新しい本
その時の俺は、まだ子猫だった時分に、町の小僧に頭を万力で挟まれて右の方へ何回か頃合いの程度に捻られてしまっていた。俺は自分では自分の顔と頭がどうなっているのかさっぱり分からなかったが、だが普通ではないのは分かった。皆が俺の顔を見て嘲笑うからだ。更に笑えることに、俺はネズミを取るのに成功したことはなかったし、塀の上から飛び降りたり、またその逆をするのも滅法下手だった。よく失敗して石畳のゆかにべちゃりと叩きつけられているのを見られては余計に嗤われていた。
俺が他の奴から嘲笑される理由はもう一つあった。
万力で挟まれたときに何かあったのか、俺は人間の『文字』とやらが読めるようになっていたのだ。
ネズミも取れない、喧嘩も弱い。いつも俺は腹ペコだったが、そんな時は人間が捨てた本を読んで過ごした。世界は海でつながっていること、小麦は畑で作られること、政治のこと、騎士道のこと、それから弁証法や真理について……。本の大部分は俺の生活にはまったく関係の無いことばかりだったし、猫の手でページをめくるのは大変だったが、俺は本を読むのが好きだった。そして読みおわった後、内容について考えるのも好きだった。
いや、『好きだった』と言うより、『他にできることが無かった』と言った方が正確かもしれない。
そんな俺は、いつも『図書館』という建物が気になっていた。大きくて立派な建物で、町中で一番高い塔を持っていた。中には本が沢山あることは分かっていたが、猫は入った瞬間に摘み出されてしまう。いつしか俺は、腹ペコで本を読みながらどうやって図書館に入ろうかと考えるばかりになっていた。
その頃巷では妙な病気が流行り始めていた。『黒死病』という奴で、人間が黒くなって死ぬ病気だ。感染力が強く、ネズミが菌を撒き散らしているらしい。
この病気ですぐに沢山の人が死んだ。しかし病気は衰える気配を一向に見せない。町の人は恐怖におののいた。おののいたまではよかったが、うち一人がこんなことを言い始めた。
「猫だ、猫に災厄を負わせればいいんだ」
とんでもないことである。(俺を除く)猫はみんなネズミを捕ってペスト撲滅に協力していると言うのに。
だが町の人々は、亡者になったように猫を追い掛け始めた。普通の猫ならそうそう人間に捕まったりはしなかったが、鈍臭い俺はあっという間に、そしていの一番に捕まってしまった。
「何だこの猫。ヒッコリーの実のような頭だし、髭もないし、何か不気味な穴だなこれは……鼻の穴か?」
俺を捕まえた人間はそう言った。そして「まあ、いかにも災厄って顔してら」と俺の首根っ子をつかんで図書館へ入った。
初めての図書館はすばらしいものだった。見回すと本しかない。目を閉じると一面本の匂いで満ち溢れている。俺は逃げ出すのも忘れてうっとりとその匂いを嗅いでいた。
俺を捕まえた人間はずんずんと階段を上り、やがて町一番の時計台のてっぺんにやって来た。猫といえど落ちたら助からない高さだ。ひょう、と強い風が吹いている。俺が目を開けて下を見たら、人間の海が下に見えた。黒死病で沢山の人間が死んだと聞いたが、まだまだいるじゃないかと俺は思った。
そして俺をつかんだ人間は俺をそこから放り投げた。
高く、高く、俺は空に浮かんだ。
人間どもの拍手喝采が聞こえた。
この俺は無関係な存在なのに。




