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第1話 気になる視線

これは青春ハートフル恋愛小説です

 ぴちゃん、ぴちゃん、と等間隔で響く水音が、私の気を狂わせんばかりに恐怖をかきたてる。


 ――男が、立っている。


 全身に返り血を浴びて、服の裾から、その手の凶器から、ほんの少し前までは生きていた人間の血を垂らしながら、彼はブツブツと何事かを呟いている。

 耳を澄まして聞いてみると、それはどうやら恨み言らしかった。


 「何でよりによってこの時間帯なんだ」

 「急いで帰らないと駄目だったし」

 「そもそもこんなの俺の仕事じゃないっての」

 「くそ、こんなとこ見られるなんて……」

 「めちゃくちゃ汚れたし、髪の毛も絶対ヤバいことになってる」


 街灯の光を反射するのは日本刀の刃で、路地には二つの首なしの死体がある。どくどくと未だ血液を零し続ける肉を斬ったのは、確かにこの男だったはずだ。

 だというのに、彼は――。


 「ああ――霞坂さんに、気持ち悪がられたら、どうしよう?」


 ただ只管に、意中の少女()のことだけを気にしていた。




■■■




 並木道がずっと向こうの方まで続いている。ここを真っ直ぐ行くと自分の通う学校に着くし、途中で右折すると妹の通う高校へ着く。

 二つの制服が木漏れ日に照らされながら進んでいく。いつもの光景を眺めながら、ぎっしりと教科書の詰まった鞄を持ち直すと、不意に背中へと衝撃が走った。


 「春花! おっはよー!」


 「っひゃ! ビックリした……。おはよ、美優ちゃん」


 「今日もちょーカワイイ! 春花のこと見る度に、写真部入って良かったーって思うんだよねえ」


 えいえい、と頬を突かれて、思いがけずくぐもった声が出た。少し眉を下げながらも微笑んで、何とかありがとうと口にすると、もう美優は別の話題を話し始める。


 ――こういうのは、大きな反応をしない方がいい。


 春花はこれまでの経験上、自分がさらりと受け流せさえすれば、話をこじれさせることも、嫌味だと受け取られることもないことを、理解していた。


 自分がどうやら、人並み以上の容姿を持っているらしいと知ったのは、いつ頃だっただろうか。

 気のせいだと感じていた視線が気のせいではなくて、友達の男の子を親友だと信じていたのは自分だけだった。そういうことが、中学校の辺りから何度かあって、春花は諦め染みた納得をした。


 高校に入学してからは、もっと酷くなった。否応なく自覚せざるを得なかった。趣味が合うと感じた男の子や、隣の席の男の子と、ほんの二、三言話すだけで、いつの間にか春花はどちらかの男の子に気があるということになったし、なんなら男子同士の諍いの種にすらなっていたらしい――なんて聞いてから、意識的に男子を避けるようになった。


 まだ入学して間もないからか、恋仲の誰かを傷つけることは辛うじてなく、女子のグループには普通に入れて貰えたので、春花は恋バナに誘われる度に、「ごめん、男の子のこと好きになったことなくて、何だか苦手なんだ……」と大げさに言うことによって、女子同士の方の諍いを回避することに努めた。


 用心のしすぎと笑ってくれるな。この顔の皮一枚のせいで、知らぬ間に誰かに恨まれたというのは、そのくらい衝撃だったのだ。

 その甲斐あって、例の入学早々の恋愛沙汰以降は何の苦労もなく過ごせている。当たり前の事実がこんなにも尊いと、ひとまずの平穏を噛み締めていた。


 いた――のだが。


 「……はあ」


 教室に着席して、教科書を机に入れていると――視線を、感じた。


 (やっぱり、今日も見てる……) 


 「おはよう、霞坂さん! 次の授業の数学、小テストやるらしいけど、知ってた?」


 「っ、お、おはよう! そうなんだ、知らなかった……」


 無意識に寄った眉と、視線の元へ向かいかけた目を慌てて戻す。

 入学してたったの一ヶ月で、男子の間で誤解に端を発した争奪戦が勃発したとのことで、若干の男性不信を煩ってしまい、視線に敏感になってしまった。


 そのせい、というべきか。そのお陰、というべきか。

 窓際の列、一つ後ろの席。一人のクラスメイトが、熱心に自身を見ていることに気づいてしまったのだ。


 勘違いだと信じたかった。不服ながら、数秒男子にチラリと顔を見られることは、慣れていたから。春花だって、猫がいたら何度か見てしまう。彼らの視線とはそういうものだと考えることにしていた。

 だから、彼の視線もそういう、ちょっとした――視界の端に団栗が落ちてて、あっ団栗だ! みたいな感じの――注視だと信じたかったのだ。


 だけど――至極残念ながら、悲しくも――春花の思い込みとか、自意識過剰とは違うらしかった。プリントを後ろの席へ渡す時。グループワークで机を移動させる時。何度も何度も――寧ろ私の方が彼を好きなんでは? ってくらいの頻度で――確認したが、四六時中彼は春花のことを見ていた。

 彼は授業を本当に聞いているのだろうか? と軽く毒づきたくなるほどに、間違いなく春花へと熱心に視線を注いでいた。


 いつしか、まだ友人の苗字もあやふやな中、春花はすっかり彼のフルネームも、出席番号さえも、覚えてしまっていた。


 ――出席番号、32番。山田吉尋くん。


 あまり喋る方ではないみたいだ。決まった友達もいなくて、いつも本を読んでいる。


 彼が何を考えて自分を見ているのか、春花は気が気でなかった。視線は気のせいではない。もしかすると、あの角度からしか見えない面白い形の寝癖とかがあるのかもしれないし、彼は何らかの理由で春花のことを嫌っている可能性もある。


 そして、もしかしたら、本当に、もしかしたらだけれど、春花のことを好き……な可能性も、ある。一応考慮には入れておく。


 春花は視線に気づくまで、彼に対して格別の認識は抱いていなかった。男女ランダムの掃除当番の時に、山田くんとは話したことがあるが、別に変な人ではなかったし、普通の人だった。殆ど、無関心に近かった。

 しかし、彼からすると違うらしい。彼は春花に何らかの関心を寄せているようだった。


 「……ってことなんだけど、こういう時って、どうすればいいかな……?」


 「それ、絶対好かれてるよ。ラブだよ。1000%好かれてるって、それ」


 卵焼きを箸で挟んだまま、美優は上下に振った。教師っぽく。


 「え……そう、かな。いや、もしそうだとしても、なんていうか、どうすればいいのかな」


 美優は眉に皺を寄せると、うーんと唸る。彼女は世話焼きな性格で、春花の相談にいつも熱心に乗ってくれた。どうすれば色恋から解放されるのか、と半泣きで尋ねた時、春花を慰めて、男子のことが苦手だと女子にアピールすればいいた、と作戦を考えてくれたのも彼女だった。


 『もしかしたら、高校で彼氏出来なくなっちゃうかもしれないけど、いいの?』


 彼女はそう聞いて確認してくれたが、即座に頷いた春花を見て、すぐさま噂を広げてくれた。漫画とか小説みたいな恋愛に憧れないこともなかったが、もうあのヒソヒソ話の対象になるのも、勝手な思い込みで誰かに好意を抱いていることにされるのも、嫌だった。

 そのためだったら、もう二度と恋人なんて出来なくていいと、本気で思った。


 「……視線が気になる、っていうなら、もう堂々と断るしかないんじゃないの?」


 「でも、告白もされてないのに、急に断るのって、何か……」


 「ウーン……そうだけど、山田ってあんま喋るタイプじゃないし、広川みたいに『春花ちゃん、放課後カラオケ行かない?』とか、あからさまに誘ってこないと思うんだよねえ……」


 「その話ホントに止めて。未だに私の心の傷だから」


 まさかの下の名前呼び。クラスで一番美形らしいが、美形とかそれ以前に、ちょっと性格的に合わない人だった。誘いを全て断る内、美優の流してくれた噂が浸透して、『霞坂春花は恋愛に奥手で、誰とも付き合う気はない』という空気が広がったお陰で身を引いてくれた。


 だが、何度も何度も他人の誘いを無下にするのは良い気分ではない。一度でも行ってしまってはそのままなし崩し的に付き合ってるとか噂されちゃうよ、と美優に言いつけられていなければ、中々出来る行為ではなかった。


 「な、なんであんなにガツガツ来るんだろ。二回断られたら、普通諦めないのかな……」


 私なら、友達に一回でも断られたら心折れちゃうよ、とからあげを齧る。遊びの誘いを断られるのは結構なダメージだろうに。


 「あはは、恋愛ってそんなもんだよ。大学生とか、もっとあからさまらしいし。……まあ、万に一つくらいしかないだろうけど、ラブじゃない可能性も一応あるし、何かしらのアクションがあるまでは、諦めて我慢するしかないんじゃないの?」


 「やっぱり、そうなるのかな」


 「――でも、山田が一瞬でも恋愛の匂い出してきたなら、即座に切っても大丈夫だよ」


 美優は真剣な顔でカフェオレを啜る。


 「四月、五月の間のあの噂はエグかったからね……。拒否りまくるか付き合うか、春花は零か一しか言っちゃ駄目。”もうちょっと彼のこと知りたい、かも?”とか、”まだ告白されてないから友達だよね?”とか、ほんのちょっとでも怪しい素振りなんて見せたら、また、ホラ……」


 「び、びっちって言われるんだ……虐められてトイレで水かけられたりするんだ……」


 「それは漫画の読みすぎ……って言い切れないのが怖いトコだよねえ。ビッチはなかったけど、同時に二人にモーションかけてる……とかは言われてたもん」


 「コワ……」


 やっぱり安住の地は女子の内側にしかないようだった。自分に残された唯一の道を、からあげと一緒に口内でゆっくりと咀嚼してから、紅茶のパックに口をつけて、腹の底へと落とし込んだ。


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