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あの日を思いだす

作者: 山田次郎

           

                あの日を思いだす


 

 (……あの日を思いだす? ――――何の事だ?)


 その言葉が急に頭に浮かび俺は目を覚ました。目が涙で濡れていることに気付いた俺はそれを手で拭ぐった。目を覚まして最初に視線入ったのは使い古された表現ではあるが、見知らぬ天井であった。部屋は薄暗く少し肌寒い。その見知らぬ天井は、白色であるが年季が入っているのか少し黄ばんでいるようにみえる。そして自分の鼻一杯に広がる消毒液の臭い。どうやら今、俺が寝ている場所は病院的な場所であることを理解した。

 その証拠というほどでもないが、天井から視線を外し、周囲を確認すると白いカーテンやテレビ、棚など病室で見かけるようなものが飾り気なく置いてある。個室である病室は静かでそこだけ時間が止まっているようであった。白いカーテンから少しだけ覗く外は、暗くどうやら今の時間は夜であるようだ。

もっと周囲の状況を確認しようとベッドから体を起こそうとすると身体中に痛みが走った。


 身体中に走った痛みが、今自分が病院にいる理由を告げている。


(……俺はなぜ病院にいるんだ?)


 事故にあったことは確実であるが、なぜ事故にあったのか、それがどんな事故だったのか、記憶が欠損している。自分のことや日常生活で必要な知識はあるので部分的な記憶欠落であることを理解する。

 とりあえず自分の身体がどういう怪我をしているのか身体中をくまなく調べる。調べた結果多少痛みを堪えれば歩けるほどあることがわかり俺はベッドから立ち上がった。


「これじゃ……まるであいつが言っていた物語みたいだな……うん? ……あいつ?」


思わず口に出ていたが、『あいつ』とは誰のことだろう? どうやら事故のことだけでなく記憶が欠落している所があるようだ。だが今の俺には何を覚えていて何を忘れているのか確かめる方法は無い。

 その『あいつ』のことは思いだせないが、『あいつ』という人物が話していた物語のことは覚えていた。

簡単にその物語の説明をすると、今の俺と同じく病院の一室で目を覚ます男。その男は体中包帯で巻かれており、殆ど身体は動かない。声も出せず自分が誰だかもわからない男は、自分が何者なのか自問自答する。   

その中で自分に向けられた視線に気づく男は病室の扉の前に女性が立っていることに気付く。

どうみてもその女性に生気が感じられず、すぐに幽霊だと気付く男は、最初は怖がりながらもしだいにその女性に恋心が芽生えていくというものだ。

 幽霊である女性に恋をした男は、女性に対して恋心が大きくなるのに比例するように身体に負っていた怪我も癒えていく。

 男は怪我が治っていくにつれて、彼女のために何か出来ないかと考えた。男は行動に出る。幽霊の女性に好きな物は何かと聞いたのだ。幽霊の女性は『フジバカマ』という花が好きだと男に伝えた。

 花に疎い男は困惑しながらもその花を探して病院を抜け出し『フジバカマ』という花を探すのだ、女性のために。偶然なのか必然なのか病院の外には女性の好きな『フジバカマ』咲いておりそれを手に持ち病室に戻る男。だがそこには女性の姿は無かった。

 結局結末は手にした『フジバカマ』がキーワードになり男が記憶を取り戻し、病室の前に立っていた女性が何者なのか理解するというもので、救いの無い物語であったことを記憶している。

 確か『あいつ』はその物語が好きだと言っていた。そして『あいつ』はもう一つこの物語で好きだという箇所があったと言っていたように思えるが……黒い靄がかかったように塗りつぶされてしまった。


「……」 


 俺は恐る恐る病室の扉に視線を向けた。だがそこに女性は居ない。さすがにそこまで同じだと気味が悪いし、結末を知っている俺としては救いがないので勘弁してほしい。

 ホッと胸をなで下ろした俺は病室の扉から視線を外し窓に向かう。白いカーテンをどけて外を見ると夜空には綺麗な月が昇っていた。くっきりと昇っている月は満月であった。

 満月を視界に捉えた瞬間、肝心な所は黒い靄がかかり分からないが『あいつ』の言葉が再び頭に浮かんだ。


「……歩く月……?」


 はっきりとは思いだせないが『あいつ』が好きなアーティストの曲だったような気がする。

俺は毎回このタイトルをみるたびに月に足は生えていないのだから歩ける訳ないだろうと、『あいつ』に文句を言っていたような気がする。すると『あいつ』は、毎回苦笑いを浮かべながらあなたは真面目だからと不満げな俺を諭していたように思う。そのアーティストにしては珍しいバラード調の曲で『あいつ』は、この曲が一番好きだと言っていた。

 何もかもがはっきりしない中で、はっきりしていることがあるとすれば、俺の中で『あいつ』という存在は大きなものだったということだ。蘇ってくる記憶には必ず『あいつ』がいる。『あいつ』との記憶は大事なものだったように思う。でも今の俺にはその大事な記憶が殆ど無い。


「……『あいつ』って一体誰だよ……」


夜空に昇る満月を見上げ俺は頭をかきながら深いため息を吐くとベッドへと戻った。


 夜だということは分かるが時間の感覚が曖昧で、未だに夢のいるような感覚。痛みは感じるから夢ではないのだろうけど、どうも現実感が無い。

 再び病室の扉へと視線を向ける。多分その先には俺が欲していることがある。だがなぜかその扉を開く勇気が出ない。頭では分かっていてもなぜか心が扉を開くことを拒絶している。


「俺は知りたくないのか……?」


扉を開くことを拒絶している俺の心は、記憶を取り戻したくないと思っている。


「あの日を思いだす……」


何だったか……この言葉は。所々で頭に浮かぶその言葉。これも『あいつ』の記憶の一部なのだろうか。

 何かとても重要な言葉であることは分かるのだが、それを拒絶するかのように身体中に痛みが走る。


「くぅ……」


だがその痛みが忘れていた記憶を呼び起こさせる。


 夕日の光が車内をオレンジに染める。列車の中で俺と『あいつ』は向かい合わせで『フジバカマ』について喋っていたんだ。

 だが突然やってくる激しい揺れに俺や『あいつ』、車内の乗客たちの全員の身体がフワっと浮かぶ。俺は必至で『あいつ』の手を掴もうと手を伸ばすが、次の瞬間俺の視界は真っ暗になった。


「ああ、そうか……あの日を思いだすって言葉は……」


『フジバカマ』の花言葉だったんだ。


『あいつ』の好きな物語の主人公の男も、その花言葉を知って記憶を取り戻すんだ。


「はは……おいおい……あの物語と結末一緒じゃねぇかよ」


陳腐な結末だ……『あいつ』が好きだった物語をなぞるような俺の終着に笑いが込み上げてくる。でもなぜだろう目からはと目だと無く涙があふれてくるのだ。

 

 フジバカマの花言葉……あの日を思いだすて所が一番好きなんだ


これが『あいつ』の最後の言葉だった。満面の笑みで列車の中向かい合いながら何度も聞いた言葉に俺は飽き飽きしながら頷いていたんだ。


 (そうだな……あの日を思いだす……)


黒い靄が俺の頭を真っ黒に染めていく……




 (あの日を思いだす……? ――――何の事だ?)       






     完



                      エピローグ


 沢山の管に繋がれた男に視線が向けられる。管の先には細々とした機械が並んでいた。


「……身体に外傷はありません、すでに覚醒してもおかしくはないはずですが……多分精神的なものだと思われます」


白衣をきた男が、沢山の管に繋がれた状態の男にじっと視線を向けている人物にそう告げた。


「そうですか……」


視線を向けていた人物は白衣をきた男の言葉に頷くと沢山管を付けた男を悲しそう見つめ続けていた。

 真っ白い部屋で管を繋がれた男は眠り続けていた。あの日を思いだすことを繰り返して。


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