そして全ての流れが止まって
「おや……来ましたね。ヒイラギ様、アレがうちの一番の有望株です」
「ほう?」
「し、失礼します!清流です!」
顔を伏せ、清流は深々と頭を下げた。
顔を伏せたのは頭領の前だからではない。家に残してきた少女が何かしでかさないか心配で心配で顔が青ざめていた為だ。清流は必死に表情を隠していたが、とうとう顔を上げなさい、という藍の言葉にその真っ青な顔を上げた。それを見た頭領はにこりと笑う。
「そんな風に緊張しなくてもいいんですよ。いつものあなたを見せなさい」
「は、はい!」
清流の青ざめた表情を緊張のせいだと捉えたのか、藍は何も問うことはしなかった。
「頭領、ワシはすることがある。ここを出て行くがいいか?」
「構いませんよ。清流を連れてきてくれてありがとうございました」
ドタドタと熊のような足音をたてて去っていく紺に清流はふーっと深く息を吐いた。その姿に藍はくすくすと小さく笑い声をたてる。
「おやこれは失礼。神童と呼ばれても紺は怖いものなのですね」
「は、はい」
「では本題に入りましょう。……ヒイラギ様、こちらが先ほども申した通り清流です。清流、顔をヒイラギ様にお見せなさい」
清流は言われるがままに前に座っていたヒイラギへと顔を向けた。
灯の元で見るヒイラギは、暗い竹林で見た時とはまた雰囲気が違うものだった。ただの強面だと思っていた顔は、強い自信に溢れた精悍なものだった。老いてこそいるものの、その佇まいは若々しい。清流はヒイラギの年齢は知らなかったが、年齢よりもずっと若々しいのだろう、という感想を持った。
真っ直ぐに見定めようとするヒイラギの視線は、恐怖を呼び起こすような紺のモノとはまた違う威圧感を与えるものだった。清流はその視線を返すことが出来ずに目を逸らした。隠し事を暴かれるような気がしたのだ。
「なるほど。確かに年の割には強いものを持っているようだ。まだまだガキだがな」
「……うるさい」
小さく悪態をつく清流の頭をペシリと藍が叩く。
「こら、失礼でしょう」
「ガキなんてこんなもんでいいんだ。気にしなくても良い。おい清流」
凛とした声に清流は思わず背筋を伸ばした。そして再び射抜くような視線を真正面に受ける。清流の腰が少しだけ引けた。
「俺はな、ここに依頼をしに来たんだ」
「依頼、ですか?」
「そうだ。あるケダモノの調教を頼みに来た」
ケダモノの調教、という言葉に清流は困惑した。そんなものは教わっていない。
「獣の調教なんてできません」
「そのケダモノは人の味を覚えてしまったのだ。その記憶を消して、安全に扱えるようにしたい。人間の社会に適応できるような知識を与えたい。それならば記憶の改変でできるだろう?」
「しかし何故ぼ……私なんですか?私などよりも里にはより熟練の者たちが居ります」
「ワシは青田買いが好きなんだ」
「青田買い?」
「そうだ清流。ヒイラギ様は才ある子を育てる仕事をされているんだよ」
「その通りだ。だから育ちきった大人などよりも将来性のある若い者の仕事が見たいのだ」
そう言い自慢気に髭を撫でるヒイラギを、清流は無言で見つめていた。
ヒイラギは清流の狭い世界には今までに居なかったタイプの男であった。ヒイラギが纏っている見慣れぬ洋装はもとより、広い世界を感じさせるその物言いが何より魅力的に映ったのだ。
清流は、世界との拒絶を選んだこの里があまり好きでは無かった。変化の訪れない里には弛んだ空気が漂っていた。常に緊張感無く、ただ習慣に基づき繰り返される日常は清流にとって、行動の意味も意義も考えることなくただ決められたことを行うだけの無意味なものだったのだ。だから清流は刺激を求めた。
自分の選択で生きているという実感が欲しかったのだ。
目の前のヒイラギという男は間違いなく自分に新しいものをもたらしてくれる、と清流は確信していた。
「どうだ?受けるか、仕事を」
「はい。それは、もちろー
「おい清流!」
部屋を揺さぶるようなドスの効いた声が突然割り込んだ。その尋常でない様子に清流はふと思い当たった。そして頭から血の気が引いていく。形を保っていた世界が真っ二つに割れていくような思いだった。
「どうした紺!そのような大きな声を出して!」
「いいからこれを見ろ!娘だ!」
慌てるあまり気を配っていられないのか、紺は幼い腕を乱暴に引っ張りその小さな体を自分の前へと引き出す。
「……ッ!」
その姿にその場にいた全員が息を飲んだ。一瞬の空白が生まれる。
「な……何故、外の者が!」
「清流の家に隠れていた!さあ答えろ清流!これはどういうことだ!」
紺に抱え上げられた少女は恐怖のあまり涙も流せずに震えていた。
その場にいる人間の視線を一身に浴び清流は、自分がとんだ思い違いをしていたことに気がついた。
自分の何倍も生きている大人たち相手に簡単に出し抜くことなど出来なかったのだ。勝手に勝利したと思い込み、慢心し手を抜いた過去の自分に舌を打つ。
刺さるような三対の目に、裁きの時が近づいていることを、清流は悟った。