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第6話 ファーストキスの味


 山田くんはあのジェラート屋の公園へと向かった。雨が降り始めたためか、ジェラート屋は居なくなっていた。

 辺りには青や紫の紫陽花が沢山咲いていて、雨粒を心地良さそうに浴びている。雨は激しさを増して、傘も持たない春花たちはそこで立ち往生することになった。


 人っ子一人居ない公園で、ガゼボの下のベンチに座らされる。山田くんは春花を気遣わしげに見るのに忙しく、自分が座るという発想がないようだった。


 「め、めちゃくちゃ濡れちゃってる……タオル、はないし、ハンカチ、も今はないか……」


 ハンカチ、という言葉に反応して、無意識にポケットに手を差し入れる。中のものを取り出して、どんな表情を作るか迷って、曖昧に微笑んで、それを山田くんへと渡した。


 「……貸してくれて、ありがとう」


 「ど、どういたしましゅて!」


 どもりには慣れたつもりだったが、噛んだのを聞いたのは初めてで、少し目を見開くと、彼は恥じ入るように唇を噛み締めた。


 反射的に微笑みかけると、彼は慌てて視線を泳がせて、春花の向こう側の紫陽花を見た。春花の方からは、山田くんの向こう側に桜の木が見える。雨粒を浴びて葉が青々としていて、幹はどっしりと深く、地に根を張っている。


 (……綺麗だったなあ)


 春に見たあの桜は、とても美しく咲いていた。とても、とても綺麗だった……。


 雨音が詮のない考えを呼び起こす。下水に流れた血と油は、これまで春花が知らなかっただけで、これまでもそうだったのだろうか? 殺した後、死体はどうなるのだろう。あの桜が綺麗だったのは、下に死体が埋まっていたから?


 黙り込んで、思索に耽っていると、ふと先ほど助けて貰った時に、お礼を言っていないことを思い出した。ハンカチは、そもそも泣いた原因が山田くんだったけれど、先刻のことは……。一応、形はどうであれ純粋な彼の……春花への、献身だった。


 「それと、さっきも……。ありがとう、今度何か……何でも好きなものでいいから、お礼を――」


 お礼をさせて、と言おうとして固まってしまう。


 (今……何を言いかけて……)


 お礼、だと? 人を殺したお礼?


 そんなものがあっていいはずがない。


 人を殺してまで助けてくれた山田くんに釣り合うお礼なんて、存在しない。してはならない。

 そんな当たり前のことにさえ、さっきまで気づけなかった自分にぞっとした。自分はおかしくなってしまったのだろうか。呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうになって、乱れたそれを必死で正す。


 春花の動揺を露知らず、山田くんは上気した顔で、意を決したように口を開いた。


 「お、俺、実はずっと……霞坂さんのことが、好きで……」


 (待って、うそでしょ?)


 神にでも祈るような気持ちで、聞きたくない一心で制止の声をあげようとした。だけれど、さっきまで自身の発想への恐怖に震えていた臆病な喉は、カラカラに渇いていて、まともな音が出なかった。


 「お礼に要求するのは変だって、分かってる。嫌なら断ってくれてもいいし……もし、もしだけど、嫌ってほどじゃないなら……!」


 うそだ、やめてくれ、と心が悲鳴をあげるのに、喉は少しも動かない。聞きたくない、そんな言葉は聞きたくない!


 「ど、どうか――俺と、付き合ってください!」


 だってそんなの――まるで春花が、人一人分の命よりも重いみたいな――そんなおぞましいことが――あっていい筈がないのだから!


 春花は焦る自分を宥めながら、断り文句を頭に浮かべて、舌に乗せた。美優に教えてもらった角の立たない断り方。これまでも何度もしてきた。今回だって変わらない。この人の好意を斬り捨てて、春花は今度こそ全ての不安から解放される。


 そこまで考えて――はた、と気づいた。


 (うそ、うそ、うそ!! どうして気づかなかったの!?)


 爪が食い込むほどに手を握り締め、恐怖と緊張でどくどくと煩い心臓を必死で宥めるが、今にも気を失いそうなほどだった。桜の木が春花を嘲笑う幻聴が聞こえる。くらくらと眩暈がした。


 誰も居ない公園。雨が降っている。雨粒は全てを洗い流す。


 ――血痕も足跡も断末魔の声さえも!


 ああ、桜の木の下で誰かが笑っている。春花を馬鹿にしているのだろうか? 嘲笑でもしている?

 きっとそうだ――春花の保身を、嘲笑っているに違いない。


 一本一本、ゆっくりと五指から力を抜いていく。


 全身の力を抜いて、それから――こくり、と小さく頷いた。


 山田くんは目を見開き、一瞬固まってしまったかと思えば、次に平素では信じられないほどに大胆な行動に移った。

 春花の頬に手を添えて、彼は真剣な顔で春花を見つめたのだ。


 言われなくても、その意味を悟った。春花は息を呑むと、少しだけ顔を上向かせて、そっと目を伏せた。

 山田くんの顔が近付いてくる。こんなに近くで人の顔を見たのは初めてで、吐息が震えてしまう。山田くんも目を伏せていて、じっと春花のことを見ていた。彼が恋した『霞坂春花』を、とても愛おしそうに見つめていた。


 春花は彼の思うような綺麗な存在ではない。打算的で、今だって、保身のために彼に応えているに過ぎない。少女マンガのヒロインたちとは、全然違う。


 こんな人間に、恋愛をする資格なんてないのだ。


 頬を染めて、山田くんは少し微笑んでいるように見えた。人がこんなにも幸福そうな顔を、春花は初めて見て、一瞬呆然としてしまう。


 恋とは、そんなにも素敵なものなの?


 尋ねてみたかったが、これ以上は彼の恋心を盗み見しているような気になってしまい、今度こそ完全に瞼を下ろして、その時を待つ。

 目を閉じたことで鮮明になった五感で、あることに気がついた。


 (あれ、山田くん――)


 ふに、と柔らかい感触を唇に感じたその時、春花はぼうっと全く違うことを考えていた。


 (――手が、冷たい……)


 頬に触れる彼の手は、これまでにないことに、緊張に冷え切っていたのだった。あんなに血に塗れても暖かかった手が、今はこんなにも……。


 ああ――この人は、本当に私のことが、好きなんだ。


 改めて思い知らされた事実は、春花の背筋を凍らせた。こんなにも、好きなのか。人を殺すより、緊張するほど、自分のことが好きなのか。


 きっと彼の中では、春花は他人の死よりもずいぶんと重い存在なのだろうなあ、と知る。さっきの男性は、春花のせいで殺されたのだろう、と諦める。

 これからも、春花のせいで死ぬ人が現れるんだろうなあ、と悟る。いつかはきっと――春花も殺されるんだろうなあ、と予感する。


 春花のファーストキスは、ロマンチックに雨降る公園での、恐怖と血の臭いの混ざった最悪の味だった。


ここで一旦完結ですが、いつか続き書きたいなって……。

美優に付き合ったと知られて、春花を脅しただろ! と山田くんに突っかかるとか、妹が山田くんのこと好きになったりとか。


▽山田くん

山田 浅右衛門の流れを汲む何者か。警察と連携を取って汚職政治家などをSPを掻い潜ったりして殺すのがお仕事。

相棒にサクラというハッカーが居る。幼馴染の腐れ縁だと思っているのは彼の方だけのようだ。

春花には一目ぼれに近い恋をしている。見た目に心を奪われて言動を見ているうちズブズブに好きになっていった。


▽春花

恋愛に恐怖を覚えつつも憧れを抱いていた。今回の件でトラウマになった。

情を逆手に取った打算的な行動に嫌悪を覚える程度には、恋愛観が少女マンガ染みている。初恋もまだなんですもの……。

顔が良い以外本当に普通の女の子。実は何度かSANチェックを失敗しており、死生観がおかしくなりつつある。

いつか山田くんに殺されてあの公園に埋められる気がして止まない。

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