好奇心は猫をも殺し、後悔は先に立たず
そこは光も碌に通さないほど深い竹林に囲まれた隠れ里だった。里の名も持たず、歴史の影に寄り添いながら長く営みを続けていたその里は、二十一世紀という時代の波に飲まれつつあった。
「記憶を操作する」という秘術を扱い歴史の陰で活躍してきた彼らだったが、技術が発展していくにつれ「世間」は瞬く間に広がっていき、その力は影響力を無くしていった。西洋から来た新たな技術に日本が沸く中、古き力であった彼らはあまりに軽んじられた。まるでその力には意味も価値もなく、新しいものこそが全てなのだと言いつけるように日本の闇は彼らを忘れた。しかしそれでも里の者は秘術を漏らさぬ為に外部との接触を許されず、里の人口も活気も失われつつあった。今日もそんな里は寂しく風に揺れていた。
「……よし、誰もいないな」
里を囲む深い竹林をすいすいと慣れたように進む少年の名は清流と言った。
清流は好奇心旺盛な少年だったが、変化の訪れない里ではその好奇心を満たすことが出来ず、常に刺激に飢えていた。震えるように平穏な日常に耐えていた清流だったが、やがて飢えに限界を感じ、刺激を求め里を抜け出すようになった。
(誰かにあったとしても記憶をなんとかすれば大丈夫……だよな)
後ろにゆっくりと小さくなっていく里の姿を見ながら清流は薄く笑った。そう、今までの努力はこうした日の為だったのだ、活用しなければ。そう考えると再び足音を潜めて駆け抜けていく。
清流は里の子供だった。里の子供達は皆、将来を担う者として記憶操作術の手ほどきを受けていたが、清流はその力をいち早く得るために他の十数人と比べ特に熱心に学んでいた。
何故、熱心に学んでいたのか。それには理由があった。
里の大人たちが口を酸っぱくして話している昔話がある。丁度清流の親の世代が子供だった頃の話だ。
それは少し昔のこと、里にある少年がいた。少年は里の未来のためにと熱心に勉強を重ね、やがては神童と持て囃されるほどになった。少年は瞬く間に大人たちに認められるようになり、大人たちと同じ権限を与えられ、それでも慢心することなく立派に育ち、里をまとめるようになった……まあ要するにこの里の頭領の生い立ちを簡単にまとめたものなのだが、大人たちはこれを勉強を促す教材としてうんざりするほど繰り返し使っていた。頑張れば早く大人になれるんだ、お前達もその神童を見習い努力しろ、と彼らは言いたかったのだろうが、ほとんどの子供たちは半分寝たような目で聞き流すのが常だった。
しかし清流は違った。清流は「大人と同じ権限を与えられていた」という点に強く興味を抱いた。清流位の歳の子は、触れられる情報に限りがあった。それは好奇心のまだ強い子を刺激しないため、そして里の情報の漏洩を防ぐためだった。その為、里への忠誠心がある程度認められなければ、自分が住んでいる里のことすらろくに知ることはできない。
だが、勉強を熱心にすることで……いや、その行為によって里への忠誠心を示すことで大人と同じ権限を得ることが出来るというのならば、子供の自分ではまだ見られないような資料、特に里の詳細な地図を見ることができる可能性があるということだ。清流は急いで頭領や頭領の周囲の人物に事実を確認した。珍しく昔話に子供が食いついたことに気を良くしたのか彼らは饒舌に過去を語った。頭領に至っては清流をわざわざ自宅に招いてまで思い出話に浸るほどだった。
大人達の昔話から、幼い頭領が確かに特別扱いを受け、普段は決して見せられないような資料まで手に入れられるようになっていたと知った清流は直ちに猛勉強を開始した。
清流の心の内など知らなかった里の大人たちは熱心に勉強する清流を見て無邪気に喜び、他の子供達にはまだ教えていないような高度な術まで教え込んだ。清流もこれ幸いと更に熱心に取り組み、同世代の子供達とは頭一つ、いや二つ三つは余裕で超えてしまうほど記憶操作術を会得していた。大人達は清流のことを神童の再来と持て囃した。清流の突然の豹変に首を傾げる者も居たが基本的に身内、特に子供には甘い里だったため、深く追求する者は居なかった。結果、後は清流の計画通りとなった。
そうしてようやく地図を手に入れた清流は、しばらくこそ眺めて満足していたのだが結局は抑えきれなくなり、地図に書いてあった、見張りのいない非常用の出入り口から里を出入りするようになった。
「やっぱりこの竹林は大きいなあ」
しかし清流は竹林の外へとたどり着くことが未だできていなかった。
里を囲む竹林は深い。そもそもが里へ人を寄せ付けぬために作られた竹林であるため、非常に迷いやすく抜けにくいのだ。その上、街がどの方向にあるか清流は知らなかった。その為どの方向へ行けばいいのかがわからず、ただ里の周囲をうろつくだけにとどまっていたのである。里の大人の記憶を探れば情報が得られたかもしれなかったが、そんなことをすれば一気に危険視され行動を制限されるようになってしまうだろう。
里において外との接触は重罪であり、それを試みることすら里では悪だ。最悪、処刑をされる可能性もあった。外の人間と接触してどうするのか、というビジョンが全く無く、ただ外に出てみたいという欲求しかなかった清流には、今以上の行動を起こすことはリスクがあまりに高かった。そのため、清流はこれといった行動を取れずにいた。
「今日も何もなしか……」
日が沈むのを感じ、くるりと清流は体の向きを変えた。あまりに遅くなれば心配されてしまう、清流は自然とそう考えた。あくまでこの徘徊は膨れ上がる好奇心を少しばかり満たすためのものだったからだ。やはり落ち着くのは里であり我が家だ。
清流は学んだ記憶操作術を応用し、自身の記憶を探った。今現在の記憶から少しずつ記憶を遡る。巡る記憶に合わせながら今まで来た道を辿っていった。
ああ、今日も何とも出会えなかった。そんな気持ちでとぼとぼと足を進めていた、その時であった。
カサカサ、と竹の葉が揺れる音が響いた。
「……今の僕が出した音じゃないよね」
清流は咄嗟にしゃがみ身を低くし、周囲を探った。するとやや離れたところに、里では見慣れない洋装で歩く老人の姿があった。
背は年の割に曲がっておらず、しゃんとしていた。顔はやや迫力があり強面で、手にした杖が必要なさそうなほどしっかりとした足取りで前へと進んでいた。
清流は知識としてしか知らなかった洋装を初めて見た感動でその身を震わせた。
(里の外の人間だ!どうしよう、話しかけようかな?)
しかし清流はふと気がついた。洋装の老人が真っ直ぐに里へと向かっていることに。
迷わず里へと向かっているということは里の存在を知っている者ということになる。最近は滅多に来ないが、里へ記憶操作の依頼に来る者は確かにいる。すると真っ直ぐに里を目指すその老人は依頼人ということになる。この21世紀に里の存在を知っているということは代々里と繋がりのある存在である可能性が高い。代々の繋がりがあるとすれば里の規律を知っているという可能性もまた高い。規律を破り外へ出たと知られれば突き出されるのではないかー清流はそこまで考え起こしかけていた身を再び低くした。
清流は老人が見えなくなるまで待つと、彼がやってきた方向へと向かった。
「あっちに行けば、人里があるってことだよな!」
声は弾む胸の内を表すように上ずっていた。清流は先ほどまでは必死に殺していた音に気を配ることすら止め、軽快に足を進めていった。