商業高校の部活といったら⑤
五島さんが自分の理想とする部活動に巡り会えたことについて、嬉々としている姿を見れるのはきっと珍しいことなのだろうけど、僕は一つだけ相沢先輩の言葉が引っかかっていた。
「簿記だけを勉強することでいいのかなって、先輩は言ってましたけど、どういう意味なんですか」
簿記だけを勉強することは悪くないはずだ。一つのことを極める。これは重要なことだと僕は思った。
五島さんが相沢先輩を凝視し、相沢先輩は凝視されていることに戸惑っていたが、なんとか僕の質問に答えてくれた。五島さんに凝視されることに疲れたようで、パイプ椅子から立ち上がり、僕の前まで移動してきた。
「ああ、それはいい質問だよ境くん。境くんは、将来どんな風な社会が待っていると思う?」
先輩は難しい質問を僕に投げかけてきた。
どんな未来。ただでさえ、自分の未来すらも思い描けていないのに、いきなり未来を聞かれてもと真っ先に思ってしまった。
「僕自身も、決して働いたことのあるわけじゃない。単なるニュース記事を読んだり、雑誌の記事を読んだだけだから確証があるわけじゃないけど、今後AIが発達して、単純な作業はAIに奪われると予測されているんだ。その対象に、簿記係の仕事が入っているんだよ」
なるほど。簿記係とは、多分簿記を使って仕事をしている人のことだろう。先輩曰く、外国人の論文を翻訳したから簿記係という訳になっているようで、経理の人という認識で間違っていないようだ。
「とはいっても、簿記を学ばなくていいというわけじゃない。よく外国語の機械翻訳が発達したら、外国語なんて学ぶ必要がないんじゃないかと言われてるじゃん?例えば、そしたら英語を学ばなくて良いかと言ったらそうでもない。やはり機械を通さないで直接話せる方が気持ちは伝わるしね。簿記も英語と同じで、AIに作業が移ったとしてもどのような過程を経て結果が出ているのかが理解できてないといけないと思うんだ」
「つまり、これからの時代は結果は簡単に手に入る時代になるけど、その結果がどのような過程で生まれているかをしっかりと理解していることが重要ということですか?」
「理解が良いね、境くん。そのイメージでいいと思う。特に簿記から得られる情報って数字だから、本当に意味がわからないとなんでも正しく見えるからね。これに限らず、いまのご時世って結果だけならすぐ手に入るんだよ。インターネットで調べればたくさん出るでしょ? 例えば、恋人の作り方とかさ。でも、それをどう利用するかは本人次第なんだよね」
相沢先輩は、やはりチャラいのだろうか。というか、恋人の作り方をまさか検索しているのだろうか。こんなに女子にモテそうな先輩が。いや、モテるために調べているんだきっと。僕もモテるために調べても良いのだろうか。インターネットという広大な情報の海を。
「なんか、変なこと考えてない......? まぁいいや。昔はさ、インターネットとかパソコンとかなかったから、記憶力が良い人が優秀とされていたと思うんだよ。だから、高校入試、大学入試も記憶詰め込み型で如何に勉強したこと覚えて吐き出せるかに力点が置かれていたんだと思う。もちろん、今でも記憶力を含めた脳みその使い方は重要だと思うよ。でもこれからは、考える力が重要になるんじゃないかな。簿記に例えるなら、簿記を使うことを覚えるのではなくて、簿記をどう生かせるかを考えられるか。簿記の仕訳の意味は、精度が確実とは言えないけどインターネットで調べれば教科書レベルのことは載っている。でも、簿記をどう使うかということはインターネットに載っていてもどこかで聞いたことあるような内容ばかりだから、本当の意味で簿記をどう使うかを考えることが重要なんだと思うんだよ」
先輩が、難しい話をしている。先輩の話を聞くことに夢中になっていたが、僕の横で五島さんは真面目にふんふんとうなづきながら聞いていた。川上先輩は、気がつけばカバンの中から熱い紅茶の入った水筒を取り出して、お菓子を食べ始め午後のティータイムを楽しんでいた。
「勉強した内容をどう使えるかを考える。これは簿記に限らず言えることね。私も何かのニュース記事で、子供が将来就く職業は、現在存在しない職業に就く可能性が高いという話を目にしたことがあるわ。今後、どんどん新しいビジネスが現れることが想定される。いままで通りを続けることは、そこにしばらく留まることはできても、いずれ沈んでいく結果となる。だからこそ、考える力を養う必要がある」
五島さんも僕の背中越しから会話に参加してきた。しかし、相沢先輩の言いたかったことが伝わったことが嬉しかったようで表情は笑顔であった。
「現在存在しない職業に就く可能性が高いって......それって、もしかして僕らのこと?」
「かもしれないわね」
相沢先輩に簿記の将来を訪ねた結果、五島さんの情報提供も相まって、さらに自分の将来は怪しくなった。現在存在しない職業に就く? 僕は一体どんな仕事につくのだろうか。
タイムマシンを作る技術者だろうか。それとも卵をセットするだけで目玉焼きを自動で作る装置の設計者だろうか。
「これからは、テスト範囲覚えて高学歴な大学いくだけじゃ不十分ってことさ。今はそれだけ分かれば良いんじゃないかな。さぁさぁ、とりあえずこの紙に名前を書いておくれ」
相沢先輩は、ポケットから一枚の紙とペンを取り出して僕の座る椅子の前の机の上に置いた。
どさくさに紛れて僕をプレゼン部に入れようとしたのである。
僕は机の上に置かれたペンを持ち、名前を書く欄が空欄の入部届けの上にペン先を置いた。




