第八話 『なんて素敵な……』
「いいんですかい、姉御ぉ~」
「姉御はやめてくださいって私、前に言いましたよねー?」
「あ、すんませんアネ……さん」
ハミンスの街の門番詰め所で、小太りだが筋肉質の男が、朗らかな笑みを浮かべる守備隊隊長ナスターシャに頭を下げていた。
小太りの男は四十前。一方のナスターシャは、二十代後半。端から見ればおかしな光景であるが、他にも何人かいる兵士たちは気にとめた様子もない。
「それより、なんですかねー。いきなり」
「いや、あのガキのことですって。あんな大金」
「あれれー? ……離れておくように、と私言いませんでしたっけー?」
彼女は、笑顔である。
小太りの男は、あ、やべ、と表情をこわばらせた。命令に従わない彼女の部下がどんな目に遭うか。それを知っているからこそだ。
「いやでも」
「でもじゃありませんよー。あの子は私が対処するって先に話しましたよね? 皆さんちゃんと頷いた、と思ってたんですが……ザビーレンさん、納得していないならそのときにちゃんと言ってくれないと、私、困っちゃうんですよねー」
ザビーレンは思った。守衛隊の責任者を任されるだけの力があると知っている。
しかし自分も男だ。
うら若き女性をあんな不審な男と二人きりにするわけには。
反論しようとザビーレンだったが、彼女の視線に晒されて、ひゅひゅーふーと口笛を吹いて誤魔化した。
「街が騒がしいのは仕方のないことですし、犯罪者でもなく、悪意も無さそうな方を街に入れないという選択肢は、……職務上ありませんねー」
「ですけど」
「あの子が怪しく見えたのは、仕方のないことだと思いますよー?」
「というと」
「大量の魔力というか、その残滓がダダ漏れでしたからねー。ザビーレンさんが危惧するところは分からなくもありません……ですが!」
かっ、といつも細めているような目を開き、彼女は強い口調で言った。
「私たちのお仕事は街の防衛と出入りのチェックであって、怖がっていたり不安がっている子供を脅しつけることではありませんー。分かりましたかー?」
「はい? 不安がってたって、誰がです?」
「あの子ですよ。私の反応をいちいち気にしてて、すっごく気を遣ってましたよ? 見てたなら分かりそうなものですけどー……まさかあの金貨に気を取られて、あの子の動きに注意を払ってなかったとか、そんなことはありません、よね?」
小首を傾げる彼女だが、頷いたら訓練という名目でどんな目に遭わされるか。
ふるふると首を横に振り、ザビーレンはそそくさと逃げていった。
入れ替わりに現れた長身の男は、ため息混じりに彼女に近づいていった。
「隊長」
「今度はナニールさんですかー。なんです?」
「一応、話の内容は聞かせていただきましたが……何がそんなに気になったんです?」
「そうですねー……とってもちぐはぐなところ、ですかねー」
「はい?」
彼女はふんわり微笑んで、独り言のようにいくつかの言葉を選んだ。
「魔法使いなのに杖を持っていない。知識に興味はあるのに簡単なことすら知らない。何も知らない風なのに、言葉ひとつで多くを察する。動きは素人なのに、あの大量の金貨を入れた鞄を簡単に持ち運ぶ。ほら、どれをとってもちぐはぐでしょう?」
「……確かに」
「駆け出しの冒険者、とは私もよく言ったものですねー。たまーにいるんですよ、ああいう子」
「そうですか?」
「駆け出しだからって弱いとは限らない。ですよねー?」
ナニールは黙り込んだ。
昔、入隊してきたばかりの彼女に手も足も出なかった記憶が蘇ったのである。
「得てしてああいう子は、とんでもないことをやるものですしー」
「……街の中にいれたのは、正しかったんですか」
「あの子が行くべき道を間違えなければ、まず大丈夫でしょうー。正しい道を開き、誤った道を閉ざす。そのために大人というものがいるんですからねー。ま、縁があればまた会うこともあるでしょうねー」
ナニールは言い返せない。
くすくすと思い出し笑いをする、細身で美人だが、ナスターシャはどうにも怖いのである。
「でも、まだまだですよねー。やっぱり」
「隊長相手に、なかなか上手に切り抜けたと思いますが……」
「斥候や調査隊と顔を合わせることなく、あの量の金貨が拾えたということは、ことが起こった直後か最中にグランプルの間近にいたはずです」
「なっ」
「ナニールさん。きちんと胸の裡に収めておいてくださいねー? 悪事を働く気は感じませんでしたし、騒ぎを起こしたくないのが丸わかりでした。差し迫った危険ではない、と私の目には映りました。それに藪をつついて蛇を出すのはよくありません」
「し、しかし」
「正門守備隊長としての判断ですよー?」
「……はい。で、本音は?」
「結構、格好良かったですしー」
ナニールは嘆息した。
若くして隊長になった彼女には今でも敵が多く、こうして直接的な言葉を使わないことがある。
本心が掴めないのはいつものことだ。
ナスターシャは物思いに耽るように、街に入ったヨースケ、もう姿の見えなくなった方角を眺めた。
疑念はある。
それでも通したのは、己の判断を信じたからだ。
「隊長、ああいうのが好みなんですか?」
「あれー、知りませんでした? 私、結構惚れっぽい方なんですよ」
「でも隊長に恋人がいるって話、聞いたことが無いですけど」
一度も、と付け加えなかったのはナニールの自制心のたまものだった。
「あははー。ナニールさん、この話を続けるなら相応の覚悟をしてくださいねー」
目が笑っていない。
ナニールは諦めたように手を挙げ、それ以上は話を拡げなかった。
最近になって隊長の古くからの友人が結婚したと伝え聞いたばかりだった。
静かになったところで、ナスターシャは目を細めた。
たとえばグランプルが消し飛んだ以上、彼は濃密な浮遊マナのただ中にいたであろうこと。
手にしていた怪しげな本。
他国異国の装いには慣れているナスターシャですらなじみのない風体。
それらを呑み込んだ上で、直感的にハミンスの正門を通すべきと思ったこと。
ふふふー、とやわらかく黒い笑みを浮かべる隊長に、ナニールは愛想笑いしつつその場を辞した。
☆☆☆
というわけでようやく、街の中に入ることが出来たのだった。
「ご主人様」
「……」
「怒ってます、よね?」
門から入り、詰め所から離れ、活気のある露店が立ち並ぶ界隈の端っこへと向かい、それからスピカに声を掛けたのだ。
あの状況だ。無言を貫き通したことを否定する気は無い。
こちらの声というか、やり取りは聞いていたようだが。
人通りのある側に背を向けて、一休みしている風を装った。
「咄嗟だったし、仕方なかったのは分かる。でも驚いたぞ」
イメージや感情はともかく、頭の中で考えたことが直接伝わることはない。
こうして言葉に出さなければならないのは良いのか悪いのか。
「ごめんなさい、ご主人様……」
「分かってくれればいいんだ」
仕方のないことだった。怒っているわけではなかった。
ただ、意思疎通のためには、もう少し言葉を増やすべきかもしれないとは思った。
もう一言あれば、あんなに焦らずに済んだのだ。
気を取り直して、まずは教えて貰ったギルドに向かうか。それとも食事処を探すべきか。
場所がいまいち分からないし、時間の感覚も微妙にずれている。
何か胃の中に入れて、落ち着きたい気分だった。
「さっきは冒険者と思われたみたいだが、登録とかって必要なのか」
「ええと、どうなんでしょう」
「おい」
「スピカは魔導書ですので、そうしたことには詳しくないのです」
俺はとりあえず、人の多い方角を探して進んだ。
手持ちが金貨しかないし、没収されなかったのは少し意外だった。物語でよくある不正と袖の下が大好きな役人も案外少ないのかも知れない。
道ばたにゴミが転がっているわけでもなく綺麗なものだ。
近くにある露店から良い香りがしているが、手持ちは金貨だけで釣りの問題が出る。あまりいい顔はされないだろう。
下手に見せびらかす形になるとトラブルの元だ。両替出来そうなところを探すか、崩しても大丈夫そうな高めの店を選ぶか。
いっそ何も考えずに店に入るのもいい。
鞄を持ち直すと、中でわずかに金貨同士がぶつかる音がする。
守備隊の隊長ナスターシャに手荷物を改めさせた際に順番こそ入れ替えたが、パンパンに膨らんだ鞄の見た目と、鳴る音は誤魔化しきれない。
ただの本として振る舞っていたスピカについても、印鑑その他の、おそらくここでは物珍しい品々に関しても、拾っただけにしては多すぎる金貨についても、ナスターシャは深く追求してこなかった。しかし、何も思わなかったとは考えられない。
入れ直すとき鞄の中、手帳や印鑑、手袋やタオルなどは上の方に乗せた。下にはほとんど隙間無く金貨がみっちり詰まっている。
耳ざとい者にはこの鞄に大金が入っていることが分かるかもしれない。
ちょうど、後ろをついてくる小柄な人影のように。
その筋の相手なら、俺がこの街が初めてだと見抜かれているはずだ。
不慣れな場所を旅する余所者ほど、スリや泥棒が狙いやすい相手はいないのだ。
俺が後ろを気にしだした瞬間から、スピカは沈黙している。
露店側から少し離れ、人混みの多い方面へと歩き出してしばらく経った。つかず離れず追いかけてくるのだが、これといったアクションはない。
後ろからぶつかって鞄を持ち逃げするものだと思っていが、何もしてこない相手に仕掛けるわけにもいかない。
さりげなく俺がスピカを胸に寄せると、疑問を察して小声で答えてくれた。
「あの、ご主人様。気づいてないんでしょうか」
「何をだ」
「威圧感が出っぱなしです。この世界の人間は命の危険に敏感ですからね。元の世界の面接官が受けた感じより、ずっと強烈な影響が出ているでしょう」
そういえば、そうだった。
急き立てられて門番に見とがめられ、こうして今だ。
ナスターシャがまったく気にした素振りがなかったから忘れていた。
目に見える形で通行人の人波が割れて、どんどん脇に逃げていく。
人混みが人混みじゃなくなっている。
まるで俺と目があったら殺される、みたいなすごい離散っぷりである。
通りの向こうの露店のおっちゃんたちは、さも無関係そうにそっぽを向いて、俺の興味を惹かないようにと必死に見える。
この状態で後ろからぶつかって鞄を引ったくるのは無理だ。
ただ、そこまで現実的な計算が出来るなら、俺から盗もうと考える段階でかなりの剛の者だ。
本当にスリかひったくりなんだろうか。
「あ、あの!」
「……なんでしょう」
そうこうしているうちに、後ろからか細い声が聞こえた。
俺の考え違いだったか。
盗みを仕掛けようとする相手に、こんな声のかけ方をすることはあるまい。
いや、そうでもないか。
一人が気を惹いての置き引きはありうる。
注意しつつ振り返ってみると、そこにいたのはどう見ても普通の少女だった。
小さな雑貨屋に勤めていそうな雰囲気を持っており、素朴そうな顔立ちに邪な気配は無い。エプロンドレスに編み下げの髪。
やわらかい亜麻色が陽の光にあたって、少し眩しい。
小柄な背丈だが、年の頃なら十五、六だ。
「お願いがあります。……その服、わたしに見せていただけませんか!?」
ほとんど絶叫のような、そんな魂の籠もった声だった。
……雑貨屋じゃなくて、服屋か仕立屋だったか。
ずっと感じていた視線は鞄ではなく俺のスーツに向けられていた。
眼差しから感じるのは溢れんばかりの情熱、すなわち職人の気配だった。
見回してみた感じ、俺のようなスーツ姿は一切存在しない。
近世ヨーロッパ方面同等の文化ならあってもおかしくないと思うのだけれど。
振り返った俺と目が合うと、スーツからついに視線が離れて。
彼女の顔から血の気が引くさまが見えた。青ざめる、という言葉通りの現象を初めて目の当たりにしたかも知れない。
義務があるわけでもないし、無視したり、関わらないという選択肢もあった。
「ソフィアちゃん! やめとけ! さっさと謝って向こうにいけって!」
身なりの良い中年男性が小声で忠告するのだが、俺にも聞こえているわけで。
他の何人かも同じ表情で、彼女を逃がそうと目配せしている。脱兎のごとく逃げ出すかと思いきや、彼女は真っ青なまま、ちゃんと笑顔で続けた。
「わたしのお店、すぐそこなんです。よろしければ、来ていただけませんか」
「いいよ。お茶くらいは出るかな?」
つとめてやわらかく頷いて、聞き返すが、笑顔は崩れなかった。
「あっ……はい! ありがとうございます!」
声は震えていた。