第十話 『秘密の価値』
早朝のことだったという。
上級捜査員による調査がなされていることを理由に、急遽会議が開催される運びとなった。
学内で招集されたのはウィラーを含んだ主立った役員たち全員だ。
捜査には協力すると学長代理や警備主任が明言していたこともあって、みな、何のために集められたのかと首をかしげていた。
そこでハルマックは、居並ぶ役員達の前で、死んだ前学長オージェスが生前繰り返していた非道を明らかにした。
ハルマックは神妙な面持ちで語ったそうである。
学長が自殺した動機は、そのおぞましい事実を私が掴んだためだろう、と。
「主任が今にも倒れそうな顔で胃を抑えながら……急いでこの情報を伝えるようにと指示をいただきまして」
「あ、ああ。助かった。ありがとう」
同じくたたき起こされたミリエルは、会議に集まった面々やハルマックの態度なども尋ねていた。
メッセンジャーは会議の様子を直に見たわけではなかったが、ウィラーから教わった内容や状況について話してくれた。
聞くべきことを聞き終えると、こめかみを抑えながら、ミリエルは黙り込んだ。
可愛らしい顔立ちにはまったくそぐわない、険しく、厳しい表情をしている。
「お時間があるのなら、後ほど、主任のところに顔だけでも出していただけませんでしょうか」
「ウィラーからの要請か?」
「そういうわけではないのですが……主任の顔色があまりに悪く、思い詰めたような表情をしておりましたので」
「なるほど。……ミリエル?」
「なんじゃ?」
「聞いてなかったのか。状況が悪そうだし、ウィラーに会いに行った方がよさそうだって話だ」
「そうじゃな」
ミリエルはずっと何かに気を取られているようで、反応が素っ気なかった。
やがてひとつの結論に達したか、陰鬱そのものといった嘆息を漏らした。
メッセンジャーの彼に、眉をひそめたまま問いかけた。
「前学長の悪事、非道、醜聞か……その内容についてウィラーは語っておったか?」
「いえ。会議室から出て来られた役員の皆さん、揃って青ざめておられたので……よっぽどマズイ内容だったとの想像はつきますが。主任もしきりに首を横に振って、信じがたいと漏らしておりましたし」
「じゃろうな」
面会の時間を取るようウィラーへの伝言を任せ、メッセンジャーを送り出した。
彼の姿がすっかり見えなくなってから、ミリエルは自分の部屋に俺を呼んだ。
しっかりと扉を閉めて、窓のカーテンを引き戻す。
注意深く周囲を警戒してから、監視や盗聴されていないことも確かめる。
ここまでするのは、昨日発覚した内容が原因に違いない。
ハルマックが告発した内容もおそらくそれだ。誰も思い当たる節のなかった自殺の動機として説得力はある。役員たちが揃って口を噤むのも想定内だろう。
「昨夜のやり取りが漏れたとは考えにくい。尾行がなかったことはしっかり確認したし、スピカもずっと注意しておったじゃろ。万が一、警邏のあやつが暴走せぬよう、一応の釘差しもしたが……タイミングからして、情報の経路は警邏ではないな」
「そういう意味だったのか。見る目が確かだって話は、てっきり本心かと」
「すべては情況証拠と、そうも考え得るという理屈だけじゃからな。白黒半々じゃった」
「……今は」
「これでオージェスはシロと確信できたぞ。自身に有利な状況を盤石にしようと考えて、余計な手出しをする間抜けのおかげでな。ほれ、どこかで聞いたパターンじゃろ」
「牢内での襲撃未遂か」
「やつは暗躍を好みながらも、自分で盤面をコントロールできないことが我慢できんらしいな。そして隠蔽に失敗したと判断した途端、口封じによって幕引きを図ろうとする癖があるらしい」
「諸々の中心がハルマックだとしても、直接的な証拠は残ってると思うか」
「そこが問題じゃな。ここまで大胆な真似に出た以上、自分に繋がる物証や人物はすべて抹消済みと見て良い。前学長が大量の強姦事件を引き起こした首魁となれば、学院関係者は全力で事件も事件にまつわる資料や証拠を闇に葬ろうとするじゃろう。ついでにオージェスが何を調べ、何を考えていたかも一緒くたに闇の中じゃ。冤罪を証明する手段も、ハルマックの企みを明らかにする機会も、一切合切失われかねん」
「それにしても乱暴というか、やり口がちょっと露骨過ぎません?」
「確信があるんじゃろう。何を探ろうと、自分には絶対に届かんのだと。あるいは性急な手に出る理由が別にあるのかもしれんが、そこまでは見えてこんな」
スピカの呈した疑問にミリエルも首をかしげた。
状況を自分に都合の良い形で動かしたかったにせよ、自らこうした行動を起こすタイプには見えなかったのは事実である。
そもそも学院の大多数は、前学長の死に対し、学長代理ハルマックを疑っていなかった。不可解な大量の強姦事件発生についても、オージェスが裏で調査していたことも、あるいは逆に犯人であった可能性についても、認識すらされていなかったはずである。
俺たちですら、二つの事件の繋がりを想定したのは、逆説的な考えからのことだった。
それとてオージェス犯人説まで考えるほど真相からはほど遠い推理以前の仮説を立てたに過ぎなかった。
表面上関わりの無かった二つの事件を繋ぎ合わせる危険を冒してまで、このタイミングで波風を立てる必然性など無かったはずだ。
「うーん。分かりません。結局のところ、ハルマックの目的はなんなのでしょう」
「よく考えれば、それすら把握出来ていなかったのう。オージェス殺しも不可解ではある。学長の座を欲したにせよ、やがて手に入るはずだったものじゃ。ウィラーも含めた役員の大半が、次の学長は当然ハルマックになるものと考えておった。学長代理の権限をスムーズに得られたことがその証左じゃ。オージェスを殺して自身が犯人と露見すれば、もちろん学長就任の話など立ち消える。逮捕収監一直線で、場合によっては即日処刑もある。果たして、そのリスクを冒す必要があったのか」
「待て。強姦事件の犯人がハルマックだったと考えれば、それをオージェスに知られた時点で口封じに動くのは十分ありうる」
「犯人の目星が付くほどに調査が進んでおったのなら、オージェスこそ警戒するじゃろ。身近に危険人物がいる状況。そして、そんな男が栄えあるマジカディア魔法学院の副学長という地位である現状。それにしては、いささか迂闊に過ぎはせんか」
「また堂堂巡りになってきたな……」
「仕方ありません。状況からくみ上げた仮説と推測を積み上げているだけですからね」
考え方を変えてみる。
このタイミングで前学長に罪を着せることで、ハルマックにどれだけの利益があるのか。
「怪しまれても、疑われても、今だけを乗り切れば良い理由があった……か?」
「あるいは、自分の強姦事件との繋がりを誰かに暴露されそうになって、先手を切ったとか」
「両方という可能性もありますが」
「待てヨースケ。誰かに暴露されそうになったとは、誰を想定しておる?」
「そりゃあ、書き付けを届けに行った男子学生……ああッ!」
「ワシらこそが迂闊じゃった! あの文章は脅迫ではなかった! 協力者を気遣っての警告、あるいは忠告じゃ!」
スピカが、その人物に向けられた秘密のメッセージをもう一度読み上げる。
「『お前の行動次第では、どんな結果が訪れるか。くれぐれも軽はずみな行動に出ないように』……確かに、そうも読めますが」
「これを送った時点で、オージェスはすでに身の危険を感じていた。ゆえに、先走るなと誰かに伝えた。あるいは死んだ場合まで想定していたかもしれん。そう考えると、別の意味にも受け取れる」
「思い詰めて、復讐、仇討ちをしないように、だな」
「そしてこれを伝えられた本人は、当然その意味を理解している……」
どちらが正解か、俺たちには判別がつかない。
しかし、オージェスが犯人でないのなら、これは一刻を争う事態を意味している。
この危機感が間違っていたとしても構わない。
そのときは、改めてオージェス黒幕説を検証すれば良いのだから。
「その男子学生って」
「ルイザに決まってる! あの態度を見ただろ!」
「行くぞ、ヨースケ! ルイザが危険じゃ! 推測が正しいかどうかは分からんが、とにかく急ぐ必要がある!」
「向かう先は……学院でいいのか?」
「他に候補はなかろう。あるいは、すでにことを起こしたあとで……手遅れかもしれんがな」
勢いのまま俺たちは宿を飛びだした。
途中、一度だけミリエルが足を止めた。視線の先には街の中心部、マジカディア魔法学院。
今朝になってハルマックが行動を起こした事実を鑑みるに、すでにルイザの復讐は失敗したのかもしれなかった。
少なくとも、何かを気取られたのは確実だ。これから襲撃するつもりであれば、みすみす罠にかかりにいくようなものである。
用意された宿から学院まではさほど遠くない。
体格差の分か、走っているうちにミリエルの前に出た。
学院の正門前に辿り着くと、何やら物々しい雰囲気が漂っていた。
張り詰めた空気のなか、こちらの顔に気づいて止めるべきか逡巡する守衛二人を視線だけで黙らせて、俺たちは敷地内に駆け込んだ。
学院内での聞き込み中に、だいたいの重要施設の場所は案内してもらってある。だが、ミリエルの足は迷い無く一点を目指していた。
広大な敷地の中枢部には異質な色合いの塔が存在しており、その学長室が目的地だ。
ミリエルの向かった方角の正しさを示すように、廊下を行き交う学生達の表情が、現場に近づくにつれ緊張で強ばっている風に見える。
騒ぎに巻き込まれたくないと距離を置く女子生徒たち。
好奇心に突き動かされ野次馬に向かおうとするのを、講師から静止されて不満顔の男子生徒たち。
一般学生の様子というのは、魔法が使えても、世界が違っても、たいして変わらないものらしい。
学舎を通り抜け、一度建物の外に出る。
蒼天を背景に、後付けの建築物に遮蔽され、囲み守られるようにして中心に屹立している歪な形の塔があった。
ビルと呼ぶほど巨大ではないが、他と比べると、それでも一際背が高い黒の塔。これが中央塔だ。
陽光をわずかに反射するダークメタリックな中央塔は、異様な存在感を放っていた。
「向こうじゃな」
象牙の塔という言葉があるが、いざ前にすると比喩にしても似合わないビジュアルだ。
高層ビルほど現代建築感はないにせよ、色合いから質感まで、周囲の風景から乖離している。
ミリエルは入り口と思しき部分に設置されたパネルに手を翳し、数字を打ち込んだ。
ウィラーから聞き出した暗証番号である。
パネルはミリエルの指先の動きに合わせるように、バックライトめいて白く輝いている。
「ヨースケ。そのパネルが利用者登録と、入館料徴収をかねておる。手のひらを置けばよい」
「入館料って……金を取るのか」
「もっと貴重なもんじゃよ。ま、安心せよ。支払いは、お主の器なら雀の涙ほどじゃろうて」
俺もミリエルに促されるままに、そのパネルに触れた。
その瞬間、パネルの輝きが強くなる。と同時に、何かがうっすらとパネルに吸われるのを感じた。
注意深く感知しなければ分からないほどの微量の魔力が、手のひらを通じ対外へと漏れ出ていく。
自然な形で体内を巡っていた魔力が、バランスを崩すほどに、パネルの光に奪われていく。
「ご主人様!」
「……ああ、大丈夫。大丈夫だ」
スピカの警告めいた険しい声を受けて、はっとした俺は慌ててパネルから手を遠ざけた。
手のひらを通して身体の奥底から巨大な波が溢れ出て、すべてを激しく押し流しそうな感触。
「ミリエルさん?」
「待て。待てスピカ。主の身を危険に晒したとしてお前が怒るのは分かるが……ヨースケ。お主、今のは自分でやらんかったか」
「すまんスピカ。今のは俺が悪い」
「そんな! 謝らないでくださいご主人様。ですが、何を」
「もっていかれる分がこそばったくてな、つい大量に押しつけたらどうなるかと」
少し、危なかったかもしれない。
俺の身体が、ではない。
むしろ、パネルの方、中央塔のシステムの方を心配してしまった。
ミリエルは予想外の状況に肩をすくめ、俺を呆れたように見上げている。
「面白がったワシも悪かったとはいえ、これでも貴重なものなんじゃ。意図的に壊さんでくれ」
「そんなつもりじゃなかったんだが、……面白い感覚だったんでつい」
「ワシも似たようなことをやった覚えはあるが」
「あるのかよ」
ミリエルはにやり、と笑って入り口を指し示した。パネル横の壁がするすると分解し、上下左右に吸い込まれるように滑らかに引っ込んでいくのを目にした。
てっきりドアが横滑りして開くだけかと思ったら、とんでもなかった。
自動ドアなんかじゃない。もっと、すさまじく高度で複雑な技術が使われているものだった。
「見たかったのはその顔じゃよ。どうじゃ、驚いたか」
「そりゃ……驚くだろ。こんなの」
ここを通れ、ということらしい。来客扱いの認証は上手くいったようだ。
奪われた魔力も、注ぎ込んだ魔力も、俺の持っている全体量からすればさほどでもなかった。
だというのに、パネルの輝きは正常動作とは思えないほど強烈に輝き、眩い光を放っている。
コップ一杯分の献血を求められて、巨大なバケツ、あるいは蛇口を前回にして狭い入り口に無理矢理押し込んだようなものだった。
「ワシより魔力量が多い人間は初めて見たのう」
「ご主人様ですから!」
「なんにせよこれで登録は完了じゃ。目的地に急ぐぞ」
スピカは、ふふーん、と自慢げな様子を声に載せていた。
入り口での暗証番号入力後、ゲート上部から照射された緑色の光もそれに拍車を掛けた。
開かれたゲートをくぐりぬけ、完全に中に入ってしまうと、背後で扉が元の形に復元される。
屋内を見回すと、天井に一定間隔でやわらかな白い光の照明がある。
マジカディア魔法学院は魔法使いのための学校である。
それはどうしようもなく正しい。
より正確には、魔法使い――すなわち一定以上の魔力を持ったもので無い限り、施設内を自由に動き回ることすらままならない仕組みが山ほどあるのだ。
これが学院関係者が特別視される理由であり、現実的な問題でもあった。
なるほど、こんな場所に入る資格があると思えば、自分たちを特別視するのも分からなくはない。
俺たちが踏み込んだそこは中央塔のエントランスである。複数の通路があり、案内図を見上げた。
学長室はこの最上階に位置している。
警備システムを含めた他の重要な施設は、この中央塔の低階層に集中している。
この建物には全体通して、どこか機械的な感触がある。
マジカディアの街並み、特に歓楽街を中心とした世界観にそぐわない雰囲気を、都心部駅前に燦然と輝くネオン街の空気と評した俺であったが、この中央塔についてはまったく違う感想を持った。
「すごいな、これは……」
「そうじゃろうそうじゃろう。一般人はおろか、学生でも滅多に入れぬ場所じゃからな!」
「別世界というか、なんというか」
「うむ。魔法学院の中枢ゆえ、観光名所に出来んのが残念なくらいだからのう」
「そのあたりの照明も、ドアの認証も、電気を使ってる感じはしないな」
「電気?」
「こっちの話だ。動力はどうなってるんだ?」
「内部の人間が定期的に供給する魔力じゃな。ほれ、入り口にパネルがあったじゃろ。あのパネルは中央塔内部を歩くためのパス発行と共に、施設維持のための魔力を徴収する仕組みになっておる」
「さすがに永久機関ってわけでもないのか」
「うむ。じゃが、人間が内部で動き回っている限りにおいては、半永久と言っても良いな。施設内を歩き回るたび、人体からは微量の余剰魔力が常時垂れ流されておる。それを回収して施設の機能維持の足しにしておるはずじゃ」
マジカディア中に設置された街灯や室内灯は、この仕組みを解析、転用して作り上げられたものらしい。
街全体に行き渡るほどの量は、自動徴収された余剰魔力を用いることで賄っていると。
街では便利な生活が送れるが、学院と魔法使い無しでは成り立たないシステムでもある。
誰が考えたのか知らないが、ひどく良くできた共生の仕方だった。
学校であると共に、研究機関であることの強みだろう。
古代文明の遺した施設を便利使いしている以上、それなりに解明は進んでいるわけだ。
太陽光発電ではないが、入り口のパネルで一定量の徴収がある以外は、ほぼ自然エネルギー扱いと言っても良いだろう。
発電床なるものが、どこぞの駅で試験的に設置されていたのを思い出す。人間が動く、それだけで最低限のエネルギーを回収出来るのだから、大きな負担にはなっていないはずである。
何より魔法が重要視されるであろう魔法学院の中枢に、ここまでのメカメカしさは何なのか。
果たして、魔法技術だけで辿り着くものなのだろうか。
「洗練されすぎてる、か」
「そうさな。各地にこうした施設はいくらか残っておるが、ここまでのものは滅多に見つからん。学院もここにある技術や仕組みを再現しようと日夜研究しているんじゃが……やはりマジックランプを大量に敷設、常設化できたことがもっとも評価されておるな」
「街のアレは、この塔から着想を得たってことか」
「他にも色々と解析はしておるんじゃが、なかなか困難でな。壁面の材質もダンジョンのそれと近似しておるから、一部分壊して調査をする、なんてことも叶わん。それでも事実ここに存在し、利用が可能な仕組みがある以上、いつかは再現出来る日が訪れるじゃろうな」
「マジカディア学院が研究機関だって意味が、ようやく実感できたよ」
「一口に学院に所属している魔法使いといっても、戦闘者、冒険者として外に出ていくタイプと、魔法にまつわる知識や技術、あるいはさまざまなマジックアイテム――この塔のような古代文明の遺産や、あるいは魔具級の希少にして強力なドロップ品――の研究調査や作成を専門とするタイプで二分されるのでな」
「ティナは?」
「ラクティーナは当然、両方に精通しておるよ。大魔法使いの弟子たるもの、戦闘馬鹿ではマズイし、理屈馬鹿ではいざというとき使い物にならんからのう」
「なら、ミリエルさんは」
「師が弟子以下のわけがなかろう?」
俺とミリエルの進む先で、入ろうとした部屋は触れる前に勝手に開く。動きは完全に自動ドアのそれであったが、俺とミリエルに与えられた権限まで参照していると思われた。
問題の保管庫には別途、入室者を選別、記録するようなパネルがあったし、途中で通りがかった役員室は前に立っても自動で開くことはなかった。
ウィラーが語っていた通りに、こうした仕組みが徹底されているのなら、外部犯が学長の部屋に侵入して殺害後、誰にも見咎められずに自殺偽装の工作までするのはまず不可能である。
周囲の大半が自殺を疑わなかった理由も納得がいった。
学院に属する者にとって中央塔のシステムは絶対であり、学長室は一種の聖域なのだ。
誰かが学長室に侵入し、あまつさえオージェスを自殺に見せかけて殺したなど、彼らの常識ではありえないことだったのだ。
ますます密室の度合いと、その手段の不可解さが際立ってきた。
そしてそれ以上に、これまで立ち寄ってきた町々の中世から近代ヨーロッパめいた雰囲気からの乖離を感じた。
通路の感じやら、ドアの滑らかな動きや、その感知のスムーズさが近未来感たっぷりなのである。
ここまでの経緯や道のりがなければ、招待されて宇宙船の内部に足を踏み入れたと形容しても、あんまり違和感がなかったりする。
魔法あるいは古代文明の特殊性からだろうが、現代日本でもちょっとお目にかかれない自動化とセキュリティっぷりであった。
「誰もおらんな」
「用事もなく立ち寄る場所でもないんだろうが、人払いでもされてるのか?」
「あるいは全員が現場に集まってるのか、じゃな」
学院には、魔法的な実験を行うのに最適な環境がある。
特にこの中央塔には、マナ溶液のような薬剤を管理するのに有用な保管庫を初めとして、研究用に重要な資材や施設が無数にあるのだという。外敵、侵入者を感知、排除するための警備システムがしっかりと生きている。
ゆえにこそ、特別さを目一杯詰め込んだような中央塔を中心として、まず学院が建設され、街がそれを取り囲むように繁栄していた。
国家によって強大な権威と権力とを与えられた、マジカディア魔法学院。
選良たる魔法使いを育成し、大量の知識を集積するための機関として認定された、という経緯である。
この一種異様な存在感を放つ中央塔は、周りを囲む形で建設されたいくつかの学舎と違って、元々この場所にあったものを再利用する形で運営されていた。
地下にある涸れたダンジョンと一部接続しているが、直接行き交うことはできないことから、別個であったと推察される。
先日見た通り、地下ダンジョンは形こそ保全されているが、機能的には完全に死亡している。
一方で、この中央塔は天を貫くように屹立しており、今現在もなお様々な機能が保れたままである。
つまりは、この中央塔こそ、古代文明の生きた超技術そのものなのだ。
いつぞやのダンジョンコアの一件を思い出し、俺は何とも言えない気分を味わった。
学院がこうして活用しているように、稼働している機能を利用するだけなら容易いのだろう。
電子レンジの仕組みを知らずとも、ボタンを押せば弁当を温められるのと一緒だ。
しかし、これが何のために作られた塔なのか、その真実を知る者はいない。
古代文明の残したこの手の機構は、果たして、人間の手に負えるものなのだろうか。
「ふむ。ここだったか」
「随分と迷いがないが、ミリエルもここに入ったことがあるのか?」
「それほど数は多くないが、な。……さて、次は」
入り口からまっすぐ歩いていたミリエルは、一度立ち止まって、周囲を確認する。
ここまで誰ともすれ違っていない。
場所の特異性ゆえか、警備員らしき人員も一切見当たらなかった。
複雑な構造の内壁や雰囲気は整然としているが、やはりダンジョンのそれと似通っていた。
岩肌の露出した洞窟風ダンジョンの内部とはまったく違う、と感想を抱く者もいるかもしれない。しかしここで挙げている類似点は、まったく壊せる気がしない壁という部分だ。
白を基調とした内壁の材質はコンクリートとは違うが、では何かと問われると答えに困る。
レンガだとか岩肌、土壁のような古めかしさを感じるものではない。
光沢を抑えたセラミック風の白壁、が感触を説明するのにはそこそこ近いだろうか。
通路にはリノリウム風のシートが貼られているが、これは後から載せたものだろう。剥がしてしまえばおそらくは壁や天井のセラミック風白壁と同じ材質が覗けると思われる。
「ヨースケ。興味深そうに見ておるとこ悪いが、そろそろ先に進むぞ」
「学長室は最上階だったよな。階段はそっちなのか?」
「ふっふっふ、見て驚くなよ」
横にあった手のひらサイズのパネルに手を伸ばすと、塔入り口と同じように壁が分解して、中に入れるように開いた。
ミリエルを追って、俺も中に足を踏み入れる。
四方を囲まれた狭い部屋で、同じような、だがもう少しだけ大きなパネルが設置されていた。
入り口脇にあったものと似ているが、もっと簡素なものだ。数字を選ぶ形式になっているが、見覚えのない形状をしている。
古代文明の文字なのだろうが、俺には常時展開している翻訳魔法がある。
「最上階、か」
「む。ヨースケには、これが読めるんじゃな? ま、ワシに任せておけ」
翻訳魔法を使っていなくても、そこに記載されている文字には見当が付いた。
パネルを触っていたミリエルは、最上階にあたる部分を選択し、パネルの下方を触った。
扉が閉まる。箱の中に閉じ込められたような、閉塞感。
そして、あのなんともいいがたい浮遊感。
久しぶりの感覚と、耳がなんとなくおかしくなる感触に、少しの懐かしさを覚える。
「怖がることはないぞ。これはただ、ワシらの身体を上に運んでいるだけだからのう」
「ああ」
返事が普通すぎたのか、ミリエルが訝しげに俺を見上げた。
俺の表情をじっくり確認し、口をとがらせ、つまらなそうに肩をすくめる。
「なんじゃ、ぜんぜん驚いても怖がってもないではないか。つまらんのう」
「いや、だってこれ……エレベーターだろ」
「知っておったのか」
「すまん。わりと乗り慣れてる」
「ええー……マジカディアは初めてと言っておったじゃろ……?」
そう、どこからどう見ても、エレベーターなのである。
驚かなかった、といえば嘘になる。剣と魔法とモンスター山盛りの世界に、ネオン街から高層ビルっぽい施設やらエレベーターまで揃った街があったのだから、驚愕しないわけがない。
しかし、どれをとっても、その物品や現象には馴染みがありすぎるものばかりなのだ。
当時、初めてエレベーターに乗った明治大正生まれの人間のようには驚けない。
ミリエルには俺の反応は不満だったようだ。悔しそうな視線から、派手な反応を求めていたのが伝わってくる。
「これに初めて乗った連中は、耳鳴りと背筋を走るあの気色悪い感覚に皆青ざめて、足下が不確かになる感触で身体をカチンコチンに強ばらせて、最上階まで一言も発せなくなっておったもんじゃが……」
それはそうだろう。俺だって、逆の立場だったら、それを楽しみにするに決まっていた。
マジカディアの観光案内を言いだした時点から、ずっとお待ちかねの瞬間だったに違いない。
これが物理的な上昇ではなく、ワープみたいな仕組みなら俺だって驚いただろう。
ただ、現象として電気の代わりに魔法を使ったエレベーターとしか認識出来なかったのが敗因だ。
「あー……その、悪かったな。期待に添えなくて」
「もうええわい。ふん」
「拗ねるなって」
「拗ねてなぞおらん。ほれ、もう着くぞ」
視線の先で、パネルの数字は、十、十一、十二とすばやく切り替わっていく。
ミリエルの言葉と同時に、最上階の文字が表示された。
魔法エレベーターの扉が開く。その開閉の滑らかさ、扉が引き込まれていくからくりには、ちょっとお目に掛かったことのない面白さが窺える。
「さて、ゴブリンが顔を出すか、ドラゴンが待ち構えているかが問題じゃな……」
「どういう意味だ?」
「ご主人様に分かりやすい言葉だと、鬼が出るか、蛇が出るかと同じような意味かと」
「なるほど」
「単なる常套句じゃが……エレベーターに乗ったより感心した顔じゃのう。なんか納得いかん」
エレベーターを降りると、そこは通路の途中だった。
やはりひとの姿は見えない。が、通路の向こう側に何やら気配があった。
俺とミリエルは頷き合って、様子を確かめながら、その方角へと足を向ける。
「物事に対する慣れというか、経験してきたことってひとそれぞれ違うだろ?」
「そうですよ。ミリエルさんだって異性をからかうのは好きなのに、真面目に口説かれたら腰が引けるタイプじゃないですか」
「む。スピカよ。知ったような口を利いて、ワシの何を知っておるんじゃ」
「おやおや、この短い付き合いでも察せるくらい分かりやすいという自覚がありませんね」
「仕方ないじゃろ。ワシはこんななりじゃ。異性に対する免疫というか、耐性が少なくとも……」
気を抜いているわけではない。
会話しながらも、周囲に注意を向けている。
「耐性、耐性か。昨日から、ずっと何か引っかかってるんだよな」
「お主もか。……何かを見落としておる気はするんじゃが、それが何か分からんのう」
騒然とした空気が伝わってきて、どちらからともなく黙り込んだ。
誰かの叫び声、あるいは怒号。
血の匂いはしていない。まだ。
俺が耳を澄ませているあいだに、ミリエルも、どこか警戒した雰囲気をまとっている。
杖を右手に、魔法使いらしい帽子のつばをくいっと上げて、目つき鋭く前方を睨む。
急ぎ通路を走り抜け、現場へと辿り着いた瞬間、一切の猶予もないことが見て取れた。
「ハルマック、お前に聞きたいことがあるッ! 死にたくなかったら答えろ!」