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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第四章 『テクノ・マジカディア』
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第十三話 『あなたの目の泥に』



 ルイザを凝視したまま、汚泥は言った。


「清らかな乙女の肉体! 私の望みを叶えるために、もっとも重要な最後のパーツだ! どうやって調達しようかとずっと頭を悩ませていた!」

「なにを、いって」


 ルイザは、自分の秘密を不躾に暴き立てた汚泥の声に、反射的に身を竦ませた。

 女性であること。

 処女であること。

 その二つを、彼女は否定しなかった。


「……っ」

「かもしれない、とは思っていたがの……」


 ルイザは、実は女性であるという秘密を抱えていた。常に男装していたルイザは、誰にも本当の性別を知られたくなかった。

 だから誰かに心を開くことも、事情を打ち明けて相談することもしなかった。

 オージェスは知っていたのだろう。であれば、街中の連続強姦と見えた不可解な事件に、ルイザが一切関わっていないことを確信できたはずだ。


「大魔法使いよ、集めた破瓜の血をいったい何に使うのかと疑問だったでしょう? こうするんですよ」


 汚泥は器用にローブの内側にあった何本もの試験官を学長室の扉に投げつけた。

 叩きつけられたガラス管の中に入っていた鮮紅色の液体――おそらくは複数人から収奪されたであろう乙女の穢れなき血が、ミリエルの攻撃魔法でびくともしなかった扉にかかった。

 汚泥はすぐさま、扉の近くに出現したパネルに自分の手を置いた。

 俺たちも中央塔の入り口でそうしたように、何かを登録しているのだと見て取れた。

 扉の文様めいた線に縦横無尽の光が奔り、ゆっくりと開いていく。


「なに!?」

「誰が聞いても呆れるような仕掛けですよ。最上位の管理権限者が存在しない場合、五人分の破瓜の血を用意することで管理者権限の再設定が可能だ――なんて」

「……まるで意味が分からんな」


 学長であったオージェスの死の直後には、申請と幹部達の承認があって初めて開いた扉だ。

 学長代理の権限があっても、汚泥ひとりの意思では決して自由にならない場所のはずだった。

 固く閉ざされていた扉は、主を迎え入れるように、その奥へと招こうとしている。


「この馬鹿げた仕掛けに対する文句は、失われた古代文明に直接どうぞ。……この仕掛けの制作者曰く、清らかな乙女が最低五人も残っていないような都市は滅びればよい、だそうですよ」

「都市が滅びる、じゃと?」

「これは、あくまで最後の手段にするつもりだったんですが……今なら、逆に好都合ですよ」


 理解しがたい内容を語りながら、汚泥はルイザを学長室の内側へと引きずり込もうとした。

 話をどの程度理解したのかは分からないが、ろくでもないことに使われるのだと察したか、ルイザは逃げようとした。

 金貨級モンスターが跋扈する中でもお構いなしだ。決断が早すぎるが、オージェスの仇にみすみす利用されるくらいなら、という決死の覚悟かもしれない。

 面倒そうに汚泥はワンドを振りかざし、金貨級モンスターのうち何体かに指示を出した。モンスターたちはルイザを傷つけることはせず、特殊な能力を有した数匹がルイザを行動不能に陥らせた。


「いっそ、ボク、ごと……」


 コカトリスから弱い石化を受けたか、他に麻痺させられたか。声が途切れた。

 気絶はしていない。しかし、その目からは、悔しさと情けなさが滲んで溢れた。

 ルイザが逃亡を図った隙を狙って、ミリエルの攻撃魔法が連発されたが、相手も予想していたのか大型のモンスターが盾になったこともあり、一斉に無力化するにはいたらなかった。

 機を見て俺がモンスターの群れに突入しようとしていたのも、見抜かれていた。道を塞ぐように追加で召喚された金貨級の酸と雷のブレス攻撃に、俺は慌てて飛び退いた。


「……!」

「舌を噛まれても面倒ですからね。いま貴女には死なれては困るのですよ」


 抵抗できないままハンカチか何かを口に詰め込まれたルイザが、強引に学長室の扉の中へと連れ込まれていくのを、俺たちは歯がみしつつ見送るしかなかった。

 続いて扉の奥に進もうとする汚泥は、肩越しに振り返った。


「残った皆さんも、この塔から急いで脱出されると良いでしょう。これからこの塔はかつての姿を取り戻し、金貨級モンスターも跋扈することでしょう。いくら大魔法使いといえど、無限に沸き続ける金貨級モンスターを対処しながら、この扉を開く手段を見つけられますかな?」


 汚泥は扉の奥に消えた。

 無情にも、学長室の扉は閉まり、表面に浮かんでいた光はすべて消え去った。

 先ほどまでの他者を拒む、ミリエルの魔法ですら傷一つ付かない扉だけが残った。

 部屋の前は、次々に現れ、今も増え続けていると思しきモンスターで埋め尽くされている。


「ウィラー!」

「……すみません、ミリエル様。思いつく手段は、何も」

「くそっ」


 気づけば逆側からも金貨級の群れが集まってきていて、すでに中央塔はあらゆる場所にモンスターが沸く状態に成り果てていた。

 もはやここは学院の中央塔ではなく、ひどく危険な塔型ダンジョンだった。

 俺もミリエルも、モンスターを倒すだけなら容易い。

 しかし、守るべき人間の命を人質に取られてしまうと、執れる手段が限られてくる。ウィラーとその部下は悲痛な顔で閉まりつつある学長室の扉と、背後に迫るモンスターの大群とを見やった。


「やつの言葉を信じるならば、少なくともルイザは命を奪われはしまい。一端、塔の外に退避するぞ」

「ですが、街の事件の真犯人だとすれば!」

「言うな」

「申し訳……ございません……」


 ルイザが女性であったこと。それにこれまで気づいていなかったことも手伝ってか、ウィラーの焦燥と悔恨は見ていて辛いほどに伝わってきた。

 汚泥が何を狙っているのか。学長室の中で、ルイザがどんな目に遭うのか。

 考えるだけで憂鬱だ。

 さっきのルイザの言葉通り、望み通りにしてやった方が良かったのだろうか。

 汚泥を倒すための必要な犠牲として、ルイザごと汚泥を狙うなり、高火力の魔法でモンスターを薙ぎ払うなりしてしまえば、話は早かった。

 しかし、俺にもミリエルにも、それが出来なかった。


「そんな顔をするでない。ま、後悔先に立たず、じゃな」

「どうするのが正解だった?」

「あの場面で、正解なぞ無いじゃろ。ワシらは情に流された。汚泥も一枚上手だった。くよくよしている暇があるなら次の手を考えよ」

「そうだな」


 見ての通り、事態は汚泥の有利に進んでしまっている。

 後手に回りすぎた。状況が悪い方に転がった。いくつもの不運が重なった。

 言い訳はいくつもあるが、まずはウィラーたちを守りながら脱出するしかない。

 問答無用で汚泥を拿捕するなり、討伐してしまった方が良かったのかもしれないが、やはりすでに得ていたマジカディア学院学長代理という立場が妨げになっただろう。


「道はワシとヨースケが切り開くが、不殺で抜けるにはあまりにも数が多い。浮遊マナの発生は可能な限り抑えるにせよ、あまり悠長にもしていられん。全力で耐えよ」


 元々のダンジョンの仕様なのか、汚泥が何かしら手を加えたのか、エレベータールーム前までの道のりに金貨級が列を成して待機していた。

 増殖や分裂でもしたのかという異常な数で、数匹殺すだけで浮遊マナが周囲を汚染するだろう。倒せば倒すほど密度と範囲をマス毒霧のトラップゾーンめいた通路に、ミリエルが戦闘、ウィラーとその部下を挟んで最後尾に俺という順番で突入した。


「吹き荒ぶ風の轍よ。枯れ落ちる若葉がごとく脅えよ。泣き狂え、悲鳴が我に届くまで――」


 浮遊マナはモンスターの内包している量と、距離、そして発生してからの時間がその場に存在するマナの濃度と密接に関係している。

 いつかスピカの語った内容を思い返せば、体内に吸収される際にどれだけ許容できるかが問題で、これはモンスターを倒し続けているうちに自然と耐性を獲得していくことになる、らしい。

 浮遊マナを取り込めば取り込むほど、身体能力や魔力が強化される傾向がある。

 これを希釈したマナ溶液を服用することで再現しようと試みたのが、ルイザが提唱しオージェスと行った秘密実験だった。


 強ければ強くなるほど、浮遊マナの許容量、つまり吸収できる量が増えていく。

 反発に耐えられる肉体に変わるのか、あるいは次第に浮遊マナに対する親和性を得られるのか。

 一度に反発無く取り込める量が増えれば、それだけ強くなる近道とも言える。


「《招疾風ヴィル・フルート》!」


 ミリエルの風魔法が、前方に待ち構えたモンスターを制圧していく。しかし、一匹足りとも金貨をドロップするようなことはない。頑健な肉体は、死体のように吹き飛ばされて折れ重なってはいるが、死亡したわけではなかった。

 殺傷能力をあえて抑えつつ、行動不能を狙った一撃で道を作ったわけだ。

 気絶していたのは一瞬で、すぐに意識を取り戻して動き出そうとするオーガやトロールといった巨体にウィラーの部下の一人が慌てて杖を向けるが、ミリエルが叱咤する。


「何をしておる! 走れ!」

「で、ですが! 放っておけばオーガもトロールもすぐ追い掛けてくるのでは……!」

「んなことは分かっておるわ! ヨースケに任せよ!」


 俺は半身で振り返って、真っ先に回復した一体の胴体を狙って、狙いを定める。

 緑色の肌だけでなく、赤く角の立派なオーガもいて、そいつが凄まじい勢いで追い掛けてくる。

 スピカ、頼んだ。

 声に出さず、威力の調整を求める。


「《氷狂矢(フリーズ・アロー)》」

「い、いまのは……?」

「後ろのことなぞ気にしてる場合か! 注意しながら前へと駆けよ!」


 オーガの巨体に何本もの氷の矢が突き刺さり、その肉体が通路に沈む。ちょうど、他のモンスターの突進を邪魔する場所に倒れるように。

 数秒も経たず巨体は弾け、砕けたモンスターの肉体と入れ替わるように、数枚の金貨がカランと落ちた音がした。

 浮遊マナの残滓が漂うなかを、モンスターは一切構うことなく突き抜けてくる。しかし、その数秒の差で俺たちは先に進んでいる。

 俺が詠唱無しで魔法を撃ったことに気づかれただろうが、仕方ない。

 誤魔化している余裕は無さそうだ。


「《氷狂矢(フリーズ・アロー)》《氷狂矢(フリーズ・アロー)》《氷狂矢(フリーズ・アロー)》」


 恐怖や警戒といった、一般的なモンスターにあるべき判断や意識による躊躇が見えない。

 汚泥による簡易の指示があるとすれば、命掛けでダンジョン内にいる人間を攻撃せよ、といったところか。

 足止めの牽制がほとんど意味を成さない以上、物理的に時間を稼ぐしかない。距離が離れている今のうちに速度が速い身体能力の高いモンスターたちを優先的に処理しておく。

 絶え間なく氷の矢を連発していると、いつしか単体ではなく群体のモンスターが背後からひたひたと迫っていることに気がついた。

 虫かガスめいた蠢く小型のモンスターで、蟠る闇のように黒く不気味だ。

 メカメカしい通路の様子とは不似合いな鬱陶しさが上から、その下を目立たないように影めいてゲル状の何かが異常な素早さで這い寄ってくるのが見えた。

 乱舞していた大量の氷の矢は回避したのか、そもそもあの形状では効果が薄かったのか。

 影もどきの素早いダークスライムが、走る場所を床から壁へと切り替えて天井へと回って先回りしようと速度を増した。


 ミリエルを先頭とした一団は、すでにエレベータールーム前まで辿り着いていた。追跡してくるモンスターを対処していたせいで、しんがりの俺だけが遅れている。

 エレベーター前にもモンスターがいたようだが、それはミリエルが魔法一発で殺した。位置関係上、マナ中毒を恐れて行動不能を狙うには無理があったようだ。ウィラーは眉をひそめ、他数人は露骨に足下がふらついたが、意識は失っていない。

 先に脱出を図った連中は無事に逃げ切れたのか、他の回に避難勧告くらいしたのか、今になって疑問を覚えた。


「ヨースケ! 早くするんじゃ!」

「そうしたいのは山々なんだが、そうもいかないらしい」


 まずエレベーター内の安全を確かめたミリエルが、他の面々を先に押し込む。

 最後に乗り込んで、杖を構えて周囲を警戒しつつ、俺の到着を待っている。


「だったらこっちだ! 《轟雷嵐(サンダー・ストーム)》!」


 俺の手のひらから、うねり、膨れあがった黄色い電混じりの爆風を広範囲にバラ撒いた。それこそ嵐のような荒れ狂う雷撃が通路の上下左右を奔り弾ける。

 この一発で、後ろから迫っていた虫やらガスやらスライムやらは撃破した。

 その証拠のように、拾いきれないくらいの大量の金貨が転がっているのが遠くに見えた。


 第二陣が追いつくまでには何秒か猶予がある。一呼吸置いて、前を向く。

 エレベーター内に駆け込んだローブ姿のひとりが、俺の方を見て、恐怖に顔をひきつらせていた。

 より正確には、俺とエレベーターまでの十数メートルの距離の、天井部分。


「あ、あれ……ひぃっ!」

「最悪だな……」


 大量の、毒々しい色の、まだらの紐。

 雫のようにボタボタと音を立てて天井から床に落ちてくるさまは実に気味が悪かった。

 それが無数の蛇だと認識するのにも、ちょっと時間が掛かった。

 できれば一生見たくなかった光景である。

 別ルートから集まってきて、分断されたらしい。威嚇するようシューシューと音を鳴らす、おそらくは金貨級モンスターの一種であろう蛇。


「ミリエル、一度言ってみたかった台詞があるんだ」

「ほう、言ってみよ」


 目の前には蛇の大群。

 背後には、この階に発生したモンスターのおかわりが迫っている。

 会話の最中にも接近してくる金貨級のうち、どうしても倒さねばならない敵に魔法を叩き込む。

 ある程度の距離があってなお、浮遊マナの飛散は届いてしまったらしい。

 ミリエルは堪えた様子もなく、油断無く周囲を警戒しているが、その奥にいたウィラーが、がくり、と片膝を付いた。後ろの部下達も、すでに息が荒い。

 エレベーターの壁にもたれかかっているのを見ると、もう限界らしかった。


「ここは俺に任せて、先に行ってくれ」

「そんなわけにもいかん。何か手があるはずじゃ。……こやつらを先に一階に降ろし、それから」

「一階にもこの手のモンスターがいたらどうする。その場合、ミリエルなら打開しうる」

「む。それは確かに……」


 正体不明の金貨級モンスターらしき蛇の大群を突破して、エレベーターに乗り込む。

 やってやれないことはないが、蛇の首元の妙な膨らみが気に掛かった。自爆しそうな、何か不吉な予感がしている。

 自爆した挙げ句、大量の浮遊マナを撒き散らされたら、ウィラーたちがもう保たない。


「ミリエルはもう、一人も死者を出したくないんだろ?」

「笑うかの? 年甲斐もないと」

「それくらい、別にいいんじゃないか。我が儘なのは否定しないけど」


 傍若無人に振る舞ったり、若干天邪鬼な動きをしていたミリエルが、なんだかんだでマジカディア魔法学院の被害が少ないように立ち回っているのは、分かっていた。

 学院に対する愛着もあったのだろうし、ここに所属する魔法使いたちに思うこともあったのだろう。

 一緒に捜査しているうちに伝わってきたのは、ミリエルなりに必死だったということ。

 大魔法使いであっても、見た目以上の年月と経験を重ねていても、彼女はひとりの人間だった。


「助けてやるよ」

「……お主」

「命掛けで、助けてやるって言っただろ。おいおい、もう忘れたのか」

「そう、じゃったな。ワシ相手に、よくもそんな大口を叩けるもんじゃと実は呆れておった」


 マジカディアに来て早々、トラブルに巻き込まれ、牢内で知り合って。

 そして想定以上の危険があると察して、俺が申し出た手伝いを断ろうとしていたミリエル。

 汚泥の切り札や、今の混沌とした状況を予期していたわけではないのだろう。

 ミリエルも余裕があるように見えて、思ったより切羽詰まっているのが伝わってくる。


「ふふ、ヨースケよ。誰に対してもそんなこと言っとるんじゃなかろうな?」

「ふくれるミリエルは可愛げがあるな」

「……年上をからかうもんじゃないのう」


 最近ちょっと感覚が麻痺していたが、金貨級モンスターは本当なら難敵なのだ。

 ティナだって一匹二匹なら勝てるが、何十匹と出て来たら逃げの一手しかない。


「死ぬつもりはない。俺なら、なんとかできるさ」

「本気みたいじゃな。しかし一人では、いくらお主といえど」

「知ってるだろ? 俺には、スピカがついてる」

「そうか、そうじゃったな……」


 これまでの魔法の行使ひとつ取っても、ミリエルが巧くて強いのは分かっている。

 年齢不詳の大魔法使いであることも、知識と経験が優れていることも理解している。

 そのミリエルをして、守るべき者たちがいるとはいえ、逃げるべきと判断する危機的状況だ。

 二つ名持ちの学長オージェスも、奸計に掛かったとはいえ為す術もなく殺された。

 尋常ではありえない量の浮遊マナには、ほぼ最高位の魔法使いも耐えられなかった。


 倒すだけなら、なんとでもなる。

 しかし、それではどうにもならない状況が発生してしまっているのも事実だ。

 条理を覆す力が必要だった。

 現状でも、普通のダンジョンではあり得ない金貨級が揃って襲撃を仕掛けてくる状態だ。

 遠くに発生していたらしき別の群れまでもが、俺たちの居場所を突き止めて、逃げ回ってきた通路の奥からまたも雪崩れ込んでくるのが跫音と咆哮で伝わってくる。


 ミリエルはおそらく、ティナよりも、灰色のオージェスよりも、浮遊マナに耐性があるだろう。

 金貨級の十匹や二十匹くらいなら耐えられるくらいの許容量があってもおかしくない。

 しかし、三十匹ならどうだ。五十匹なら。百匹が相手なら。

 重度のマナ中毒による体調不良、意識の混濁、気絶……致死量でなくとも、何らかの異常が起きてなお明晰な頭脳を保てるか、高度な戦闘や判断をこなせるだろうか。


「なんとかなる。いや、なんとかしてみせる。……そっちは任せていいか?」

「仕方ないのう。男の子(おのこ)は皆、好みの女性の前では格好付けたがるもんじゃからな」

「ミリエル様、我々は覚悟は出来ています。学院を、学院の者を守るのは我々の仕事、たとえこれで殉職することになろうとも、覚悟は。それよりも彼のことを……」


 あまり猶予は無さそうだ。

 ウィラーが息も絶え絶えに、声を発した。


「ウィラーよ。ヨースケはワシが認めた男の子じゃよ。これくらいでは死なん。邪魔になるから、さっさと脱出するぞ」

「で、ですが!」

「くどい。浮遊マナの余波でお主らが死にかねんから、あやつは全力を出せずにおるんじゃ! 警備が仕事だと言うのであれば、日頃からもちっと鍛えておけ!」


 会話をしつつもミリエルが近くのモンスターを巧く俺の側に誘導しているおかげで、辛うじてマナ中毒の重篤化は避けられているようだが、ウィラーから見れば俺が死地に残ったように感じるのだろう。

 初対面の印象と違って、ウィラーはなかなかに情が深いタイプらしかった。

 彼から見れば大魔法使いの、あるいは上級捜査員の助手に過ぎない俺の身を、この期に及んでなお心配しているのだから。

 ミリエルは隙を見てエレベーターを操作した。

 閉まりつつある扉を目の当たりにして、憤るウィラーを窘めた。


「ミリエル様……前途ある若者に……なんてむごい真似を……」

「頼りになるぞ、ヨースケは。魔力の量でいえば、ワシより多いくらいじゃからな」

「……ぇ」


 ウィラーの息を呑んだ音は、小さいはずなのにいやにはっきり聞こえた気がした。

 そしてエレベーターの扉は閉まった。殺到するモンスター達は、固く閉じられたエレベーターに強く衝突して跳ね返ると、それきり扉の中には興味を失ったかのように、一斉にぐるりと振り返った。

 狙うべき獲物が分散していたから、足並みはあまり揃っていなかった。

 今は、一人だけ。

 この中央塔のモンスターは、すべてが、これから常に俺を狙い続けるだろう。


「さてと、スピカ」

「はぁい!」


 ようやく、自由に喋ることができると言わんばかりに声に喜色が乗っている。

 スピカの発した場違いなくらいに明るい声色を、不謹慎というなかれ。

 俺の魔導書は、もう随分と鬱憤が溜まっていたらしい。

 俺もまた、この上なく腹を立てていた。

 ミリエルの望みの通りに学長の死の真相を明らかにし、汚泥をあそこまで追い詰めておきながら、迂闊にもルイザを人質に取られた。

 事前には知り得なかった切り札を、汚泥に最後の最後で使われた。知らなかった、予想できなかったは言い訳に過ぎない。

 そして、形勢逆転されてしまった。


「《轟雷嵐(サンダー・ストーム)》!」


 正直、汚泥本人はそこまで脅威ではなかった。

 学長オージェスを謀殺した方法といい、学長の座を奪うために使った手もここまでのやり口も、ついでにミリエルを排除しようとした手法も、詰めが甘い。

 汚泥自身の短絡さが、回り回って本人の首を絞める形になっている。

 それでも人質は有効な手段だった。特に、この件でこれ以上犠牲者を出したくないとミリエルが思っていることもあり、たぶん汚泥本人が思っていたよりもずっと強く刺さったのだろう。


 ミリエルに対する考え違いは、俺もそうだ。

 大魔法使いミールエール=スティングホルトは、皆に尊敬される人物であるとか、魔法使いとして偉大な功績が山ほどあるといった話ばかり先に聞こえてきたせいで、もっと老獪だったり、非情さのある人間だと思っていた。

 老練ではあるかもしれないが、見た目に通じる甘さがあった。

 明晰であるかもしれないが、まず他者の事情を汲もうと優しさがあった。


「ミリエルさんは……というか、人間は誰しも、肉体に引きずられるものなのです。子供は考え方が幼いのと同じように、老人は考え方が古くなりがちです」

「容姿が若く固定されている分、ミリエルはそうした割り切りができていない、と?」


 エレベーター前から離れつつ、《氷狂矢(フリーズ・アロー)》を連発し、まずはと脇にあった通路に逃げ込む。

 そこそこの広さがあるが、それでも塔という形状には違いない。

 探せばエレベーター以外に下に降りる階段もあるはずで、しかし俺は一度大群をやり過ごして、元の場所まで戻ろうと考えていた。


「逆もまたしかり、ですけれど」

「子供が早く大人になりたがるように、大人が過去の楽しかった時代に戻りたいように、か」


 引きずられる、とはそういう意味だろう。

 その方向に進もうとするか、あるいは反発するのか。

 その軸となる分かりやすい基準。


「醜い者であれば、美しくなろうと試みるかもしれません。美女が自分の顔を利用して他者を陥れることもありえます。整った容姿や顔の綺麗さはひとつの長所ですが、心の美しさとは必ずしも一致しませんし……醜いからこそ心が美しいものも、綺麗だからこそ他者に優しくなれることもあるでしょう」


 他者に傷つけられた者がいるとして、その分、自分も誰かを傷つける権利があると考えるのか。

 それとも自分と同じ痛みを味わうことのないようにと、誰かを守るために動くのか。

 どちらを取るかは、そのひとの資質、あるいは選択次第だ。


「永い年月を過ごしながら、今もなお少女の見た目を保っているミリエルさんは……大魔法使いとしての名声を欲しいままにし、大きな力を持っている彼女は――あれこれ言いつつ偉そうに振る舞ってましたが、いろんなものを守りたくてこの魔法学院に戻ってきたのではないでしょうか?」

「ま、話に聞いてるだけでもティナを可愛がってるのは分かってたしな」

「厳しい厳しいと文句言いながらも、あの師匠のこと大好きっぽかったですし。ことあるごとに大魔法使いの弟子だって言いたがるのは、きっとミリエルさんの人柄ゆえでしょうね」


 忙しなく周囲を確認しながら移動と攻撃を繰り返すと、金貨を拾う暇も無い。

 通路のあちこちに散らばった金貨を横目に、次から次に現れるモンスターを処理していく。

 威力重視の《氷狂矢(フリーズ・アロー)》一回では倒しきれない頑強なモンスターもいて、適度に収束させた《轟雷嵐(サンダー・ストーム)》と拡大版とを織り交ぜて接近させないようにする。

 先ほどまでと違って、手加減など必要ない。

 しかし長期戦になる可能性を考えて、魔力の使用量はスピカに任せて適切に調整しておく。


 スピカ曰く、マナとは魔力の別名だ。

 ミリエルの魔力感知とは、人体に内包されているマナの大きさや特色を見分ける秘術なのだろう。

 それが汚泥の場合、十年かそれ以上前に見たものであっても覚えていられるほどに、なにか特異なものがあったことになる。

 その点、もう少し詳しく聞いておけば良かったと思うが、そんな暇はなかったか。


 モンスターが死ぬと、実体化するために必要とされた媒体――この場合は金貨だが、銀貨だったりマジックアイテムだったりする――を遺し、浮遊マナが周囲に飛散することは知っての通りだ。

 浮遊マナは基本的に透明だ。

 ただ、量が量だけに、ここでは濃密なもやのようなものが見て取れる。

 マナの固有の特色なんてものがあるのか、俺の目にはさすがに違いが分からない。

 しばらくその場に留まっているが、放っておけばだんだんと宙に溶けていく。

 密室内にあった場合も空気中に溶け込んで残り続けるわけではないから、揮発ではなく、減衰していくと考えるべきだろうか。


 ともあれ、一般人なら即死するような、向こう側が揺らめいて見えるほど大量の浮遊マナ、そのただ中をまっすぐ通り抜けて、俺はさっき通ってきた道へと戻る。

 人体に含まれる魔力、言い換えると内包マナと反発して、浮遊マナは中毒症状を引き起こす。モンスター由来のマナを吸収し、蓄積するということは、異物を取り込むことに等しいからだ。

 ただし、反発に耐えながらも吸収しきってしまえば、そのマナは自分のものになる。

 副作用の程度と、能力の強化はセットなのだ。


「ま、ちょっと反則っぽいけどな」

「あの汚泥という男も、ご主人様の存在だけはまったくの想定外でしょうね……」


 これもスピカが以前言ったことだが、魔導士である俺はある種の例外だった。

 周囲にはすべて浮遊マナが充満していて、大魔法使いすら身の危険を覚えるキルゾーンだ。空気に混ざっている感触で、まるでプールの中を歩いているような魔力の抵抗を受ける。

 そんな危険な場所にも関わらず、俺には反発どころかさしたる負担もない。

 ちょっと空気が重たいというか、粘り着くような質量を伴っているように感じるくらいで、それも移動を阻害するほどのものではなかった。


「金貨を回収している暇はなさそうですが、これはチャンスですね! こういう状態を毒が裏返るって言うんでしたっけ」

「どこで覚えてきたんだ、そんな言葉。この場合は、災い転じて、じゃないか」

「スピカは繋がってますからね。ご主人様の知識にあったはずです」


 モンスターの動きに変化はない。大量に出現して、獲物を見つけたら襲いかかる。

 単純ではあるが、汚泥の攻撃方法としては最適だろう。

 何を目論んでいたのかは分からないが、時間は汚泥の味方だった。


 汚泥からすれば、ミリエルがこの場に残ったとしても、金貨級モンスターが殺せればそれで良し。

 傷つけるだけでも十分だ。そしてたとえ無傷でも死後の浮遊マナで必ず影響が出る。

 マナ酔いから中毒、そして致死。どんな結果でも汚泥が有利になる状況を作り出されていた。

 最悪、ミリエルが何か秘策を持っていたり、あの学長室の扉を開ける手段を見つけようとしても、その妨害になれば十分意味があったのだ。


 本人曰くの、ささやかな望みが叶うまで、そう時間はないはずだった。

 あの場を乗り切れば、そして大魔法使いを一時的にも遠ざけることができたなら、それで良いと汚泥は割り切っているようだった。


「そろそろだな」

「あの、ご主人様、あちらをごらんください」

「だいぶ散らしたと思ったが……まだ金貨級の壁でも残ってるのか?」


 通路からそっと覗くと、学長室の扉の前には先ほどまでいなかったはずの大きな影が鎮座していた。

 ドラゴンだった。



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