新しい歌
少し昔の話です。
ある町あるところに、サラと言う若い女性がいました。
サラは両親がいなくて、カルヴィラ卿の家で働いていました。洗濯や掃除をしたり、 毎日の食材を買いに行ったりするのが仕事です。
サラには恋人がいました。セシルという名前で、船乗りで、なかなか会うことが出来ませんでした。
サラは毎日買い物に行くと、必ず橋の上で歌を歌います。欄干に腰掛けて、海の方を向いて、彼の好きな歌を歌うのです。
毎日町の人たちもそれを楽しみにしていて、サラが欄干に座ると、途端に町中がしいんとするのでした。
ある日、いつものようにサラは買い物に出かけました。今日コックに頼まれたのは白身魚でした。
ムニエルかしら、とサラは考えます。
カルヴィラ卿は優しいお方でしたので、召使にも、勿論卿のものよりは質素でしたが、同じ物を出してくださるのです。
いつものようにサラは市場で買い物をして、それから橋の欄干に上りました。
するといつものように町中がしいんと――――――
なりませんでした。
みぃ、みぃ、と小さな鳴き声が聞こえています。
普段の市場では小さすぎて聞こえないぐらいの声です。ちょうど、サラの下あたりから聞こえてきました。
「何かしら」
欄干を降りて、サラは橋のたもとに下りました。すると、黒っぽいずぶ濡れの固まりが、もぞもぞと動きながら、みいみいと鳴いていました。子猫です。辺りには母猫も、兄弟の姿もありません。
「あら、どこから来たのかしら?」
サラは子猫をつまみ上げて、橋の上に戻りました。すとん、と石畳のうえに置くと、真っ黒い子猫は真っ赤な目を閉じて、ぶるぶるっと体を震わせました。
サラは袋の中から牛乳の瓶を取り出して、ミルクを猫にやりました。
牛乳が半分になった頃、沢山飲んで満足したのか、黒猫は欄干の上に上ってくるりと丸くなりました。サラも欄干の上に座り、ようやく歌を歌い始めました。遠い海の上の彼に響くように。町中に響く、美しい歌声です。町中の人が聞き惚れました。
歌い終わると、サラは猫に、「ごめんね、君の事は連れて帰れないんだ」といいました。
カルヴィラ卿はそれはそれはお優しい方で、子供も動物も大好きだったのですが、カルヴィラ卿の犬はそうではなく、まだ小さかった頃に猫にいじめられたとかで大層な猫嫌いだったのでした。
「でも、絶対明日も来るからね」
そう言って、サラは帰っていきました。
次の日も、サラはいつものように市場に買い物に来ました。今日は買い物袋だけでなく、大きなバスケットも抱えています。いつものように買い物を済ませ、サラは橋のところに来ました。
「猫ちゃん、いる?」
橋の下を覗き込んで呼ぶと、みぃと小さな声がしました。とことこと歩いてきたのを抱き上げて、サラはミルクをやりました。牛乳を飲んでいる猫を撫でながら、
「猫ちゃんの名前を考えたんだ。真っ赤な目をしているからクコ。どう?」
とサラは首を傾げました。
気に入ったのかいないのか、猫はみぃ、と鳴いて、口の周りをぺろりと舐めました。
それから一人と一匹は欄干の上に座り、サラは歌を歌いました。
歌い終わると、サラはバスケットを橋の下において、そこに猫を入れました。
「今日からここがクコの家だよ」
気に入ったのかいないのか、猫はみぃ、と鳴いて、バスケットの中で丸くなりました。
いつしか、それがサラの毎日のうちの一部になりました。
市場に来て、買い物をして、クコに餌をやってから、橋の上で、クコと一緒に歌って、帰る。
サラの節に合わせて、クコが鳴くのです。
クコは市場の人たちとも仲良くなり、鼠を捕っては喜ばれるようになりました。けれども、どんなに遠くまで行っていても、サラが買い物に来る時間には必ず橋の上にいるのでした。
そして時がたち、クコは立派な一人前の猫になり、季節は冬になりました。
ある日、カルヴィラ卿に熱いココアをお出しして、就寝の許可を貰って廊下に退出したサラは、白い息が出ることに気がつきました。
「おお寒い」
窓の外を見ると、雪が降ってきているようです。明日には凍え死んだ鳥がそこここの地面に落ちているのだろうなと思ったサラは、クコは今頃どんなに寒いだろうかということに気がつきました。
「まあどうしましょう」
クコは橋の下で、バスケットに入っているだけです。雪はしのげても寒さはしのげません。今頃凍えているに違いありません。サラは急いで自分の部屋に戻り、古い毛布をもってそうっとお屋敷を抜け出しました。急いで橋に向かって走ります。
「クコー?」
はあはあと白い息を切らせて橋の下を覗くと、案の定凍えた姿のクコが、みぃ、と弱弱しく鳴きました。あわててバスケットの中のクコを抱き上げ、サラは毛布でくるみました。
「もう大丈夫よ」
ふぅ、と安心してサラは息をつきました。
すると、不意に、しゃんしゃんしゃんと馬車の鈴の音が聞こえました。
「誰かしらね、こんな夜更けに………病人でも出たのかしらね」
サラは少し気味が悪くなってクコに話しかけました。鈴の音はだんだんとこちらに近づいてきていますが、真っ暗で何も見えません。サラがランプを持ったままじっとしていると、鈴の音は橋のすぐ横を通ってゆき、そしてそこで止まりました。
ガタリと誰かが降りた音がして、
「サラ!サラじゃないか!」
サラの恋人の声が聞こえました。
「セシル!どうして!?」
サラは叫び、暗闇の中から現れたセシルの腕を取りました。
「急に帰れることになったからね、サラに会おうと思って馬車を飛ばしてきたんだよ」
「まあ………びっくりしたわ!」
ほうっ、とサラは白い息をつきました。そして、それにしてもセシルの顔色が白いようだけれど、と彼の顔を眺め、きっとランプのせいだわと思い直しました。
「とりあえず僕の家においでよ」
セシルはサラの腕をぎゅっと握りました。サラは冷たくてびっくりしましたが、きっと寒い中馬車を飛ばしてきたせいだろうと思いました。
「そうね、でもカルヴィラ卿が何とおっしゃるか……」
「なに、朝卿が起きるまでに戻っていればばれないさ」
「そうね」
そう言うと、サラはクコをバスケットの中に戻し、橋の下におきました。
「ばいばいクコ、また明日ね」
そしてセシルと腕を組み、馬車へと乗りました。にゃぁ、とクコが鳴きました。
しゃんしゃんしゃんしゃん、と鈴の音が遠くなり、
そしてそれっきり、サラを見たものはありませんでした。
雇い主のカルヴィラ卿は、彼女のことをとても心配して、八方手を尽くして探しましたが、何の手がかりもありませんでした。町の人たちも、彼女のいないことを悲しがり、もう彼女の歌が聞こえないことを残念がりました。
そして春になり、彼女の恋人の乗った船が南の海上で難破し、誰一人助かった物がいなかったという話がその町にまで伝わってきました。
それは冬の間だったのだということで、町の人たちは、「きっと彼がサラを迎えに来たのだろう」と口々に言い合いました。
今でもその町はそこにあり、その橋はそこにあります。
そして、その橋の下に住み着いている、真っ赤な目をした黒猫は、毎日決まった時間になると欄干の上に座って、悲しげに歌を歌うのです。




