中学生の春③
「店長、邪魔したね」
僕は、坂下という男に連れられてコンビニの外へ出た。
コンビニの自動ドアから外に出た時、少し風が吹いて桜が宙を舞った。綺麗な風景だと気を取られている間に、坂下という男はどんどん桜の木の先に進んでいった。
「あれ、来ないの?」
振り返って、彼は僕に声をかけた。僕は、ため息をひとついた。そして、彼の方に向かって歩き始めた。
僕らは、桜の木の下の近くの背もたれのあるベンチに座った。ベンチの上に、木から落ちてきた桜が何枚か落ちていたのでそれを手で避けた。
「それで。君はこんなところで何をしているんだい」
「いやいや。これから学校に行くんですよ。この坂の上の中学校に」
「中学校?ああ、君、中学生か」
「制服見たらわかるでしょ」
彼は大きな声でまたしても笑っている。お酒が入っているからだろうか。テンションが高い。
僕は時間を少し気にしてそわそわしていた。少し早めに出てきた気がするけど、坂道のことを考えるとそろそろ学校に行かないと遅刻をしてしまう。
「どうした。もしかして無遅刻無欠席の皆勤賞リーチな感じだった?」
心配してそうな言葉をかけるも、態度は心配しているように見えなかった。彼は、自分のポケットから缶コーヒーを取り出して飲み始めた。さっきまでお酒を飲んでいたのに。なんでも飲む人である。
「いえ。もうその記録は去年インフルエンザにかかったのでなくなりました」
「そうかそうか。まぁ、学校に毎日行くことにそんなに意味はないよ。家族旅行に行きたいって言って、子供を無理やり仮病で休ませる親もいるくらいだしね」
「それで、僕になんのようですか。なんか、会計の話がどうとかって。別にコンビニで万引きなんかしてないですよ。」
僕は、さっき言われた言葉の意味がわからなかった。会計の話をしようだって...?会計って一体なんなのさ。
「ああ、そうだったそうだった。本題を忘れていた。」
男は、わざとらしく思い出したかのようなそぶりを見せた。いや、お酒のせいで本当に忘れていたのかもしれないが。
「会計の話ね。あ、ちなみに会計ってコンビニのレジとかでお金を払う会計とは別の話だから。あくまでも財務的な話ね」
「はぁ。」
僕はとりあえず、話を聞くことにした。
「世の中のビジネスの世界で重要とされているスキルってなんだと思う?」
彼は僕の方を見ていった。酔いが冷めてきたのか、さっきまで赤みがっていた顔の肌は、肌色になっていた。
「お金と、身長と、優しさ。とかですかね」
「不正解」
彼は、優しく言った。その言葉は、間違える人を正すような言い方ではなく、茶化すような雰囲気で発しられた。
僕はその言葉を聞いて、口を膨らませて不服感を態度で示した。彼は、少し笑った。
「まぁ無理もない。中学生にわかるはずがないし、俺も知らなかった。答えはIT、英語、会計だよ」
IT、英語、会計。なんとなく聞いたことのある言葉だ。
僕は、いつも変な癖がある。どこかの漫画の主人公がやっていたのか、ドラマの主人公がやっていたのかわからないが、いつも顎に手を添えて考える癖がある。ませたガキに見えるような気もするが、ませているのは頭がいい証拠だと勝手に自分に言い聞かせている。
「そのビジネススキルを身につけると、どうなるんですか」
「どうなるっていうのは人それぞれだから、なんとも言えない」
答えを教えてくれるんじゃないのか!と僕は大きなツッコミをいれたくなったが、踏みとどまった。
彼はジャケットを正して、ベンチに深く座り直した。
「少なくとも、仕事には困らないと思うよ。世の中、「基本」と言われているものを身につけている人って意外と少ないんだぜ?これやりましょう、あれやりましょうって言われたってほとんどの人がやらないんだから」
「思ったんですけど、なんでそんなこと僕に話をしようと思ったんですか。僕は中学生だし、きっと仕事をするのなんてまだまだ先な気がするし。それにそういう高度な勉強って、大学とか働き初めてから仕事しながら学んでいくんじゃないんですか」
この言い訳とも言えるような返事をした時、彼の目が光った気がした。
「いいや、少年。それは違うな。自分の将来に向けて動き出すのは、早ければ早い方がいいんだ。それに、今これを将来やりたいと思って準備を初めて、途中で気が変わって違うことをやったっていい。人生に絶対はない。そしてだ。これは君は勘違いしているかもしれないが、仕事を始めたからって勉強をやめていいわけじゃない。仕事から学べることはあるとは思うけど、仕事から学べることは限られている。知識というのは何歳になっても身につけなきゃいけないんだ。よく、大人になったらお酒ばっか飲んで、そういう知識の習得をおろそかにしている人も沢山いることも事実だけどね」
「おじさんのことじゃん。お酒飲んで、中学生に説教とか」
「こらこら。おじさんじゃない。お兄さんだ。それに説教じゃないぞ。君が、将来に迷っていそうだったから声をかけてだな......」
「そうですか。とりあえず、そろそろ学校に本格的に遅刻しそうだから行かなくちゃ。色々と教えてくれてありがとうございます。難しい話でしたけど、なんかわかった気がします。では、失礼します」
僕は、お辞儀をして坂に向かって歩きはじめた。坂に向かって歩いている僕に対して、彼は大きな声を出して喋った。
「ああ、ちょっと待って! 最後に老婆心からくるアドバイスをひとつ君に授けよう。君は、そういう高度な勉強はまだ早いって言っていた。でも、そういうことを勉強するのは大学生でも、働き始めてからじゃなくても学べる方法がある。商業高校だ。もし、君の進路にそういう選択肢がまだなかったのだとしたら、今から加えてもいいかもしれない。まぁ、少し考えてみてくれ。忙しい時に時間をとってすまなかったね。なんか、君が迷っていそうな顔をしていたら、つい声をかけてしまった。また、どこかで会う機会があるかもしれないな!さらば」
坂下春一は、僕の背中に向かって話しかけた。僕は振り返ることはしなかったから、彼がどういう表情で、どういう姿勢で僕に対して話をかけていたのかはわからない。
でも、ひとつだけ僕は理解していることがあった。
それは、彼が真剣に僕に対して喋っていたということだ。
すこし、酔っ払ってたけど。