永久に会えないあなたに、最初の贈り物を
ヒイラギの言っていた通り、夢の世界にいるのかへらへらとしている里の大人たちの記憶を片っ端から探りなんとか清流は少女の居場所を突き止めた。
そして清流が囚われた少女のところへたどり着いた時、既に地平から日が頭を覗かせていた。時間が無くなっていくことに焦りながら少女を肩に担いで竹林へと走る。裸足に突き刺さる小石が痛かったが構う暇は無かった。
「おい、起きろ!起きろ!」
「うー……」
「うーじゃなくて!」
幼い少女が起きるにはまだ早いのか、いくら揺り動かしても少女は瞼を擦るだけだった。困った清流は仕方なく少女の額に手をかざすと、ヒイラギから手に入れた帰路の記憶を一気に流し込んだ。
「うぇっ?!」
「起きた?」
突然他人の記憶を流し込まれ驚いたのか少女は一気に覚醒した。そしてきょろきょろと見回すと、不安そうに清流を見上げる。
「お兄ちゃん?」
清流は不安そうな少女の肩を掴んだ。痛いのか嫌がる少女を無視して話しを続けた。
「いいか!今からお前は今見た通りの道を通って帰るんだ!」
「お兄ちゃん?どうしたの……」
「もう時間がない!一人で帰るんだ!」
清流の必死な形相に、怯える少女は瞳に涙を溜めていく。それでも清流は止まるわけにはいかなかった。ゆっくり説明するには、別れを惜しむには、あまりに時間が無い。
「これから辛い思いを沢山すると思う!もしかしたらたった一人で生きていかなきゃいけないかもしれない!でも頼むから、頼むから諦めないでくれ!」
「どうしたのお兄ちゃん!」
「生きていて欲しいんだ!僕の代わりに!」
肩を掴む手に入る力が強くなり、少女はとうとう身動きすらできなくなった。そして突然止まった清流の声に思わず顔を見上げた。
「お兄ちゃん……泣いてるの?」
「泣いてないよ。……あのね、約束して欲しい事があるんだ。聞いて欲しい」
震える清流の手に、少女が触れた。その温かさにまた涙をこぼしそうになり、堪えるように清流は無理やり言葉を繋げていく。
「お願いだから、自分の人生を否定なんてしないで生きて欲しいんだ」
「ひてい……?」
「今はまだわからないかもしれない。でもきっと死にたくなるくらい辛い瞬間が来ると思う。自分が自分であることが嫌になるときだって来ると思う。でも……」
「でも……?」
強張る顔を無理やり笑顔に変えながら清流は優しく言った。
「自分が自分であることをやめないで欲しいんだ。それが僕の約束して欲しい事」
「約束……」
「うん。できれば何も諦めないで欲しいとか、やりたいことやって欲しいとか、幸せになってねとかお願いしたいことはいろいろあるけど取り敢えずはこれだけ。出来るよね?」
清流は手に当てられていた手を握り、胸に当てた。鼓動が、伝わっていく。
しばらくそれを感じていたらしい少女は、こくりと1度だけ頷いた。本当に理解したのかは清流にはわからなかった。とりあえず頷いただけだったのかもしれない。それでも清流は構わなかった。いや、構う余裕は無かった。
「僕は君に君であって欲しいと願ったんだ。その願いを叶えて欲しい。僕のために」
「……お兄ちゃんのために」
「うん。あとできれば清流って名前も覚えておいて欲しいかな……なんてね」
せいりゅう、と少女の口が動く。
それにそうだよ、と清流は少女の頭を撫でた。
「じゃあね、清流。私の名前も覚えてね。わたしは花梨って言うの!清流も花梨の名前忘れないでね!」
にこり、と愛らしく笑う花梨にとうとう清流は堪えることができずに涙をこぼした。それでも花梨の笑顔に応えるために泣きながら笑う。
「そっか、花梨っていうんだ。もっと早くに聞いておけばよかったな」
「うん!」
「じゃあ花梨、その名前も大切に覚えておくんだぞ?」
花梨はその言葉にきょとんとする。
「忘れないよ。花梨は私の名前だもん」
「ならそれでいいんだ。じゃあ帰り道分かるな?帰ったら誰でもいいから大人に助けを求めるんだよ。家に誰もいないんですって」
「うん、分かった。清流はここに残るの?」
「うん。そうだよ」
「分かった。また会いに来ていい?」
その言葉に清流はハッとした。駄目だ、来させては行けない。
「……僕はここからもうすぐ出て行くんだ。だからその時は僕が会いに行くよ」
「場所、わかる?」
「……分かるよ。大丈夫」
「分かった!じゃあ、またね」
「うん、またね!」
時折名残惜しそうに振り向く花梨に、清流は手を振り続けた。姿が見えなくなるまで見守っていたが、やがて下ろしていた腰を上げた。
「……僕の代わりに、全て覚えていてね、花梨」
全ての責任を果たすために、清流は頭領の屋敷へとむかった。
「ヒイラギ!どういうことだあの子を買いたいとは!」
「言葉のままだ。清流を買いたい」
ヒイラギが清流と別れた後向かったのは藍の元だった。里に振りまかれた幻術に、慌てふためく藍にヒイラギは全てを話した。そして、自分がそうした意図も。
「さあとっとと清流の記憶を消さんか」
「まて、話の流れが分からない!なぜ私たちが清流の記憶を消さなければならない!」
「あの娘を清流は逃した。里の情報を持たせたままな。ならば責任を取らせなくては諸々がどうにもならんだろう?」
ニタニタと嫌らしい笑顔で煽るヒイラギに藍はらしくもなく歯を食いしばった。手が白くなるほど握り、苛立ちのままに畳に叩きつける。
「そうだあの娘だ!まずはあの娘を取り戻さなくては!」
「無理だ」
「何?!」
「俺がお前達の頭に細工をした。ふわふわと鬱陶しい霧のような幻術をな。お前達の目はあの娘を捉えられんぞ。残念にな」
その言葉に藍は側にあった壷を叩き割った。飛び散る破片が藍の頬を切り裂き、血が落ちた畳が真紅に染まる。切り傷を作ることも構わずに藍は飛び散った破片を素手で端に追いやった。
「……はぁ、何故そんな事をした、ヒイラギ。度が過ぎるぞ」
「清流が欲しい。ただそれだけだ」
「そのためにここまでやったのか?何処からがお前の計画だ?」
睨みつけるような藍の瞳は最早友人へ向けるものではなくなっていた。しかしそれを受けてもなおヒイラギは楽しそうに笑っている。まるで褒美のあるゲームでも遊ぶように。
「別に。計画なんぞしとらんわ。ただ、あの娘が記憶を改竄されてこの里の都合のいい人間として生きることが気に食わなかった。そして清流が欲しかった、それだけだ。だからその二つを叶えられるよう動いただけだ」
「何故、清流をそこまで欲しがる?」
「藍、俺はな、未来ある子の可能性を奪う存在がひたすら嫌いなんだ」
刀を仕込まれた杖が、藍の顔に突きつけられる。藍は驚いたようにたじろいだ。
「別にお前らの生き方に文句は付けん。ここで生きたいなら生きればいい。それは勝手にしろ。だがな、あの子は外へ出たいと言っている。ここはあの子には狭すぎる」
我を取り戻した藍は吠えるように言い返した。
「だからどうした!ならばこの里にいる者全てに外に出たいか問うて連れて行くか?!」
「そんな面倒なこと誰がするか」
「ならば清流1人を特別扱いする気か?他の子に可能性は与えないのか?」
「ずいぶん余裕が無いな、藍。お前も若い」
ヒイラギは突きつけていた杖を畳へと置いた。そして藍の正面に座る。それに藍は改めて息を整え、乱れていた衣服を直した。藍の部屋に静寂が戻る。
「俺は使い勝手のいい秘書が欲しかったんだ。まああのガキは秘書としては使いもんにならんだろうが孫の護衛と雑用くらいにはなるだろうしな。それにケダモノの世話もやらせたい。とにかく手伝いが欲しいんだ」
「……」
「清流は外に出たいと願い、行動に移してこんな騒動を起こした。そしてそこに偶々俺もいた。どうだ?いい巡り合わせだと思わんか?」
「……運命だということですか?」
「まあそうだな。俺も全ての子供の可能性を守れるとは思ってない。そこまで思い上がってはおらん。……俺はな、こう割り切ることにしたんだ」
「割り切る?」
問うような藍の声に子供のような笑みを一瞬ヒイラギは浮かべた。
「運も実力の内」
「頭領」
「来たか、清流」
清流の声に藍が戸を開くと清流は膝をつき頭を下げていた。
「頭領!私はあの娘を逃がしました!この騒動、全ての責任は私にあります!どうか贔屓などせず裁いてください!」
頭を下げたまま微動だにしない清流に、藍は困ったように眉を下げた。
藍がそんな情けない顔をしているとは欠片も思わず、清流は頭を下げたままピクリとも動かなかった。
(あなたの言うとおりだヒイラギ。清流は確かに覚悟を決めている)
清流が処刑を覚悟していることはその目を見ただけで藍には分かった。あの甘えた子供だった清流をたった一晩でここまで男にしたのが自分や紺ではなく他所の人間であるヒイラギの言葉だったことがただ悔しかった。何もかもがヒイラギの思う壺になっていることに思わないことが無いわけではなかったが、藍は運命に身をまかせることにした。
「いいでしょう。では明日、日が昇り次第あなたの刑を執行します」
「はい」
「私は、あなたの記憶を全て消そうと思います。そう、彼女に行う予定であった措置です。彼女を逃がしたのはあなたなのだからその責はあなたが負うのです。構いませんね?」
「はい!」
一つの揺らぎもなく通る声に、藍は目頭を押さえた。失うのが惜しいと改めて思ったが、最早戻ることはできない。彼らも、そして藍自身も選択してしまっていた。彼は飛び立つのだ、まっさらになって世界に。
一晩経ち、やがて日が顔をのぞかせた。朝というにはまだ早い空は薄く夜が混じった青だった。清流は手を縛られたまま、空を見上げた。次、この空を見るとき自分は何を思うのか。それを知りたい気もしたが、今の自分はそこにはいないのだろう、と考えを振り払う。
里の出入り口に近い広場に着き、清流は座るように命じられた。それに清流は素直に従う。
藍は静かに語りかけた。
「怖くないんですか、清流」
振り向くことなく清流は答えた。
「怖いです」
「……赤の他人の少女のために、身を投げ出すほど、漢だったとは知りませんでしたよ」
「そんなんじゃないです」
若干声が震えている清流に、藍は気がつかないフリをした。優しくなだめるように清流のさらりとした黒髪を撫でる。
「僕、後悔したんです、少しだけ」
「……」
「なんであの子を連れて来ちゃったんだろ、とかこんな選択肢を選んじゃったんだろうとか。……でも何度考えても答えはこれしか無かったんです」
優しく、優しく藍は聞いた。
「何故です?」
「……嫌だったんです。自分がさいしょに助けたいって思った気持ちを裏切るの。そんなの、格好悪い」
震える声が、見栄を張るように強くなった。恐れを押さえ込んでいるのか、と藍の胸がきゅ、と締め付けられる。子供を殺すという、罪悪感だった。
「この答え、格好いいでしょ?まるで昔話の英雄見たいでしょ?英雄っていうには規模が小さいし、誰にも褒めてもらえないけど。でもかっこいいでしょう」
「……そうですね、あなたは立派な英雄ですよ。あの子にとっては」
「……でしょ?……それに僕、ほんの少しだけわくわくしてるんです」
考えてもいなかった言葉に、思わず藍は清流の顔を覗き込んだ。その顔は青ざめ、隈ができ、微かに震えていたものの口元は確かに笑みが含まれていた。
「だって何だか新しいことが始まりそうじゃないですか。見たことのない存在と会って、今までに取ったことがない選択肢を取って、こうして今消されそうになってる。……一昨日までは考えてもいなかった事ばかりで、人生の驚きが詰め込まれた1日だったんです。新しいことが多すぎて、これからのことなんて、何一つ分からなくて。凄くわくわくしてるんです。何だか冒険でも始まりそうで……変ですよね。もう少ししたら僕消えるのに。僕という存在は死んでしまうのに、これからのことを考えてわくわくしてるんですよ。すっごい変だ」
「変ではありませんよ……多分、今までで1番、あなたらしいと思います」
「清流、あなたが最初に聞きたい言葉は何ですか?」
「え?」
思ってもいなかった言葉に、清流は場の空気にそぐわない、子供のような声を出した。ついこの間まで聞いていた声だというのに、藍はその子供らしい声が懐かしい感じがして、目を細める。
「言葉、ですか?」
「ええ、そうです。全てを失うあなたへのせめてもの情けです。未来の自分の道標となる言葉を決めなさい。刻んであげましょう」
一瞬、清流は考えた。そして藍に小さく耳打ちをする。その言葉に藍は小さく頷いた。それに満足気に清流は微笑んだ。
「それではその言葉を刻んであげましょうーさよなら、清流」
刑は執行された。清流がこの世から消えた時、そこにいたのは藍1人だった。
「……えっと、旦那、さまですか?」
「ああもう好きに呼べ。何度も何度も鬱陶しい」
深い深い竹林を一人のやたらしっかりとした老人と不安げな少年が歩いていた。少年はちらちらと視線が定まらず、何度も転びそうになりながら歩を進めていた。竹しかないそこをまるで珍しいものでも見るような目であちこちに視線を飛ばす。
「いいか?お前はこれから勉強するんだ。まともに日常生活を送れるようにな。まずはそこからだ!それからケダモノの調教をして、使い物になるようになって来たら俺の孫の護衛係だ!」
「出来ますか?私に」
「俺はお前をクソ高い金を払って買ったんだからな!元を取れなきゃ困るんだよ!」
強面で怒鳴る老人を少年は指をさして笑った。普通の子供ならばこれで泣くのに、と気の抜ける思いをしながら老人は少年の手を引いた。
数時間歩き竹林を抜けると、そこには街が広がっていた。竹一色の竹林とは段違いの情報量に少年は目を輝かせた。ふらりと何処かへ行ってしまいそうになる少年の体を老人はあわてて押さえつける。
「いいか、お前は今まっさらだ!」
「へえ」
「お前のことだぞ?!まあいい。そして大切なことはこれからお前がお前を作っていくということだ」
「……」
「これは誰にもできない。そして任せてはいけないことだ。自分で自分を作れ。なりたい自分にな」
「はい」
「そして俺に構うことなくやりたいことをやれ。お前はお前の意思を尊重しろ」
その言葉に少年はふにゃふにゃとした定まらない声で言った。
「仕事しなくていいんですか?」
「仕事はせんかアホが!そうではなく、お前は俺の人形ではないということだ。意思を持て!必要なら俺に逆らってもいい!」
「じゃあ今すぐあそこに行きたいです」
「人の話を聞けと言ってるだろう!あとまずは家に帰る!……はぁ、老人を労わる気はないのか?……あと名前も好きに決めろ。1から自分を作れ」
「はーい」
「……わかっているのか?」
少年の態度に流石に心配になって老人は真顔で聞いた。まさか言葉すらまともに聞けなくなってしまったのかと不安に襲われる。
そんな不安を知ってか知らずか、眩しい昼の光に横顔を照らされた少年は広がる世界を見つめて言った。
「要するに私は私ってことですよね」
想像していた以上にしっかりとした答えが返ってきて、老人は固まった。まっさらな割には既に自分を得ている答えだった。
「意味、わかってるのか?」
「ん……多分?何となーく、心に浮かんできたんですよね」
「何処に在っても私は私……自分のしたい事を貫け。……ってね」