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牢の中で

 清流の家から連れ出された少女は、紺に担がれ何処かへと連れて行かれた。少女は泣きながら清流に縋ろうとしたが、紺の太い腕に遮られた。小さくなっていく紺とその腕に収まる少女の姿を清流は眺めていることしかできなかった。

 突然里に起こった異変に、屋敷は騒然とした。右へ左へ忙しなく動く人の群れをぼんやりとした頭で清流は見ていた。手元はしっかりと拘束され、時折誰とも分からぬ目に軽蔑の視線を送られていたが、自分が罪人の身になったことを実感できずにいた。自分が囚われるような悪事を働いたようにはどうしても思えなかったのだ。

 周囲が静かになったことに気がついた時、自分がやっと牢屋に連れてこられたことを理解した。温みのない石の床がじわりと清流の体温を足先から奪っていく。時がどのくらい経ったのかもわからなくなっていた。

 今は何時なのか、それを探ろうと清流が辺りを見回した時だった。


「清流」

「……頭領」


 藍と、紺が牢へと降りてきた。

 紺を引き連れ牢へと降りてきた藍の顔は怒りには染まっておらず、ただ悲しみだけがあった。三人の静かな、そして少し早い呼吸音と藍と紺の裸足の足が石を踏む音だけが部屋に響く。

 清流のいる牢へ近づいてきた二人は格子越しに清流と向き合い、問いかけた。


「清流。何故こんなことをしたのか言いなさい。どうして決まりを破った?」


 清流は問いに応えようとはしなかった。しかし、いくら経とうとそこから動こうとしない二人に仕方なく重い口を開いた。


「……何故と言われても。ただ、外に出たらうずくまったあの子がいて。歩けないようだったので食事を与えるくらいなら許されるかと思ったのです」


 渋々答えた清流に、眉を潜めて藍は聞いた。


「そもそも外に出ることは許されていないはず。何故里の外へ出たのですか?」

「……出たかったからです。外を知りたかった」


 外に出た理由としてはある種当然の答えだった。出たいから出た。そこに偽りは無い。しかし里の中で生まれ、里の思想に沿って育てられその道を外れずに生きてきた藍と紺には、大義も大した事情もなくただ「出たい」という感情だけで清流が禁忌を犯したなどとは到底納得ができなかった。


「何故だ、何故こんなことをしたんだ!清流!確かにお前は頭の回る悪いガキだった!だがやっていいことと悪いことの違いくらい分かったはずだろう!」


 紺の太い腕が格子を掴んだ。がしゃん、と金属のぶつかる不愉快な音が地下牢に響き渡る。紺は清流のことをよく見ていた。もちろんあれやこれやと理由をつけ悪巧みをする清流から目を離せないということもあったが、何より熱心に勉強に励み力をつけていく清流に期待をしていたためだ。ゆくゆくは自分の跡を継げるような男になってくれるのだろうと夢を見ていた。まるで本当の父親のようにそう思っていた。しかしその期待と信頼は簡単に裏切られた。


「どこで間違えた……ワシはどこでお前を間違えさせた?」

「……」


 崩れ落ちる紺を清流は見下ろしていた。紺は何も間違ってなどいない、清流はそう思った。

 この外に出たい、知りたいという気持ちがいつ芽生えたのかなど覚えていない。下手をすれば生まれた時から持っていた。堪えても堪えても消えない欲求に、苦しさすら覚え始めてとうとう耐えきれなくなったのだ。自分を育ててくれた里の皆が悪いとはとても言えなかった。里という環境に適応できなかった自分が悪いのだ。半ば諦めをもってそう思った。


「清流、あなたを処刑することはありません」

「えっ」


 藍が唐突に言い放った。

 清流には藍の発言が理解できなかった。

 この里に生まれた子供が真っ先に教え込まれるのは「外には出てはいけない」という決まりである。里はその神秘を守るための規律を、おとぎ話や過去の話を駆使してまだ何も知らない子供達に教え込む。

 それでも中には清流のように外への欲求を抑えきれず里を飛び出す者が居たが、彼らは例外なく捉えられ処罰を執行された。子供達はそれを見て学ぶのだ、外に出てはいけないと。

 そこを甘くすれば子供達は学習しない。だからこそ里からの脱走という罪を犯した者に対しては厳しく処罰を与えてきた。

 それを見てきた清流は処罰を与えられることを覚悟していた。実際に外へ繰り出していた間は許されるだろうと甘く考えていたが、実際にこうして牢に入ると、無事にここから出るなど無理だろうと考えてしまうのである。足先にしみる冷たさが、心をも冷やしていくのだ。

 それが突然処刑は行わない、である。清流は面食らった。


「特別扱い、ですか?僕が優秀だから?」

「……私は今までにもあなたのように外への渇望を抑えきれない者を見てきました。そしてその度に処刑されるのを見てきましたし、私も同じように処刑を行ってきました。何も生まない選択だったと思います。生まれた異分子をひたすら排除するだけで、何の解決にもなっていない。現にあなたまでこんなことをしてしまいました」

「……」

「里の規模も徐々に小さくなっています。今、こんなくだらないことで誰かを失うわけにはいかないのです」


 そっと清流の手に大人の手が重ねられた。冷たい地下牢で何もかも冷えた清流のそこだけが、じんわりと温かくなる。


「頭領……」

「変えたいと思っているのです。手伝ってくれますね」


 ゆっくりと、清流は頷いた。頬に一筋、涙が流れる。優しい声が心に響く。自然と、清流は答えていた。


「はい……僕はこれからどうすればいんですか?」

「簡単なことですよ」



「あの娘の記憶を全て消しなさい」



 流れた涙が一気に熱を無くしていった。






「……どういうことですか」


 声を震わせ、清流は聞き返した。藍が今何を言ったのか、理解できなかった。したくなかった。血の通った手に握られているはずの指先が静かに熱を無くしていくことが怖かった。


「よく聞きなさい、清流。あの娘の記憶を探りました。あの娘の母親は自殺しています」

「えっ?!」


 唐突に告げられた真実に清流は驚愕した。あの子のお母さんが、自殺した。ぶわりと少女の寂しそうな目がよぎる。あの目が母親の死を見届けてしまった、ということなのだろうか。俄かには信じられなかった。


「ショックだったのか最も深い部分にその記憶が封印されていました。父親もいないようです。つまりあの娘は1人です。可哀想だとは思いませんか?」


 続く藍の声に清流の意識は前の藍へと戻る。そこにあった顔を見て、清流の背筋に冷たいものが走る。そこにあったのは清流の知らない、大人の顔だった。いつもにこにこしていて、紺に泣かされた子供達を慰めてくれる優しい藍が、どこにもいない。確かに前にいる人物は藍のはずだったのに、そこにはもう藍がいなかった。

 確かに頭領として冷酷な決断を下す姿は清流も何度も見ていた。しかしそれは里を守るためであり、仕方のないことだったのだ。確かにそれを恐ろしいと思ったことはあった。

 だが、しかし、これは違う。この、優しげな声で甘く囁いてくるこの顔は一体なんだ。柔らかく優しいのに、薄ら寒くて気持ち悪い。


「そんな可哀想な過去など忘れさせてあげるのです」

「そ……そんな事をして一体どうするんですか」

「あなたの家族にしてあげなさい。恋人でも、妹でもどちらでも構いませんよ」


 藍のその発言に清流は思わず握られていた手を振り払った。背筋に悪寒が走り、胃からは気持ち悪さがこみ上げる。感じたことがない、憎悪に似た感情だった。

 幼い子供を懐柔しようと語りかけるその顔は最早清流にとっていつもの優しい藍などでは無く、狡く汚い軽蔑すべき大人でしかなかった。

 清流は取れるだけ距離をとると息を荒くして藍を睨みつけた。

 突然振り払われた手に、藍はショックを受けたような顔をした。清流は叫ぶ。


「何だそれ……なんだよそれ!」

「落ち着いてください、清流」

「落ち着くなんて無理です!何を言っているか分かっているんですか頭領!それはあの女の子の人生を全て消して別人にしろってことですか?!そんなの……そんなの、殺すのと同じだ!」

「いいえ、違います。生きているのと死んでいるのとでは全く違います」

「何が違う!自分が消えるなんて殺されるのと同じだ!あの子にはあの子の人生があって、お母さんがいてお父さんがいて!それを全部忘れさせるなんてあんまりだ!」


 高ぶる感情に涙の雫をこぼしながら叫ぶ清流に、大人2人は困ったように顔を見合わせた。その顔に、濡れた清流の胸がカッと燃える。


「あの子はもう一人なんですよ。帰ったところで何にもなりません。辛い人生が待っているだけです。ここなら仲間がいます。……そうでしょう」

「そんなの都合の悪いことを誤魔化してるだけじゃないか!あの子の人生を踏みにじるだけだ!」

「何を勘違いしているのかわかりませんが、私たちはずっとそういう存在なんですよ清流」


 牢の鍵を開け中に入ってきた藍から逃げるように清流はより奥へと逃げた。しかし清流の必死の逃走もむなしく、あっさりと大人の手に捕まってしまう。顎を捉えられ、痛いほどの力で無理やり正面を向かされる。鼻と鼻が触れてしまいそうなほどの距離で2人の目はぶつかり合った。


「これ程までに技術を手に入れてしまったのです。大人になる時が来たのですよ、清流!」


 恐怖にガクガクと震える清流の顎を、藍は握り直した。


「記憶を操るとはこういうことです!いつだって私たちは都合の悪いことを消してしまうために存在してきたんですよ!私たちは決して正しい存在ではない!受け入れなさい!」


 それだけ言い切ると、藍はその手を離した。藍も必死だったのか、荒い息をつき牢の外へと出て行く。紺が牢に鍵をかけた頃、藍は静かに言った。


「これがあなたの初仕事です、清流。うまくいけばヒイラギ様にも喜んで貰えるでしょう。明日の朝には行いますから、それまで頭を冷やしなさい」


 清流はただ下を見つめ黙っていた。

 2人はそれをしばらく見つめた後、静かに去っていった。



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