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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第四章 『テクノ・マジカディア』

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第十四話 『ドラゴンなんかこわくない』



 遠目に窺った感じ、ドラゴンに見える。

 ドラゴンと言えば、金貨級より上位にあたる、いわゆる魔具級であった。

 いつぞやのネストン近くのダンジョン最下層で待ち構えていたのはレッドドラゴンで、大抵の物理攻撃と火炎系の攻撃魔法がほぼ通用しない鋼鉄の真っ赤な外皮を誇っていた。

 今回のドラゴンの色は灼熱めいた赤ではなく、透けるような美しい青だった。色こそ違うが、ランクという観点では同格なのだろう。


「ブルードラゴンってことか?」

「青のドラゴンはもっとけばけばしい見た目のはずなのですが……フロストドラゴンでもないですし、さらに上位種かもしれません。……宝石の名を冠した、サファイアドラゴン、とか」


 透けるような、というのは実際には透明ではなく、宝石めいて美しい色合いという意味である。

 レッドドラゴンの無骨さと違って、このクリアブルーの竜の形状は宝飾品めいた流麗さと繊細さを併せ持ったデザインと目に映った。

 目の前の竜の色彩は地味なのではない。ただ、淡色で、白みがかったサファイアのような煌めきが、その鱗の一枚一枚に滲んでいる。

 学長室前のちょっとだけ広くなっている空間に、このサファイアドラゴン一匹が居座っている。

 扉を守る位置取りで、あれほどの数で周囲を占領していた他の金貨級の姿は、もうなかった。


「魔具級の強さはピンキリ、だったな」

「マジックアイテムがドロップする、その一点で定まる格付けですので、以前のレッドドラゴンが比べものにならないほど強い可能性もあります」

「あのあと、あえて召喚し直したとしたら……こいつ一匹で守りは十分と考えたのか」


 ピンキリといっても、魔具級の時点で大半の金貨級より手強いのは確定しているのだが。

 汚泥の思惑を考えていたところで、スピカがおそるおそる声をあげた。


「あの、ご主人様」

「何か気づいたことでも?」

「魔具級が汚泥の持っていた道具で召喚出来るとも思えませんので、これが本来の、この中央塔――古代文明の作ったダンジョンの本来の守り手なのではなかろうかと思う次第です」


 普通のダンジョンで言う最奥、あるいは最下層が、ここ学長室であるとするならば。

 本来の機能を取り戻しつつある、この塔型ダンジョンのボスがこの青玉竜かもしれない。

 若干、周囲の近未来ちっくな外壁や通路の風景とそぐわないのだが、いるものは仕方ない。


「これだけ汚泥は無関係って可能性は、ないか」

「ダンジョン内の機能を掌握しつつある、ということかもしれません。長らく学長代理ハルマックとして振る舞っていても問題無いだけの知性や能力……また、過去の、あるいは本来の姿がいくら優秀な魔法使いであったとしても、さっきの今で、ここまでのことが可能とはとても思えません」

「以前から何年もかけて準備していたのか、それとも別の理由からか。考えても分からないな」


 ふと思いついて、聞いてみた。


「なあ、スピカ。あのドラゴンを倒したら有効な管理者権限がもらえるとか、ドロップアイテムが学長室のマスターキーとか、あると思うか?」

「そちらは期待しない方が良いかと」

「ダメか」


 ちょっと困ってしまった。

 金貨級だけなら立ち回りでなんとかなりそうだったが、魔具級の出現は想定外だった。

 レッドドラゴンよりあきらかに上位種に見えるサファイアドラゴンとの戦いで、俺は切り札と言うべき攻撃魔法を使うことになるだろう。

 問題は、あの魔法は、一回使うだけで魔力の半分を持っていかれる点だ。

 攻撃魔法への耐性を抜いてレッドドラゴンのように一発で倒しきれるのか、それとも耐えられて泥仕合になるか、一度退避してヒットアンドウェイ戦法を狙うことになるのか。


「宝石の名を冠したドラゴンは魔法や属性攻撃への耐性が非常に高いと言われています。ただ、弱点であるとか行動パターン云々の前に、遭遇例やその報告がそもそも滅多に聞かれないので……」


 遭遇そのものが滅多にないのか、それとも出くわした冒険者の大半が全滅しているのか。

 俺たちに気づいた様子がないところを見ると、周囲への察知能力はそれほどでもないようだ。

 通路から観察しているが、扉の前に居座っていて、どこかに去る気配はうかがえなかった。


「やっぱり、強いよな」

「レッドドラゴンより弱い可能性は、なさそうですね……」


 見ていて伝わってくるのだ。強烈な存在感というか、寒気のするような気配が。

 もしかしたらこれが、モンスターが持っている内包マナの感覚なのかもしれない。

 肉体に蓄積したマナが多ければ多いほど、使える魔力であるとか、身体能力は跳ね上がる。

 外側まで滲み出てくるような大量の魔力。

 静かに留まっているサファイアドラゴンの身体の隅々に、それを感じた。


「奇襲して、一撃で殺せるか?」

「この距離からでは、間合いに入ったらさすがに気づかれるかと」

「中途半端な広さが仇になったか……いや、元からアレを配置するためにこの広さなのか?」


 この難敵を退けて、さらに学長室の中に入って、ルイザを助け出さなければならない。

 二発撃ったら完全に魔力切れになる。その場合、助けるどころか自分の身すら危うくなる。

 もちろん、時間をかければ魔力は回復する。魔力の回復力も人並み外れているらしいからだ。

 しかし、そのわずかな時間が足りなくなる危険があった。

 ここで判断を間違えると、さまざまなものが手遅れになりかねない。


「どうしたもんか」

「ご主人様が何を悩んでらっしゃるのかは分かってます。ここはスピカを信じてくださいませんか」

「信じるもなにも、……いつも頼りにしてる。任せるぞ」

「……っ。はいっ!」

 

 そして俺はスピカの立てた作戦通りに、サファイアドラゴンを倒すことに決めた。

 これまでなんやかんやで獲得してきた浮遊マナは、そのたび身体能力も向上させてくれた。

 しかし、魔導士である俺には、モンスターと正面切って殴り合う必要はなかった。


 狙いを定めて、最大威力の攻撃魔法を撃つ。

 それだけで十分だったのだ。


 ドラゴン相手でも戦い方を変える必要は無い。

 そう思っていたのだが、今回のスピカの指示はちょっと違った。


「接近戦ってことか」

「いえ、トドメを刺す瞬間に、距離を取りすぎていないことをお願いしたいのです」

「理由を聞いても?」

「サファイアドラゴンの浮遊マナが必要です。それも、高濃度で、大量の」

「つまり、魔具級から得る経験値を残さず平らげろってか」

「今のままだと足りません。そして、手持ちの札だけで対処していただきます」

「それはまた……剛剣の時より分が悪いな」

「……! さすがご主人様。あの、安全策もあるにはあるのですが」

「時間がかかりそうだしな。急いだ方が良いってのは、俺の我が儘でもある。気にするな」


 スピカの言い方で何を想定しているのかはおおむね察せた。

 お手数をおかけします、みたいな口調であって、俺がサファイアドラゴンを倒せない可能性は、まったく心配していないらしい。

 ハミンスでの出来事を思い返す。

 あのときは、剛剣ブラスタインに本当に殺されるかとひやひやしたもんだった。

 大量の金貨級を倒したおかげで向上していた身体能力がなければ、攻撃を避けることも、当てることも難しかっただろう。

 今の俺は、あのときよりも強い。経験的な意味でも、肉体的な意味でも。

 そして魔力量や手札の数も。


「よし、やるか」

「ご武運を」


 それでも魔具級というのは危険なモンスターだ。俺に魔導士としての力がなければ、戦うどころか逃げることすら難しい存在だった。

 サファイアドラゴンは自分の領域を学長室前の空間と定めているのか、通路から一歩も踏み込まなければ気にしないらしい。

 不意打ちが通用するかといえば、難しいのだろう。ここからでは距離があるのも事実だからだ。

 しかし、完全に防ぎうるかといえば、そんなことはありえない。


 火炎に強力な耐性を持っていたレッドドラゴンを一撃で仕留めた魔法。

 俺が作った、はじめての魔法。

 あらゆるものを焼き尽くす力を以て、決して逃さず諦めることなき灼熱の巨人。

 魔導書であるスピカに登録したその名を――


「《不諦焔(フレア・ストーカー)》!」


 手のひらから零れ落ちた赫赫とした光が、ぐるりと螺旋を描きながら膨れあがる。

 真っ赤に燃え盛る火炎の連なりが、俺の目の前で渦を巻いて、ひとつの灼熱の塊と化した。

 レッドドラゴン相手にやったときと同じで、人間サイズに圧縮してある。

 いつものように標的に向かう俺の最高威力の火炎魔法は、そのまま敵に直撃するかと思いきや、気づいたサファイアドラゴンが即座にブレスで妨害してくる。


 魔法混じりの咆哮なのか、ドラゴンの口から発射されたのは青白い光の束だった。

 俺は咄嗟に横に転がり難を逃れた。

 ブレスとは名ばかりの青い光線は焔の巨人を容易く貫いて、そのまま壁面にぶつかって弾けた。

 ダンジョンの壁面を傷つけることはなかったが、人間ひとりなら蒸発しそうな威力に見える。

 一瞬、《不諦焔》が揺らめいたが、消えていないことに安堵する。


「吐息じゃないだろ、あれ。口からビーム吐き出すなよ……」 


 威力の調整と維持をスピカに任せ、俺は別方向に回って威力重視の《轟雷嵐(サンダー・ストーム)》を連発する。

 氷の矢より速射性や消費量で劣るが、牽制するにしてもこの程度の威力は必須と考えたからだ。

 収束した《轟雷嵐》は槍のような形状の雷撃として、煌めくような青い外皮に突き刺さったが、しかし致命傷にはほど遠かった。

 サファイアドラゴンは俺の存在を認識したが、しかし警戒しているのは炎の巨人の方だ。

 己を殺しうるのは《不諦焔》の威力のみだと考えたのだろう。

 炎の塊相手にビームじみた魔法ブレスで対処出来るのかと思うところだが、どちらも魔力を使って形成された攻撃には違いない。

 ゆえに、その性質や威力を維持する魔力そのものを削り合うことで、相殺される危険がある。


 あのビーム風ブレスは最初の一回を除いては、一発撃つたびに溜めが必要らしい。また《不諦焔》の直撃を避けるためなのか、腰を上げ、その巨体には似合わない速度でこのフロア内を動き回る。

 大技の宿命というか、《不諦焔》に欠点があるとすれば、あの速度だ。

 対象を焼き尽くすか、魔力が尽きるまで、いつまでも追い掛け続けるという性質と、追尾の速度はトレードオフだった。

 最初に作ったときはグランプルのような大型の敵を想定していたこともあり、走って細かく逃げ続けるモンスターには不向きである。

 ネストンダンジョンで相対したレッドドラゴンの場合は、自身の火炎耐性を過信したか、相手の危機感知能力が足りなかった、あるいは通路のまっすぐさ、逃げ場の無さが幸いして、綺麗にはまった。

 今回のサファイアドラゴンはそうそう都合良くはいってくれなかった。

 単純に、手強い。


 足を潰そうと拡大版の《轟雷嵐》を撃つが、あろうことか、威力不足を見極められたようで、避けることすらされなかった。

 それでも多少のダメージはあったのだろうが、足を止めるにはいたらない。《不諦焔》の接近よりも、ブレスのチャージのタイミングの方が若干早いらしく、あるいはいいかげん苛立ってきたのか俺にも向けてくる。

 射出の瞬間に一旦停止すること、そして発射部位が口であるおかげで、狙っている場所が分かりやすいのだけが幸運だった。

 口の中に烈光が見えた瞬間、そこ目がけて《氷狂矢(フリーズ・アロー)》を乱打しつつ、俺はサファイアドラゴンの方に駆けた。

 一歩、二歩、三歩。三歩目で方向を無理矢理変えて、斜めに飛び込む。

 俺のすぐ真横を、青白い光線が、まっすぐに突き抜けたのを空気の灼ける音で知る。

 反射神経と、脚力が高くなっていなければ、死んでいた。

 スピカの助言はない。《不諦焔》を維持しながら、俺が別の魔法を連発している時点で、あまり余裕が無いのは分かる。

 しかし、チャンスだ。

 ここまで《不諦焔》を削るために使われていた光線ブレスが、俺に向いた。それはとりもなおさず隙が生まれたことを意味する。


 サファイアドラゴンは近くに飛び込んできた俺を嘲笑うように、前肢を振るう。

 鋭い爪は鋼鉄をも切り裂く一撃で、多少身体能力が上がった程度では防ぐことは不可能だ。

 速度、威力共に申し分のない必殺の爪撃が、俺の身体へと襲いかかる。

 俺は先手を打って《氷狂矢》を使って防御していた。紙一重の回避から、強引に反転する。

 正直、かなりの綱渡りだった。

 勝利を確信したであろうドラゴンの顔が視界の隅を流れた。


 俺の魔力の回復は、早い。速射用の《氷狂矢》なら無いに等しい消費量と言って良い。

 そして《不諦焔》は使った分がそのまま維持用のコストになっている。

 この瞬時の攻防のあいだに、魔力はだいぶ回復しつつある。


「本命の、二発目だッ! 《不諦焔(フレア・ストーカー)》ァアアアアッ!!」


 サファイアドラゴンも自分を殺しうる威力が、二つ同時に発生するとは考えなかったらしい。

 ひとつはスピカに、もうひとつは俺自身の感覚で扱う。

 やったことはなかったが、スピカが出来ると言ったのだから、出来るはずだと思った。

 しかし二回使って、両方とも耐えられた場合、サファイアドラゴンに抗う手段が消える。

 タイミングの見極めは、俺の判断に任されていた。


 太陽を圧縮したような火炎の巨人二匹が、美しかった青玉竜の肉体を挟み込む。

 まるで飴細工のように、その強靱な外皮が融解していくさまを見た。

 断末魔のような凄まじい声、そして最後の足掻きとばかりに口を開く。

 だが、俺は油断しなかった。

 モンスターは死ぬと、金貨やアイテムを落とし、肉体が消失する。

 逆に言えば、このドラゴンは、いまだ死んでいないのだ。


 俺はついでとばかりに最後の《氷狂矢》を開かれたままの口に叩き込んで、その場に立ち止まる。

 覗けたサファイアドラゴンの口の中は、外皮の美しさと裏腹に、真っ赤で、恐ろしい。

 その奥に大量の氷矢を撃ち込んでしばらくすると、青白い光が口内で破裂するのが見えた。

 放っておけば、のたうち回りながらビームブレスを周囲に撒き散らしていたかもしれなかった。


 サファイアドラゴンは死んだ。

 その証拠に、肉体の消失と入れ替わりに、ねじくれた杖がひとつ、からんと床に転がった。

 正体は掴めないが、要鑑定品(ふしぎなつえ?)といったところか。

 太く古い樹木の枝のようにねじくれているくせに、木製でないことはすぐに分かった。

 魔法使いがよく使う杖にありがちな先端に宝石があるタイプでもない。

 以前見たトネリコやオーク材の長杖よりは短いが、ワンドと呼ぶには少し長かった。見た目以上に頑丈なのもなんとなく予想が付くが、これを近接武器として使うには長さが若干物足りない。


「ご主人様、これは棍棒なのでは?」

「どう見ても杖だ。握りといい、形状といい、長さといい、これで殴るのは難しいぞ」

「いえ、スピカには鈍器にしか見えませんが」


 サファイアドラゴンのドロップ品なのだ。貴重で強力な品であることは明白だった。

 大量の魔力を使いすぎたせいか、あるいは何度か命の危険な場面があったことも加わって、俺も指一本動かすのも億劫な状態だった。

 その場に座り込んでしまわないのは、ひとえに周囲への警戒の必要が残っているからだ。

 ダンジョンの機能を使ってすら、無尽蔵の召喚とはいかなかったのか、先ほどからフロア内に金貨級が増産されている気配は無い。

 しかしすでに召喚済みのモンスターの徘徊は続いているはずだった。

 金貨の回収はほとんどしてこなかったが、この杖はちゃんと拾っておいた。

 学長室の扉の横の壁に背をもたれて、少し息を整え、わずかでも魔力の回復を待つ。

 杖を矯めつ眇めつ眺めているうちに、スピカが妙なことを言い出した理由に気がついた。


「心配しなくても乗り換えたりしないから安心しろ」

「べ、べつに杖なんかに相棒役を獲られる心配なんかしてませんから!」


 ということは、杖じゃない相手には不安を覚えていた、ということだろう。

 ミリエルと一緒に行動しっぱなしだったことで、スピカに損な役回りをさせていた自覚はあった。


「ここ数日はスピカの出番も少なかったしさ……悪かった。何かしてほしいことはあるか? なければ、別に埋め合わせも考えるが」

「そこまで仰るなら……今度、宿屋でじっくりたっぷり撫でてくだされば、それで」

「はいはい、了解」

「その杖は学院に売り払ってしまいましょう! 高位ドラゴンのドロップ品ですからね、一生遊んで暮らせる金額になるかもしれませんよ!」

「……おい」

「あ、つい本音が……というのは冗談でして、正直どんな杖であっても、このワタシ、ご主人様専用の魔導書スピカを上回ることはありえません。一般的な魔法使いであれば大きな意味があるのでしょうが、ご主人様が使う意味があるかと言うと……」


 断言されてしまったが、それだけの自負があるのだろう。

 しかし、素直に頷くには、ちょっと惜しいと思ってしまった。

 危険を冒して、せっかく倒したサファイアドラゴンのドロップアイテムだ。有効活用できるなら、それにこしたことはない。


「この杖に特殊な能力があるとか、そういう可能性はないのか」

「と言いますと」

「振ると《火炎玉ファイアー・ボール》が出るとか」

「振りながら《氷狂矢(フリーズ・アロー)》と唱えていただければ、氷の矢がいっぱい出ます。《火炎玉ファイアー・ボール》の方が使いたいのであれば、ワタシにその旨書き込んでいただければ」

「……そういうことか。どんな魔法が出るにせよ、魔導士なら自分で作った方が早いと」

「細かいことは検証してみないと分かりませんが、マジックアイテムとしての杖は使い手の魔力操作を手助けするか、何らかの既存の魔法を呪文だけで使えるようにするかが大半です」


 スピカはそこで言葉を止めたが、言いたいことは伝わった。

 魔導士が使うなら、どちらの機能も魔導書がもっと上手にやるから不要である、と。

 なんにせよ細かく検証している暇はなかった。


「やはり棍棒ですね」


 フッ、と勝ち誇ったようなスピカの声に、俺は肩をすくめた。

 可愛い嫉妬だと聞き流して、とりあえず貴重で高価な品には違いないと、杖をしまう。

 魔具級撃破のためとはいえ、《不諦焔》二発の消費はやはり重かったようで、普段ならさほど消費と感じない量の魔力が、なかなか回復していかない。

 歯がゆいが、焦ったところで魔力回復の速度が上がるわけでもない。

 魔力切れの感覚は、常に自分のなかにあるべきものが、ことごとく失われた、あるいは使い切ってしまって今だけ空っぽになっているような、不思議な気分が続く感触である。


「ご主人様、ちょっと魔力を使いすぎてしまったみたいですね」

「みたいだな……」


 そのくせ、頭だけははっきりしている。

 この感覚に一番近いものはなんだろうか、と少し考える。

 あまり、良い喩えが思いつかない。

 燃え尽き症候群にも似ているが、ちょっと違う。

 体力も気力もあるはずなのに、周囲の状態や現状が理解出来ているのに、いますべき自発的な行動をしようと思えなくなる、と言えばいくらか分かりやすいだろうか。

 時間がないのだ。早くルイザを助けるために、今できることをするべきなのだ。

 しかし、そのための行動が起こせない。最初にすべきことが思いつかない。


 これまで魔法を使っても、魔力が完全に切れたことがなかった。

 初めての感覚だった。


「ちなみにですが……自分の魔力量を計算しないで攻撃魔法を連発したせいで、大事な時に魔力切れを起こした見習いなんかが『よっ、大賢者様っ』と揶揄されることがあります」

「……賢者」

「いわば今のご主人様も賢者状態ですね!」

「……」


 スピカのフォローが、ジョークなのか本気で言っているのか区別が付かなかった。

 俺の沈黙をどう受け止めたのか、一瞬間が空いて、慌ててスピカが弁明した。


「あっ、いえ、今のはそういう意味ではなくてですね……ええと、腕の良い魔法使いなのに、あえて魔法を使わず知識や知恵だけで難事を切り抜ける人間を指して、賢者と呼ぶことがあるのです。一応尊称というか敬意を払っての呼び方ですので、アレな意味ではないことだけ重ねて釈明しておきます……」


 消え入るようなスピカの声だったが、賢者状態の俺には上手な返しが思いつかなかった。

 ともあれ、馬鹿話をしているうちに最低限の魔力回復は出来てきたようだ。

 サファイアドラゴンの莫大な浮遊マナも、逃さずしっかりと獲得できたようで、いつになく肉体のあちこちがむずむずする。

 負担とか反発といったほど強烈なものでなく、しかし馴染むまでは違和感が残る感触だ。

 いつかのレッドドラゴンのときには意識して吸収することは考えなかったから、魔具級の浮遊マナがどれだけの量や濃度があるのか、ようやく実感できた。


 ある瞬間に、身体能力が一段上に昇ったのが自分でもはっきりと理解出来た。

 レベルアップの感覚だった。


「さてと、スピカ。これで準備は整ったな」

「はい! では、ワタシを開いてください」


 いつになく穏やかな気持ちで、魔導書スピカを取りだすと、白紙のページを開く。

 大事なのは、心から望むこと。

 魔導士の成長に合わせて、力を増してゆく魔導書。

 新たな力を欲するとき、俺の願いをスピカが受け止めて――そのための魔法が生まれる。


 スピカが浮遊マナの吸収を求めたのは、このためだった。

 構成の複雑さゆえに、作るためには魔導士と魔導書双方にある程度の力が必要だった。

 単純な攻撃魔法よりも、この手の魔法の方が容量を食うとかなんとか。

 そうした理由もあって、ここまでの道中での金貨級の分と、サファイアドラゴン撃破分を加えればぎりぎり足りる計算だったらしい。


 俺は閉ざされている学長室の扉に手を翳した。

 片手にスピカ、もう一方の手を汚泥がパネルを浮き上がらせたあたりに触れる。

 使い方はもう分かっている。

 思い描いたままに、権限者以外を拒絶する扉を、俺の魔力によってこじ開けるのだ。

 学長室の扉の開閉はこの塔型ダンジョンが元々持っていた機能であり――ダンジョン由来のマナ、すなわち魔力によって閉ざされた扉なら、同じく魔力によって強引に開くことが出来るはずと考えた。

 俺の魔力回復量はまだ半分にも達していないが、出たとこ勝負だ。

 今まさにスピカのページに書き込まれていく魔法の言葉を、そっと唱える。


「《封印解除(レリーズ)》」


 呪文と同時に、俺の手と、扉に浮かんだパネルの表面とが魔力で繋がった。

 魔力の消費量自体はそこまで大きいわけではないのだが、それでも回復速度を上回っていて、手とパネルが触れているあいだ常時消費し続けているのが分かる。

 この近未来感ある塔の印象に引っ張られたのか、こうして作り出した《封印解除》の解錠魔法は、施錠された扉を力尽く吹っ飛ばすものではなく、むしろハッキングに近い。

 スピカが学長室の扉のセキュリティシステムに接続し、いわば魔法的に侵入しているわけである。

 パスワード式なのか、管理権限者の登録された固有のマナを認証に使っているのか。

 とにかく、俺の魔力量とスピカの能力が、この扉の堅固さを上回れば開くことになる。


「……あっ」

「どうした」

「先ほど、汚泥が管理者権限を再設定できた理由が分かりました。システムの穴ではなく、元々組み込まれていた緊急用の措置だったようです。さらに、この塔型ダンジョンの本来の機能も……」


 古代文明が用意した、管理者権限の再設定の手段。

 五人分の処女の血が必要云々は信じがたかったが、事実それで出来たのだから仕方ない。

 そういえば、汚泥も妙なことを言っていた。

 制作者曰く、清らかな乙女が最低五人も残っていないような都市は滅びればよい、と。

 ダンジョンとしての機能以外に、ここに塔が置かれた何らかの意味があったのだろうか。

 スピカが言う、本来の機能という表現も気に掛かる。


「そのあたりは後で聞くとして、……いけそうか?」

「少々お待ちください。強引な権限移行のプロセスを踏んだせいで、別の穴が見つかりそうです。……こっちの穴は小さすぎる、こっちは違う穴……これは、ええと? あれ?」

「どうした」

「あの、ご主人様、最初この塔に入るとき……無理矢理、魔力を押し込みましたよね。入館料と称して利用者の魔力を必要最低限だけ徴収し、登録するシステムだったんですが……」

「確かにやったが、何かまずかったか」

「いえ、逆です。あの時点で想定外の量の魔力を突っ込んだことで、ご主人様のマナの固有パターンが準管理者として登録されていたようです。先ほど汚泥に攻撃をしかけた際、牽制として一回だけ制圧用魔力弾が発射されましたが、それ以上の追撃がなかった理由もこれでしょう」

「つまり?」

「これなら手間が大きく省けます……えいっ」


 俺の手の中で、スピカが一際強く輝いた。


「これをこうして、こうで、こう! よし……開きました!」

「そうか! スピカ、よくやってくれた」

「はいっ」


 小声ながら心から感謝を伝えると、スピカからの返事はやり遂げた感に溢れていた。

 こうした俺の望みを叶える力こそ、相棒の本領発揮であった。

 声を抑えたのは、扉を開いた以上、ここから先はルイザの救出が最優先だからだ。


 非正規手段を用いて突破したことに気づかれただろうか。

 扉の堅固さ、管理者としての権限を強力なものと理解していれば、もしかしたら注意を払っていないかもしれない。


「ご主人様。アラーム機能は解除しておきました」

「流石だ」


 異常事態の発生時には、学長室内には警報が鳴る仕組みがあったらしい。先ほどの作業中にそれも停止させておいたようで、運悪く目視されていない限りは扉の開閉は発覚しないようだ。

 音を立てないよう、俺とスピカはついに学長室の内部に足を踏み入れた。

 想像していた学長室のイメージとは、若干異なった室内の様子に、少し戸惑う。


 俺はたとえば中学校の校長室のような、壁際にトロフィーや肖像画、蔵書棚と高そうな机などが置かれた落ち着いた部屋か、さもなくば大学教授の研究室めいた資料や研究、実験用具が所狭しと積み上げられている風の部屋を考えていた。

 実際はひどく殺風景というか、執務用の机と椅子、いくらかの本が並んだ書棚、それと大きな長方形の扉付きの箱がある、それだけの部屋だった。

 周囲を見回すが、汚泥も見えず、囚われのルイザの姿もなかった。


「奥に扉がもう一枚あるな」

「ここにあるものは、後から持ち込まれたもののようです。執務用の部屋ですね」

「みたいだな。ふむ……よし、普通に開くな」


 学長室の扉と違って、奥の部屋に繋がる扉は一般的なドアのようだった。

 試しに軽く力を入れると、扉は少しだけ動いた。自動ドアでないのはこの場合は助かる。

 中を覗くにはもう少し開かないとどうにもならないが、タイミングの融通は利く。


「ご主人様、強襲して汚泥を倒す方向をお考えで?」

「可能なら、その方が早いな。無理ならルイザを連れて逃げる」


 《氷狂矢》なら連発出来る程度に魔力が戻ってきた。ただ、予想される部屋の狭さからして、範囲攻撃はルイザを巻き込む危険がある。

 汚泥の手の内は金貨級モンスター召喚しか分からない。他の攻撃手段を持っていてもおかしくない。

 スピカ曰く《封印解除》で対処出来たのは扉のセキュリティロックと、それに付随する一部情報の取得だけなので、塔全体のシステムと密接にリンクしている部分の処理はまた別問題らしかった。

 学長室内にも、あの防衛機構は存在しているはずである。

 先ほどは運良く一回だけなら誤射として処理されたのかもしれないが、今度こそ敵性存在として執拗な集中攻撃をされかねない。


「あまり欲張らない方が良さそうだ」


 一発で仕留められないのなら、攻撃よりも救出。

 しかし、仕方なかったとはいえ、ここまである程度の時間が経過しているのも事実だ。

 汚泥の企みが杳として知れない以上、手遅れの可能性も考え、覚悟を決めた。


「いくぞ、スピカ」

「ご武運を……!」


 音もなく滑るようにスライドするドアをそっと動かす。

 中は明るく、冷たくも温かくもない不思議な空気に包まれている部屋だった。

 息を殺し、足音を抑えて、身体をドアの内側に潜り込ませる。

 まずは身を隠そうと思って室内の景色を目にした瞬間、一瞬だけ、固まってしまった。


「人形……? いや、これは」


 口の中だけで言葉を飲み込み、知らず拳を握りしめていた。


 俺の視線は、否応なくそこに向いてしまう。

 部屋の中央に、それはあった。

 カプセルの中にあったものは、決して人形などではなかった。


「間に合わなかった……のか」


 目を閉じている、まったく動かない女性の、生まれたままの姿だった。



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