第十二話 『真実の在処』
この場の誰もが分かるはずなのに、俺だからこそ思いつくことが難しい手段であり、理由。
首をかしげていると、ミリエルはこう続けた。
「この街に来て、ワシと一緒に地下迷宮を進んだときのことを思い出してみよ」
「地下迷宮……? 看守が口封じで殺されたあとの話だよな」
「ひとつ、おかしなことが起きたじゃろ?」
「地下ダンジョン……そうか。枯れた迷宮なのに、モンスターが出たことか」
「うむ。金貨級の影男がな」
「なんですって!? 聞いてませんよ!?」
ウィラーが悲鳴のように、俺の言葉に反応した。
警備主任が把握していなかったのが問題なのか、そもそも学院に繋がっている地下迷宮にモンスターが存在したことの懸念なのか、それが金貨級という油断できないランクだったことへの危機感か。
なんにせよ、機能停止しているはずのダンジョンと認識されている場所である。
街の中心に位置する、学院管理の枯れた地下迷宮にモンスターがいた。
その一点だけで大問題だった。
「そりゃ聞かれんかったからのう。お主と出くわした、あの直前のタイミングじゃよ。安心するがいい。ワシの見立てでは、地下迷宮は枯れたままであり、今になって蘇ったわけではない」
「とすると、はぐれが潜り込んだか……ミリエル様、なぜ仰ってくださらなかったんです」
「逆に聞くがの、あの時点でワシらが全部の情報を告げると思うか?」
「私も容疑者であった、ということですか」
「学長殺しに関わってるかどうかと、ワシを罠に掛けたかどうかは、あの時点では、あくまで別問題の可能性があったからのう。まずは同一犯かどうか見極める必要もあった、ということじゃよ」
ただし、とミリエルは付け加えた。
「ウィラーよ。あのタイミングで、外から金貨級モンスターが入り込むなど……本気でそんなことがありうると思っておるのか?」
「可能性としては……」
「もっと素直な解釈があるじゃろ。事故に見せかけてたワシらを殺すために、枯れた迷宮に呼び寄せて、あえて危険なモンスターを配置した、とな。絶対にモンスターがいない場所だと考えて油断していたら、あやうく殺されていたかもしれんな」
「しかし、そんなことを狙ってできるはずが」
「狙って出来たとしたら、どうじゃ?」
ハルマックは何も喋ろうとしない。それが、ミリエルの話の信憑性を上げた。
「それが答えか。いるはずのない場所に都合良く出現したモンスター」
「うむ。それも金貨級であった、ということが重要じゃよ」
俺の言葉にミリエルは鷹揚に頷いて、そう付け加えた。
なるほど。これは確かに俺には実感がしにくい。
俺には強力な浮遊マナ耐性、というか莫大な許容量があるといつかスピカが言っていた。
「どういう、ことです?」
「ウィラーよ。お主はなまじ知識があるがゆえに、ありえないこととして除外しておるんじゃろうな。察しが悪いとは言うまい。……しかしな、結果から遡って考えてみれば、それしかなかろう?」
「意図的に金貨級モンスターを殺させた……? いや、でも! オージェスが耐えられないほどの浮遊マナなんて、至近距離で、よっぽど大量じゃ、ないと……」
浮遊マナの吸収が研究テーマであることも手伝ってか、ルイザの理解は早かった。
密室内で、高濃度、高密度、超近距離の浮遊マナを強制的に吸収させられた。
外見上、マナ中毒という結果は変わらない。現場にマナ溶液の空の容器があったことも、誤認させるために一役買っていた。
そして、周囲の浮遊マナは人体に吸収されてしまい、されなかった分は霧散し消滅する。
残ったのは、マナ中毒死した死体がひとつ。
「オージェスなら、マナ中毒の危険くらい理解してるし……逃げるだけなら!」
「自分の手でモンスターを対処出来たのなら、そうだったかもしれんな」
「あ……」
強敵を倒したり、大量の敵を倒すことで発生した浮遊マナを何度も何度も獲得した人間は、その度だんだんと耐性が増加していくと以前スピカから聞いた。
灰色の二つ名を持っていたオージェスにも、ある程度のマナ耐性はあったのだろう。
しかし、金貨級のモンスターから生じる浮遊マナを近距離且つ大量に吸収してしまえば、一流の魔法使いにして冒険者であるティナですら耐えられなかった事実を俺は知っている。
そのときも、俺の場合は、同量を吸収しても大した負担にならなかった。
なまじ馬鹿げたマナ耐性を持っている俺には実感しづらいことではあるが、マナ中毒は、金貨級どころか銀貨級ですら場合によっては一般人を昏倒させうる危険な状態である。
「防衛機構の魔力弾!?」
「人間相手なら最低限の威力、とウィラーは言った。では、そこに金貨級モンスターが存在していたらどう反応すると思う?」
「危険を排除するために、迅速に、最大威力で射出される……学長室の中という閉鎖空間で!」
こうしてオージェスに対し、異常な量の浮遊マナによる曝露が起きた。
「最初から想定しているか、あるいは浮遊マナに相当の耐性でもない限り、一瞬で死の密室の出来上がりじゃよ。そしてモンスターの出現場所とタイミングを操作出来るなら、学長室の中に入る必要はおろか、この中央塔に近づく必要すら無いことになる」
何が起きたか、これからどうなるかを理解した瞬間、オージェスはどれほど絶望しただろう。
「なら、師が遺した自筆の『すまない』は」
「即死でなかったとすれば、急性のマナ中毒による意識の混濁があったはず……朦朧としたなかで、それでもこれが大量の浮遊マナを吸収した結果だと理解できたのなら……」
「あんなに頭が良くて、なんでも知ってたオージェスなら、最後の最後まで明晰だったはずだ……そのはずなんだ」
「であればルイザ、お主に向けた謝罪であろう。使ったマナ溶液のせいでお主に疑いがかかることを憂慮したか、あるいはお主の研究テーマに暗い影を落とす未来を予期したか……それ以外の理由は、ルイザ自身にしか分からぬことじゃ」
モンスターをけしかける。これひとつ取っても、常識的には不可能と言える。
街の外の野良モンスターをトレインしてなすりつけるのとはわけが違うのだ。
マジカディア魔法学院の関係者がある程度以上の知性を誇っているとはいえ、可能性を論じること自体一笑に付されかねない。
本来なら制御不能なはずのモンスターが、人間の指示に従うという異常事態。
それを、どうにかしてハルマックは為しえたに違いない。
その上で、それ自体かなりの脅威であるはずの金貨級でもオージェス殺害は無理であると考えた結果、モンスターの死そのものを汚い爆弾に転化してみせた。
狡猾であり、周到であり、卑劣である。
オージェスを殺害した手段の説明は付いた。自殺が偽装である可能性の提示も出来た。
しかし、まだ大きな問題が残っている。
その場に頽れて、嗚咽を漏らしているルイザを尻目に、ハルマックが目を細める。
「ふむ。確かに説明は付きましたな。ですが、何の証拠も無いことをお忘れですか?」
「ハルマック、貴様……」
「ウィラー君。何を勘違いしているのか知りませんが、今の話はあくまで推測に過ぎませんぞ。さしたる矛盾なく過程を説明しただけで、確たる証拠がなければ単なる仮説でしかない。オージェスが自殺したことすら、今の話では否定し切れておりません。それはお分かりでしょう?」
ミリエルの語りが終わったと考えて、ハルマックは饒舌さを取り戻した。
言っていることは、その通りだ。
黙って見守っていたことからも、話の帰結と趨勢を見極めようとしていたに違いない。
俺はミリエルを見た。ミリエルは首を横に振った。
突きつけるべき証拠はここにはない、ということだろう。
「そもそも、私がそれを計画し実行した証拠がどこにあるのです。大前提として、金貨級という危険なモンスターをどのようにして私が従えたり、呼び出したりできたというのですかな。土台無理な話でしょう。かの大魔法使いにすら、そんなことは不可能だったはず。できもしないことを理由に私を犯人扱いするとは無礼千万! ……さあ、話がこれで終わりなら、もう――」
「『汚泥』よ。足掻くのもそのくらいにしてくれんかの」
「さっきも言っていましたが、なんですかその『汚泥』というのは。わけの分からないことで言いがかりを付けるのは……」
「それで、このワシの目を誤魔化せると思ったのかの……?」
「何を仰っているのか、まるで理解出来ませんな」
睨みあう老爺と童女。
もはや敵意を隠しもしないウィラーが、ハルマックに視線を向けたまま尋ねる。
「ミリエル様。……『汚泥』とは、何なのです」
「そやつの二つ名じゃよ」
「……え?」
杖を突きつけられたハルマックは、肩をすくめてみせた。
「ここにきて、今更ごっこ遊びですかな。王都も人材不足が甚だしいと見える」
「『汚泥』よ。貴様、『静かなる』ハルマックと、いつ入れ替わった?」
ルイザが顔を上げ、ウィラーが目を見開いて、そこに立つハルマックを凝視した。
では、これはいったい誰なのだ。
俺たちのやり取りを遠巻きに眺めていた観衆にも、察しの良いのが数人いて、ぎょっとしたように学長代理の顔を見た。
静かなるハルマックの顔をした何者かが、素知らぬ顔で嗤っている。
「まったく……まったくもって、答える価値を感じない、実にくだらない質問ですな」
「親友と評したオージェスにすら、最近まで気づかれていなかったことを考えると、あまりに年季が入っているのう。成り代わったのは、もう何年も――あるいは十年以上前のことであったのか?」
そもそも皆の知る『静かなるハルマック』とは、本当は誰であったのだろう。
長年を別人の名前で生きてきて、ついに化けの皮が剥がされ、その本性が露わになった。
あるいは入れ替わったのではなく、普段の姿こそ優れた擬態であったのかもしれない。
「私の名前はハルマック。ここマジカディア魔法学院の学長代理。それ以外に答えなどありませんな」
皆に慕われる副学長であった「静かなるハルマック」を見たことがない俺たちでは、その真実を知ることはかなわない。
変わってしまったのか、別人なのか、これこそが元の姿であるのか。
ミリエルはふん、と鼻で笑った。
「では問いを変えようかの。その学長室――この中央塔のコントロールルームに、何人もの乙女の血を必要とする何があるのじゃ?」
「さて、何のことです」
「もうとぼけなくても良いじゃろ。貴様は証拠証拠とは言うがな、ここまで疑惑が強まった状態で正式に学長として承認されると思うのか?」
「……。幹部や役員が見ている前でこんなやり取りを始めた理由が、ようやく分かりましたよ。私はまんまと貴女の目論見に乗せられてしまったわけですか」
「お主自身の失策じゃよ。性急な手段を取らず、迂闊な介入を選ばねば、ワシとヨースケが組んで今この場に辿り着くことはできんかった。次期学長の座が定まったあとは、ゆっくりと雌伏を決め込んでおくだけで誰にも悟られず、お主の勝ちが決まっていたかもしれん」
しかし、そうはならなかった。
ミリエルは同情するように、静かな声を発した。
「学長とは、この塔の管理権限者に他ならぬ。それを正当な手段で譲り受けるチャンスを、お主は自らの愚行でふいにしたんじゃ。して『汚泥』よ、なぜそこまでせねばならんかった?」
「逆に聞きますが、何の証拠があって私をそんな名前で呼ぶのです」
「ワシはな、ハルマックとは面識がなかった。しかし、どういうわけか、お主の魔力には妙に見覚えがあった。怪しい相手を見ると使うのがクセになっておるんじゃよ、魔力感知の魔法。……昨日顔を合わせたときに使っていれば、話はもっと早かったのう」
はっとした。ミリエルと初めて会った牢内でも、ミリエルはスピカのことを見抜いていた。
魔力感知の魔法。
当たり前のように使われたその魔法を、容易いものだとどうして思ったのだろう。
そんなものが巷間に流布しているなら、俺が魔導士であると即座に看破されかねない。
「ミリエル。聞いても良いか」
「いくらヨースケでも、またも良いところで割り込むんじゃ。さぞかし重要な話じゃろうな?」
「なに、簡単なことだ。その偽ハルマックは、何か妙なマジックアイテムを持ってないか」
「ふむ――アパァライセ、マァジクステェト、アプレヘンダァル……《魔力感知》」
普通の詠唱ではない、耳慣れない言語だった。
《共通言語》の効果中でも意味が取れないことは、以前にもあった。
ミリエルが唱えたこの力ある言葉を、意味ではなく音として理解しているためだろうか。
初めて会った際、牢の中での会話でミリエルが気づいたことはふたつ。
俺の魔力量が異常なほどに高いこと、そして懐に忍ばせていたスピカの存在。
「あるのう。ローブの中に、何やら力あるマジックアイテムを大事そうに隠し持っておる。前に見た時には身につけておらんかったが、今は持っているのが仇になったようじゃな」
これを聞いた瞬間、偽ハルマックの身体が、反射的に動いた。
ミリエルの見透かすような視線から、つい逃れようとしてしまったのだろう。
こうした反応そのものも、欲しかった傍証のひとつだった。
「あんたは大魔法使いにも不可能と嘯いたが、モンスターを操ること自体は可能だ。現に魔法使いでもない人間がモンスターを従え、強化することが出来るアイテムを俺はこの目で見たことがある」
「ほう、興味深いのう」
遭遇した出来事の詳細は省くが、そのアイテムの名はゴブリン王の宝冠といった。
あの宝冠はゴブリンを従え、強化することに特化した能力を有していた。
ならば、モンスターを特定の位置に召喚するアイテムが存在してもおかしくない。
俺たちが導き出した推測が正しいのなら、使役する必要すらないのだ。
「確かめさせてもらおうかの。そのアイテムが何であるかを」
「なぜ私があなた方の妄言に付き合わねばならないのです」
可能性の有無を論じるだけでは、証拠にならない。
しかし、これは賭けだった。
いま偽ハルマックが所持しているアイテムが、モンスターを召喚する機能を有しているか。
「潔白を証明したいのなら、そのアイテムをワシらに検めさせればよい。なぜ拒む?」
「あなた方に何の権限があって……」
「上級捜査員という肩書きは、こういうときのためにあるんじゃ」
ミリエルが皮肉そうに嘯いた。
観念せい。ミリエルの低いトーンの通告に、偽ハルマックは何も言えなかった。
それが答えだった。
ずっと、証拠はそこにあった。
オージェスを殺した、凶器そのものであるモンスター召喚の道具が。
静かに、激情を抑え込むようなひび割れた声が漏れ出す。
「なんでだ……なんで、お前には分かった。なぜ、あの名前を知っている……」
「その泥団子のようにこねくり回した魔力の質や、汚らしく混ざった色合いは見間違えようがない。随分前のことになるが、いつかの戦場でまみえた際、お主を『汚泥』と名付けたワシを見忘れたか?」
「……まさか……お前は、お前はッ!?」
「他人に成り済まし他者の人生を穢すお主こそ、『汚泥』の忌み名に相応しい。スティングホルトの名の下に、汝を王国に仇なす禁呪の使い手として告発する!」
ミリエルが言った。
偽ハルマックこと、『汚泥』は、恐怖に顔をひきつらせて逃げ腰になっている。
「なぜだ、どうして……お前が、そんな、ここに……!?」
「言ったじゃろ? ワシは上級捜査員という肩書きで、ここに来たと」
「ミールエール=スティングホルトッ! 大魔法使いが何故そんな姿になっている!?」
「驚かせないよう、大天使ミリエルちゃんと名乗っておる。可愛いじゃろ?」
「ふざけてるのか……私は、そんなことを言ってるんじゃない! なぜ、今になって現れるんだ……あと少しだったのに……あとわずかで、ささやかな望みが叶ったのに」
隙を窺っていた先ほどまでの姿とは一転し、悪魔を見るようにミリエルを見ていた。
半ば恐慌状態で叫ばれた汚泥の言葉を耳にして、この場のほぼ全員が瞠目した。
ウィラーは強い怒りや困惑、驚愕と何度となく感情を揺さぶられていただろうに、ここに来てミリエルの正体を知ったせいか、それら全部を超越したような複雑な表情のまま絶句している。
そんなにも予想外だったのか、大魔法使いミールエールのパブリックイメージが違いすぎるのか、他の面々の反応も似たり寄ったりで、大半は信じがたいと言いたげにざわめいている。
「ふむ。姿を変えるのはお主の専売特許だとでも思っておったのか?」
「……クソッ。ここまで来て諦めきれるか……!」
先ほどまでの老爺の表情、ハルマックとしての所作をかなぐり捨てて、汚泥は血走った目で打開の方法を模索し始めた。
半信半疑な者、動揺して動けないもの、機敏に行動に移した者と別れたが、偽ハルマックに加勢しようとする魔法使いは一人もいなかった。
ある程度の腕がある魔法使い数十人に囲まれた状態では、囲みを突破することも、逃げ出すことも困難なのは分かりきっている。
しかし降参はしない。
オージェスや、本物のハルマックを殺したであろう偽ハルマックの奥の手を警戒し、皆、次の動きに移れずにいる。
真正面から対峙しているミリエルが指示を出さないのも、周囲が動けない理由のひとつだった。
ここで為された会話が正しいのなら、彼女こそが大魔法使いミールエール本人なのだ。
一対多数という状況も手伝って、無理に動く必要も感じない。
このため全員がミリエルの不興を買いたくないと、指示待ちを選ぶのも当然と言えた。
様子を窺う周囲の躊躇を気にした様子もなく、ミリエルが淡々と告げる。
「ま、お主が証拠証拠としつこく拘っていた理由にも想像はつくがの。他者の人生を奪って生きるお主にはかつての自分、本物の自己がどんな存在であったのか、もう分からんのじゃろ? ……自己同一性の揺らぎといったかの。自分が自分であると証明できなくなったからこそ、せめて確かなものを求める。間違いのない事実を拠り所にしようとするわけじゃ」
「なら、お前のその姿は……!」
「こっちが本当の姿でな。お主を追い詰めたときの姿は、百年ほど加齢した想定で、年を取っても自分には違いない。あえて老婆の格好をしていると、みなそれこそが真の姿だと信じたがるんじゃよ。いや、ひとは見たいものしか見ようとしない、じゃったか。……ま、こんな話をしてはおるが、証拠など必要なかろう? ワシがミールエール=スティングホルトであることは、ワシ自身が知っておれば十分じゃ」
ミリエルは醒めきった口調でそう突きつけた。
偽ハルマックは、すとんと表情の抜け落ちた顔で、ミリエルに目を向けた。
昏い夜の海のように輝きを失った、どこか茫洋とした瞳だった。
「何を狙っていたのかは知らんが、お主の計画は潰えたようじゃな。素直に自分の罪を認め、大人しく捕まるが良い。抵抗する場合は相応の痛い目を見てもらうがな」
「どのみち、学長を……オージェスを殺した私は死罪になるでしょう? 罪状の名前が変わるだけで私の末路に違いはない」
「ではどうする。最後まで足掻くつもりか?」
「ははは、本物の大魔法使い相手に挑んで勝てるとは思いませんな。貴女がミールエールそのひとであるのなら、勝ち目があると考えることすら烏滸がましい。そう、私では貴女に勝てないことはすでに知っている。かつてのように貴女から逃れることも決して容易くはない」
絶望が一巡したのか、落ち着き払った偽ハルマックの受け答えに、ミリエルは眉をひそめた。
それは諦めた人間の振る舞いではなかった。
いつでも攻撃魔法を撃てるように身構えていた俺にも、嫌な予感が膨れあがった。
「こうなっては、もう……仕方ありませんな」
「お主、何を企んで――」
「《氷狂矢》!」
するりと身を翻した偽ハルマックは、老爺の風体とはかけ離れた機敏さで、一番近くにいたルイザへと飛びかかった。
俺の撃ち放った大量の氷の矢はハルマックのローブを引き裂くだけだった。
直後、壁や天井から複数の魔力弾が射出され、俺に降り注いでくる。
先ほどルイザが喰らったものより量も多ければ威力も高い気がした。
脅威度の判定もあるのか、俺は慌てて距離を取り、ルイザを盾にした偽ハルマックを睨む。
「くそっ、学長代理のままだと取り押さえるのも苦労するぞ!」
次の攻撃もありうると身構えるが、どういうわけか追撃はなかった。
これには偽ハルマックもわずかに首をかしげた。
権限者を害する意思有りと認識されたなら、脅威として認識されないくらい距離を取るか、最悪、このフロアにいるあいだ、俺を無力化するまで延々と魔力弾の射出があるものと考えていた。
それがなかったのは運が良かったと言うべきか、それとも。
「ウィラーよ、やつの権限剥奪はできんのか……?」
「学長――つまりは管理者権限の授与に複数人での承認申請が必要なのと同じで、代理とはいえ権限者を容易く引きずり下ろせてしまったら、それこそ権利の濫用が始まりかねません! これを防ぐため、剥奪の場合も所定のシステムを用いて、他全員の許諾手続きをしなければ……!」
「すぐ出来るか!?」
「代理権限者が申請するなら、この場でも可能です……」
「してくれそうにないな」
面倒な手順を踏む必要があり、それは即座には不可能だと分かった。
ルイザを人質にするという小悪党めいた振る舞いに出た偽ハルマックだったが、これからどうするつもりなのか甚だ疑問だ。
ミリエルの実力を知っているらしいから、正面から打倒は無理と判断していた。
では、この状況から一発逆転の手段があるのだろうか。
ルイザの無事と引き替えに逃亡を図るのかと思ったが、そうではなさそうだ。
囲みを突破する際の肉壁にする必要も、実はあまりない。学長代理の権限を持っている現在なら、偽ハルマックは、純粋な魔法使いが多いと見える囲みを強引にでも突破しうるだろう。
先ほどの挙動の通り、防衛機構は偽ハルマックの味方だ。
「『汚泥』よ、何を考えているんじゃ」
「何を……? 私に、貴女が、何をと仰るのか。は、ははは、これはとんだお笑いぐさですな」
「何が可笑しい?」
「貴女が断じた通り、もはや静かなるハルマックはここにはいない。私は名も無き汚泥。であれば、最期まで汚泥らしい末路を迎えるより他ありませんでしょう」
「一応、聞くがの。お主の言うところの……ささやかな望みとは、何だったんじゃ?」
ハルマックを名乗り、汚泥と呼ばれた男は、ミリエルの問いに一瞬停止した。
異様な緊迫感、凍り付くような静寂を破るように、彼は言った。
「私は、私として生きたかった。生き続けなければならなかった。それだけです」
「……どういう意味じゃ」
「貴女には分かりませんよ。貴女のような、人間にはね」
そして、その男は懐に隠し持っていたそれを掲げた。
一見すると、小さな宝石の嵌め込まれたワンドに思われる。
金貨級モンスターを召喚するために用いられた、おそらく魔具級相当のマジックアイテム。
しかし、儀礼用の短杖めいた見た目に反して、煌びやかな装飾はほとんどない。
メタリックな光沢があり、妙にメカメカしい複雑な部品が組み合わさっている風の形状。
それは、この中央塔に感じた印象と似ていて、ファンタジーに紛れた異質さというか、近未来感溢れた雰囲気を持っていた。
ハルマックでなくなった男は、ワンドを握り、魔法の詠唱のように滑らかな口調で操作した。
「コントロールクリスタル起動。対象:百十一番ダンジョンコア。座標:ゼロ、ゼロ、ゼロ。発動:ランダムサモン、ゴールド」
……は?
いつか聞いたような言葉が発せられたかと思うと、ワンドの先端のクリスタルが強く輝いた。
男が疲れたように首を振る。
「皆、この中央塔を古代文明の遺産だと考えてたようですな。一面では正しく、大いに間違っている。ここは今も稼働し続けているダンジョンなのですよ。すぐ近くに地下迷宮があったことも手伝って、一切モンスターの沸かなかったこの塔を研究施設か何かと勘違いしたのでしょう」
その説明を聞く者は誰もいない。言葉の直後に突然大量に湧き出したモンスター、それも金貨級ばかりが学長室の前から通路までを埋め尽くしていたからだ。
「古代文明の人間はもはや残っていない。であれば、使われなくなった施設を遺産として受け取る者がいても良いでしょう。ですが、管理者になった者たちは、誰一人本当の使い方を知らなかった。中身が入っているはずのプレゼントを受け取りながら、その外箱だけを大事そうに抱え続けているに等しい愚行です。だったら、本当に必要としている者が中身を使ったってかまわないはずだ。……でしょう?」
オーガ、シャドウマン、コカトリス、ダークスライム、トロール……見たことのある金貨級もいれば、見たことのない推定金貨級のモンスターまで、うじゃうじゃ見える。
通路の広さに合わせてか、あまり巨大すぎるモンスターは見当たらないが、その大半が指示されたかのように一斉に俺たちに狙いを定める。
間近にいて真っ先に狙われそうな汚泥とルイザには見向きもしない。
防衛機構もモンスターの排除をしないあたり、汚泥のコントロール下にあると判定されたようだ。
「ご主人様!」
「……っ。まずい、ミリエル!」
「まず距離を取れ、それから退避じゃ! 全員、中央塔から急いで出よ!」
「今なら大威力の攻撃魔法で一網打尽に……」
腕に自信がありげな魔法使いのひとりが前に出ようとして、ミリエルの杖で叩かれた。
「阿呆! いま撃つな、オージェスと同じ死に方をしたいのか! よしんば上手くいってもあの位置ではルイザが死ぬ!」
さっきの今だというのに、咄嗟だからかマナ中毒のことが抜け落ちていたらしい。
あるいは実戦経験が薄かったのか。大魔法使いの叱咤に顔を青くして後ずさった。
足手まといになるからと、状況判断に優れた数人がエレベーターの区画へと先んじて急ぎ、ミリエルの指示に従って十人ほども走り出す。
使命感か責任感かでウィラーとその部下だけが留まるなか、俺のすぐ隣りで、ミリエルが杖を向けて弱い魔法を連発し金貨級の突撃を牽制している。
汚泥はその場から動いていない。ゆえに、ルイザも解放されない。
「カゲヤマも、ミリエル様も……ボクのことはいい。逃げるんだ……」
「そんなわけにいくか!」
恐ろしげな金貨級モンスターに周囲を塞がれて逃げ場もないルイザが、掠れた声を張り上げた。
その表情にあるのは恐怖ではなく、諦めでもなく、ただひたすらの怒りだった。
モンスターの動きにはある程度の統一性があった。細かい動きまでは無理だとしても、汚泥の出す簡単な指示には従うのだろう。
ミリエルが大量に発生したモンスターを倒す、つまりは副次的に発生した致死量の浮遊マナでルイザごと汚泥を殺すつもりなら、とっくにそうしている。
そもそも、ルイザの身の安全を考えないならモンスターを呼び出す前に対処していた。そのあたりを見抜いているからこそ、汚泥はルイザを手放さないでいるのだろう。
「これも、ボクの間抜けさが招いた事態だ……君たちのことを信用して相談していれば、もっと別の結末が待っていたかもしれない」
怒りの矛先は汚泥であり、そしてまた自分自身だったのだろう。
俺は慰めにもならない言葉で返した。
「秘密は、容易く明かすべきじゃないって自分でも言ってただろ。仕方ないさ」
「それでもさ。ボクには他の秘密もあった――それを知られたくない我が身可愛さで、オージェスの仇を討つチャンスをみすみす逃した間抜けだったんだ……!」
ルイザが強い後悔から表情を変え、意を決したように口を開こうとしたそのとき。
王笏めいたワンドを掲げた男は、何かに気づくと、白々しい口ぶりで言った。
何かの反応を見て、ルイザに狙いを定めた。そんな顔だった。
「オージェス殺しの手段や私の正体を見抜かれた時点で、ほとんど諦めていました。ですが、私のささやかな望みは、まだ潰えてはいなかった……! 辛うじてではありますが、望みを繋げることができたのは君のおかげだ……感謝しよう。この出逢いに。感謝するよ、オージェスが最期に遺した贈り物に」
汚泥は狂気にまみれた声で、高らかに笑った。




