノーマン医師は深々とため息をつく。


「やれやれ……」


 ベッド近くのチェストに鞄を置くと、ノーマン医師は適当に椅子を引っ張ってきてフローラの眠るベッドの傍らに座った。

 疲れたように首を回している。

 しばらくそうやって時間を潰すノーマン医師。

 ……なんだこの人。

 フローラを診察するために来たんじゃないのか?

 全然診察をする素振りの無いノーマン医師。

 しばらくその様子を見ていると、ノーマン医師がのそりと椅子から立ち上がった。


「さて、仕事でもするか」


 そう言って鞄の中から紙の束を取り出した。


「これと、これと、これ……あぁ、そろそろこっちも試してみたいな」


 紙を見比べながらノーマン医師が色々とぼやく。

 僕は自分がノーマン医師に見えていないのを逆手に、その紙を覗き込んだ。

 書いてあるのは異国の文字。

 専門用語が多いけど、その文字は医療先進国といわれている国の文字で、このノーマン医師の優秀さはそれだけで分かった。

 一人で何事かをぼやき、紙を見ながら鞄の中から薬品を取り出していき、分量を測りながら処方用の小瓶に移していく。

 その様子をぼんやりと目で追っていて、ふと気になるものを見つけた。

 チェストに並べられた瓶にはどれもラベルが張られている。

 そのうちの一つ。

 異国の言葉で『アゲラティナ・アルシッシマ』と書かれた乳白色の液体が入った瓶が目についた。

 知らない名前の薬だな。

 僕と婚約してからフローラに投与された薬の名前は全部覚えているつもりだったけど、これは伯爵が自前で入手した物なのだろうか。それとも僕が購入した薬のリストを何か見落としたのか。

 記憶の棚を漁っていると、ノーマン医師が椅子から立ち上がった。

 フローラの熱を測り、脈を測り、目蓋の色をみたり。

 ざっくり一通りの触診をすると、またカルテに書き込んで、薬を見比べ始めた。


「ふむ……これは止めた方がいいか。悪化すると困る。熱がある程度下がってから服用させて様子を見て……」


 ぶつぶつと呟きながら処方薬の取捨選択をしていくノーマン医師。

 その手際の良さはやっぱり医者らしくあり頼もしい。

 僕はフローラの枕元に座って彼女の髪をすいた。

 触れないけど、君が優しい眠りにつけるように。

 しばらくそうしてノーマン医師が診察しているのを見守っていると、ノーマン医師が動いた拍子にチェストに腰をぶつけた。


「……っ」


 呻き声をあげ、ノーマン医師が腰を抑える。

 ふふん、サボっているからバチが当たるんだよ。

 間抜けなノーマン医師を鼻で笑っていると、さっきの乳白色の瓶がゴロンと床へと転がり、僕の足元まで来た。

 僕はつい条件反射でその瓶を拾おうとしたけど、案の定、触れなくて肩を竦める。


「おっと……危ないな」


 ノーマン医師がそうぼやきながらしゃがんで、瓶を拾った。

 その表紙に、瓶の底に貼られたラベルが見えた。


『ラ・ヴォワサン』


 その名前に目を見開く。

 それを視認した瞬間、思わず立ち上がってノーマン医師に詰め寄るけど。


「さて、帰るか」


 するりと僕の身体はすり抜けて。


「っ、待てノーマン医師! お前、この薬をいったいどこで! 待つんだ! ノーマン医師!」


 何事もなかったように瓶を鞄へと回収し、幾つかの薬品だけを残してベッド脇のチェストに置いていく。

 その瓶にも。

 ノーマンにも。

 僕の手は届かず。

 僕の声は届かず。

 ただ果てしない焦燥と、今まで見てきたものへの事実がひっくり返っただけ。

 僕はフローラをふり返る。

 熱が出て、息苦しそうにしているフローラ。

 病弱で、いつも微熱と身体の倦怠感、酷いと身体の感覚すらなくなると言っていた。

 生まれつき、という言葉が恐ろしい。

 全部が全部、生来からのものだと聞いていたけど。


「このままじゃフローラが殺される……!」


 ノーマン医師が持っていた乳白色の液体が入った瓶。

 あれは紛れもない毒だ。

 商人の間で、危険物の一つとして情報交換がされていたもの。

『ラ・ヴォワサンのマザーズミルク』。

 確か、そう呼ばれていたものだ。

 魔女ラ・ヴォワサンが飼う牛の乳は人を殺す。

 ラ・ヴォワサンと呼ばれる何者かが売る薬品の中でも一番有名な毒薬で、気がついたら闇市場に出回っていた、ミルクの類似品。

 風味も見た目も普通のミルクと変わらない。

 だから闇市場に出回った。

 そしてそれが最近、普通の市場に出回ってしまったと報告が上がっていたのを思い出す。

 新鮮なミルクは滋養に良く、美容にもいい。

 そこに紛れ込んでしまった毒薬として、健全な商人の中では注意喚起がされている。

 簡単な栄養摂取の手法として、一部の医者がミルクを患者に飲ませることはよくある話だ。

 おそらくフローラも、幼い頃からミルクを飲んできているはずだ。

 チーズやバターになる牛の乳は、手に入れようと思えばそう苦労せずに手に入る、安価な栄養。

 ……食の細いフローラなら尚更、飲むのをすすめられてもおかしくはない。

 ああもう、こんな目の前に落とし穴があっただなんて!

 僕は拳を握りしめ、顔をあげる。


「ごめんね、フローラ。本当はずっと側についていてあげたかったけど……でも君は、まだこちら側に来ちゃいけないんだ」


 本当は触れあいたい。

 君の髪をすくって、甘い言葉を囁いて、その唇に噛みつきたい。

 死んでしまった僕が君を看取るのは、もっとずっと後が良い。

 君は僕の側にいたいと泣いてくれるけど、ごめんね。

 これは僕のエゴ。

 僕は君に、幸せになってほしいんだ。

 そのためにもまず、誰かにこの事を教えないと。

 これからするべきことの算段を立てた僕は、フローラの部屋を後にする。

 誰も僕のことに気がつかないレディントン伯爵のお屋敷。

 僕は図々しくもその廊下を堂々と闊歩して外へと踏み出した。

 頼るは僕らがミルワード家お抱え探偵、ハイド先生のところ。

 彼だけが、僕の声を聞いてくれるから……!







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