第十七話 『テクノ・マジカディア』
巨大ゴーレム頭部の前面中央部に覗いたレンズ状の部位が、赤く輝いている。
人間で言えば眼にあたる部分だろう。
何らかのセンサーが働いているようで、視線のような何かに、探られる感じがした。
『全研究員、職員、近隣住民に警告します! 即時退避、迅速な避難を推奨します!
非常事態宣言が発動されました!
これより決戦兵器テクノ・マジカディアは自動操縦モードで稼働します!
敵対生物を殲滅するまで停止しません!
非常に危険ですので、戦闘区域には決して近づかないようお願いします!
なお、この戦闘によって生命、財産、健康等の被害が生じた場合、テクノ・マジカディア制作委員会は一切責任を負いません。ご了承ください』
このあたりの口上は元々の手順なのだろう。
アナウンスの声も最初から用意されていたらしい。淀みはないが、代わりに熱もなかった。機械音を合成したような声ではなく、人間が喋っているそれに近いだけに、妙な感じがした。
街中に響くような大きな声が、ゴーレムのメタリックな全身から発せられている。
色合いは、中央棟の外観をそのまま継続したか、再利用したような見た目だ。
巨大ゴーレムの姿に生まれ変わった結果、元々の外壁部分のうち、継ぎ目に当たる部分はパズルのように一度バラバラになったのだが、組み合わさった外皮はどこか寄木細工めいていた。
流量な案内で一通り警告を発し終えると、巨大ゴーレムの眼の輝きが強くなった。
ルイザの格好を素早く確かめたミリエルの眼は、俺をやけに冷たく見据えていた。
「ヨースケ。説明してくれるじゃろうな?」
「話は後だ! 《不諦焔》!」
「言ったはずだよ。攻撃魔法は効かない、って……は? なに、あの凄まじい火焔は……」
先手必勝だ。ある程度魔力が回復したと考え、俺の切り札である最大威力の火炎魔法で、テクノ・マジカディアに仕掛けた。
テクノ・マジカディアは、かつて遭遇した巨大植物型モンスター、グランプルを大きく上回る大質量と寸法の巨大ゴーレムである。
大量のグランプルは《不諦焔》で焼き払えたが、根本的なサイズの差は如何ともしがたい。
ルイザは直に見たのは初めてか。
この《不諦焔》は俺の魔力の半分を消費する魔法であり、破壊力も持続性も消費に見合った効果を誇るのだが、高層ビル並の大きさとなると勝手が違う。
炎の巨人の形を取った《不諦焔》だったが、子供と大人、いや、一軒家と高層ビルくらい大きさが違う。巨大ゴーレムの胴体より下、脚部あたりの外壁部分に強烈な焦熱を与えている以上の影響は見えない。
「あれほどの魔法でも通じないなんて、塔の真の力は、やはり無敵の……」
「あの様子では攻撃魔法はいくら撃っても無駄じゃな」
「だな」
「ミリエル様はともかく、カゲヤマはなんでそんなに落ち着いてるんだ? 君の切り札なんだろう!? それが通じなかった以上、ボクたちには対抗する手段が無いってことじゃないか!」
「予想はしてたからな」
「して、アレはなんじゃ?」
「中央塔の真の力とやらを使った汚泥が、あの巨大ロボ……いや、巨大ゴーレムに俺たちを殺させようとしてるんだ」
「つまり……古代文明のせいじゃな」
「まあ、そうなるな」
「えぇ……」
ダンジョンの壁と同等の性質がある以上、外からの攻撃魔法はまず通用しない。中央塔の説明や、汚泥のすがった理由からも分かってはいたが、一応試さずにはいられなかったのだ。
威力だけで見ても《不諦焔》は、学長室の扉にミリエルが放った魔法以上のはずだ。巨大ゴーレムの全身にダンジョン内のような不壊の性質がなければ、石だろうが鋼だろうが悉く焼くか溶かすかして脚部を消し飛ばして終わりのはずだった。
ミリエルは俺の魔法を感心したようにしばらく眺めていたが、巨大ゴーレムが一切痛痒を感じていない姿を見て取ると、呆れたように嘆息した。
炎の巨人はまだ消えていない。俺の注いだ魔力が続く限りテクノ・マジカディアを焼き尽くそうと執拗に攻撃を繰り返すだろうが、効果は期待は出来なかった。
「幸い、魔法学院の敷地がそこそこ広いから……逃げ場はあるな」
「塔を出た時点で、ウィラーたちには避難するよう命じたからのう。当然、学院の生徒や関係者は退去済みじゃ。無駄に響くさっきの放送を聞いて、市民の避難まで呼びかけられれば満点じゃな」
つかず離れずの距離を保って様子を見ながら、ミリエルに別れた後の経緯を簡潔に伝えた。
ルイザは青ざめた顔で、巨大ゴーレムを見上げていた。
「この状況を予想してたのか?」
「うむ」
「嘘だろ」
「バレたかの。……ルイザには?」
「もう教えた。ああ、そういうことか。気を遣わせたというか、助かった」
「あの、ミリエル様?」
「魔導士は一応、伝説の存在じゃからな。あまり吹聴するべき立場でもなし、知られて良い力でもない。口止めには限度があるし、何より輝かしい未来を信じておるひよっこども……魔法学院の生徒たちにヨースケの力を見せて、絶望の淵に叩き込むのも酷じゃろ?」
「で、ですが! 戦っている場面を目撃されるなど、それこそ今の状況を予期していたとしか!」
「保険じゃよ。汚泥ごときにヨースケが負けるとは思わなかったが、お主の救助や逃走を優先することはあり得たからのう」
俺の魔法が引き金になったのか、すでに標的として発見されていたのか。
巨大ゴーレムは瞳の赤い光を、チカチカと点滅させた。
変形直後は直立していたゴーレムは、ギュイン、という音が聞こえるような動きで、その頭部と巨体を俺たちに向けてくる。
『敵対生物、並びに類似の生命体を複数発見しました!
これより、戦闘行動を開始します! 殲滅シマス! 殲滅シマス!』
突然、アナウンスが片言になって、言葉に妙なニュアンスが混じった。
制作者だか制作委員会の趣味だとすれば、やはり古代文明らしい意味不明さだ。
しかし困惑させる声と裏腹に、殺意は本物だった。
「いかん、逃げるぞ!」
「逃げるって、どこに!?」
「いいから離れよ! いや、ワシに続け!」
即座に巨大ゴーレム、テクノ・マジカディアが右足が持ち上がった。
どういう機構になっているのか、関節部分も柔軟だった。人型ではあるが人間でありえない動きで前に進もうとしている。
影、そして大質量が、地面を大きく揺さぶった。
その大きさと重さゆえに、さすがに一瞬でとはいかなかったが、しかしあるべき慣性、物理法則に素直に従っているとは思えない素早さだった。
凄まじい衝撃を背後に、小さな家一軒を楽に踏みつぶせるサイズの足の裏から先んじて逃れた俺は、この先どうしたものかと頭を抱えた。
あれほどの勢いで地面に叩きつけたにも関わらず、巨大ゴーレム自身には何の影響もないようだ。一方で踏みつけられた石畳は見事に砕け散り、周囲に石片と罅とを撒き散らしている。
俺たちが逃れたのを確認したか、今度は巨大な左足が持ち上がった。
振り返り、ミリエルが言った。
「機を見てゴーレムの背後に回り込む! 遅れるな!」
数は力、という言葉がある。
それと同じように、大きさは、あるいは重さは何よりも強い力だった。脚に絡みついていた《不諦炎》を力尽くで蹴散らすように、巨大ゴーレムが前進する。俺たちめがけて踏みつけてくる。
たったそれだけ。
それだけで、人間は間違いなく圧死する。数トンくらいならともかく、数十トン、数百トンという質量に踏みつぶされてしまえば、マナによっていくら肉体が強化されていても、どうにもならない。
死ぬのだ。簡単に。
天から落ちてきた鉄槌のごとく、地面を破壊した巨大な左足。
一転踵を返し、その真横を俺たちは通り抜けた。
ミリエルの予想が当たったらしい。人間と同じく、すでに足を踏み出したあとの状態から方向転換をすることは困難だったのだ。その隙を突いて、俺たちは来た道を再び駆け抜けた。
巨大ゴーレムの死角に入ったはずだが、当然のように巨体が素早く振り返ってくる。
「次はどうする!?」
「距離を離しすぎるのは、ちとまずいかもしれんな」
「ミリエル様、もう来ましたよ!」
「避難が完了しているのであれば、ここから市街地に逃げ込んで時間を稼ぐのも手じゃが」
「終わっていると思うか?」
「確かめている時間は無かろう」
元々巨大ゴーレムのいた場所は、つまり中央塔のあった箇所だ。跡地と呼ぶに相応しい、ひどく殺風景で何も無い景色が広がっていた。
これでどうやって固定されていたのか、地面には塔の接地面と思しき部分に魔法陣めいた文様が描かれている。
ちらりと振り返ると、その元中央塔が執拗に追い掛けてくる。
ズシン、ズシンと、これだけ離れていても伝わる強烈な震動。
俺たちを見つめている頭部中央の視覚センサー、その赤く輝く瞳の無機質な大迫力と同時に、向こうに覗く青空を遮る巨体の圧迫感が凄まじい。
その一方で、歩幅はサイズに比べるとそれほどでもない。わずか一歩で一軒家を跨げる距離を容易く稼いでしまうのだが、それはあくまで歩行の範疇にあった。
脚部の可動域が人間のそれより狭いのか、今のところ、大股歩行めいた動きは見当たらない。
「どうする!?」
「さっきの話を聞く限り、時間切れは期待できんか。あの巨体を動かしているのは、これまでに溜め込まれた魔力じゃろう。新たに魔力の徴収を行わぬ限り、永久に動き続けるとも思えんが」
「だが、中身としてはダンジョンだぞ」
「……む」
「実質あの巨大ゴーレムの頭脳であるダンジョンコアは、故障したり、あるいは寿命が来ない限り、半永久的にダンジョンの機能を保持しようとするはずだ。巨大ゴーレム型のダンジョンである、と考えるなら目的を達成するまでは停止しない可能性が高い」
「ダンジョンコアについて詳しいのう。ワシでも細かいことは知らんのじゃが」
「色々あったんだよ」
さっきから、どうしてかコッペリアのことを思い出す。
俺にとっては敵ではないが、味方とも言い難い、古代文明製の自動人形。
かつてネストンダンジョンを巡る事件の際、その目的と現状について聞いたことがあった。
暗躍していた自動人形コッペリアにはダンジョンコアに仲間意識があった。
俺たちのように会話は出来ないかもしれないが、ダンジョンコアには意思が在るらしい。古代文明製のダンジョン運営用マジックアイテムと呼ぶと分かりやすいだろうか。
その破損を直すために、コッペリアは俺たちを巻き込んだ。
ダンジョンコアは、ダンジョンの運営を正常に行おうとするもの、らしい。
コッペリアの言葉を借りれば、道具には道具なりの矜恃があるとのことだった。
毛色が違うとはいえ、あの巨大ゴーレムもまた、ダンジョンの一種である。
ならば、ダンジョンコアの役割や動き方、意図もそう違わないと考えられた。
ずっと発言を控えていたスピカが、突然声を挙げた。
「ご主人様。汚泥が使っていた召喚用の魔具のことを思い出してください」
「妙なワンドだったな。コントロールクリスタル、とか言ってたか。リカバリークリスタルの亜種か何かだったのか?」
「単純に考えれば、名前の通り制御用のはずです。リカバリークリスタルは修復専用。では、制御とは何を制御するでしょう」
「モンスターの――いや、媒体になる物質召喚は、ダンジョンコアの持つ能力だったな」
「はい。だとすれば、ダンジョンコアに介入するための道具と考えるのが自然です」
「ルイザ。記憶にあるか?」
「えっ……あれは、たしか、古代文明の遺跡で見つかって、ハルマック副学長が長年研究していた用途不明のマジックアイテムで……」
前方に見えたのは敷地の中心だ。魔法都市マジカディアの真ん中であった。
舗装された石畳の道は四方へと広がっていて、学舎や寮、中庭や庭園に繋がっている。
いかにも学舎らしい整然とした雰囲気を横目に、平時は学生達が憩いを求めて集っていたであろう花壇や庭園を横切ると、巨大ゴーレムは何の躊躇もなく追い掛けてきた。
砕けたレンガが周囲に飛び散り、土埃も盛大に舞い上がる。
「汚泥の知識と組み合わさって、オージェスを自殺に見せかけて殺すのに使われた……いや、それはあくまで機能の一部を使っただけ。本来の用途があったはず」
走りながら、ルイザが眉を顰める。
汚泥から引き出した知識のなかに、それはあった。
「汚泥の本当の目的は、ダンジョンコアを支配して、あの決戦兵器テクノ・マジカディアを自分の肉体にすることだった……? ボクの身体を使っていれば、全制限が解除されていた……それがないから、やっぱり完全体じゃないんだ。あいつは」
「学長室の奥の部屋で、影男を呼び出したのは!?」
「ハルマックに潜んでいたときの汚泥が呼んでおいたんだよ。保険というか、入れないはずの学長室にそれでもミリエル様が入ってきた場合のトラップとして」
本当に狡っ辛い手を使う。
言われてみれば、確かにそうでなければおかしい。あのやり取りの最中、ルイザの手に不思議なワンドはなかった。
俺もすっかり失念していたのは、目につく場所には見当たらなかったからだ。
「あのワンド――汚泥が使っていたコントロールクリスタルは、どうなった?」
「たしか……ボクの身体を奪う直前までは握っていて、それから、あの装置に嵌め込んで……?」
装置とは、あの液体で満たされたカプセル状の機械のことだろう。
外側から見える部分にそれらしいものはなかった。
ルイザが浮いていたことに気を取られて、装置自体を詳しく調べなかったことが悔やまれる。
何か狙いがあったはずだ。しかし、ルイザの知識に意図までは残っていなかった。
「そっちが本命だったか……! くそ!」
「……ごめん」
「俺にもルイザにも気づけなかったんだ。相手が一枚上手だったな」
樹木や椅子、テーブルの区別無く、ゴーレムの足はすべてを蹴散らし、踏みつぶし、破壊する。
石畳は砕かれ、樹木は根っこごと埋まり、椅子やテーブルは原形も留めないほどに押しつぶされ、脇を通り抜けた学舎は巨人のつま先に蹴り飛ばされて、屋根を支える石柱ごと崩れ落ちた。
あまりに呆気ない学び舎の崩壊に、ルイザが悲痛な叫びを上げた。
「ああ……教室が……っ!」
「建物なんぞ立て替えれば済む話じゃ! ヨースケ、最初の場所は覚えておるな!?」
「ああ!」
動揺するルイザを叱咤し、ミリエルは指示を続けた。
俺たちは魔法学院を巡るように、ジグザグに、直線に、縦横無尽に走り続ける。
敷地内には中央塔を囲む形で、いくつもの建造物が点在していた。四阿や修練場の小屋などを障害物代わりにして、テクノ・マジカディアの歩みを遅らせる。稼げる時間は微々たるものだが、建物など脅威ではないと考えているようで、俺たちのいる方角を間違えることなくまっすぐ突っ切ってくる。
何度か建物の影に入ったり、死角を意識して方向転換してはいるのだが、即座に進路を修正してくるところから見ても、俺を標的にしていることは間違いないようだ。
「してヨースケ。手はあるかの?」
「考えがあってこっちに逃げてたんじゃないのか!?」
「あまり褒められた方法ではないんじゃよ。それに、根本的な解決にはならん」
「そういうことか!」
行き先からミリエルの狙いは想像が付いたが、そう上手く行くだろうか。
いっそ二手、三手に別れるのも手かもしれない。
俺を囮とすれば、二人を安全な場所に向かわせられる。そう考えた瞬間、ゴーレム頭部、あの赤い瞳が異様な輝きを見せたことに気がついた。
あれが眼だとしても、用途がセンサーだけとは限らない。
ぞわりと悪寒が走って、咄嗟に叫んだ。
「《氷狂矢》!」
先刻、暴走した火炎玉からルイザを守ったときに使った氷塊の護りだ。
氷の矢を並べて盾にする。なぜ俺がそれを思い描いたのかは、分からない。
あえて言えば勘だ。
スピカはきっちり仕事を果たした。
俺の考えた通りに氷の矢の盾を生み出したのだ。
次の瞬間、テクノ・マジカディアの眼から真紅の光が放たれる。
赤いレーザービームと見まごうばかりの強烈な光はルイザの前に生み出し並べたいくつもの氷にぶつかって即座に爆発した。
予想外の攻撃はかなりの衝撃で、俺たちは三人まとめて吹き飛ばされた。
「今のは収束された魔力弾でした! 直撃は避けてください!」
「そんなのもあったな! クソっ」
塔内にあった防衛機構、管理者を害する者を無力化するために放たれる魔力弾。
今のはその攻撃に、殺傷能力をふんだんに盛り込んだ一発だった。
遠距離攻撃まで完備とは恐れ入る。
俺が狙われる分にはなんとかなる。ミリエルも自力でどうにかするだろう。
だが、ルイザが狙われたら、そのとき俺もミリエルも近くにいなければ、手に負えない。
連発はしてこなかったが、しないことは、できないことを意味しない。
「けほっ、けほっ……ヨースケ。お主、やっぱり若い娘のが好みなんじゃろ!」
「大丈夫だったろ?」
ルイザの無事を確認し、それから拗ねた声を出したミリエルを見た。
「ご主人様の好みはともかく、ミリエルさんも見た目だけは若いから安心してださい!」
「むむむ。もう少し心配してくれても良いと思うんじゃが」
「現に無傷じゃないか」
「乙女心ってもんが分かってないのう」
「言ってる場合か……って、《氷狂矢》! 《氷狂矢》っ!」
一呼吸置いて、魔力弾が連続して発射された。
再び氷の矢を盾にして防御する。突然だった先ほどと違い、今度は余裕を持って防ぎきる。
着弾した瞬間に衝撃が発生し、並べた氷矢の盾が爆散した。
盾状の氷が破砕されると、細かな破片となって吹き上がり、太陽光を受けて煌めきながら舞い散った。
それからしばらく魔力弾が発射され続けるが、俺も《氷狂矢》を応戦する。
「手伝いはいるかの?」
「撃ち漏らしたら頼む」
「心得た」
時折角度を変えて発射された魔力弾は、ミリエルが用意していた防御魔法で弾かれた。
足を止めて、何十発という魔力弾を中間地点で迎撃していると、巨大ゴーレムが動きを変えた。
魔力弾は効果がないとようやく判断したらしい。
それが汚泥か、自動操縦システムの判断かは判然としないが。
まるで思案しているかのように、巨大ゴーレムの動きが止まっている。俺たちがこの場から動き出そうとすれば、それに反応して別の行動に出るのだろうが。
アリと巨象のようなサイズ差にも関わらず、俺たちと巨像は足を止めて睨みあっている。
端から見れば滑稽な情景だろうが、下手をすれば死ぬ危険な状況なのは変わっていない。
「いいかげん避難も終わった頃かと思うんじゃが」
「街に逃げこんだとして、そのあとどうする?」
「ほとぼりが冷めるまで隠れている、というのはどうじゃろ」
「そいつを放置してか? 現実的じゃないな」
遠距離攻撃まで持ち出してきたから驚いたが、逃げることはそう難しくなかった。
問題は、この決戦兵器とやらが、俺たちを見失った場合どんな行動に出るのかの方だ。俺たちを標的とするように設定されているから、脇目も振らず俺たちを執拗に追い掛けてくる。
そうでなくなった場合、機能停止して大人しくなってくれるかどうか。
万が一、俺たちと似た姿――つまり視界に入った人間を駆除だの殲滅だの言いだして、暴れ回ったら大惨事が免れないわけだ。
それが分かっているから、つかず離れずの距離を保ち続けていた。
ミリエルと違って、ルイザは口を青ざめた顔のまま、俺たちの会話を黙って聞いている。
「スピカ、あれをどうにかする手はあるか?」
「この状況で頼っていただけるのは魔導書冥利に尽きるのですが、如何ともしがたく」
「あるならとっくに言ってるか」
最終的には、決戦兵器テクノ・マジカディアの頭脳部を支配した汚泥を討つ必要がある。
しかし、ひとたび起動してしまったテクノ・マジカディアを止めるのは困難だ。
ルイザが引き出した知識によれば、本来の兵装の大半が使用できていないことになる。
あの巨体で踏まれるなり殴られるなり、あるいは魔力弾の連射されれば確かに脅威だ。しかしどんな絶対的な攻撃力も当たらなければ意味が無い。危険な武器が封印されているに等しいわけだ。
しかし、謳われた絶対的な防御力の方に瑕はない。物理攻撃、魔法攻撃、ともに何ら痛痒を与えることはできなかった。
どんな反撃も無視して、一方的に攻勢に出続けられる。この点が難しい。
あるいは露出している端末があるとするならば、学長室の扉のように《封印解除》で介入しうる可能性もあるが、攻撃されながら繊細な作業を続けられるか。スピカの答えはノーだ。
正面から倒すことは不可能だが、逃げるわけにもいかず、放置もしにくい。
面倒そのものを体現したかのような厄介な存在なのである。目の前のメタリックな巨人は。
「ですが、状況を変える一手はございます」
「……なに」
現れた気配に振り向くと、するり、と人影が俺たちの後ろから迫ってきていた。
そいつは軽く手を挙げながら、場違いなくらい落ち着いた声で挨拶してきた。
「おやおや、ヨースケくんにスピカくんじゃあないか。随分と久しぶりだねえ」
かつてのネストンダンジョンにおける暗躍者。
ついさっき思い出していたから、驚きよりも納得の方が強かった。
自動人形コッペリア。
古代文明当時から生き続けている。そのことを考えると、汚泥にも詳しいかもしれない。
ある意味で、関係者と言えるだろう。
こんな場面で出て来たことからも、タイミングを見計らっていたのかもしれない。
「なんじゃ、そやつは」
状況が状況である。唐突な出現に、ミリエルは警戒しつつ俺に視線で問いかけてくる。
ルイザは目を瞬かせ、俺とミリエルとコッペリアとに視線を彷徨わせた。
「話すと長くなるんだが……ミリエル。説明するより、視た方が早いと思うぞ」
「ほう? アパァライセ、マァジクステェト、アプレヘンダァル。《魔力感知》 む……なんじゃこやつは」
「へえ。珍しい呪文に、随分と古い方式の詠唱だ。これは驚いた」
「……ヨースケ?」
「なるほど。確かに状況は変わるかもしれない一手だが、悠長に話してる場合じゃない」
自動人形コッペリア。
黒ローブに身を包んだ、いかにも妖しげな存在。フードを被って顔を隠していることもあり、この街の魔法使い、特に学院関係者の身につけているローブとは違って、うさんくささが強調される装いだ。
ミリエルに怪しまれていることを察してか、今回はすぐにフードを挙げて顔をさらした。
均整の取れた美しい顔。ルイザとは違った意味で中性的な顔立ちは、絵画や彫刻のような人工物の美しさにも通じる造りをしている。
同胞たるダンジョンコアのために動く、古代文明の力と知識を持った暗躍者。
俺が巨大ゴーレムを警戒していると、コッペリアが言った。
「しばらくは膠着状態が続くはずだよ。少なくとも、会話を楽しむ時間くらいはあるはずさ」
言葉の通り、テクノ・マジカディアは小休止している風にも見える。
ただし、一時停止なのか、次の動きの溜めなのか、傍目には区別が付かない。
「で、何をしに来たんだ?」
「私の目的は以前伝えた通り。ダンジョンコアを助けたい。彼らが使命を全うできるように状況を整えてやりたい。そんなところだねえ」
それはつまり、危地であるこの場に現れたからといって俺たちの味方とは限らないことを意味する。
ここにきて第三勢力とか勘弁して欲しいが、顔を出したコッペリアの思惑次第と言える。
少なくとも俺たちにコンタクトを取りに来たということは、交渉の余地はあるはずだ。
「困ったねえ。ヨースケくんからそんなに情熱的な視線を向けられると、私は少々身が竦んでしまいそうなんだけれども」
「状況は見えてるだろ。時間が惜しい。用件はなんだ」
「これを返しておくよ。これほどの逸品を忘れていくなんて、ヨースケくんらしくないねえ」
コッペリアが差し出したのは、先ほど、放り投げてしまった杖だった。
魔具級モンスター、サファイアドラゴンを倒して得たドロップ品、ねじれた杖である。
いくら強力なマジックアイテムだとしても、俺にはスピカがいるので扱いがぞんざいだった。
売れば当面遊んで暮らせる貴重品でもある。
状況が切迫していたせいもあり、すっかり失念していた。
「なんでこれをお前が……まさか、あの場にいたのか!?」
「私の能力は知っているはずだよ」
「転移か。便利な力だな。それで、あの部屋の中にも入れたのか」
「その通り。……と言いたいところなんだけど、実はちょっと違うんだよねえ。あのコントロールルームはダンジョンであってダンジョンではないから、私も自由に動けなかったし、それをこっそり回収するので精一杯だったんだねえ。ヨースケくんも知っての通り、私に出来ることなんて限られているだろう?」
確かにその通りだった。
ネストンダンジョンで俺たちに接触を図ってきたのは、転移も生物と一緒にはできないし、ドラゴンと戦う強さもなく、ものを運ぶのと言葉を交わす以外に大した能力はないからだと嘯いていた。
「正直、こうなってしまうと私の手に余る事態なんだよねえ」
「で、俺とルイザが大変だったとき、隠れて見てたわけか?」
俺の声に険があることに気づいたか、コッペリアは肩をすくめた。
名前の出されたルイザが、複雑な表情をしたまま、コッペリアの顔を凝視した。
「いやいや、誤解しないでほしいねえ。決定的な場面はでちゃんと席を外していたから、安心してほしいのだけれど」
「お前な……待て、裏で何か仕掛けてたのか?」
「いつの時代も、人間同士が絆を深めていく姿は美しいねえ」
「誤魔化すなよ」
「君たちが忙しそうだったから、私なりに状況を改善させようと手を尽くしていただけさ。だから、ほんとうに致命的な状況になるのは避けられただろう? なにしろ、タイミング良くヨースケくんが目立つ行動を取ってくれたからねえ。その杖を回収したのは、囮にさせてもらったお礼も兼ねているよ」
今のやり取りにも、コッペリアの存在そのものにも疑問があるだろうに、それでも口を挟まない。
俺はコッペリアのことを、二人にこう紹介した。
「こいつはコッペリア。古代文明から存在している怪しいヤツだ」
「おやおや、ひどい扱いだねえ」
「他に説明のしようもないだろ。……人間とは価値観が違うが、話が通じないわけでもない。今の状況なら協力できる可能性がある相手だ」
としか言いようがない。ミリエルは俺の言葉に、露骨に面白がる顔になった。
一方のルイザは、眼を見開いてコッペリアの顔や身体をまじまじと見つめる。
「でもまあ、ヨースケくんの言葉は正しいねえ。私は私の目的を果たすためにここにいるのさ」
「もしかして……マジカディアに来たのは偶然なのか?」
「運命という言葉の方が好みだねえ」
はぐらかしているのか、本気なのか分かり難い表情のまま、コッペリアが言った。
以前の行動からして、人間同士の騒ぎに好んで介入する存在とも考えにくい。
とすると、ダンジョンコアから何らかのメッセージでも受け取ったのかもしれない。
問題はそれが、俺たちの利害とぶつかるかどうかだ。
「で?」
「ヨースケくんたちには以前の借りもあるからねえ。それを返しに来た、ということで納得してくれてもいいと思うのだけれど」
「あんときは市長宛に手紙の配達を頼んだ。それでチャラだと思ったが」
「片手間でできる作業量だったからねえ。あれだけで恩を返したとは言いにくかったんだよ。これでも私は義理堅いと有名なんだ」
「へえ」
ミリエルは黙っている。俺に任せた、ということなのだろう。
巨大ゴーレムが次にどう動くのか、ミリエルに監視を任せてコッペリアに向き直る。
ルイザは何か言いたげに俺たちを見ていたが、息ごと言葉を飲み込んだようだ。
「楽しいご歓談の最中ですが、見ての通りの状況です。話を先に進めてもらっても?」
「スピカくん。仕え甲斐のあるご主人様で良かったねえ」
「性悪自動人形さん。そんなことを言いに来たんですか?」
「ふふふ。何か焦っているのなら、相談に乗ってあげてもいいよ?」
「結構です」
「おやおや、もう少し会話を楽しもうという余裕が欲しいところだねえ」
「で……俺たちに何をさせたいんだ」
「その前に聞かせて欲しいのだけれど、ヨースケくんの望みはどっちかな? かつて生み出され、その力を振るう機会もないままに封印された不遇の決戦兵器テクノ・マジカディアを打ち倒すことか。それとも、人間社会に混ざり込んで永遠の命を求めて彷徨い続ける哀れな魂を消し去りたいのか」
俺は目を細めた。
やはりコッペリアは現状を全部把握した上で、俺たちに接触を試みたわけだ。
「駆け引きをしに来たのか?」
「そういうつもりじゃないのだけれど。ただヨースケくんがどちらを望むかによって、私がどう動くかが決まるんだねえ」
「コッペリア。お前は……望みを叶えるための道具を自称してたよな」
「その通りだねえ」
「今回は、誰の望みを叶えるんだ?」
コッペリアはその整った顔を、小さく歪めた。
手のひらで踊らされている気分だったから、このくらいの反撃は許されるだろう。
「見透かされてしまうとは、私もまだまだだね」
「煽りに来ただけなら帰れ」
「いいのかな? 私が手を貸せば、話は簡単になると思うのだけれど」
「借りを返しに来たヤツの態度じゃないからな。手伝って欲しいならそう言えばいいんだ」
「これは参ったねえ……上手な交渉のやり方は人間から学んだものだけれど、どうにも上手く行かなくて困るねえ」
ちょっと納得した。最初からやると決まっていることを、相手にやって欲しいと言わせて恩を着せてから行う、というやり口はまさに商売人か政治家の手口だ。
利益を得るという点では正しいのだろうが、誠実さには欠ける手法である。
「それで、お前は何をして欲しいんだ」
「いいのかい?」
「俺にもスピカに引き合わされてもらった恩があるからな。内容次第では受けてやる」
「情けは人の為ならず、とはよくいったものだねえ」
「早く言え」
そしてコッペリアは言ったのだ。
「私はね、テクノ・マジカディアが生み出された経緯を、わずかばかりだが知っているんだ。あの決戦兵器に接続されたダンジョンコアは、当時の技術者によって改造されたんだ。彼女は元の姿を失い、まったく違う形を与えられ、異なる機能を植え付けられてしまった。その目的は何だと思う? いつか現れるであろう恐ろしい外敵、強大な侵略者、平和を脅かす邪悪に立ち向かうためさ。百十一番ダンジョンコアは、本来生み出された目的であるダンジョン運営から遠ざけられて、二度と元の姿には戻れないと知りながら、それでも決戦兵器としての使命を全うしようとしていた――」
急に語り出したコッペリアに、俺たちは何も言えなかった。
淡々とした口調が、どうしてか妙な迫力を持っていたからだ。
「――だというのに、古代文明が滅びるまで、決戦兵器が必要とされることはなかった。役目を与えられながら、誰にも触れられず、真の姿も失われ、時の流れに埋もれることになった。稼働し続けている他のダンジョンコアとは違って、ね。ここのダンジョンコアは自分の意思ではモンスターを呼ぶことも、トラップを作成することも出来ず、一番奥にある大事な部屋まで人間の手で好き勝手に弄られてしまう始末だ。本当なら内部に入り込んだ人間にモンスターを嗾けたり、執拗に嫌がらせしたり、重要な部屋から追い出すためにあの手この手を使えるというのに、そうした一切の抵抗を禁じられて、ここのコアは何十年、何百年も、多くの魔法使いたちに自分のモノ扱いされてきたわけだ」
「つまり……それが悪いことだった、と?」
「いいや。そこまでなら仕方のないことさ。彼女を好きに使い、通り過ぎていった魔法使いたちは所詮、仮初めの主でしかなかった。彼女にとっては喜ばしいわけではないにせよ、我慢出来る程度のことでしかなかった。しかし今回の一件は話が別だ。アレは、彼女の生まれた意味すら穢そうとしている。彼女が与えられた役目を捩じ曲げ、こんな姿になってでも守りたかったものを自らの手で壊させようとしている。決して許していいことではないよ。少なくとも、私が介入するには十分な理由だねえ」
なんともコメントしにくい内容だった。
コッペリアが彼女と呼んだものこそ、テクノ・マジカディアの中核となっているコアなのだろう。
汚泥に乗っ取られているのか、正規でない手段で従わされているのか。
ただ、コッペリアの言葉は、共に汚泥を討とうという感じではなかったことに首を傾げる。
「ねえ、スピカくん。彼女が哀れだとは思わないかい?」
「そうですね。可哀相です」
「良かった。キミなら分かってくれると思ったんだ」
「でもそれとこれとは話が別です。ワタシには、その程度のことでご主人様を無用な危険に晒す必然性があるとは思えませんので」
「まだやってほしいことを喋ってないと思うんだけどねえ」
「だいたい予想は付きますよ。ご主人様より先にワタシに話を振ったのがその証拠です。一応ワタシからも助言しますが、そのやり口は早々に改めた方が良いですよ。お願いするにあたっては、かなりの悪印象です」
「……そんなにかな?」
「うむ」
ずっと黙っていたミリエルが、ここだけは横から深々と頷いていた。
「ううむ。奥が深いねえ」
「そろそろ本題に入ってくれ」
「実はね、ヨースケくんにはテクノ・マジカディアに勝ってほしいんだよ。正面から」
「なるほど。あのデカブツに勝てと。正面から……正面から?」
「その通りだねえ」
「攻撃魔法全般が通じないのは分かってるよな? 俺の持つ最大威力が通じなかったことも」
「もちろん」
「戦えならまだ分かる。正面から勝てと言われても、さすがに困るんだが」
「それでも勝ってもらわないと困るんだねえ。……なにしろ、このままいくと決戦兵器テクノ・マジカディアは、機能停止した瞬間に自爆することになるのさ。この街はおろか、周囲数十キロが消し飛ぶと思ってほしいねえ」
コッペリアがあっさりと言った。
自爆。
一瞬、意味が分からなかった。
翻訳魔法の間違いでないことは、横で聞いていたミリエルとルイザの強ばった顔で確信した。
数十キロとなると、避難なぞ何の意味もない距離でもある。
「なんでそうなる!?」
「言っただろう。彼女には使命があった。それを果たすための自爆機能さ」
聞いてもまだ理解出来ない。正面から勝て、という条件がなおさら混乱に拍車を掛ける。
コッペリアの顔を見て、こいつも困っているのだ、ということだけは分かった。
俺はふと気がついた。
「自動運転、だからか」
「そういうことだねえ。これがきちんとした搭乗者を迎えていれば、話は違ったのだけれど。キミたちが汚泥と呼んでいるアレは余計なことをしてくれたものだよ。わざわざテクノ・マジカディアみたいなキワモノを作る頭のおかしい技術者たちが、敵性存在による乗っ取りを警戒してないわけがないじゃないか」
おかしい。否定が出来ない。
ここまでの出来事や見聞きしたことを振り返るに、緊急時に複数人の処女を集めないと扉が開かない設定、搭乗者が権限を持っていて且つ処女でないと動かせない事実、どんな形状でも良かったはずなのにあえて人型巨大ロボットにした部分、極めつけに自爆機能を組み込んでいる理由にいたるまで、あらゆる傍証が古代のエンジニアの奇行を証明している。
そいつが目の前にいたならば、ロマンとマッドを混在させるな、と言いたかった。
「だいたい古代文明のせい、か」
「あんまり繰り返したくないフレーズですね、ご主人様」
「まったくだ」
古代文明の為したことに、意味はあるのだろう。意図もあるに違いない。
だが、悪ふざけと悪趣味で彩られた、滅びて当然の文明だという思いは拭えなかった。
俺とスピカのぼやきに、コッペリアは否定するでもなく肩をすくめた。
もはや汚泥がどうこうという話ではなくなってきた。
いや、聞いておくべきだろう。
「汚泥はどうするんだ。アレも守ったり助けたりする対象とか言わないよな」
「まさか。というか、ヨースケくんは私をどう思っているんだろうねえ」
「今回も暗躍して、ここぞとばかりに出て来たくせに何言ってやがる」
「それを言われると弱いねえ。まあ、アレに関しては任せてもらって構わないよ」
そういうことで、こいつに任せてもいいか、とルイザに話を向けた。
ルイザは小さく頷いた。
「確実な手段、逃がさない方法があるんだな?」
「もちろん。ああいう手合いが残っていると、今後にも関わるからねえ。……逃げるようなら、きちんと消すよ。ただ、その必要があるかは疑問だけれど」
コッペリアの言い方に違和感を覚えた。
ルイザを見て、その整った顔のまま笑んでみせた自動人形は、身体の向きを変えた。
「おや、そろそろ再起動しそうだねえ。じゃあ私は少し離れた場所に避難させてもらうよ」
「俺なら勝てる。そうだな?」
「キミたちなら勝てると、私はそう信じているよ。そして、それこそが彼女の望みでもある」
「……具体的な方法については」
「任せたよ、スピカくんのご主人様」
黒ローブを翻し、するりと宙に溶けるようにコッペリアは消えた。
「……逃げたな」
「それで、具体的にどうするんじゃ?」
コッペリアとの話し合いで、巨大ゴーレム退治を勝手に決めたことを咎められるかと思いきや、ミリエルはすでに戦う方向で考えてくれていた。
顔をまじまじと見てしまうと、ミリエルは口を尖らせた。
「せっかく男の子が覚悟を決めたんじゃ。ワシも付き合ってやらんとな」
「コッペリアは具体的な方法は言わなかった。でも、不可能と思ってないのは間違いない。だとすると意図的に口にしなかったと考えるべきだ」
「ご主人様。あれの言うことを全面的に信じるんですか」
「あいつは全部を言わないにせよ、その手の嘘は吐かない手合いだろ」
「それはその通りですけれど」
「逃げたり絡め手で倒した場合、テクノ・マジカディアが自爆するのも本当だろう。どの道、倒すしかないならシンプルに行った方がいいはずだ。汚泥対策がコッペリアに任せられるのは不幸中の幸いでもある。汚泥が運良く生き延びて、しかも見失ったり取り逃がしたりしたら、一生禍根が残り続けるぞ」
影男もどきの情報生命体で、生き汚さは実証済みでもある。
ダンジョンコアを操作しうる知識や能力から、コッペリアも確実に始末したい相手のはずだ。
俺たちは巨大ゴーレムの撃破に集中すべきだった。
「コッペリアが妙なことを言ってたな。それが彼女の望みって」
「テクノ・マジカディアはご主人様に負けることを望んでいる、と?」
「決戦兵器……役目……使命……何かヒントがあるはずだ」
「じゃが、横から聞いていてもそれらしい発言は無かったように思ったがな」
「だとすると、この状況自体が答えなのか?」
俺はミリエルを見た。ルイザを見た。
そして、手にした魔導書スピカを見つめた。黒い表紙に金色の題字。
開いてページを繰る。
一番新しく書き込まれた《封印解除》の呪文と、それを構成する文字。
違う。いや、何かが足りない。
めくって、めくって、《轟雷嵐》《氷狂矢》と見る。
辿り着いたのは《不諦焔》。これが通用しなかったことは、コッペリアも知っている。
なんだ。俺は何を見落としている。
今回の事件。マナ中毒。マナの性質。中央塔。コアの使命。そして、ルイザの存在。
「まずい、ヨースケよ。ヤツが動くぞ!」
「リカバリークリスタルは、人間の身体を治すのにも効果があった」
「カゲヤマ……?」
「コントロールクリスタルは、なぜ必要だった?」
「ご主人様、とりあえず離れましょう!」
コッペリアはなぜ、俺に、俺たちに戦わせようとしているのか。
その答えが分かった気がした。
「ミリエル! 魔力感知の魔法をルイザに!」
「む。アパァライセ、マァジクステェト、アプレヘンダァル。《魔力感知》! ……なんじゃこれは!?」
ミリエルの反応に、俺は確信を深めた。
一方、突然の魔法にルイザが驚いたように身を竦ませた。
わけが分からないと言いたげに俺を見てくるが、説明はあとにする。
「スピカ! ネストンダンジョンの出来事は覚えてるな。あのときはマナの消費を分散することで、アンジーは死ななくて済んだ。《封印解除》を使うことで、逆は出来るか?」
「普通なら無理です。が、ご主人様の考え通りなら……コントロールクリスタルがそこにあるのなら!」
俺はルイザの手を取った。
ルイザはびっくりしたように、握られた手を、それから俺の顔を見た。
テクノ・マジカディアが動き出すまであとわずか。
「ミリエル! 足止めを頼んで良いか!?」
「考えがあるんじゃな? ならば大魔法使いの全力を持って、時間を稼いでみせようぞ!」
ミリエルの長い詠唱を背中に聞きながら、俺はルイザに告げる。
「ルイザ。あのテクノ・マジカディアはお前が倒すんだ。いや、お前じゃなきゃ倒せない」
「でも! ボクの魔法じゃ、通じるはずがない! 魔導士のカゲヤマだって、大魔法使いミールエールの魔法だって、まったく通じてなかったじゃないか」
「マナ中毒の原因を言えるか?」
「今そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「いいから」
「浮遊マナとか、他者のマナを取り込もうとすると、自分のマナと反発する……そのせいで肉体に尋常じゃない負荷が掛かって、最悪の場合は死に至る……」
ルイザが口にしたのは、オージェスの死因でもある。
今考えると、あの牢番も強制的にマナ中毒にさせられ殺害されたのだろう。
動き出した巨大ゴーレムに、その脚部に、大量の土塊が貼り付いて動きを鈍らせる。
ミリエルの魔法だ。
間断なく、吹雪の魔法を放ち、周囲に氷塊を積み上げる。直接的なダメージは皆無だが、関節部に物理的な障害を配置する試みだろう。
続けて巨大な錐状の岩が巨大なつま先の真下から突き上げる。その一発で転倒してくれるほど甘くはなかったが、少なくともバランスは崩した。赤い瞳が妖しげに輝く。
「付け加えると、肉体にとって他者のマナは異物だからだ。ゆえに、近くにあれば勝手に吸収するくせに、同時に反発してしまう性質を持っている。人間やモンスターは生きている限り、体内でマナが巡り続けているわけだ。――ダンジョンの壁面にも、同じように固有のマナが流れ続けている。違うのは、ダンジョンの構造物は他者のマナを吸収しない。反発だけして、弾く性質を持っている。だから攻撃魔法を一切受け付けない。そして物理的な衝撃、破壊にも極めて強くて頑丈と言えるから、ダンジョンは壊せない」
「そんな分かりきったこと、なんで今」
「ならダンジョンや中央塔をどうやって作ったんだ? 壊せない素材は加工も出来ないだろ」
「それは、最初はマナが巡ってなかったから」
「論理的にはそうなる。そして、もうひとつの答えがある。研究者なら、分かるだろ」
「……あ」
ルイザの瞳が、理解の色を示した。
決戦兵器テクノ・マジカディアの表面、装甲の防御はダンジョンの壁面と同質のものだ。
人間はそれぞれ固有のマナを持ち、魔力として魔法に用いたり、肉体強化に利用している。
同じように、ダンジョンコアもまた、自身のマナをダンジョンに張り巡らせている。
そして巨大ゴーレムは、普通のダンジョンより人体に近い構造をしていると考えられた。
「自分のマナなら、反発されない……! ダンジョンコアのマナの波長に合わせられれば!」
「汚泥を取り除くため、俺がさっき使った《封印解除》もその応用だ。ただし、あれを攻撃魔法に転用するのは無理だろうし、そんな時間もない。だが、ルイザ。汚泥が使っていたコントロールクリスタルは、それを可能にするマジックアイテムだ。ダンジョンコア固有のマナを、制御して操作、命令を可能にするわけだ」
「……ボクのなかに、それがあるってことだよね」
ミリエルに調べてもらった。思った通りに、それはルイザに埋め込まれていた。
汚泥の目論見通りになっていたら、すべてが手遅れになるところだった。
「だけど、そんなもの、詳しい使い方なんて知らない……!」
「ご主人様」
「ルイザ、あまり悠長にはしていられないんだ。使うぞ、《封印解除》」
「制御については、ワタシがお手伝いしますからご安心を。ご主人様と魔導書スピカが補助担当、ルイザさんに火力を担っていただく。それだけのことです」
俺の手が輝く。ルイザは先ほどの感触を思い出したのか、わずかに身を強ばらせた。
必要だからやったことだというのに、微妙に警戒されている気がする。
握りしめたルイザの手を通して、スピカが細かな調整をしようと試みる。
だが、さっきは上手くいったはずのマナの操作が、今度は難航している感触だ。
「でも、あんな巨大な敵を倒す威力なんて……」
「先刻使っていた《清火葬》は魔力を込めれば込めるほど威力と規模が増加する、そうした性質の最上級魔法ですね?」
「その通りだよ。オージェスの秘術。ボクが受け継いだ、たったひとつの形見さ。でも、見ただろ? ボクがどれだけ魔力を注ぎ込んだところで、あのサイズが限界だった。あんな大きさのゴーレムには全然足りない。ダメージを与えることはできても、その程度で倒せるはずがない」
自嘲気味に語るルイザの声は、ひどく静かだった。
なまじ、賢いからこそ届かないことが分かってしまったのだろう。
悔しさと情けなさが多分に含まれていて、どうしようもなく苦しげな声だった。
「カゲヤマ。キミにだって分かるはずだ。やりたいけど、ボクには無理だってことくらい」
「できないからって諦めるのか」
《封印解除》によるルイザのマナへの干渉、体内に埋め込まれたコントロールクリスタルの制御が、順調に進まない理由がなんとなく分かった。
汚泥排除という目的があったから、前回はルイザが進んで受け入れてくれたのだろう。
今回は、ルイザ自身が外部からの干渉を拒絶しているのだ。
不安から無意識的にか、あるいは意志の強さが逆に働いたか。
言葉による説得では足りないのだろうか。だが、この状況で他に何が出来るというのか。
「どうすればいいのさ。こんなちっぽけな魔力量で、何が出来るって言うんだ。座学では誰にも負けない自身はあった。でも、魔力量は魔法学院にお情けで入れてもらうくらい少なかった。だから必死に勉強して、理論を組み上げて、魔法を練習して、それでもどうにもならなかったから、ひとつ間違えれば死ぬかもしれないマナ溶液に頼った。魔力量を増やしたかった! オージェスの魔法を受け継ぎたかった! オージェスからは何度も止められた! 危ない真似をするなって! ボクにはそんな必要は無いって! それでも自分の身体を人質にして、脅すみたいな方法でオージェスを巻き込んで! それで……そのあと顔を合わせづらくて、それでも謝ろうと思ったのに……会えなくて、会えないまま、オージェスは死んだ! 死んじゃったんだ!」
ルイザの叫びは、くぐもって聞こえた。
伏せた顔から雫が落ちる。大粒の涙が、陽光に煌めきながらぼろぼろとこぼれていった。
強い感情の発露が、握りしめた手から、繋がった感覚から、直接的に伝わってくる。
俺は見た。
顔を上げたルイザの潤んだ瞳に、炎のような煌めきを。
「本当の《清火葬》はあんなもんじゃない! オージェスの最高の魔法は、ボクの張りぼてみたいな魔法よりずっと凄くて、綺麗で、だからきっと……きっと……」
「ルイザ」
「カゲヤマ、ボクにはやっぱり無理だ――ん、くっ。な、なにを」
「悪いが、そういう韜晦に付き合ってる暇はないんだ。ミリエルの時間稼ぎにも限度がある」
「だ、だからって……ん」
後で謝る。だから、今は強引にいかせてもらう。
口が塞がった状態ではあったが、マナ同士で繋がっていることで意思は伝わったようだ。
離れた途端、批難がましく俺を上目遣いに睨み付けてくるルイザに、横からスピカが叫んだ。
「ようやく繋がりました! 魔力はご主人様が都合しますのでご心配なく!」
「……あ……なに、この、すごい……ボクのなかに、いっぱい、どんどん溢れてくる……っ」
「さあルイザさん! 今こそあなたとオージェスさんの、最高の魔法を!」
「こんなの、まるでボクじゃないみたい……。できる、かな」
俺はルイザの片手を握りしめたまま、ちょうど手元にあった杖を逆の手に握らせた。
足止めのために大魔法を連発していたミリエルが、帽子を押さえつつ振り返り、ようやくか、と言わんばかりにひらりと射線から飛び退る。
「カゲヤマ。ひとつお願いがあるんだけど」
「言ってくれ。可能な限り、要望には応えよう」
「余計なことを考えそうで、だから……手、このまま握っててくれる?」
「もちろん」
ルイザはひとつ大きく息を吐き出し、全部の文句を飲み込むように、手に痛いくらい力を込めた。
なにかを決めた顔をして、おそろしくも強力な、ねじれた杖を握る手をそっと掲げる。
「我は乞う、すべてを灰燼と帰す慈悲を――」
標的はただひとつ、決戦兵器テクノ・マジカディア。
杖先で狙いを定めると、明朗な声で、灰色と呼ばれた男の秘術を再現する。
「数多の骸を薪とし、煉獄の炎よ燃え盛れ――」
緻密な構成、美しい詠唱、そして強力無比な大魔法。
巨大ゴーレムは今まさに、脅威と感じたか赤い瞳をルイザに向ける。
しかし、素早く動くことはできない。
ミリエルの残した無数の魔法の残骸が、巨体の動きを縛り付けている。
逆の手で触れているスピカも今回は全力を出しているらしく、表紙に凄まじい熱を感じる。
「やがて消えゆく篝火の果て――生も死も此岸に残すな鈍色の風」
青く清冽な輝きが、杖先を起点として連綿と増えるさまは、陽光の下にあってすら幻想的だ。
いくつもの炎が凝縮されると、蒼い宝石のように固形化して見える。
青い炎の輝きが、杖の前でぐるぐると時計回りに円を描く。
魔力が注ぎ込まれるごとに、どんどん円は大きく膨らみ、その速度を増してゆく。
回転と加速をし続ける、青い光の渦。
ルイザが必死に、杖を握る手の震えを抑え込もうとしている。
「――《清火葬》」
ひとつ。ふたつ。みっつ。杖先から、巨大ゴーレムに進むたび、円は大きくなっている。
小さな輪から、大きな輪へ。大きな輪から、さらに大きな輪へと。
よっつ、いつつ、むっつ。輪形の蒼光が渦巻いて、だんだんと花開くように外へと広がる。
さっきの一発が衝撃だったのか、今は魔力の受け渡しがスムーズに行っている。
握りしめた指先から、手のひらから、俺の魔力がどんどん吸い取られる。
ルイザの身体を通り、腕を伝い、杖先に集まり、そしてあの青い光が眩いほどに輝きを放つ。
呪文は唱えられた。あとは発射を待つばかり。
回転する輪が軋むように青白い電光を発し、静寂に満ちた一帯に甲高い音が響く。
もう、これ以上溜めることはできないのが、見て取れる。
だというのに、ルイザはまだ撃たない。
何かを探るように、その視線をテクノ・マジカディアの巨体を下から上へと滑らせる。
俺には見えないものが、ルイザにはいま見えているのかもしれない。
「ありがとう、カゲヤマ」
「どうした突然に」
「全部、君のおかげだ。それを言っておきたくなったんだ」
「……それならよかった」
絶対に、逃さない。
その意思が相手にも伝わったのか、巨大ゴーレムの動きに異変があった。
強引に自爆させるつもりだろうか。
汚泥がついに、自分だけ逃げる手段を見つけたのかもしれなかった。
だが、もう遅い。
溜まりに溜まった青い光は破壊の輝きそのもので、今ルイザが引き金となる言葉を口にする。
眩くも昏い明滅を繰り返す、美しくも恐ろしい劫火の魔法が、その威力を発揮する。
「汝は塵なれば塵に返るべし……」
杖先に灯った光が、いくつもの光のリングを通ってテクノ・マジカディアに発射された。
瞬間、青色のレーザーが、巨体のただ一点に突き刺さる。
そこにいるのだ。汚泥が。
長い溜めの割りには細く頼りない一条の光で、大した威力があるようには見えない。
だが、一秒後、光線の太さが膨らんだ。
数センチだったものが数十センチに、一メートルに、五メートルにと爆発的に太くなる。
プラズマ化したレーザーの周囲の空気が熱と速度で凄まじい音と爆発を撒き散らす。
杖先では細かった光が、着弾点に向かうに従って拡がり、あの巨体の半分を覆うほどになった。
収束光は最初ガリガリと表面を削るだけだったが、一転、ゴーレムの外壁が融解しだした。
「だけど、お前は塵すら残さず消え失せろ。汚泥」
ルイザが、吐き捨てるようにそう呟いた。
そして照射されていたすべての光が、その瞬間、目も眩むほどの白に埋もれた。
魔法の光でなければ直視出来ない、眼を灼かれていたであろう凄まじい輝きだった。
決戦兵器テクノ・マジカディアの上半身を覆い尽くす巨大な烈光。
わずかな時間、巨兵は最後のあがきとばかりに耐えたが、光線は青空に向けて突き抜けた。
一瞬、汚泥の断末魔が聞こえた気がした。
聞こえるはずのない、苦悶の叫び。だが、手応えを感じたように、ルイザが小さく頷く。
真っ白な輝きの中心に、どす黒い靄のような何かが影を落とし、すぐさま消え去った。
浮遊マナは本来無色透明なのに、目に映るほど濃密で、大量だったのかもしれない。
汚泥の名に相応しい邪悪なマナは、誰にも受け継がれることはなく、宙に溶け失われていく。
あとに残ったのは巨大な下半身と、消し飛んだ頭部のあいだの、崩れつつある胴体。
統制するダンジョンコアも失ったせいか、巨大ゴーレムはその形状すら失おうとしている。
関節部から先の腕が突然、割れるように落下した。
少し遅れて重厚な脚部までもが自重に耐えかねたように崩れだし、その場に瓦解する。
魔法学園都市、ここマジカディアの象徴であった中央塔は、盛大な音を立てて砕け散った。
そこから覗くのは、果てしない青空。
あれほどに背の高かった巨大ゴーレムが崩れ去ると、視界が一気に開けてしまった。
壊れた建物と瓦礫と広場、それらに囲まれたような場所で、俺たちは立ち尽くした。
「終わった……んだよね」
「ああ」
「仇を討った。ボクは、やったんだ。ボクの手で。あの魔法を使って」
ルイザは呆けたように、高さを失い崩れ去った塔の名残を見上げながら、つぶやく。
はらはらと落涙し、そのままルイザは俺にしがみついてきた。
誰かの代わりを求めるように、俺の胸に顔を埋める。
「だから、褒めてよ。よくやった、って。お願いだから、オージェス……」
「ルイザ」
「分かってる。分かってるんだ、カゲヤマ。オージェスが死んだことも、二度と会えないことも。そんなことは分かってる。でも、どうしてかな。止まらないんだ……涙も、寂しさも」
「きっと、近くで見守ってくれてた。そのはずだ」
「……うん」
しゃくりあげるルイザの慟哭は、抑え込むような静かさと苦しさに満ちている。
哀しみを身体から全部吐き出し、流してしまおうとするかのような嗚咽だった。
近くに来たミリエルは、丁度良い瓦礫に腰を下ろし、俺とルイザを眺めながら目を細めた。
ルイザが落ち着くまで、ミリエルもスピカも何も言わなかった。
少女の泣き声だけが、思い出と学舎の残骸にまみれた地に小さく響き続けるのだった。