小旅行
仕事を辞めてからと言うもの、私は引きこもりがちになっていた。
外へ出ることへ、漠然とした不安があったのだ。
外出先で襲われる突然の激痛や、本当に効果を表しているのか分からない飲み薬や、仕事もせずに昼間からふらふらしていること、この先の将来や、貯蓄が減ることへの不安。
考えたら切りがない。
眠っていたら、何も考えなくて済む。
私はなるべく眠って過ごすようになっていた。
そんなある日、夫が長期休暇を取れたので、旅行に行こうと行った。
正直、私は行きたくないと思った。
家の中に居ても不安なのに、家の外、遠出をするなんて考えられないと思った。
ましてや、ちゃんと薬が効いてきたとはいえ、すぐに元通りにキレイに治ったわけではないのだ。
夫は具合が悪くなったら帰ってくればいいから、大阪の水族館にジンベエザメを見に行こうと言った。
「それなら、行く」私は即答した。ジンベエザメが何よりも大好きなのだ。大きな水族館の水槽で、すいすい泳ぐジンベエザメを思うだけで、私はニッコリした。
こうして、ご機嫌で車に乗り込んだ私は、まんまと大阪へと連れられていくのだった。
私と夫は、運転を交代しながら、大阪を目指す。そういえば、具合が悪くなってから、運転する機会もなかったなあ。
真っ暗な高速道路の、眩しいくらいオレンジ色のトンネルに吸い込まれていく。とても、気分が良かった。
適度にサービスエリアで休憩し、寄り道をしながら、私達はひたすらに水族館を目指す。
「いよいよジンベエザメだよ」と夫が言う。「具合はどう?」
私は問題ないと答えた。例え、這ってでも行くつもりだった。当然だ。ジンベエザメだ。
水族館の中は、たくさんの人でごった返していた。カニやイカや小魚の水槽はそこそこに、私達はジンベエザメの水槽を目指す。
ジンベエザメはちょうど食事中だった。たくさんの客が、その様子をじっと見つめている。エサの小エビが、ジンベエザメの大きな口の中に吸い込まれていく。
「ああ、よく食べてる」私は呟いた。感動して胸がいっぱいだった。「よく食べてるよ」
夫が頷く。「┉来て良かったでしょう?」
私も頷いた。家に閉じ籠っているより、ずっと素敵だ。
「ここに来る途中、車イスのお客さんがいたよね」夫が、少し声のトーンを落とす。「例え、自分で歩けなくなってしまっても、ああやって周りの人がサポートしたら、行けないところなんかないんだよ」
私はなんと返したら良いのか分からずに、ずっとジンベエザメを見ていた。
「どんなに具合が悪くなっても、車イス押してでも、俺がまた連れてきてあげるからね。今日だって、こんなに遠くまで来られたじゃない」
私は、夫が言わんとしていることをようやくわかった気がした。
「何も心配しなくていいんだ、一緒に頑張ろう」
夫が、強く手を握ってくれた。